別れの時
「まさかそんな……これだけやっても無傷ですと……!?」
「無論だ。余はファラオであるからな」
パンパンと服についた埃をはらいながら平然とそう言い放つスタンに、ビクァーキンは愕然としてその場に崩れ落ちる。それに合わせて体を覆っていた赤黒い木の根がパリパリと枯れて崩れ落ち……その下から現れたのは、見る影もないほどにガリガリに痩せ細った姿であった。
「あり得ない! 龍の息吹に耐えられる者など……いる、はずが…………」
激しく激高してそう叫ぼうとするビクァーキンだったが、その脳裏にとある男の姿が浮かぶ。
(ああ、そうか。逆だ……龍の息吹を防げる人間が、いないはずがないのだ)
ビクァーキンは知っている。伝説でも神話でもなく、龍の息吹を防いだ男を直接その目で見たことがある。その男の顔だけは、時の果てに置き去りにされてなお決して忘れることはない。
「なんたる落ち度! まさか後方支援である私が、そのような当たり前の事実を忘れて勝負を焦るとは……ははは、歳は取りたくないものですね」
「……………………」
骨と皮ばかりになった己の手を見つめて言うビクァーキンを、スタンはただ黙って見つめる。するとビクァーキンは四肢を大きく広げながら、その場でごろりと仰向けに倒れ込んだ。
「勝機を……商機を見誤るのは、丁稚の頃以来ですよ。仕方ありません、この場は素直に負けを認めましょう。
ですが種は蒔きました。あとは実ってくれるのを願う……ばかり…………」
呟いている最中にも、ビクァーキンの体がパリパリと乾いて砕けていく。だというのにその声に満ちているのは、何処か満足げな温かい響きだ。
「ああ、勇者様……ふふふ、銀の女神像が予想外の高値で売れまして…………軍資金はお任せください…………戦えぬ私を仲間と言ってくれる貴方のためなら……」
そんなビクァーキンの末期の言葉をしっかりと聞こうとスタンが近づいていくと、崩れゆくビクァーキンの目が不意にスタンを捉える。
「私はビガロ……しがない旅商人です…………どうか貴方の伝説の一節に、この名を刻んでいただけませんか……?」
「よかろう。その名、しっかりと余の胸に刻んでおこう」
ビクァーキン……ビガロが見ているのが自分なのか、あるいは勇者なる者の幻であったのかは、スタンにはわからない。だがそう言って頷いたスタンを前に、ビガロは最後に小さく微笑み……その体は白い塵となって終わった。
「…………生き延びた、か」
そんなビガロの最後を見届け、スタンは疲れた声でそう呟く。そう、これは決して勝利ではない。敵が勝手に自滅してくれたから生き残っただけであり、もし周囲に無秩序にまき散らされた力を効率的に自分に向けられていたら、負けていたのはスタンの方であった。
だがそれでも、スタンは生き延びた。己の足下に転がる五つの三角錐を犠牲にして。
「よくぞ余を守ってくれた。流石はファラオの秘宝だ」
ビガロの驚異的な一撃を防ぐべく、一時的に限界を遙かに超える出力で障壁を展開した<空泳ぐ王の三角錐>は、その力を失い完全に壊れてしまっている。もはやどれだけ呼びかけようと、その三角錐達が空を泳ぐことはない。
「そち達の働きに、心から感謝する。いつか目覚めるその時まで、今はゆっくり休むといい」
たとえ直せる目処が立たずとも、これを捨て置くなどファラオとしてあり得ない。忠道を全うした偉大なる戦士にそうするように、スタンはそっとファラオンネル達を抱き上げ、静かに<王の宝庫に入らぬもの無し>のなかにしまい込むと、その足でスタンは先ほど出てきたばかりの部屋に入っていった。
するとそこでは未だに気を失ったままのライラが、拘束されたままの状態でいる。その口元に手を当てきちんと呼吸をしていることを確認すると、スタンはホット胸を撫で下ろしてからその拘束を外し、静かに床に横たえた。
「よかった、こちらの部屋にはあの攻撃は届かなかったようだな。にしてもあれだけの熱量が一瞬で失われ、しかもたかだか数十センチの壁や、それより薄い扉であらゆる衝撃やエネルギーを断絶させるとは……この遺跡を作った者達の技術レベルはすさまじいな」
それはあるいは、サンプーン王国に比肩するかも知れない。そんなことに感心しつつも、スタンは改めて遺跡の内部調査を再開するべく部屋を出る。そうして近くにある扉を片っ端から開けていったのだが……
「ぬぅ……ここも行き止まりか」
中央広間から繋がる扉の先は、何処もライラが捕らわれていたのと同じ行き止まりの小部屋であった。ただ部屋によって微妙に使用された跡が残っていたりするのは、ライラ以前にもここに捕らわれ、供物とされていた者がいたからなのだろう。
「今更何をしてやれることもないが……痛ましいものだ。にしても、まさかどの扉の向こうも行き止まりの小部屋とはな。一体ビガロやライラはどこから入ったのだ?」
スタン自身はライラに呼ばれてここに来たため、当然出入り口など知るはずもない。また誘拐されたという性質上、ライラもおそらくは知らないだろう。もしビガロが生きていれば尋問して聞き出すことも考えられたが、塵となって消えてしまった人間に問いかける術など、たとえファラオであろうとも持ってはいない。
「そう言えば、転移がどうとか言っていたな。町の者も誰もこの場所の存在を知らぬようであったし、ひょっとして尋常な方法では出入りできぬのか? まあ今回に限れば、帰れぬわけではないが……」
こういうときの為に、スタンはアイシャと「事前相談なしで自分が消えた場合、一日経ったところで助けを呼んで呼び出してもらう」という約束を交わしている。なので放っておけばスタンだけならば明日には地上に帰ることができるだろう。
無論慮外の方法で超距離を飛ばされてしまった場合などは無理なこともあるが、少なくとも今回はライラの助けに呼応してここにやってきたわけなのだから、来るだけで戻れないという可能性は限りなく低い。
だが、その際問題となるのがライラだ。当たり前の話だが、ファラオコールで戻れるのはスタンだけであり、ライラは戻れない。ものすごくぎゅうぎゅうに詰めれば二人共寝台に入ることはできるかも知れないが、その場合もファラオコールが正常に機能するのかがわからないため、本当にどうしようもない状況でもなければ試したいとすら思えない。
故にやるとすれば、「ライラを<王の宝庫に入らぬもの無し>に入れて、スタンが地上に戻ってから出す」という手段になるだろう。ただ音も光もない虚無の空間に人の精神が耐えられるのはせいぜい数分なので、実行するならば綿密な打ち合わせの元、必要最小限の時間でライラを出し入れする必要がある。
「となると、ライラをここに残したままアイシャに呼ばれた余が一度地上に戻り、そこで時間を決めてからライラに呼ばせて再びこちらに戻って、ファラオコール直前にライラを収納、アイシャに呼ばれて地上に戻ったらすぐにライラを解放、という手順か? 何とも迂遠な…………ははは」
当たり前の話だが、ファラオというのはそんなに気軽に助けを求められる相手ではない。故にサンプーン王国にいた頃のファラオコールは、基本的に不慮の事故や災害などの時であった。
だが今、まるで荷運びの小間使いのような自分の動きを想像して、スタンは思わず笑みをこぼす。それを不快ではなく愉快だと感じられる精神性こそ、スタンが民に慕われるファラオであった何よりの証明であった。
「まあ、それは出入り口が見つからなかった時のことだ。本命はまだ残っておるしな」
ライラを助けビガロとの戦闘もこなしたが、それでもスタンがここに来てから、まだ一時間も経っていないため、時間的猶予はたっぷりある。それにスタンは開けたのはほぼ全ての扉であって、全てではない。唯一残ったあからさまに特別な扉を前に、スタンはわずかに仮面を傾け思案する。
「さて、ではこの扉だが……どうやって開けたものかな?」
石壁にはまった、明らかに質感の違う鉄の板。その中央には切れ目が入っており、となれば単に道を塞いだわけではなく扉なのだと予想されるが、押そうが引こうがその扉だけはびくともしない。
というか、そもそもノブのようなわかりやすいものだけでなく、切れ目の部分もごくわずかで、爪くらいならともかくとても指は入らない。つまりこれは、人が自力で開けるようにはできていないのだ。
「この形状だと、おそらくは自動扉であろう。だが認証装置のようなものは見当たらぬし……まさか暗号を音声入力とかか? そうなると流石に手が出ぬぞ?」
もしこれが娯楽作品の読み物であれば、この室内に扉を開くヒントなり何なりがあるものだ。だが現実ではそんなものあるはずもない。頭の悪い職員が暗号を書いた紙をその辺に貼り付けていたり、鍵をわかりやすい場所に隠していたりする可能性はあるが、この遺跡の経年ぶりを見ればそんなものが残ってないのは明白だ。
「ふーむ、どうしたものか……?」
頭を悩ますスタンが首を傾げると、仮面の端が扉の横にある石壁に軽く触れる。すると次の瞬間――
『最上位権限を確認。管理室のロックを解除します』
「ファラッ!?」
何処か聞き覚えのある声が響き、開かぬはずの扉があっさりとその口を開けた。





