負け犬達の主張
時を遡ること、数時間前。その日スタンはもはや日常と化した冒険者パーティへの勧誘話を聞くため、とある食堂へとやってきていた。筋を通す相手には、自分もまた筋を通す。正式な手順を踏んで呼ばれたのであれば、スタンもまた会いもせず無下に断ったりはしない。ファラオとは寛大にして公正な存在なのだ。
そしてそんなスタンを待つために、アイシャもまた食堂の外で待機していたのだが……
「はぁ……この辺って何にもないわね……」
いつもの冒険者ギルドの前でなら、賑やかな人混みで交わされる会話に耳を傾けたり、近くにある屋台で串焼きでも買ったりすることで、十分に時間を潰すことができた。
が、朝食には遅すぎるが昼食には早すぎるという時間帯と、微妙に裏通りに近いという立地の影響か、今のアイシャの周囲には人影もなく、出店の類いも存在していない。
つまり、時間を潰せる要素が何もない。最初の五分ほどはボーッと突っ立っていたアイシャだったが、すぐに飽きて足下の石を蹴ってみたり、同じ場所をグルグルと歩き回ったりした。だがそんなことをしたところで募るのは苛立ちと徒労だけであり、アイシャはぶつくさと文句を口にし始める。
「ったく、何なのよ! 何でこんなところで話し合いなんてしてるわけ!? 少しは待つ方の身にもなってみなさいってのよ!」
ちなみに、別にアイシャはスタンに「待っていてくれ」と頼まれているわけではない。というか、アイシャとスタンはパーティすら組んでおらず、実質的にはただ一緒に行動しているだけの他人である。
だからこそ話し合いにアイシャは同席できないわけで、今ここにいるのも自分が勝手に待っているだけなのだが……
「ちょっとアタシが目を離すとすぐシワシワに干からびるくせに……ファラオだかパレオだか知らないけど、偉い王様だって言うなら、こういう細かいところにも気を配りなさいよね! まったく!」
もしもこの場にスタンがいたら「理不尽にも程がある」と言われそうな愚痴をこぼすアイシャ。だがそんなアイシャの口が、不意に背後から他人の手によって押さえつけられた。
「ふごっ!?」
「おっと、大人しくしろ。暴れたり騒いだりしたら殺すぞ?」
野太い男の声と、首元に感じる冷たい感触。瞬時に状況を悟ったアイシャは、そのまま大人しく……することなく、全力を振り絞って暴れ始めた。
「ふがふがふがっ!」
「イテェ!? くそっ、この女噛み付きやがった!」
「暴れんな! 暴れんなって! お前、本当にぶっ殺すぞ!?」
「ふごふごふごーっ!」
「あーもう、埒があかねぇ! 薬使え薬!」
「え、でも、この体勢で使ったら、組み付いてるルーズの兄貴にも薬が……」
「いいからやれ!」
遅れてやってきたもう一人の男が、アイシャに向かって小さな袋を投げる。それはアイシャの顔付近に当たるとパッと中身の粉が吹き出し、それと同時にアイシャの意識があっという間に闇に落ちていって……
「お、目が覚めたか?」
そうして今、アイシャの目の前にいたのは、使い古された装備に身を包む、如何にもしょぼくれた感じの冒険者だった。その顔や手には包帯やら湿布やらがされており、何とも痛々しい。
「言っとくが、さっきみたいに騒ぐなよ? 今度騒いだら、本当にぶっ殺すからな」
「騒がないわよ。さっきならともかく、気絶してるアタシを運んだ先なら、もう騒いだって関係ない場所なんでしょ?」
「まあな。いつつつつ……」
「あ、兄貴!? 大丈夫ですか!?」
そんな男の横から、さっき薬を投げてきた男が心配そうに声をかける。しょぼくれ男の方は二五歳くらいなのに対し、そっちの男はもう少し若い……おそらくは二〇歳そこそこくらいだと思われる、なかなか顔立ちの整った若者だ。
「ああ、平気だドギー。ったく、ヒデェ目に遭ったぜ」
「そりゃアンタが人を誘拐なんてしたからでしょ? 完全に自業自得じゃない」
「おい女! お前ルーズの兄貴に生意気だぞ!」
「何が生意気よ! アタシみたいな年下の美少女を薬まで使って拉致監禁するような奴に払う敬意なんてあるわけないじゃない!」
「テメー!」
「やめとけドギー」
拳を振りかぶる若い方の男……ドギーを、薄汚い方の男ルーズが止める。そしてそのままアイシャの方に歩み寄ると、粘つくような笑みを浮かべて話しかけた。
「なあお嬢ちゃん。お前が俺達に協力さえしてくれりゃ、顔も体も綺麗なまんまでお家に帰れるんだ。悪い話じゃねぇだろう?」
「アタシに何させようってのよ? 言っとくけど、アタシは大富豪の家出娘でも王様の隠し子でもない、ただのE級冒険者よ?」
「んなこたぁわかってんだよ! 俺が頼みたいのは、一つだけだ。このまま大人しく捕まってて……あのキンピカ仮面の交換材料になりやがれ」
「……? あっ、アンタあの時の!?」
そこで漸く、アイシャは目の前の男が以前にスタンに手酷く煽られた輩だと思い出した。それは危機感が欠如していたのではなく、どうでもいい相手の顔など覚える価値もないからである。
「え、でも待って。スタンをパーティに誘ったってことは、アンタ一応冒険者なんじゃないの?」
「ん? そうだぜ。俺はD級冒険者のルーズ様だ! で、こいつはドギー。お前と同じE級冒険者だ」
「ちょっ、酷いですよ兄貴! こんなガキと同じなんて!」
「ハッハッハ、悪い悪い。まあでも、お前ならすぐ俺と同じD級になれるだろ? ま、俺は面倒だからC級にはあがらねーけどな」
「さっすが兄貴! 同じD級でも、その辺のしょぼくれた奴らとは全然違いますよ!」
「何よ、あがらないんじゃなく、あがれないだけでしょ?」
「……アーン?」
鼻で笑うように言ったアイシャに、ルーズが露骨に機嫌を悪くする。だがアイシャの言葉は止まらない。
「その顔、図星? 等級があがるほど優遇される反面、課される義務も増える。それを嫌ってあえてD級で止める人は確かにいるけど、アンタの場合はどう考えたってそうじゃないでしょ。
何その装備、全然手入れしてないじゃない! それで平気ってことは、外に出てまともな依頼を受けてないってことでしょ? そんなのがC級にあがれるなら、アタシなんて明日からA級になって――っ」
立て板に水の如くあふれ出す皮肉が、しかし唐突に止まる。冷たい目をしたルーズの拳が、椅子に縛り付けられて身動きもままならないアイシャの顔面を思い切り殴りつけたからだ。
「調子乗んなよガキが。あのキンピカ仮面との交渉に使うだけなら、テメェを無事でおいておく理由なんてねぇんだぞ?」
「……あら、下衆の本性を現すにはちょっと早すぎない? 身動きできない女を殴ってイキるとか、格好悪いにも程があるでしょ。そっちのアンタはそう思わないの?」
「俺? 何言ってんだか。ねえ兄貴?」
「ああ、そうだな……よっ!」
「ぐふっ!?」
ニヤニヤ笑うドギーに応えて、ルーズがアイシャの腹を思い切り殴りつける。その衝撃はアイシャの内臓を激しく揺らし、鈍い痛みと共にこみ上げた吐き気がアイシャの口から朝食の残骸を吹き出させた。
「げぇっ、ぐぇぇ…………っ」
「うわ、きったねーな!」
「さっすが兄貴! 女子供にも容赦しないところが最高に男らしいです!」
「だろ? やるときはやる! これが男ってもんだ!」
「参考になります!」
「げほっ、えほっ…………なるほど、どっちもクズってわけね。こりゃお似合いだわ」
「何だ、もう一発食らいてぇのか?」
「まさか! アンタ達のクサい息を我慢するのは、もう限界なの。だから……」
すぅっと、アイシャは思い切り息を吸い込む。その行動にルーズが再びアイシャを殴って止めるより、アイシャの叫ぶ方が僅かに早い。
「助けて、ファラオー!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
瞬間、激しい震動が小屋を揺らし、床板を突き破って黄金の像……ファラオの寝台が回転しながらせり上がってくる。それに股下から突き上げられたルーズは、股間を押さえながら宙を舞った。
「ぐはっ!?」
「あ、兄貴!? 一体何が……っ!?」
潰れたカエルのようにヒクヒクするルーズに、ドギーが慌てて駆け寄る。そんな二人を余所に、せり上がり終わった寝台の正面がパカリと開き……
「余、降臨!」
現れたのは、黄金の仮面を被った偉大なるファラオであった。





