第67話 乱戦(前編)
「スー。スー」
講堂から少し離れた別室にて、規則正しい寝息が響いていた。
発していたのは銀髪の美しい少女――ルブル・キル・アレンティリだ。
食べ過ぎた身体を休めるためにソファに横になって寝ていたのだが、そのまま眠り込んでしまった。
「もう……、ためれない、ハーちゃん」
眠りながらペロリと唇を舐める。
ルブルに膝枕をしていたハートリーは、幸せそうな寝顔を見て微笑む。
モゴモゴと口を動かしているルブルを覗き込むと、ネレムは苦笑した。
「完全に眠ってますね、姐さん」
「ルーちゃん、いつもならこの時間はベッドの中だから」
「一応5歳ッスからね。一体どんな夢を見てるんだか」
「少し眠らせてあげよ」
「うっす。でも、この寝顔を見てると、こっちも眠たくなってくるッスよ」
「同感。わたしも眠たくなってきちゃった」
ハートリーはふわっと欠伸する。
こっくりとこっくりと首を動かすと、瞼を閉じた。
その頃にはネレムもまたルブルが眠るソファに寄りかかり、眠ってしまう。
寝息が重なる。
3人だけの幸せな空間が広がっていた。
◆◇◆◇◆ イザベラ ◆◇◆◇◆
亀の甲羅のように硬く閉じていた結界が、鱗を剥ぐように消えていく。
結界のおかげで少し滲んで見えていた夜空は、冴え冴えとして美しく、星の色もはっきりと見える。皮肉にも最高の星空であったが、結界が壊れるところを視認していたイザベラに、そんな心境の余裕などなかった。
「そんな……、【大聖母】様の結界が……」
普通の【大聖母】アリアルは回復と結界のエキスパートだ。
結界魔術は1人で作ることもできるが、大規模なものになれば、複数人あるいは魔導具などを使って、広げ、強固にしていく。アリアルの結界は複数の要素を使い、複雑に絡ませることによって蜘蛛の糸のように対象物を守る仕組みなのである。
従って、アリアル1人を死亡させたところで、結界の解呪はできない。
周りの要素を取り除くことによって、やっと破壊が可能となる。
故にアリアルの結界は完璧と言われていた。
その壊れるはずのないものが壊れる様を目撃し、イザベラは戦慄する。
「一体どうやって……?」
「【大聖母】の結界は完璧だ。でも、どんな結界でも壊せなければ意味がない」
カタギリの言葉に、イザベラは眉を顰める。
「結界は他者を守り、敵を退ける魔術。壊すために作るなどあり得ません」
「例えばこの学院が移転するとして、結界をそのままにしておくのか? そんなことはあり得ない。必ず解体する。だが、複雑に入り組んだ結界を解体するのは至難の業だ。ならどうするか? 簡単だ。複雑なように見えて、たった1本の糸を抜き取るだけで結界がバラバラになる――そんな構造にする。そうすれば、いつでも結界を壊すことができる」
「だとしても、そんなものは術者本人しか……」
「知らないだろうな。だがオレは知っていた。ただそれだけの話だ」
カタギリの話が終わると、バーミリアがイザベラの前に進み出る。
手には血がついた聖剣のレプリカが握られていた。その血は誰であろう、今イザベラの胸の中で気を失ってるテオドールのものだ。
「ご高説はそれぐらいにしろ、先輩。やることやったなら、続きをやってもかまわないよな」
「あまり時間をかけるなよ」
「自信ねぇな。こいつらのおかげで、俺様の人生は無茶苦茶になったんだからな」
イザベラの前でバーミリアは歯をむき出し笑う。
口元から上った白い息は、バーミリアの腹の中で煮えたぎった復讐心を想起させる。
ひっ、と子ネズミのようにイザベラは悲鳴を上げたが、彼女とて怒りがないわけではない。バーミリアの人生が無茶苦茶になったように、イザベラとテオドールの関係も1度ぎこちなくなったことは確かだ。
立って戦いたいのは山々だ。
でも、そうすればまたテオドールを傷付けてしまうかもしれない。
イザベラの心の中は激しく、シーソーのように揺れていた。
「死ね……」
バーミリアが凶刃を掲げる。
「はああああああああ!!」
どこからか裂帛の気合いが聞こえたかと思えば、影がバーミリアの前に立ちはだかった。薄紫色のおさげが揺れると、腰に差していた細剣を引き抜く。水滴が湖面に落ちるように静かで、耳に心地よい抜剣音とともに繰り出されたのは突きだ。
細く、しなやかで、表面は朝の泉のように輝く細剣は、見事バーミリアの肩を貫いた。
「なっ!!」
バーミリアは驚きながら、2歩、3歩と後退する。
肩の筋をやられたのか、重い聖剣のレプリカを持っていられなくなり、取り落とす。そのままバーミリアは膝を突いて蹲った。
好機を逃すまいと闖入者は追撃の一撃を食らわせようとするが、1歩及ばない。
ギィン、と音を立て、細剣の一撃を払ったのは、カタギリだった。
「ほう……。なんだか、見たことある顔だと思ったら、あんたか第三席……」
横やりを入れたのはシルヴィだった。
エリアナの元に帰ろうとしたが、迷ってしまい、学院の中を彷徨っていると、襲われているテオドールとイザベラを目にしたのだ。
「久しぶりだな、シルヴィ」
カタギリは元同僚ともいうべき相手に手を振る。
シルヴィは取り合わず、カタギリの方を向いたままイザベラに声を掛けた。
「聖女科2年生のイザベラさんですね。テオドール王子の回復を頼んでもよろしいでしょうか?」
「は、はい。もちろん。……でも」
「大丈夫です。見た目より傷は浅い。落ち着いて。あなたならできる。いえ。むしろこの状況でテオドール王子を回復できるのは、あなた以外にいないわ」
「シルヴィさん……。――――はい! やってみます」
イザベラは早速邪魔になっているテオドール王子の上着を破く。
諸肌にし、傷口を見えやすくすると、精神を集中させて回復魔術をかけた。
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