第1章 第2話「無能宣言は冷酷に」
アレンと裕也が出会う一ヶ月ほど前。
アレンは十五歳の誕生日を迎えていた。
これまでの十四回とは違い、今回は特別な誕生日。
教会へ行って、<洗礼の儀>を受けられるのだ。
「よし、アレン。行くぞ。心の準備はできているな」
父・ゴダールが、緊張した貌でアレンに告げる。
長年、冒険者向けの料理店の店主として厨房で振るってきた両手は太く、体格は大柄――頭部の退廃が専らの悩み――だが、今はその身体も心なしか小さく見えてしまう。
「おいおい、あんたがそんなガチガチでどうするんだい。マークの「洗礼の儀」のときと全く一緒じゃないか」
母・ジュリアはやや呆れ顔だ。彼女もよく言えばふくよかな体型、落ち着いたその言は父よりもむしろ頼もしい。アレンの栗色のくせ毛は母親譲りで、昔は彼女も、店の客が思わず目で追ってしまう看板娘だったとか。
そしてマークとはアレンの兄のことである。
「だって母ちゃん、アレンの将来が決まるんだぞ。お気楽になんていられるもんか」
「馬鹿だね。本人より不安がってちゃあしょうがないよ。どんなお告げが出ても、どーんと構えておくのが親ってもんさ。
……ま、気持ちもわかるけどね」
「あはは、父さん、母さん。僕は大丈夫だよ。
むしろどんな【才能】が自分にあるのか、今から楽しみさ」
「息子の方が頼もしいねえ」
「大昔と違って今は、【才能】第一で仕事も選べるからな。
どんな才能でも、何かしらの働き口はある。
俺のじいちゃんくらいの時代は、【才能】によって職業差別があったり、親が望まない【才能】が出ると家を追い出されたりと、大変だったみたいだがな。
そんなのはもう時代遅れさ」
「そうだね。どんな【才能】が出ても、私たちはあんたの味方だから、安心するんだよ。
おっと、そろそろ行かないと間に合わないよ」
こうしてアレンとその両親は、教会へと向かうのだった。
教会に着くと、そこは今月の<洗礼の儀>に向かう家族たちで少しにぎわっていた。
「おめでとうございます。洗礼の儀ですね。こちらにお並びください。本日で8人目ですよ。あと4人ほどで、あなたの番が来ますからね」
――【才能】。
人は皆、何かしらの才能を持って生まれてくる。
剣技や料理、商売に楽器……。
教会では、十五歳の少年少女に、無償で「洗礼の儀」を行っていた。
<洗礼の儀>を行うことにより、自分が一番向いていること――【才能】――が何なのか、お告げを戴くのだ。
(僕の【才能】は何だろう。料理関係だと、家を継げていいな。
でもどちらかと言えば狩りの方が得意だから、弓術とかかな。それでも、兄さんが料理店を継いで、僕が材料を調達して、店を発展させられるかな。
いやそれとも、全然違う分野になるのだろうか……)
列に並びながら、アレンはつらつらと考えていた。
結局のところ、将来どうなるかは洗礼の儀の結果次第で、今は何を想像しても仕方がない。それは分かっていながらも、ちょっとした妄想を楽しんでいたのだ。
そんな小さな遊びも、もうすぐできなくなる。
【才能】が確定したら、誰もがその道を進むのだから。
「では次、アレン・ジュークトさん」
ついに自分の名前が呼ばれた。
アレンもさすがに緊張した面立ちになる。
「行こう、父さん、母さん」
アレンたちは、洗礼の儀の間に入室した。
「まずは、おめでとう、アレン・ジュークト。
さあ、さっそく洗礼の儀を始めよう。
そこの台座に座って、台の上の紋章に手をかざしなさい」
司祭様が促すように、アレンは右手をかざした。
紋章が光る。
「おお」
アレンは思わず感嘆の声を漏らした。
「少し魔力を抜かれる感覚があると思いますが、大丈夫だから、逆らわないように。手はそのままで。十分ほどで、お告げがありますから」
手をかざしたままでいると、だんだんと体内から力が出て行って、紋章に吸い込まれていく。
緩やかに力を引き出されていく感覚は、どちらかと言えば心地よい虚脱感をもたらしてくれる。
やがて、力が抜かれる感じは収まり、紋章の光も消えていった。
「…………」
司祭様は、神妙な顔で自分の方にある台を覗き込んでいた。
「あのう……」
こらえきれなくなり、アレンは司祭に話しかける。
「どうなんでしょう?」
「私の時は、そちらの台座に【才能】が表示されて、当時の司祭様が読み上げてくださったのですが……」
ゴダールもたまらず口をはさむ。
「……わかりました。正直に申し上げましょう。
アレン・ジュークト。
あなたには、【才能】はない、というお告げが出ています」
「何だって!?」
アレンより先にゴダールが叫んだ。
ジュリアも司祭に詰め寄る。
「司祭様!何かの間違いではないですか。
もう一度、もう一度儀式を行ってもらうことは…」
司祭は申し訳なさそうに返答する。
「あのですね。
洗礼の儀は、一生に一回しかできないのですよ」
「なぜですか!」
「洗礼の儀は、その人が十五歳までに蓄積した魔力を吸収して、【才能】を判定するのです。十五歳までの子供のころと、それ以降では、人間は魔力の質が変わります。そしてこの洗礼の儀を行う特殊な装置は、若い魔力でしか動かないのです」
「そ、そんな……」
ゴダールが呆然と呟いた。
「じゃ、じゃあ、やっぱりさっきの「【才能】なし」の結果の方が、間違っているんじゃあ……」
「それは私にはわかりません。しかし事実として、これまで<洗礼の儀>で出た|【才能】が外れたことはありませんよ。<洗礼の儀>が外れるなんて事態が起こったら、それこそ「巨壁が崩れ落ちる」ようなものですから。
さあ、後の方もお待ちです。そろそろお引き取りください。
アレン、今回は非常に残念な結果ですが、神はきっとあなたを見守っていますよ。頑張ってくださいね」
「いや、どうにかして……」
「もういいよ、父さん」
まだ食い下がりたそうなゴダールの手を、アレンは引っ張った。
「とりあえず、行こう。
司祭様、ありがとうございました」
一礼して、洗礼の儀の間を立ち去ることにした。
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『……ということがあったんだ』
アレンは一ヶ月前の出来事、悩みの元凶について裕也に語った。
語っていくうちに、アレンは声に出さずとも裕也に言葉を伝えるコツを掴んでいた。
『なるほどね。……くだらんな』
『くだらんだって!?一大事じゃないか』
つれない裕也の態度に、アレンが憤慨する。
『あのな。俺の世界に“洗礼の儀”なんてないし、【才能】なんて都合の良いシステムもなかったんだぞ。
俺はそんな中で、自分の長所を伸ばし、短所を克服して、生きてきたんだ。
【才能】なんて必要ない』
『そ、そんな……。でもこっちの世界じゃ、【才能】がないと、仕事にも就けないよ』
『【才能】なしでも、努力で仕事は覚えられるだろう。お前、将来の夢とか、ないのか』
『将来の夢?どういうこと?』
『こういう仕事をしてみたいとか、こういう成功をしたい、とかだよ。金持ちになりたい、とか、英雄になりたい、とかでもいいぞ』
『んー……そういうのは、【才能】を確認して、仕事が決まってから考えるものだよ。“料理の【才能】があるから、料理人になって、国一番のレストランを作る”とかさ』
『はっ、だらしねえ。自分のやりたいことも分からないんじゃ、確かにお先真っ暗だな。
アレン、まずは自分を見つめ直せ。本当にしたいことは何だ。考えるんだ』
『したいこと……父さんの食堂で、一緒に働いて、店を大きくしたいとは思ってたよ』
『なんだ、あるんじゃねえか。でもそれ、本当に「お前がしたいこと」か?周囲の環境に流されてないか?』
『…………』
『ま、しばらく考えてみろよ。
ほら、日が沈んできたぞ』
アレンはひとまず、帰宅することにするのだった。
その道すがら、裕也が尋ねる。
『ところで、“巨壁が崩れ落ちる”ってどういう意味だ?そもそも巨壁って何だ?』
『え、知らないの?』
『すまんな、こっちの常識は持ち合わせていないんだ』
『そうなんだ……。
ええと、この国のある地方全体をアルトリア地方と言うんだけど、この地方全体を、巨壁っていう不思議な壁が囲ってるんだ。人が作ったものではなくて、その壁の外側に何があるかは、何も分からないらしい……って、俺も見たことはないんだけどね』
『ちょっと待て、それなら、人は皆、壁の中だけで暮らしているのか?』
『うん、そうなる。と言ってもアルトリア地方だけで十分広いし、普通に生きてたら、地方全部を回るなんて一生かけた大仕事になるんじゃないかな』
『そうか……俺の想像以上にデカい壁、ってことだな。地方内だけで経済も物資も全て回るくらいには』
『うん。それで“巨壁が崩れ落ちる”っていうのは、すごい一大事、ってこと」
『“天地がひっくり返る”みたいなニュアンスか。
だが、向こう側が分からないってことは、壁の外に何かがある可能性もあるってことだろ。一緒だな』
『一緒?』
『お前のことだよ。才能とやらがなくて、将来の道が見えないんだろ?
それも、逆に言えば可能性があるってことだ』
『そうか……』
裕也の指摘は何だか、アレンのささくれ立った心中に、妙に暖かく染みていった。