1-2 『はじまり』は錬金術から
雑貨店気分屋の家屋になっている奥の、更にその地下。階段を降りると一枚の木製ドアがついている。
コンコンと二度ノックをし、その部屋の主に声をかける。
「師匠ー、そろそろご飯食べてくださーい」
返事はない。よくあることだ。彼女とは一か月の付き合いだが、作業に集中しているときは生半可な呼びかけでは効果がない。
「師匠ー、開けますよー?」
こんなときは直接話しかけなければいけないのだが、
「――あれ? 開かねぇ」
いつもは鍵をかけていない扉だが。そういえば今回は大事な実験だからと言っていたか。とはいえ、五日も籠って飲まず食わずでは倒れていてもおかしくない。覗き窓もないこの扉では中の様子もない。
ならば致し方ない。
一歩引き、体を体をぐるりと一回転。その勢いを利用して足を突くように、
――バァンッッ!
「ひぃ!?」
扉を蹴破ると、部屋の奥にある大釜の前に座っていた人物が飛び上がるように驚いているところを目撃した。
「な、なんじゃなんじゃ!?」
「あぁ、生きてましたか。返事がないのでてっきりぶっ倒れて大釜に飲み込まれてしまったのかと」
その人物――ストレートロングヘアのプラチナブロンドが神々しい小さな少女が、ぷんすこと怒りを露わに手を挙げている。
「ワシはそんなにひ弱じゃないわい!」
とりあえずは元気そうだ。
「確かに。五日間飲まず食わずの貫徹でそこまで声が張れるならつよつよ体質を名乗ってもいいですね」
「どうせ脳と手しか動かさんのじゃ。それ以外に行く栄養をカットするだけの事よ」
訂正、元気なのは頭だけでした。
「……うっわ、肌ガサガサ。体もかなり細くなってるじゃん」
ペタペタと無遠慮に体を触り状態を確かめる。体は間違いなく飢餓状態といえるだろう。よく見るといつもは神々しい髪もボサボサである。もっと女を大事にしてください師匠。
「ワシくらいにもなればこれくらい当然じゃ! 最早立ち上がることもままならん!」
「威張るな威張るな。兎も角こんな姿は見過ごせん。とりあえず飯を食え」
そう言うと、困ったような顔。夕暮れまで遊んでいた時に親が呼びに来て楽しい時間を奪われてしまった時の子供のような表情。
「い、いや、あのじゃな? もう少しで研究成果が出るところなんじゃよ? もうちょっと。ほんの少し。じゃすたーりとる」
知っている。今回の研究について幾度となくご高説を賜った。研究段階がどこまでで、何をすべきかも。
「結果が出るのは明日だろう。そもそも三日経ったら後は経過観察を数時間に何度かするだけとか言ってたのはどこの誰だよ。いくら呼んでも返事もしないで、さすがに心配になるでしょうが」
「だ、だってお母さん、研究が気になるんじゃもん……」
だれがお母さんか。
「おだまり! あまり駄々捏ねるなら金輪際ご飯抜きよッ!」
「まって死んじゃう!? さすがのワシもそれは死んじゃうぞ愛弟子1号!!」
目に涙を浮かべ、悲痛な表情で縋り付く少女というのは、どうしてこう保護欲やら加虐心が入り乱れるのだろうか。
「だったらさっさと飯にしようぜ」
「あー……そのじゃな弟子よ?」
また困り顔。なんとなく察しはついた。
「なんだよ師匠、もはや歩く体力も無ぇってか?」
「――てへっ☆」
「…………はぁ」
大きくため息を一つ。
仕方がないので首根っこを掴み、すっかり軽くなってしまったその少女未満を引き釣りながら部屋を出、階段を上っていく。
何かがガンガンぶつかり、その度に「いたい!」だとか「やめれー!」とか啼く玩具があったが気にしない。
朝食が並べられているテーブルに師匠を座らせ、俺も向かいの席に着く。
何故か痛そうに足をさすっていた師匠だったが、目の前の料理を見て驚嘆の顔へと変えていく。
「ほっほう、これは見事な朝食じゃ。東端の島国の食じゃな?」
なるほど、こちらにも似たような国があるのだな。ちょくちょく料理をしていたが、つい最近米を見つけた。少々値は張ったが。
見つけてしまった以上は買わなければいけないという、強迫観念に似た何かは、性というほかないだろう。
後であの二人にも振舞ってやるか。城の食事は豪華だがやはり和食は恋しくなると愚痴っていたからな。
「くぅ~! たまらん!たまらんぞぉ! 焼き魚の香りに白米の輝き、みそ汁の湯気! そそるぅ、そそるぞいこれわぁ! ワシの胃袋が口から飛び出しまうぅ!」
――じゅるり、どころではなくぼたぼたと涎を零してしまっている飢えた幼獣が机をバンバン叩きながらテンションを上げていた。しっぽでもあれば高速メトロノームとでもなっていただろう。
「落ち着け師匠、ステイステイ。食欲が暴走して最早大罪にならんばかりなのはわかったから。じゃあ、はい。手と手を合わせて、」
「「いただきます!」」
――バシッ
――ガシッ
――ガッ
――ガッガッガッ
という擬音が付くような俊敏な動き。
スプーンを捕らえ、茶碗を掴み、それを勢いのままにかっ食らう。
ほお袋に詰めたホカホカの白米を、湯気立つみそ汁で流し込む。
焼き魚を引っ掴んでは頭からむしゃり。
また白米をかっ込んではみそ汁で流し込むというサイクルが完成されていた。
とても見た目幼女からは想像の付かない、豪快な食べっぷりである。
「それにしても、この世界には馴染み深いものが多いなぁ。何でなんですかね、師匠」
ふと疑問に思ったことを投げかける。
まさか販売されているとは思ってもみなかった沢庵の一切れを箸でつまみ上げる。
もしゃもしゃとほお袋を膨らませた師匠が、
「ほぉへふぁおんしふぁふぇんへーしゃはいひひへよりふぇんへぇんほふふけふぇきふぁほよふほへっひょーふぁ」
んー。なんて?
「ふぁふぁら、おんしふぁ――「 ゴックンしなさい! 子供かアンタは!!」
「ッンン」
――ごっくん。
「で、転生者が頑張ってきたってどうゆうことです?」
「なんじゃ、聞こえておるじゃないか。それはじゃな――」
師曰く、転生者がいつから現れ始めたかを証明する歴史的な物はないらしい。
気が付けば隣に、知れば以前から、この世界の表裏舞台を問わず、歴史的事件にはほぼ必ずその影があったそうな。
「そんな彼らとて故郷を懐かしむ事もあろう、特に食に関してはの。調味料が一つ増え、二つ増え、いくつも増えては次は食材、調理器具、機械、彼らは食の発展に、そのつもりはなくとも協力してきたのじゃ。世代を超えての」
一先ずの暴食を終え、3杯目の白米をゆっくり食べながら話をしてくれる。
「なるほど。転生者というのもそう珍しくは無いんですね」
「お主等のように複数人で一度に、ってのは稀じゃと思うがの。少なくとも、ワシが生きているうちは初めてじゃろうなあ」
数年に一人程度、年単位で現れれば多い過ぎるといっても良いのだとか。
「師匠、おいくつで?」
「カカッ、10歳じゃ」
「子供じゃねえか」
「軽いジョークじゃよ。お主が寿命を全うしようとも今のワシの年齢には遠く及ばぬよ」
つまりロリばばぁということか。
「ご馳走様じゃ、相変わらず美味じゃのうお主の飯は。さて、ワシからも質問よいか?」
「なんでしょう?」
食事を終え、食後の茶を啜りながら。
目は真っ直ぐに此方。
「この一か月、お主の料理を幾度か堪能させてもらったが、なぜこのように美味しい料理が作れる?」
お主のような歳の小僧っ子が、例え転生者とてここまでの手慣れた手つき物を作れることはない。彼女は続けてそう言った。
実際に領している場面を何度か眺めれらていたことはあったが、そうか。
確かに、あっちの世界でも稀だろう。
俺が料理をし始めたのは5歳になった頃。両親も居ない、身寄りもない。頼る人も場所も知らず、しかし金と家と時間だけはあった。
生きるために必要な食欲を満たす料理は、とても合理的な趣味となっていた。
「あー、まぁ、物心ついた時から作ってたからでしょうね。そうゆう環境だったので。それに趣味でもありました」
一度、二度と頷きが返され、言葉が続いた。
「ふむふむ、なるほどなるほど。カカッ、一つお主に良い事を教えてやろう」
テーブルに乗りだし顔を近づけ、ニヤリと笑い一本指を立てる。
「『料理とは、あらゆる魔術の礎となりえる』という言葉がある。
食材を用い、手順を踏み、料理へと昇華させていく。
マナを用い、手順を踏み、魔術へと昇華させていく。
魔術を行使する上での絶対的な方式じゃ」
この1ヶ月は殆どが座学であった。偶に魔力の使い方を教えてもらう程度で、教本とされるものを読む基本のが基本だった。
その本の中にも何度かでてきた言葉だ。
「その中でも、一番近しい魔術は――錬金術じゃ」
クカカと笑い、乗り出した身体を椅子へと戻す。
「良かったのう。良かったわい。お主をあそこで拾い上げて。間違いなくお主は錬金術の申し子じゃ」
俺に、そして自分に。
俺を救い上げてくれた恩人、宮廷魔導師にして天才錬金術士。
偉大なる師、クロアティリスは満足気に笑っている。
「さて、せっかくじゃ。少し試験するかのう。」
無い髭を撫でるように。
一問でも間違えたら失格なと付け加え。
唐突すぎませんか?
「――まずはこの世界で魔術を行使できる理由を述べよ」
この世界にはマナ、または魔素と呼ばれる物がある。マナは大気にも、物質にも含まれており、この世界を形成する上で欠かせないもの。
そしてマナは影響を受けやすく、変異しやすい。このマナを操作する技術を魔術、または魔法と呼ぶ。
マナを操作するには操者の魔力値が関わり、使える魔力は魔力量に依存する。また、魔力量の回復には個人差があるため、魔術適正は主にこの3つの項目で判定する。
「そしてお主はそのうち、魔力値と魔力量が最低値であり、成長も見込めぬ。対して魔力回復力だけが異常に高い。というか底知れぬ。底なしじゃ底なし。絶倫野郎め。普通はここまで狂ったバランスになることは無いんじゃがの。お主、転生時に神を怒らせることでもしたかの?」
してない。というかそもそも神と会ってすらいない。
もしや転生者ってお約束な感じで神と会うのだろうか?
「さて、次じゃ。――魔術体系には大きく二つある。それは何か」
西洋式魔術と東洋式魔術。
西洋式魔術は大気や物質のマナを直接操作するのに対し、東洋式魔術は自身の体内を巡るマナを操作して体外へと放出する。
西洋式魔術は直接操作するだけあって効果が大きく派手な物が多い。
東洋式魔術は身体強化や呪術等による、所謂バフ・デバフなどの物が多い。
「――西洋式魔術の主な系統を答えよ」
SSS魔術、錬金術、精霊術など。
特にSSS魔術は西洋式魔術の代名詞と言っても良いほど普及している、一般的な魔術である。
三つの魔術式――スペルキャスト、サイン、サークルのそれぞれ頭文字から名付けられた魔術。古くは属性魔術、召喚術、治癒魔術と区別されていたが、プロセスが同じであるために統合され、SSS魔術とされた。
そしてそこに属さない、別のプロセスを経て行う魔術が錬金術や精霊術となる。
錬金術は特別な大釜に素材を入れ、概念を抽出し、魔道具を生成する。端的に言えば、アトリエ的な物と言えば伝わりやすいか。
精霊術は精霊を媒介に、魔術を行使する。精霊との契約が必要なため、精霊術士となれるものは多くはないが、認められれば絶大な力が得られるという。
「――最後じゃ、お主は魔術を身に着け、何を為す?」
何を為す、か。
それは俺が、この世界に抱いた幻想だろう。夢なのだろう。
それが理想だろうと、夢物語だろうと。
――できるなら、旅がしたい。
俺はこの世界を目で、鼻で、耳で、舌で、肌で感じたい。
前の世界では感じられなかったものを。この世界では感じられると信じて。
俺にとっての未知で満たされたこの、剣と魔法の世界を思う存分――
「でも師匠、それには俺はあまりにも非力だ。特別な力があるのかもしれないが、それも狂っていやがる。
だから。
だからお願いだ師匠、俺に、錬金術を教えてください」
心の根から声を発し、頭を下げる。
師匠はそれを満足そうな表情で、3度頷きを返す。
「カカカカッ! あいわかった。お主には素養も素質も願いもある。合格じゃ、錬金術の手解きをしてやろう」
俺はその言葉にホッと胸をなでおろした。
もし此処で不合格だったらどうなっていたことやら。
「さて、善は急げじゃな。ここを片付けて研究室に行こう! さあさあ!」
テーブルに乗り出し、せっせと片付けを始める。
ぱっと見では小さな子供がお手伝いをしている微笑ましい姿のではあるのだが。
――如何せん、如何せんだ。
「あー……師匠? ちょっと良いですか?」
「なんじゃ?」
「……匂います」
匂うのだ。
「何が?」
「師匠が」
五日も風呂に入らず研究室に籠り切り。大釜は火を使う。人の一人や二人が余裕で入れる大釜を、何時間も混ぜ続けなくてはならない。そうすればどうやっても汗は掻く。
ともすれば香ってくるのだ、男の理性を奪うような、独特な甘い匂いが。
「スンスン。……匂うか?」
「ええとても。嫌いじゃないですが。というか、五日も籠りっぱなしなんだから当然でしょう。教えを乞うのは明日からとして、とりあえず師匠は体を清めて睡眠を」
その言葉を聞いた彼女は、数巡の思考を回しはじめ……ふと何かに思い立ったのか、にんまりとした笑みを浮かべた。
嫌な予感しかしない。
「――そういえばそろそろアレが不足してきたところか」
あー。そういえば最近してませんものね。
「……一応聞きますが。師匠、何を?」
「カカッ、せっかく改めて師弟の契りを交わしたのじゃ。背中ぐらい流させてやろうぞ」
ギラリとした眼は捕食者のそれである。こうなった彼女を止めるのは満足させるか気を失わせるかの二択である。
問題は、それがどちらも同義であるということだ。つまりおとなしく従う外ない。
「あー……もう、ご自由に」
「うむ!」
諦めた俺を、彼女は嬉々として風呂場へと連れて行くのであった――。
――そうして師匠を風呂に入れ、寝かしつけるのに3時間を要したのはまた別のお話。
いつか、『別のお話』も書いてみたいものです。……ノクターン辺りで