第59話 魔王様の使い魔③
『我が名はケルベロス! 地獄の番犬ケルベロスなり!!』
卵の中から現れたのは、黒鉄の体毛を持つ巨大な犬だった。
ケルベロスといえば、有名な冥界の主だ。
一応魔獣に当たるが、どちらかといえば神獣に近い。
もっとも神獣とは真逆。悪魔に属するものだがな。
自分で自分の種族名を名乗るということは、すでに知識と記憶を持っているな。神獣にはよくあることだ。
「ケルベロスって、あの? ……でも首が3つあるんじゃ?」
「ネレム、それはあのケルベロスが生まれたばかりだからです。成長していくにつれ、首が2つ、3つと増えて行くんですよ」
「ルブルの姐さん、詳しいッスね。――って危ないッスよ!!」
「大丈夫ですよ。この子は私の使い魔として生まれたのですから」
さあ、ケルベロス。我が主だ。
母親だと思って、この胸に飛び込んでこい。
存分に甘えるがいい。
ドンッ!!
突如頭上から降ってきたのは、ケルベロスの前肢だ。
その先には鋭い爪が付いていた。
危ない危ない。咄嗟に防御していなかったら、踏みつぶされるところだったぞ。
実際、我の上半身は地面の中に埋まっている。
生まれたばかりでこの膂力。さすがは地獄の番犬か。
「ルーちゃん!」
ハーちゃんの悲鳴が聞こえる。
さらに自然保護区一帯は阿鼻叫喚の事態になっていた。
生徒たちが生まれたばかりの使い魔を胸に抱き、逃げていく。
教官は魔術を使って、聖クランソニア学院の聖騎士と連絡を取っていた。
一方、我を足蹴にした使い魔は特に悪びれる様子もない。むしろ口角を上げて笑っているように見えた。
『何が私の使い魔だ……。人間風情が我を使役できるわけがなかろう』
「うーん。この肉球の硬さがたまりませんね。生まれたばかりだからでしょうか。すっごく柔らかーい」
『ダー! テメェ、何をしやがる!?』
「何って……。肉球を吸っていただけですが(ドヤァ)」
『ふざけるな。なんでそこでドヤ顔なんだよ』
「ハーちゃん、ネレム、触ってみる。すっごくやわらかいよ」
「ほ、ホントだ。すごくやわらかい」
「ハートリーの姐貴、そんなことをしてる場合じゃ――――やべぇ。めっちゃやわらけぇ」
ハーちゃんもネレムも、肉球の魔力に吸い寄せられると、夢中でツンツンしていた。
「テメェら! 何やってんだ!! 人間風情が!!」
ついにケルベロスは激昂する。
我らを踏み潰そうとするが、その前に我はハーちゃんとネレムを担いで脱出していた。
「人間風情と来たか。……なるほど。少々しつけの必要がありそうだな」
我はケルベロスの前肢を抱え上げる。
そのままポーンと空高く投げ飛ばす
為す術のないままケルベロスは落下してくると、キャイン! と声を上げて激突した。思いの外かわいい悲鳴だった。
「あなたを見ていると、昔の私を見ている気分になりますね」
『ちょ、調子に乗んなよ、人間! 今のは油断していただけだ。貴様など一瞬にして消し炭にしてやる。食らえ! 地獄の火炎』
唐突にケルベロスは炎を吐き出す。
マグマのように濃く赤い炎は真っ直ぐ向かってくると、我を飲み込んだ。
『クハハハハ! 死んだ! 今のは完璧に死んだ!!』
「誰が死んだのですか?」
我は赤い炎を右腕一本で消し飛ばす。
虎の子の必殺技をたった腕1本で消火されてしまったケルベロスのトーンが、急激に落ちていく。
『え? 嘘……』
「そろそろ遊びの時間は終わりにしましょう、ケルベロス」
『いや……。ちょ! お前、なんで無傷なんだよ!!』
「覚悟なさい!」
『ひぃ!!』
我は素早くケルベロスに近づく。
ポケットから取り出したのはたわし、さらにシャンプーだ。
ケルベロスはさらに我を踏みつけようとするが、我はひらりと避ける。
そっとケルベロスの顎を撫でると、毛でシャンプーを泡立てた。わしゃわしゃと洗い始め、早速ケルベロスを泡まみれにする。
「思った通りですね。生まれたてだから、毛がまだ軟らかい。シャンプーのしがいがあるというものです、これは……」
『貴様! シャンプーなどして……、あ。あ。そこ! 気持ちいい』
「使い魔の卵のことはすでに予習済みです。あなたのような大型の使い魔が生まれた場合、子どもの呼吸を促すために洗ってやるのがいいのですよ。ほら、動物は生まれた時、母親に舐められているでしょ。あれと同じです」
『同じではないわ。わ、我はケルベロス……あふん。下賤な動物と一緒にするな……あふん!』
「文句を言いながらしっかり反応してるではありませんか。……私はすべての術理を修めた大魔王。シャンプー術もお手のものですよ」
『何が大魔王だ! 何がシャンプー術だ。そんなもの我には――――ぎゃああああああああああ!! シャンプーが目に目に!!』
ケルベロスはゴロゴロと悶絶する。
やれやれ。シャンプー中だというのに、暴れるお前が悪いのだぞ。
仕方ない。回復してやろう。
我は回復魔術を使う。
『ぷはっ! 危なかった。シャンプーで死ぬところだった。貴様! よく我を虚仮にしてくれたな』
身体を振って、泡を飛ばすと、ケルベロスは我を睨んだ。
尻尾を振り、軽く前肢を動かす。顎を開くと、牙がギラギラと光っていた。
『今の我は絶好調だ! あの大魔王だって倒せそうだぞ!!』
絶好調など当たり前だ。
我の回復魔術を受けたのだからな。
こんなこともあろうかと、痩せ細った野良犬が一瞬でピンピンするほどに回復できる回復魔術を研究していたのだ。相手がケルベロス故、効果のほどは不明だったが、どうやら日頃の鍛錬が生きたらしい。
シャンプーで色艶もよくなったケルベロスを見て、ネレムは益々震え上がる。
「ちょっ! ルブルの姐貴なんかやばい感じッスよ」
「ええ。どうやらまた私と遊んでほしいようですね」
「絶対違うと思います!!」
「さあ、来なさい!」
全力で相手をしてやろう。
我は軽く四股を踏み、股を割って、腰を落とす。
左拳を前に出して、構えを取る。
『我相手に無手だと! クハハハハ! 片腹痛いわ! 今、我を打ち倒したければ、聖剣でも持って…………あれ? ちょっと待った。な、な、なんか空気ヤバいような』
※作者注
説明しよう。ルブルの回復魔術を受けたケルベロスは、異常なまで感覚が増幅されたことによって、大魔王の魂に気づけたのであーる。
「どうした我が使い魔よ」
『やっぱ雰囲気が違う。そ、そういえば、さっき大魔王って。お前、マジであの大魔王なの?』
「そっちが来ぬなら我から行くぞ!」
『いや、ちょ、ちょっと待――――ぶべらっ!!』
次の瞬間、ケルベロスは空を飛んでいた。
何か我に言いかけたような気もするが、まあ良かろう。
我は人間で、ケルベロスは地獄の番犬で。
いくら主人と使い魔でも相容れぬところはあるはずだ。
「す、すげぇ……。あのケルベロスをアッパー一振りで倒すなんて」
「……さ、さすがルーちゃん」
ネレムやハーちゃんを始め、他の聖女候補や教官たちが恐る恐るという感じで様子を見に戻ってくる。
(少々やり過ぎただろうか)
呆気なく地面に叩きつけられ、伸びてしまった我が使い魔を見て、少々反省する。あんなに元気になったから喜んでいたのだが、よく考えたらケルベロスは生まれたばかりだ。首が3つになる前の幼獣相手に、少々大人げなかったかもしれない。今度からはもう少し丁寧に優しく接することにしよう。
それにしても相当な暴れ馬ならぬ、暴れケルベロスだな。
元気があって良いが、これからのしつけが大変だ。
「みんな、離れて! 離れなさい!!」
小さな自然保護区で怒声が飛ぶ。
やってきたのは、聖クランソニア学院を守る聖騎士だ。
完全武装し、物々しい様子で集まってくると、聖女候補たちを遠ざける。
そして、その腰に帯びた剣をケルベロスに向けた。
「これはどういうことですか?」
「君がそのケルベロスの主人かね」
「はい。そうですけど……」
「その使い魔は危険だ。どうしてケルベロスが生まれたのかわからないが、一学生が使役するにはあまりある。そこから離れなさい」
聖騎士まで出てきて、何だか大事になってきたぞ。
一学生が使役するにはあまりある?
なるほど。我が飼育するのには不適切ということか。
言われてみればそうかもしれない。我は興奮するあまりケルベロスが生まれたばかりであることを忘れていた。その様子を見て、我の飼育術では不足と判断されたのかもしれぬ。
だが――――。
「いやです」
「はっ? 周りはおろか。君だって危ないんだぞ。気絶しているうちに処分しなければ」
処分? それはケルベロスを殺すということか。
我が未熟ばかりに、ケルベロスを殺すなど。
なんと勿体ない! 利用価値などいくらでもあろう。
次代の勇者の訓練用として、魔術の素材にも打って付けだ。
剥製にして学術的価値を高めるのも悪くない。
ただ殺すなど論外だ。
「ダメです。ケルベロスは殺させません」
「初めての使い魔を処分すると聞いてショックなのはわかる。しかし、そのケルベロスはいつか君や、君の家族に牙を剥く――――」
「剥きません。……いえ。本当に剥いた時は、私が責任を持ってケルベロスを始末します」
「何故だ? 何故そこまでそのケルベロスに固執する? 君のような年齢の子なら、もっと可愛い使い魔がほしいものだろう」
失敬な。少なくとも我は可愛いと思っているぞ。
しかし、ケルベロスでなければならない理由か。考えてもみなかった。
確かに我は固執している。かつて数多の生物を使役し、極めてきたというのに。それらの生物からすれば、ケルベロスなど凡庸な方だと言える。なのに我は上司ともいえる聖騎士を前にして、ケルベロスを処分することを渋っている。
何故か……?
「簡単なことですよ」
我は自分の胸に手を置き、凜と答えた。
「愛です」
「愛?」
聖騎士だけではなく、聞いていたハーちゃんやネレム、他の聖女候補生たちも首を傾げる。そんな微妙な空気の中、我はさらに言葉を続けた。
「3日3晩……。私は卵の側から片時も離れず、卵の中の使い魔が孵るのを待っていました。それは己の愛を注ぐ日々でした。おかげで卵は期待以上に大きくなり、ケルベロスとなって私の前に現れた。ケルベロスは地獄の番犬と呼ばれる獣。みなさんにとって、危険な害獣でしょう。しかし私にとって愛の結晶であり、化身なのです。たとえ、あなたたちに醜く見えたとしても、危険な存在に思えたとしても、あれは私の使い魔なのです。ケルベロスを守ることに理由はありませんが、しいていうなら」
愛なのです。
騒がしかった自然保護区に静寂が満ちて行く。
時が止まったようにすら感じた静かな時は、1つの拍手で破られた。
最初に手を叩いたのは、ハーちゃんだ。見ると、目に涙を浮かべている。
次に手を叩いたのは、ネレムだ。こちらも滝のように涙を流していた。
1つ、1つと伝染していき、いつしか我は拍手の波の中心に立っていた。
それは聖騎士も一緒らしい。
我とケルベロスに向けていた剣を下げ、鞘に収める。
何か感情を抑えるように1つ息を吐いた後、我の前でまた拍手を始めた。
え? え? なんなのだ? これは。
みんななんで泣いている。
我は当然のことというか。アリアル様が言ったことを諳んじただけなのだが。
「感動した。なるほど。アリアル様が目をかけるわけだ」
「アリアル様が?」
そう言えば、この聖騎士。アリアルの護衛についていた聖騎士だな。
「どうやら私たちは思い違いをしていたようだ。制御できているようだしな」
ふと振り返ると、意識を取り戻したケルベロスがこちらを向いていた。
悪戯をして叱られた家犬みたいにしゅんとして大人しくしている。
「君はいい聖女になる。励みたまえ」
ポンと我の肩を叩くと、聖騎士たちは引き返していった。
◆◇◆◇◆
色々とあったが、有意義な1日であった。
1番の収獲はケルベロスを使役することに成功したことだろう。
「よろしくお願いしますね、ケル――あっ。名前を付けるのを忘れていました」
肝心なことを忘れていた。
何にしようか。ゲロゲロ。ゲジゲジ。うーん。良い名前が思いつかない。
首を捻っていると、それまでずっと我の後ろに控えていたケルベロスが、我の前に出て尻尾を振った。
『乗れよ。一旦実家に帰るんだろ』
「いいんですか? 実家まで遠いですよ」
『ケルベロスを舐めるな。世界の果てだろうが、ひとっ飛びだっつーの』
「では、お言葉に甘えて」
我はケルベロスの大きな背に跨がる。
針金みたいな剛毛がちょっとチクチクするが、慣れてしまうと悪くない。
毛の方向に向かって撫でてみると、なかなか良い手触りだ。
モフモフとはいかないが、悪くない。
『あまりベタベタ触るな』
「どういう風の吹き回しですか? なんか私の使い魔になるのを嫌がっていたように見えましたが」
『べ、別にいいだろ』
「あ。名前を思い尽きました。ケルベロスだから、ケルちゃんでどうですか?」
『安直だな。てか、『ケルちゃん』ってツラかよ、俺』
「名前ぐらい可愛い印象を持ってもらわないと。それともケロちゃんにします?」
『それはやだ。蛙みたいだし。なんか怒られそうだ』
「注文の多い使い魔ですね。ま、手のかかるほど可愛いといいますしね。フフフ」
『うるせぇ。何を笑ってるんだよ』
「ケルちゃん、なんか顔が赤くないですか?」
『アホ! 我は真っ黒だ! これは夕暮れのせいだっつーの!』
初めて人から愛され、照れるケルベロスだった……。