プロローグⅡ
6月25日ブレイブ文庫より発売!
『魔王様は回復魔術を極めたい~その聖女、世界最強につき~』第1巻!!
「さあ、回復してやろう」
すべての術理を修めた最強魔王様が、唯一極められなかったのは回復魔術だった。
回復魔術を極めるため、人間に転生した魔王様の勘違い学園コメディ!
イラストはふつー先生です!
セレブリア王国王都。その丑三つ時――。
1台の馬車が人気のない大通りを走っていた。
すでに家や店の明かりは落とされ、王都は真っ暗だ。
星と魔術による明かりを頼りに、そろそろと馬を進めていた御者は、目の前に唐突に現れた人影に気づき、慌てて手綱を引いた。
馬は立ち上がって、嘶きを上げる。
御者は馬を落ち着かせた後、現れた人影を睨む。
最初は文句の1つでも言ってやろうと思ったのだが、その気はすぐに失せたらしい。
黒のローブを頭から足首まですっぽりと覆っている謎の人物。
フードを目深にかぶり、男か女かもわからない。
微かに魔術の光を反射する目は、獣のように赤かった。
それ以外に特徴的なところで言えば、手に持っている立派な剣だ。
拵えに白銀が使われ、刀身は炎を固めたように雄々しい。しかも鮮やかな青色で剣であるのにうっとりとして美しい。
「ゴッズバルドだな」
フードの奥から聞こえてきたのは、女――しかも少女だろう。
ハッとなって否定したが、端から相手は御者に目もくれていないことに気づく。すると、客車の扉が開く。
出てきたのは、50も半ばの老人だった。しかし、身体の迫力は現役の騎士に勝るとも劣らない。紳士服を着ていてもわかる厚い胸板。肩の筋肉は西瓜のように盛り上がり、二の腕は大砲の先のように引き締まっていた。
すでに背中から殺気と覇気が醸し出され、馬車の前に立つものに向けられている。
「ゴッズバルド様……」
「逃げよ。私がこやつを食い止めているうちに」
お抱えの御者は一瞬迷ったものの、主人の言うことに従うことにする。
背中を向けて逃げていく御者を目で見送った後、ゴッズバルドはおもむろに上着を脱ぎ始める。諸肌を晒すと、すでに勇退した老兵とは思えぬ見事な筋肉が現れた。
「お主、今王都を騒がせている辻斬りであろう」
辻斬りと言われた相手は握っていた剣を構える。
魔力が込められた瞬間、刀身と同じく青い炎が吹き出した。
「聖剣【蒼焔絶星剣】か……。王宮から盗み出されたもので相違ないか」
ゴッズバルドが【蒼焔絶星剣】と呼んだ聖剣から湧き上がった炎は、闇夜の王都を青く照らし出す。辻斬りは聖剣を両手で握ると、頭を前傾させ、腰を落とした。
地を蹴った瞬間、一気に加速する。
ゴッズバルドとの間にあった距離を潰した直後、【蒼焔絶星剣】を薙ぎ払う。青い燐光を撒き散らしながら、ゴッズバルドの喉もとを躊躇なく狙った。
もちろん当の老兵は指をくわえて見ていたわけではない。
刀身の長さを読み切り、余裕で躱す。さらにゴッズバルドがただ者ではないのは、そこから踏み込んだことだ。相手の斬撃を回避した後、大きく踏み込み、カウンターを合わせようとする。辻斬りは被弾こそしなかったが、少し面を食らったのか、後ろに下がった。
「悪くない反応だな。なら、これならどうだ」
ゴッズバルドがファイティングポーズを取ると、両の拳が燃え上がる。いつの間にか装着されていたのは、赤い金属でできたナックルダスターだった。これもまた聖剣の1つである。
「それが聖剣【炎中必滅ノ拳】か」
「ほう。我が聖剣を知っているのか」
英雄であり、元大将でもあるゴッズバルドは数が限られている聖剣使いの1人だ。愛剣の名前は【炎中必滅ノ拳】。炎の精霊が宿り、触れるものすべて焼き尽くすという恐ろしい聖剣である。
【炎中必滅ノ拳】によって、ゴッズバルドは必敗以外にあり得ないと予測されていたカシス戦役にて、王国軍を勝利に導いたのだ。
「あまり殺生はしたくない。大人しくお縄につくのもよし。潔く立ち会って、武人として死ぬのもよし」
「その聖剣――――貰い受ける!!」
「是非もなしか!!」
説得を試みようとした直後、青い炎が解き放たれる。
飛んできた青い炎をギリギリで躱すと、本格的に交戦に入った。
「問答無用というわけか。ならば我が炎で焼き尽くしてくれよう、咎人よ!」
【炎中必滅ノ拳】の炎で、飛んでくる青い炎を相殺する。しかし辻斬りは構わす炎を撃ち続ける。家の煉瓦や街灯、石畳を容易に溶かすことができる炎である。一瞬掠めただけでも大ダメージを負うことになる。
「私を近づかせないというわけか。ふむ。接近戦に不慣れと見える。ならば」
ゴッズバルドは一旦距離を取る。
両拳を胸の前で合わせながら、魔力を練った。
現れたのは小さな太陽にも似た赤い火球だ。
それを手で挟むと、ゆっくりとゴツい身体を捻る。
「これならばどうだ!!」
ハッ! という掛け声とともに火球を放った。
赤い炎は青い炎を蹴散らし、辻斬りへと向かっていく。
強い爆発音が響く。いよいよ静かな夜が破られると、にわかに周囲は騒がしくなってきた。
必殺の一撃を放ったゴッズバルドだが、決してファイティングポーズをやめない。すると一陣の風が爆煙を攫う。現れたのは黒焦げた辻斬りではなく、墨をぶちまけたような着弾の痕だった。
潮のように殺気が引いていくのを感じて、ゴッズバルドはようやく構えを取る。家から出てきた野次馬たちは、老将の姿を見つけると歓声を上げた。ゴッズバルドは手を振って応える。
「逃げたか……。グフッ!」
ゴッズバルドは膝をつく。見ると、脇の部分に重度の火傷の痕があった。
「全部受け切れなかったか。寄る年波には抗えんか。せめて顔ぐらいは見ておきたかったのだが…………ん?」
ゴッズバルドは道端に光る何かを見つける。
吸い寄せられるように手を伸ばすと、それは1本の長い髪だった。
「銀髪??」
美しい銀髪を見ながら、ゴッズバルドは首を傾げるのだった。
◆◇◆◇◆
「ゴッズバルド、よく無事で。そなたが狙われたと聞き、流石に肝が冷えたぞ」
赤い絨毯の上で膝を突いたゴッズバルドの頭上から、声が朗々と響いた。
声の元をたどると、そこにいたのは玉座についた初老の男だ。
セレブリア王国国王リュクレヒト・マインズ・セレブリアである。
すでに治政20年を迎える国王の表情は、安堵に包まれていた。
老将と国王陛下は子どもの頃からの付き合いだ。多忙であった先代の代わりに剣を教えたのがゴッズバルドである。親同然の恩人が王都を賑わす辻斬りに狙われたとあれば、心中穏やかとはいかなかった。
国王の心中を推し量ってか、ゴッズバルドはさらに深く頭を下げる。
「ご心配をおかけしました、陛下。これこの通り五体無事にございます。陛下におかれまして、どうかお気を平らかになさりますよう」
「さすがは英雄ゴッズバルドだな。それにしても余が思った以上に厄介だな、辻斬りは」
国王は玉座に深く座り直すと。眉間に顔を寄せて渋い顔をする。
王都では辻斬り事件が続発していた。被害者はすでに40名にも及んでいる。特筆すべきは凶器に聖剣が使われていることだろう。いずれも盗まれたもので、聖剣は2本、レプリカは5本奪われ、王都の国民を震え上がらせていた。
『王都瞬乱』の動揺も収まったばかりの状況で、辻斬り事件。しかも、その前に似たような殺人事件が王宮で起こっている。当然王宮は辻斬り事件に過敏になっていて、今も謁見の間の空気は最悪だった。
「聖剣は簡単に扱えるものではない。資格のない聖騎士が使えば、その強大な魔力に飲まれ、心を病むと聞く」
「しかし、お主が見た辻斬りは完璧に聖剣を操っていた」
「あまり疑いたくありませんが、聖剣と聖剣のレプリカを所持するものに容疑者となるものはいないのですか?」
「それについては吾輩がお答えしましょう」
進み出てきたのは、片眼鏡をかけた小男だった。
禿頭に色白というより、全体的に血色が悪い。こういう手合いは研究者に多く、事実ヨシュア・シンプトンと名乗った男は、主に聖剣のレプリカの性能向上と聖剣の研究・管理を行っているという。
いわば、セレブリア王国における聖剣の管理者である。
「今我が国にいる聖剣の持ち手、また聖剣のレプリカの持ち手を対象に調べたところ、怪しい方はいらっしゃいませんでした。アリバイもございます」
「やはり外部の犯行か」
「そう考えるのがよろしいでしょう。先ほどゴッズバルド閣下は辻斬りが聖剣の力を扱っていたとおっしゃっていましたが、すでに凶行に及んでいる以上、使い手に何らかの精神汚染が起きていると考えられます。無性に人を斬りたくなるのは、聖剣に相応しくない者に現れる症状です」
「専門家に意見するわけではないが、相手の目的ははっきりしていた」
「聖剣を狙うこともまた同じです。聖剣の元は同じです。惹かれ合うのも道理かと……」
ヨシュアは口角を上げる。
ゴッズバルドは少し息を吐くが、それ以上反論はしなかった。
これ以上話せば、聖剣の秘密が今謁見の間で暴露さねかねないと判断したからだ。
ユーリ・ガノフ・セレブリアと名乗り、王宮に侵入した魔族の話から、聖剣とは魔族が作った対魔王兵器ということがわかった。当然研究者であるヨシュアの耳にも入っているだろう。
そのヨシュアはさらに1歩進み出ると、国王陛下のほうを向いて頭を下げた。
「陛下。辻斬りの凶行を防ぐ意味でも、聖剣と聖剣のレプリカの返上をご了承いただけないでしょうか?」
「聖剣とそのレプリカの返上だと?」
「はい。今のままでは貴重な聖剣使いや、その候補者を失いかねません。それに閣下もよく知っているでしょう。聖剣が危うい兵器であることを」
(やはり……。聖剣が魔族の作ったものであることを知っているのか)
陛下から聞いたのか、あるいはヨシュア自身が研究の末にたどり着いた境地なのかわからない。ただいずれにしろ聖剣が魔族の作ったものであることは事実である。それを回収せよと陛下が命じられれば、ゴッズバルドも愛剣を差し出さなければならなくなる。
「存じている。しかし聖剣は今や防衛の要だ。それを返上すれば、国力にも響く」
「ふふふ……。過去に英雄と呼ばれた方の言葉とは思えませんな。武人なら身1つで国を守ってみせるとは言えないのですか?」
ヨシュアは意地悪い笑みを浮かべると、ゴッズバルドは小さく鼻を鳴らす。
やや空気が重くなる中、国王陛下は咳を払った。
「ヨシュア、その話は辻斬り騒動が終わった後で聞こう」
「……かしこまりました」
ヨシュアは慇懃に頭を下げると、後ろに控える。
程なくして謁見の間で行われた会議は終わり、家臣や集まった諸侯たちが出ていく。ただゴッズバルドだけ国王に呼び止められ、謁見の間に残った。
「すまんな。ゴッズバルド、折角尋ねてきてくれたのに」
「ヨシュア殿のことですか。気にしておりません。それより陛下、辻斬りの件、私も捜査に加わろうと思うのですが」
「それは心強いが……。良いのか?」
「引退して2年。家内も落ち着いて、暇をしているところです。どうかもう1度この老骨を使ってくだされ」
「願ってもない。英雄ゴッズバルドが助力とあらば、百、いや千人力だ!」
「ありがとうございます。……ところでヨシュア殿のことですが」
「心配するな。余の目が黒いうちには聖剣の返上などさせん」
ゴッズバルドが頭を下げようとした時、慌てた様子で家臣が謁見の間に入ってきた。ゴッズバルドの家臣らしき男は、何やら急かすようなゼスチャーを主人に送っている。
「しまった。もうそんな時間か」
「そう言えば、今日は次期聖剣使いの審査の日であったな。忙しいところすまん」
「陛下が謝ることではありません。むしろしばし席を外すことをお許しください。なに時間は取らないでしょう。次の聖剣使いはかなりの有望株ですので」
「それは頼もしい。戴剣式を楽しみにしておるぞ」
「はっ。では、これにて」
ゴッズバルドは陛下に向かって最敬礼すると、足早に謁見の間から去って行った。






