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残酷な描写が登場します。ご注意ください。
「アレは、どっから入ってくるんだろう? 玄関の鍵は、かかったままだったよな。」
「ベランダからだと思います。」
「え? ベランダの方、開けっ放しなのか?」
「そうじゃないんですけど……。」
アスカは溜息をついた。
「家に居る時は、網戸にしてるんです。エアコン苦手で……。で、何度か破られてるんですよ。」
「直してないのか?」
「どうせ、すぐ破られちゃうので。……すみません。」
「にしても暑いな。」
「そうですね。今日は、特に暑い感じです。蝉の声にも押しつぶされそうです。」
「声に押しつぶされるかあ。そんな感じだよな。ものすごい音圧を感じるわ。」
最寄駅から2人並んで歩きながら、アスカとコウタは次第に無口になっていった。
コウタはロッカーに寄って、何やら大きめの袋を持ち出してきていた。通勤カバンとで両手が塞がっている分、動きにくそうにも見えた。
もう夕方というより夜に近くなる頃だが、まだ、辺りは明るい。蝉の声は昼間ほどではないものの、頭上の方から、まだ聞こえており、そこそこの圧迫感を2人にも与えていた。
そして、重苦しい雰囲気が漂う中、アスカの借りている部屋の前まで到着したのだった。
「あのさ、エアコン苦手だって言ってたけど、昨日来た時はエアコン入ってたんじゃなかった?」
アスカが鍵を開ける直前に、コウタは思い出したように言った。
「ええ。出かけている間はエアコンつけっ放しにしてるんです。ごるにゃが熱中症になっちゃいますから。」
「そっか。助かった。このドアの向こうは涼しいんだな。」
「国府田さん、暑がりなんですね。」
「いや、今日みたいな日にエアコン苦手だからつけないって言われたら、テンション下がるでしょ、普通に。」
安心したようなコウタの声にアスカも自然と笑みがこぼれた。ところが、アスカが鍵を開けドアが開いた瞬間、何かが背後から迫ってきたのだった。
「な、何?」
直線的に猛スピードで飛行してきたそれは、1匹の蝉だった。そしてそのまま開けられたドアを通過、中に入ってしまい、玄関の壁に激突したかと思うと、跳ね返っては、また別の壁に激突してを繰り返した。まるでパニックを起こしているかのようだ。
「うわっ。こいつ、出口が判らなくなってるんだ。」
アスカも半分くらいパニック状態だった。ほとんど涙目になっている。
コウタは、どうにか蝉を誘導しようと試みるが、方向感覚が完全におかしくなってしまった蝉には通用しなかった。
その時、何かがひらりと蝉に向かって飛びかかった。
室内に設置されたキャットタワーの一番てっぺんから舞い降りた、スナイパーだった。
スナイパーは、あっさりと蝉を仕留めた。いや、まだ、蝉はその前足の下でバタバタと羽根を震わせ、もがいているのだが、それ以上の飛行は阻止されたのだった。
「すげえ。」
コウタは感嘆の声を上げた。
「ごるにゃぁ~。それ、放してあげて。あ、まだ手離さないで。えっと、どうしよう?」
アスカは、スナイパーに向かって懇願したが、今、前足を退けられると困ったことになるのは分かり切っていた。
果敢にも、コウタは、素早くスナイパーに近付き、蝉の上に乗せられた前足をそっと押さえて、蝉の薄い羽根を掴んだ。スナイパーは、せっかくの獲物を横取りされた怒りでコウタにパンチを繰り出したが、コウタは「おっ!」と妙に嬉しそうな声を上げて、ブルブルとやたら激しく振動している蝉を手に玄関の方へと戻っていった。
蝉は寸でのところで、死体になるのを免れたのだった。
「ごるにゃは、飼い主と違って優秀だな。狙った相手は逃さないって感じじゃん。」
「そのせいで、死体が増えるんですけど……。」
そうなのだ。アスカの部屋に出現する死体は、みな、ごるにゃによって絶命させられたのだった。
エアコンが苦手なアスカは、部屋にいる間は、基本的に網戸にしているのだが、その網戸の一部は、血気盛んなスナイパーの準備運動によって破壊されていた。
そしてその破壊された隙間から時々、飛行する虫が部屋に侵入してくるのだ。
侵入した瞬間をアスカが目撃していた場合は、アスカ自身が侵入者を追い出しにかかるのだが、家事や入浴などで部屋の様子から目を離している間に網戸の破れ目から侵入してきた憐れな者たちは、無慈悲なスナイパーによって死体に変えられてしまっていたのだ。
この無慈悲でありながら、一方で律儀な同居者は、いちいち、その狩猟の成果をアスカに報告する。死体をアスカの前に置くのである。
昨晩は、帰宅早々に、その前夜の侵入者の死体を見せられたため、アスカは気が動転。そのまま玄関を飛び出し(とはいえ、鍵はしめた)、気を落ち着かせるために甘いものでも購入しようとコンビニに向かったところ、コウタと出くわしたのだった。
コウタがわざわざ部屋まで付いてきたのは、何のことはない、コウタの方が猫を見たかっただけ、なのだ。
2人で部屋に戻った時には、死体は消えていた。ごるにゃは、報告が済むと、お気に入り置き場に死体を運んでいくからである。お気に入り置き場は、キャットタワーの陰になる隙間だった。
「いいよなあ。俺ん家、ペット禁止なんだもん。阿須川さんの部屋に猫がいるなんて聞いたらさ、もう絶対、逢いに来るしかないじゃん。あ、お土産があるんだけど……。これ、あげちゃ駄目?」
職場では、常に上から目線で注文の多い先輩社員が、まるで仔犬のような目をして、猫用おやつを差し出したのには、さすがのアスカも吹き出さずにはいられなかった。なんなのだろうか? このギャップは。
更には、少しばかり暴れても音を吸収してくれるラグマットと猫じゃらしを大きめの袋から出した。
準備万端だったようである。
「これ、どうしたんですか?」
「24時間営業の店があるんだよ。昨夜、阿須川さん家から帰って夕飯食べた後、そこ行って買っておいたんだ。これさあ、虫のやつなんだけど、気に入ってくれるかな?」
じゃらしの先端に付いていたのは、蜂のような何かだった。
ごるにゃは、先ほどまで、獲物を横取りした相手に警戒を緩めていなかったのだが、猫用おやつのパッケージを目撃した瞬間に、態度を軟化させていた。
もう、居ても立っても居られないとばかりに、コウタの体にすり寄っている。そして、滅多に鳴かないくせに、みゃ~んと、かわいい高音の特別な鳴き声を披露した。結構、現金なスナイパーであった。
「もう。それ、動物病院へ連れていく時用の切り札なんですよ。これ、虫を掴まえたら貰えるって勘違いしちゃったら、どうしてくれるんですか?」
「え? 虫を手放したら貰える、だろう。ごるにゃは賢いもんな。ちゃんと判るよなぁ。」
「みゃ~ん。」
理解しているのか、していないのか? ごるにゃは、再び鳴いてみせた。
アスカは根負けし、結果、コウタは、ごるにゃにおやつを進呈する役を仰せつかったのである。
その後は、ごるにゃとコウタはじゃらしで遊び、ごるにゃは適当なところで飽きてキャットタワーのてっぺんへと登ってしまった。てっぺんの位置からだと、どちらかといえば低くはない身長のコウタをも見下ろすことができるのである。高い位置にいる方が偉いのだ、そう言いたげであった。
ごるにゃは、太い眉毛のような模様のせいか、見た目凛々しく、そこそこに威圧感がある。
ちなみに、ごるにゃはメス猫だ。
翌日、破れた網戸は、コウタによって修理された。器用で工作好きなのである。
翌日以降、アスカの部屋に死体が出現することはなくなった。
しかし、代わりに、先端に虫のような何かが付いたおもちゃが床に投げ出されるようになった。
代わりの遊びを用意しろ。
スナイパーの要求に対し、コウタが投入されたのは当然の流れだったのである。【終】
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お楽しみいただきました土浦狐代見先生の『真夏の禁じられた遊び』は、今月をもちまして終了となります。次回作にご期待ください。
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