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「お世話になりました。やっぱり無理があったのね。分かってたんだけど。連載が決まったことで、引っ込みがつかなくなっちゃったというか……。」
こよみ先生は、結局、『真夏の禁じられた遊び』をかなり無理して完結に持ち込み、そして連載を終了した。なんだか、さっぱりとした表情になっているのが悔しいが、本人が納得している以上はどうしようもなかった。
「もともと推理小説は、読む方はともかく、書きたいとは思ってなかったの。『闇に浮かぶ金色』も推理小説のつもりで書いたわけじゃなかったんだ。ただ持ち込んだ時に、これ推理小説の枠で行けるって言われちゃったから……。」
「これからも、書いてくださいね。推理小説じゃなくても、何か、こよみ先生が書きたいと思うもの。」
僕は、それ以上続けることができなかった。
少なくとも、僕は担当者としてもっと力になれることがあったのではないかと考えると、不完全燃焼の感は否めない。でも、書きたくないものを書いていたとハッキリ言われてしまったのだ。
いったい、どんなジャンルだったら、楽しく書いてもらうことができたんですか?
「木村君には、いろいろ助けてもらったのに、ごめんね。でも、トリックとか考えるのが楽しいっていう作家さんじゃないと無理だよ。続かない。読んでくれる読者さんにも申し訳ないし。」
こよみ先生は、とりあえず、うちの社の発行する他の雑誌にコラム記事や穴埋めになるような掌編を書くライターとして働くことになったと聞いた。
執筆用に借りていた部屋からは荷物も運び出し終わっている。
あそこのケーキを気軽に買いに行けなくなるのが残念だと、そこだけは心底実感を込めて言うので、僕はそういうところが残念なのだと心の中で呟いた。
「木村君はどうなるの?」
こよみ先生が、これまでにないほど真剣な顔をしてみせたので、僕はどきりとした。
え? どうなるって、そんなこと聞いてどうするんですか?
「多分、しばらくは次の新人探しでしょうね。あと他の先生の担当者が休む場合なんかの代理とか。することはいろいろありますから。」
正直、こよみ先生が早々に連載を終了させて、さらに雑誌自体からも離脱することになった関係で、僕の査定はかなり下げられるだろう。ある意味、作家と担当者は一蓮托生みたいなところがあるから。
でも、そんなことは、些細な事に過ぎないと思える。
僕は、こよみ先生の作品が好きだったのだ。
担当になることが決まった時、推理小説作家、土浦狐代見の作品の一番最初の読者になることができたという喜びでいっぱいになったのが、ついこの前のような気がする。
ああ、それが駄目だったのですね。僕は、作品も、こよみ先生の事も、客観的に見ることができなくなっていたんだ。それじゃ、うまくいくわけない。
すみません。僕が至らなかったばかりに……。
「良かった。木村君に迷惑がかかることだけが、気がかりだったの。もし、私のせいで、会社に居づらくなったりでもしたら申し訳ないもん。」
「そんなこと気にしなくっていいです。先生は、作品の事だけ考えていてくれたらよかったのに……。」
僕は、情けなくなってきてしまった。恥ずかしいことに声までオカシク……。
「嘘! なんで? なんで木村君が泣くの? 私、なんか酷いこと言った?」
こよみ先生は驚いて、おろおろとしている。僕は少しも伝わっていなかった事に安堵し、そしてちょっぴり意地の悪い気分になった。
これで最後かもしれないんだ。だから言ってしまおう。
「こよみ先生。こよみ先生は、ちょっと諦めが早過ぎると思います。あと、これに懲りずに、推理小説を書いてください。先生の作品、僕は好きでした。好き過ぎたのかもしれません。だから、客観的に見ることができなかったのだと思います。良いアドバイスができず、すみませんでした。先生は好奇心旺盛で、いろんな事に興味を持っていて、そういうの絶対、今後に役に立つはずです。写真は、もう少し練習してからの方がいいと思いますけど、いずれはSNSとかに載せたりするのもいいと思います。美味しいケーキに関してのエッセイとか、あと、猫の話を書いてもいいと思います。恋愛要素が入った作品も、あと……。」
ああ、もう、全然まとまってない。こんなのが最後の挨拶になっちゃうなんて、ちゃんと手紙にでもしておけばよかった。
こよみ先生、やめないでください。
お願いです。
それだけが気がかりなんです。
先生は、本当に諦めが早過ぎる……。
「ねえ、木村君。木村君はさ、私の作品好きだって言ってくれたけど、私の事は面倒な女だって思ってたよね。」
「何を言ってるんでしゅか?」
「ぶっ。木村君、とりあえず、涙拭いてよ。ティッシュ持ってる?」
もう、肝心なところで噛んだぞ。たぶん。すごく重要な場面だったと思う。こよみ先生以上に残念な僕。
僕は、こよみ先生に背を向けるような姿勢で、涙を拭き、鼻をかんだ。
「正直に言います。こよみ先生は、すごく、ものすごく面倒な方だと思います。」
「あ~あ。言われちゃった。でも、そうだよね。木村君は仕事だから来てくれてたのに。」
「どういうことですか?」
「えっとね、1回くらいは、一緒にケーキを食べたかったなって。毎回、私の分しか買ってこないし、なんか距離置かれてるなって思ってた。でも、そこはちゃんと線を引いてくれてたんだよね。木村君、真面目だから。私、何言ってるんだろう? ごめん、うまく言えないや。」
ここに至ってまだケーキの話って、そりゃないですよ、こよみ先生。
「あのね、もし、もし木村君がケーキ嫌いとかじゃなかったら、一緒にケーキを食べに、あのお店に行きませんか? あそこ、店内で食べることができるスペースあるし。もう私の担当者じゃなくなったなら、友達、お友達として、どう、でしょうか……。」
あれ? これって、お誘い? 僕、こよみ先生に誘ってもらってますか?
それで、結局、こよみ先生と僕は、例のケーキ屋のイートインスペースのテーブルに、2人向かい合わせに座ることになってしまったのだ。
こよみ先生の前に置かれたのは、ポットに入ったダージリンティーとカップ、季節のフルーツでぎっちりと覆われた豪華なタルト、ピスタチオのグリーンが美しいムースケーキの2皿。
僕の前には、アメリカンコーヒーと、艶やかなチョコレートで全体がコーティングされ、てっぺんに小さな金箔を乗せたケーキの皿が置かれた。
「お疲れ様でした。」
一応は、連載終了の慰労を兼ねた2人だけのお祝いの会という体裁なのである。
確かに、もう、僕はこよみ先生の担当ではなくなっていた。
だけれども、何から何まで、こよみ先生の側からのアプローチで、というのも情けなさ過ぎる。
だから、僕は、ケーキの会はあくまでも仕事の内、ということに無理やりしてしまいたかった。
僕は、ワンチャンを狙ったのだ。
それにしても、こよみ先生、本当にケーキが好きなんだなあ。美味しそうな顔。スマホで撮影したいです。
「木村君、食べないの?」
「え? あ、その、写真撮ってもいいのですかね? このお店。」
「うわあ、もう食べちゃったじゃん! そうだった。先に撮影だよね。」
僕は、店員に撮影してもよいか訊ねる。他のお客さんが写り込まないように注意して欲しいということだったが、撮影自体はOKだった。
僕は、自分の前に置かれた皿を撮影する振りをして、撮影なしに既に食べてしまったため、もう撮影自体を諦めて3口目くらいになっている目の前の女性を撮影した。
うん。よく撮れてる。
「こよみ先生。あのですね、僕はもう先生の担当ではなくなってしまいましたが、先生が新しい作品を執筆されることが決まったら、ここのケーキを差し入れしてもいいですよ。」
だから、書いてくださいね。こよみ先生。
「あとですね、僕、やっぱり、先生の作品を真っ先に読むことができる位置をキープしておきたいです。だからですね、その、お、おちゅきあ゛……。」
僕は、やっぱり、残念でありました。
“ヒトの”だなんて、書いてなかったですよね?