勇者への道
「どうです? これでいくらか話しやすくなりましたか?」
「……………………」
ムキモジャのオッサンの口から発せられる美しい女性の声に、その場の全員が無言になる。あまりにもイメージと違うが、だからといって「それはちょっと……」などと言えるはずもない。
だが言葉にせずともその戸惑いを感じ取ったのか、ドラゴンが顎の割れたオッサン顔のまま可愛らしく小首を傾げた。
「ん? 何か問題がありましたか?」
「いや、その、問題って言うか……お母さん、なんですよね?」
「……? ああ、なるほど。性別が違ったわけですか。ではこれでどうでしょう?」
スタンとの生活で鍛えられた突っ込み力により、かろうじて声を出せたアイシャの指摘に、ドラゴンの体が再度光に包まれる。すると今度は白く輝く薄衣に身を包み、流れる砂金のような美しい長髪を持った二〇歳くらいの若い女性の姿になった。
「これなら問題ないですか?」
「うわ、すっごい美人……あ、はい。全然大丈夫です」
「いやいや、待ってくれよ。じゃああのオッサンの姿は何だったんだ?」
「説明するのは構いませんが、貴方達が知りたいことは、そんなことなのですか?」
「っ!?」
再び首を傾げるドラゴンに、ライバールが目を見開いて口をつぐむ。いつでも好きなときに自分達を殺すことも、無視して飛び去ることもできるであろうドラゴンがこうして会話に応じてくれている時間が、黄金よりも貴重なものだと改めて思い知ったからだ。
そしてその態度に、ドラゴンは満足げに微笑むと改めてその口を開く。
「では、まずは自己紹介をしましょうか。私は天龍アコンカグヤ。そこにいる幼龍の母親です」
「てんりゅう……? えっと、ドラゴンとは違うんですか?」
「それはヒトが何をドラゴンと認識しているかによって違います。いにしえの昔より我らは自らを『超越せし者』と呼んでいましたが、それがヒトの言うドラゴンと同じかどうかは、時代によって変わります」
「へー。じゃあ今の時代だとどうなんですか?」
「我らに似た姿をした、角の生えた生物のことを指すのであれば、違います。あれは……というか、ヒトが魔物と呼ぶものは、そもそも一体のドラゴンの死骸より生み出されたものですから」
「何!?」
アコンカグヤの言葉に、珍しくスタンが大きな声をあげて反応する。魔物の存在しないかつての世界から、魔物の存在する今の世界……その境目の情報であると思ったからだ。
「それは実に興味深い話題だが……」
「待てスタン。悪いけど、先に俺に質問させてくれ」
スタンの言葉を遮るようにそう口にすると、ライバールが一歩前に出た。その目がチラリとミドリを見てから、まっすぐにアコンカグヤに向けられる。
「アンタがミドリの母親だってのはわかった。でもじゃあ、何でミドリは森の中に一匹でいたんだ?」
「それは……この子が『歪み』に囚われてしまったからです」
「歪み?」
「はい。極めて希なことではありますが、この世界には突如として黒いひび割れのようなものが生じることがあります。そこに落ちてしまうと、そのモノはここではない何処かに飛ばされてしまうのです。
そして飛ばされる先は多岐にわたります。単純に距離が離れているだけなら最上級の幸運で、遙かな未来や過去、時には全く別の世界に飛ばされることすらあります。もしそうなったら、二度と再会は適いません。
そういう意味では、この子は幸運でした。たった三〇〇年先の未来に飛ばされるだけですんだようですから」
「三〇〇年!?」
「え、待って。じゃあひょっとして、三〇〇年前にここに住んでたドラゴンって……!?」
「ええ、私です。この子が歪みに消えてしまってから、ひょっとしたら何処かに現れるのではないかと、一縷の望みをかけて世界中を探し回っていたのです」
「じゃあ……アンタはミドリを捨てたとか、そういうんじゃねーんだな?」
確かめるように言うライバールの言葉に、アコンカグヤは小さく笑ってからそっとミドリを抱き上げ、愛おしそうに頬をすり寄せる。
「勿論です。この子を再び抱くためならば、私はどんな代償でも支払ったでしょう」
「キュー」
母の顔で言うアコンカグヤと、嬉しそうに甘えた鳴き声を出すミドリの姿を見て、ライバールの体から力が抜ける。そのまま大きく息を吐くと、母に抱かれるミドリに向かって優しく声をかけた。
「そっか……よかったなミドリ、母ちゃんに会えて」
「キュー!」
「ミドリ……そう、貴方はミドリと名付けられたのですか」
「あっ!? す、すんません。勝手に名前つけちゃって……」
「ふふ、構いません。この子も気に入っているようですし、ならば私もこの子のことを、今後ミドリと呼ぶことにしましょう」
「えぇ? いいんですか? もっとこう、ちゃんとした名前があったりするんじゃ?」
遠慮がちに問うライバールに、アコンカグヤが軽く首を振る。
「ありません。本来ドラゴンはヒトのように個別に名をつけたりはしないのです。なにせ我らは世界に三体しかいませんからね。いえ、地龍は討たれてしまい、後継はまだ育っていませんから、今は私と海龍の二体だけですか」
「そうなのか!? そんなのの子供って、ミドリ、お前スゲーんだな」
「キュー!」
感心したように言うライバールに、ミドリが得意げな鳴き声をあげる。そんな娘とヒトのやりとりに目を細めるアコンカグヤだったが、すぐにライバールに顔を向けると改めて声をかけた。
「さて、ではヒトの戦士よ。貴方は私と戦いますか?」
「ふぁっ!? な、何で突然そうなるんだよ!?」
突然の申し出に、ライバールがあからさまに動揺する。だがアコンカグヤの方もまた、不思議そうな顔でライバールを見つめてくる。
「戦わないのですか? 貴方のような戦士は、私と戦い討ち倒すことを最上の誉れとすると記憶しているのですが」
「あー、そりゃまあ、確かに……」
「本来ならば、私と戦うならば幾多の試練を乗り越えてもらわねばなりません。資格なきモノが我らの前に立つことなど許されないからです。
ですが貴方はミドリを守ってくれた恩人です。ならば私もその恩に応え、あなたと直接戦ってもよいと考えています。勝てば勿論、負けたとしても、貴方は私の中で天龍に立ち向かった勇者として、遙か悠久の時を超え讃えられることでしょう」
「勇者…………」
その言葉に、ライバールが複雑な表情を浮かべる。あまりの急展開に意識が追いついていないきらいはあるが、それでもこれが望外の幸運によってもたらされた類い希なる好機であることは理解できる。
仮に三〇〇年前、ここで普通に子育てしている時に自分がこの山を登っても、おそらくアコンカグヤが今のように自分と戦うなどと言ってくれることはなかったのだろう。本人が言うとおり、本来なら様々な伝説や英雄譚にあるように無理難題と思える試練を課せられ、それを達成することで漸く対峙することが許されるのだ。
だが今、それら全てを取っ払ってこの偉大なドラゴンは自分と戦ってくれるという。それは勝っても負けても自分が勇者として歴史に刻まれる願ってもない機会ではあるが……
「……いや、やめとくよ」
「いいのですか? こう言っては何ですが、もしいつか改めて私と戦いたいと思った時、貴方の実力で私の試練を乗り越えられるとは思えませんが」
「だからさ。俺は……俺の夢は、本物の勇者になることだ! こんなところで報酬として勇者になって終わるなんざ、まっぴらごめんだぜ!」
戦士に取っては死も誉れ。だがライバールは己の未熟を知りながら、それでもなお先を目指す。
「いつか自分の手で試練とやらを乗り越えて、ちゃんとアンタを倒せる実力を身につける! そしたらその時は、遠慮なく戦ってやるよ! それこそアンタを、生きたまま降参させられるくらいになってな!
それでミドリに言ってやる! お前の母ちゃんはスゲー強かったけど、俺の方がもうちょっとだけ強かったってな!」
その傲岸不遜な物言いに、アコンカグヤは一瞬呆気にとられたように目を丸くし……次の瞬間、心底嬉しそうに笑う。
「……フッ、そうですか。ではその日を楽しみに待っておきましょう」
「おう、そうしろ!」
「キュー! キュー!」
いつかきっと来るであろう、真の勇者との対決。その日を夢想し、龍の母娘は無邪気に胸を躍らせるのだった。





