交渉決裂
「さて、状況は……っ!?」
寝台の蓋が開き、まずは周囲の確認をと考えたスタンが目にしたのは、椅子に拘束された状態で目をむき口から涎を垂らし、ビクビクと痙攣するライラの姿だった。それが予断を許さない状態なのは、素人目にも明らかだ。
「これはいかん! ファラオローション!」
一刻の猶予もないと見て、スタンはカパリと開いた仮面の口をライラの開きっぱなしの口に押し当て、直接ファラオローションを流し込んだ。すると当然ライラは息苦しさに顔を背けようとするが、そこは強引に押さえ込んで半ば無理矢理飲み込ませる。本当なら拘束を解いた状態でやりたいが、ライラが暴れると治療の妨げになってしまうので致し方ない。
「ぐほっ! オエッ!」
「苦しくても我慢して飲むのだ!」
見ようによっては拘束された美女に無理矢理キスをしているような状況ではあるが、それを咎める者などこの場にはいない。そうやって三〇秒ほどファラオローションを飲ませ続け、ライラがガクッと意識を失ったところで、スタンは漸く仮面の口をライラから離した。
「ふぅ、これでひとまずは大丈夫であろう。しかしこれは……む?」
「な、何だ!? 一体何が起きたのですか!?」
足下に転がっていた怪しげな筒を<王の宝庫に入らぬもの無し>にしまい込むと、スタンの背後から激高する声が聞こえてくる。クルリと仮面を振り向かせれば、そこにはたるみきった腹をダプダプ揺らしながらこちらを睨んでいる中年の男の姿があった。
「何だこれは……像!? 何故こんなものが床から突然!?」
「そちは何者だ? 念のため問うが、ライラを助けに来た者……ではないよな?」
「誰だ貴様は!? 人に名を尋ねるなら、まず自分が名乗るべきでしょう!」
「おっと、それは確かに……では名乗ろう。余はこの娘を助けに来たD級冒険者の、イン・スタン・トゥ・ラーメン・サンプーンだ。そちは?」
「冒険者だと!? ……こほん、失礼。私はビクァーキンです」
荒々しい口調を取り繕い、ビクァーキンが慇懃に一礼してみせる。その所作自体は洗練されたものに見えたが、如何せん腹が太すぎるせいで台無しだ。
「にしても、まさか冒険者ギルドがこの封印の地に冒険者を送り込める魔導具を所持していたとは……まさか私が動くのを見張っていたのですか? だとしたら賞賛に値します。今代ギルドマスターは凡庸な男だと思っていましたが、これほどの爪を隠していたとは」
「ん? 違うぞ? 余がここに来たのは、ライラが余に助けを求めたからだ。別に冒険者ギルドから指示を受けたわけではない」
「…………そうですか。つまり、貴方は単独でここに乗り込んできて、我らの事など何も知らないと?」
「知らぬな」
「そう、ですか…………クックック、ハーッハッハッハ!」
あっさりとそう答えるスタンに、ビクァーキンが腹を抱えて笑い出す。
「何と馬鹿な! 黙っていればこちらを牽制できたものを、わざわざ不都合な真実まで口にするとは……いや、無能な只人であれば、その程度の知能すらないのですかな?」
「何を言うかと思えば。余が黙っていたら、冒険者ギルドが正体不明の存在から謂れのない襲撃を受けてしまうではないか。自己のために他者に迷惑をかけるつもりなどないし、何より……」
そこで一端言葉を切ると、スタンがキラリと仮面を輝かせる。
「ファラオは嘘などつかぬからな!」
「ファラオ? 何処かで聞いたような……まあいいでしょう。ということはここで貴方を片付ければ、問題は全て解決ということですね?」
「それが可能なのであればな。行くぞっ!」
言いながらスタンは腰の剣を抜き放ち、ビクァーキン目掛けて斬りかかる。あからさまに重要参考人なので殺さぬように足を狙ったのだが……
「ほっ!」
「何!?」
ビクァーキンの玉のような体が、コロリと横に転がってスタンの一撃を回避する。その予想外のよけ方にスタンが驚くと、ビクァーキンがまるで道化師のように楽しげな笑い声をあげる。
「甘い甘い! その程度の攻撃、当たりませんよ!」
「ぬぅ……ならば続けていくぞ!」
二つ三つと斬撃を重ねるスタンだったが、そのどれもが余裕を持ってかわされてしまう。その程度で息が上がったりはしないが、それでもスタンは剣を振るのを止め、代わりにビクァーキンがニチャリとした笑みを浮かべる。
「ほっほっほ、何と何と……随分仰々しい登場で警戒しましたが、貴方ひょっとして雑魚ですな?」
「ぐぬっ……」
回避こそ達人級なスタンだが、剣の腕は全くの並。身体強化を使えるようになって若干腕力はあがったが、それは剣の技量があがるというものでもない。
いつもとは逆の立場になったことで、スタンは仮面を曇らせながら逡巡する。
(これでは埒が明かぬな……この手の輩にあまり手札を見せたくはないのだが、やむを得まい)
「ふむ、確かに余の剣の腕では、そちを捉えることは難しいようだ」
「只人にしては賢明な判断ですな。ではどうしますか? 諦めて降参するというのであれば、苦しまぬよう殺して……いえ、この際ですから、貴方も供物にしてしまうのはどうでしょうか? おお、これは名案だ!」
「ははは、余の予定を決めたいなら、まずは関係各所と折衝してもらわねばな……我が呼び声に応え、現れよ<空泳ぐ王の三角錐>!」
瞬間、スタンの背後から五つの三角錐が飛び出してくる。それを見たビクァーキンは、納得するようにポンと手を打った。
「それは……ああ、思い出しました! 貴方最近ちょっと有名になった、黄金仮面ですね? 道理で見覚えがあると思いましたよ。
しかし、こんな狭い部屋で空など飛んでどうするつもりです?」
「ふふふ、ファラオンネルの使い方は、別に浮くだけではないのだ……征け、ファラオスライサー!」
「ぬおっ!?」
スタンの指示で光る車輪のような刃物が放たれると、ビクァーキンは驚きながらも今までと同じように体を転がして攻撃を回避する。だが今回はそれで終わりでは無い。
「むんっ!」
「何と!?」
スタンの意思を受け、ファラオスライサーが宙空でくいっと曲がる。その予想外の動きに、ビクァーキンの右足に深い切り傷が刻まれた。
「くっ、まさか誘導兵器とは……そんな高度な魔導具を何処で手に入れ、そして使いこなしているのか。貴方への興味が、グングンと高まって来ましたよ?」
「残念だが、そちのような輩に好かれても喜べぬよ。さあどうする? 足がそれではまともに戦えまい。降伏するというのなら……こちらはひとまずの身の安全は保障するが?」
薄気味悪い笑みを浮かべるビクァーキンに、スタンは先ほどの意趣返しとばかりに降伏を勧告する。だが血を流す足をそのままに、ビクァーキンはより一層笑みを浮かべて笑う。
「ハッハッハ! まさかまさか! この程度で降伏などあり得ませんよ! 面白い芸を見せていただいたので、こちらも一つお返し致しましょう。
グォォォォォォォォ!!! 『龍角解放』!」
唸るビクァーキンの体から突如として赤黒い霧が立ち上り始め、同時に腹の部分が更に膨れ上がって服が破れる。そうして露出した腹がパックリと裂けると、そこからまるで植物の根のように赤黒い何かが飛び出し、ビクァーキンの体にグルグルと巻き付いていく。
その尋常ならざる光景にスタンが手を出せずにいると、ほどなくして変態を終えたビクァーキンが、深く長い息を吐いて言葉を発する。
「グフゥゥゥゥゥゥゥ……お待たせしました」
「そち、その姿は……っ!?」
「では、改めて名乗りましょう。私はビクァーキン。『龍角の戦士』が一人、抗覆のビクァーキンです」
心底驚愕するスタンの前で、赤黒い木の根が巻き付き集まり、人の形をとったような姿となったナニカが、ややくぐもった声で堂々と名乗りをあげた。





