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「どうしよう。何にも思いつかないよ。」


 さっきから、こよみ先生は頭を抱えて机に突っ伏していた。人間って、本当に困ると、頭を抱えるものなのですね。僕も、実物を見たのは初めて、ですが。


 こよみ先生が困っているのは、死体移動のトリックが思いつかないせいなのだ。

 こよみ先生こと、土浦狐代見先生は、新進気鋭の推理小説作家の仲間入りをすべく、現在、鋭意努力中の新人作家。数年かけて書き上げたという『闇に浮かぶ金色』で、某新人賞の努力賞を受賞したことがきっかけとなって、僕の勤める枯渇草原社が発行している推理小説専門誌『月刊ライトミステリα』の新人枠で、連載を開始したばかりだったりする。


「あああ、こんなことなら、死体が移動したなんていうの書かなければよかった。どうして、あんなの書いちゃったんだろう? ねえ、木村君、あれは主人公が見た夢だった、ってことにしちゃ駄目かな?」

「え? いきなり夢オチですか? 夢オチって嫌われるんですよ。お勧めできませんね。」


 こよみ先生、言っちゃあなんですが、ソレ、最悪です。一番やっちゃ駄目なヤツです。


「じゃあ、実は死体はゾンビだった。ゾンビだから、死体自身が動いて移動したっていうのは……。」

「それじゃあ、怪奇小説ですよ。『月刊ライトミステリα』は推理小説の専門誌なんですから。」

「そんな縦割り取っ払っちゃってよ。縦割りは良くないって言うじゃん。」

「それは行政問題です。」

「出版業界でも問題にして欲しい。」


 こんな調子で、まったく進んでいないというわけなのだった。


「まず、主人公の置かれている状況を整理してみませんか。死体の方も大事ですが。」

「そうだよね。死体のことばっかり考えてるなんて、不健康極まりないよね。」


 こよみ先生、他の推理小説作家の先生方や法医学関係者の皆さんに失礼です。


「えっと、主人公は独身25歳の女性会社員で賃貸マンションに1人暮らし。仕事は営業サポート。猫を1匹飼っている。趣味は読書。彼氏ナシ。ある日、会社から帰ったところ、部屋に死体があるのを発見。驚いて部屋を飛び出してしまうが、近所のコンビニから偶然出てきた会社の先輩、独身27歳の男性営業職とばったり出会う。事情を説明し、一緒に部屋に来てもらうが、死体はきれいさっぱり消えていた。しかし、消えた死体は別の場所から発見された。」

「そこまでが、先月号の内容ですね。」

「死体が蒸発した。あ、実は死体はドライアイスで出来ていて、時間が経ったから蒸発して消えた。これならどう?」

「どうしたらドライアイスが死体に見えるんですか? それなら、最初っから分かるでしょ。しかも、留守中の部屋に巨大なドライアイスが置いてあるって、それはそれでどう説明する気なんですか? さらに、『死体は別の場所から発見されたのだった。』の一文はどうするつもりなんですか? 先月号はそこで終わってるんですよ。」

「やっぱり駄目か。」


 こよみ先生は、かくんと項垂れた。漫画だったら、バックに“ガックリ”の文字が入るに違いない。


「留守中、猫はどうしてたんですかね? 死体が置かれていた部屋に、猫もいたはずですよね。」


 僕は、なんとか膨らみを持たせることができそうな部分を指摘してみた。

 こういう時、猫は便利だ。猫が登場する小説は、ある一定の層に刺さると先輩も言っていた。猫キャラがウケると、そっち方面のファンが付くらしい。実際、猫が登場する推理小説は結構ある。猫と推理小説は相性が良いのだろう。


「そうだ! うん。木村君、いけそうな気がする。ありがとう。猫がいたんだった。書いてみるから、少し時間を頂戴。」


 何かが、こよみ先生の頭の中にひらめいたようだ。猫が役に立ったらしい。

 とりあえず、こうなったら、僕は先生の執筆を邪魔しないことが大事だ。

 僕は部屋を出て、一旦、社の方へ連絡を取り、こよみ先生が好きなケーキを買いに行くことにした。


 こよみ先生が執筆に使っている部屋は、都内へ通勤するサラリーマン世帯の多い住宅街の一角に立つ賃貸物件で、駅から徒歩15分ほどの割と静かな場所にある。駅の周辺には、それなりに飲食店が揃っており、その中に明らかに地元住人をターゲットにしている洋菓子店があった。しかし、実は、ここのケーキのファンには著名人もいるとかで、わざわざ都内から買いに来たりしているらしい。

 

 こよみ先生がここのケーキを気に入ったのは、完全に偶然というか、執筆用の部屋を借りた際に目に付いた店に入って、これまた偶然に、某有名人が購入する場を目撃したということがきっかけだった。

 ミーハーなところがあるこよみ先生は、その某有名人が購入したのと同じケーキを選んで食べたのだ。


「世の中に、こんなに美味しいものがあるなんて。やっぱり有名な人がわざわざここまで買いに来るだけあるよ。ああ、この部屋を選んで良かった。糖分は大事だもん。作品を書くのに絶対必要だよ。ケーキ代は必要経費になるよね。」


 こよみ先生は、しっかり領収書を貰ってきていた。僕も領収書をお願いする。これは社の経理部に提出するためだ。

 

 こよみ先生には頑張ってもらわなくっちゃ。

 ケーキは、そのための必要経費で間違いない。今日のケーキは見た目も可愛らしい感じの新作だ。これ見たら、どんな顔をするだろう? そして、一口食べた時は? 本当に美味しそうな顔するんだよなあ。

 僕は、急ぎ足で、先生の執筆部屋へと戻る。


「こよみ先生、ケーキを買ってきました。紅茶も淹れますね。キッチンをお借りします。」


 僕は、こよみ先生に声をかけ、キッチンの方へ入った。

 まずお湯を沸かさないと。

 それから、紅茶用のカップとケーキ皿、フォークに……。勝手知ったる何とか、じゃないけど、もうキッチンのどこに何があるかは、おおよそ把握できているのだ。いつ、こよみ先生が缶詰状態になってもいいように、簡単な食事の準備も可能だ。冷蔵庫の中身も、都度、チェックさせてもらっている。もちろん、こよみ先生の許可は貰った上での話だ。


「調子はどうですか?」


 僕は、邪魔にならないように、こよみ先生が伸びをした瞬間を狙って声をかけた。

 

「あ、木村君。ケーキ買ってきてくれたんだよね。ちょうど、切りのいい所まで書けたんだよ。休憩しようかな。」

 

 こよみ先生の表情は、悪くない。期待しても良いだろうか?

 僕はキッチンから、紅茶の入ったポットと温めたカップ、小振りのミルクピッチャー、買ってきたケーキを載せたケーキ皿、ティースプーン、フォークをトレーに並べて持ってきた。こよみ先生は、紅茶に砂糖を入れない。

 

「わあ、これ、ひょっとして新作のケーキ? あそこのケーキ屋さんのケーキ、どれも綺麗なんだよね。上手に写真が撮れたらSNSに上げるんだけどなあ。」


 こよみ先生は、写真を撮るのが下手なのだ。何度かスマホに保存してある作品を見せてもらったけど、いったい何を撮影したのか分からない物体ばかりで、驚いた。シャッターを押すタイミングで変な力が入るらしい。あれと同じような写真をSNSに載せたりしたら、確実に営業妨害になる。


 絶対、駄目です。出禁になっちゃいますよ!


「やっぱり木村君は、私の分しか買ってこないんだね。自分の分も買って、一緒に食べればいいのに。ケーキ嫌いなの?」


 いえ、ここには仕事で来ているんです。こよみ先生とケーキを食べるためにじゃありません。


 僕は、僕が出かけている間にこよみ先生が書いた分を確認させてもらうため、保存された文をプリントアウトをする。


 え? なんだこれ……。

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