文学は音楽に勝てない
文学は音楽に勝てない。
二〇一六年にボブ・ディランがノーベル文学賞を取った時点でそれは明白だ。「ディランが取れるなら俺でも取れる」と思ってノーベル賞が何かも知らずに文章を書き始めた私はただの迷惑か。
インターネットに載せたいくつもの私が書いた作文は、誰の目にも触れることなく長い年月をかけてインターネットの化石となり、「ポケットモンスター」に関するお願いみたいに、速度テストのアテにされるのだろう。
ただこれらが音楽になっていたら。
ユーチューブやニコニコ動画にMVを上げていたら、何となく君たちの耳元に私の書いた文章が届いていたのだろうか。
十年前、私は学生だった。歌を聴いて、僕と同じ人がいると思って何度も同じ曲を繰り返し聴いていた。
そして今、私は一人だ。私と同じだけどお前は色々な人に声を聞いてもらえて良いよなと思う。私も文章で意思を示している。しかし、無名でただのブログを書いているような状態だから誰も読まないし、読まれたとしてもただの痛い人だと思われるだけだ。
文学は音楽に勝てないと思っていたから、私は最近の日本の音楽でそれらを組み合わせたものを聴き、正気を保てなくなった。
の子よりも攻撃的な文を書く自信がある。
n-bunaよりも上手に名作をパクる自信がある。
ACAねよりも上手に言葉遊びをやる自信がある。
しかし、彼らの曲をユーチューブや有線、ラジオで聴いて「あ、やられた」「先を越された」「完敗だ」と思うしかない。私の書いた文章は私もろとも、誰にも気付かれないまま死んでいくだけだ。
そのうち、東北新幹線に乗ることがあれば、仙台駅に到着する直前にダイナマイトでも使って腹いせに座席を爆破しよう。そして、警察に捕まったら「仙台駅に着きそうだったので座席を爆破した」と説明しよう。
もし捕まらなかったらCDラジカセでボブ・ディランをかけて、コインロッカーに閉じ込めて神様に見て見ぬ振りをしてもらおう。
新幹線に乗るお金がないから、できるはずがないのだけれど。