一章 7夢 リダイアル
死ね。殺すぞ――そんな下らない罵詈雑言に魂など入っておらず、虚無でそれをあしらうのが普通。
平気でそんな言葉を使うから、いつしかそれは冗談として定着した。
――――本気の相手はそうじゃない。
ヒイラギ・ユミの魂がそう提唱する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……ゆめ。かぁ……」
そんな淡いうわごとを並べながらも、体はこわばっていて動けない。
そんな中、自然と開かれた瞼が、光の差し込む色鮮やかな世界を写し出した。
眼前には青色と白色。尻目には緑色。
地獄とは程遠い風景なのは明らかで、天国にしてはどこか見覚えがある。
吹き抜ける風の匂いが鼻孔を抜けて、それが草独特の香りを纏ってると分かった。
「……あぁ、そっか」
ふと出た答えが一つだけあった。
――――三途の川を渡った先は『異世界』でした。
「……あり得ない」
ユミは自分で自分の額を手で覆った。冷静にそれを反論で返せるほど、ユミの脳は活発であるようだ。
もう何度目の『あり得ない』が、この数時間のうちにユミの口から飛び出したことだろうか。
ただ、脳裏をよぎるのは――、
――――殺された。
そう理解しがたいものを理解したのも、今回で二度目。
現実の夢美がそれを受け取らされ、夢のユミもそれを受け取った。
夢美とユミ。違うのは――、
「ぁぁぁぁ……ッ!!」
突如として腹部へと『痛み』が襲いかかってきた。
味わわされた死への道のり。それに伴う『痛み』は初めての経験だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
胸を締め付けられるほどの圧迫感に苛まれ、呼吸は過呼吸に。
体はのたうち回り、『痛み』への無様な態度を披露する。
脳裏を鮮明にフラッシュバックし、あの惨劇への応答を求められる。
「――っ!?」
込み上げてくる物への咄嗟の反応で、口元を抑えながらも、四つん這いになってそれへと対処に追われた瞬間――。
「――――ッ」
拒絶反応を起こし、吐瀉物を緑の大地へと送り出す。
強烈な刺激臭を伴う吐瀉物の押し寄せは、ユミの胃を空っぽにし、空嘔に変わってもなお続けられた。
酸素欠乏による頭痛。嘔吐による脱水症状による体の悪寒。
それにより吐瀉物へと倒れそうになるが、ユミの心がそれを拒絶し、反対側へと転がれとの、抗いにより見事に吐瀉物の溜まりを回避した。
広大な青のキャンパスを写すそれに、腕という一つを押し当てて、そのキャンパスを黒に染めた。
――――忘れろ……忘れろ。
そう念仏のように何度も唱えるが、忘れようとすればするだけ脳裏に止まって離れない。
黒を作ったことが間違い。
ようやくその事に気づいたユミは、覆っていた腕を退かし、空の青と白の世界へと気持ちをまぎらわすために眼前を広げる。
ユミの思っている以上に事態は深刻。
脳が思うように回転していない。
悪寒による震えが、今もなお止まっていない。
そして、あることにさえ気づいていない。
唱える時を過ごしたためか、体の『痛み』がないことに今さらようやく気づく。
恐る恐る致命傷を負わされた腹部へと手を伸ばすが、あるのは贅肉であり、思い描いていたドロッとした液体は感じ取れない。
風穴も空いてはいない。
幻覚をユミに与えるほど、それは衝撃的な『死』という『痛み』であった。
――――よかった……。
そんな安堵の思いと、死の残留物質をも巻き込んで、ユミはそれらと共に一緒に闇へと消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あることとは、変化していた服装と持ち物のこと。
服装だが、ユミが買い物に出掛けた時と同じ。制服ではなくなっていた。
持ち物も、レジ袋に髪染め(ナチュラルブラック)。炭酸飲料(コーラ)。
ポケットに、黒の財布(日本の千円札が四枚に、小銭が少々)。スマホ。ハンカチ。ポケットティッシュ。そして指輪。
「……あ……れ?」
ほんの少しの間だが、気を失った理由は言うまでもなく――折り重なった全てが原因。
少しばかりの睡眠は、体の悪寒を抑えて、脳にも僅かばかりの整理の時間を与えた。
改めて腹部を確認するが、とりあえず嫁入り前の大事な体に貫通した痕跡はやはりない。
何度触っても、擦っても、叩いても、特に異常はなく、今も脈々とその腸は腸内活動の真っ只中のようで、ホッと一息をつく。
そして、ようやく変化に気づいた。
「ガラガラガラ――ペッ! 死んで異世界かぁ……これってもう完全にあれじゃん……」
体を起こして、傍らに放置された袋の中にあるコーラでうがい。
押し寄せた虫酸に、炭酸の攻撃が見事にヒット。虫酸の痕跡はキレイに砂糖の玉と一緒に排出された。
体を刺激しないよに、今度はうちびちびと胃へと流し込む。
行き渡る水分が体を満たして、生きているのと実感に浸る。
水分の獲得により、思考を巡らせる余裕と、悪寒の鎮まりが訪れた。
定番中の定番。主にネット小説でのテンプレートと呼ばれるものが今度はユミの脳裏を支配する。偏った知識を持ち合わせているが故に、理解は早い。
そして『タイムループ』。『タイムリープ』。『死に戻り』などというやつだと、勝手ながらそう解釈する。
だが、そんな超越した力を身に付けているとは断定しがたい。
今分かっているのは、『死』という体験をしたこと。生きているという異世界での現実。そして、異世界を体験したことと、現代へと戻されたこと。
これがユミの知る『ループ物』と酷似する状況下にある。
――――一つのことを除いては。
「――死ぬ度に異世界と現代を何故か行き来してるのね」
座り込みながら、コーラを半分まで飲み干して結論を出す。
夢と現実のような、覚めては現代世界――覚めては異世界。同じ世界ではなく、別の世界というのがまたエグい。
覚醒に必要なのが『死』という定番なものであるが故に、ループに巻き込まれていると決定の判子は付けられる。
が、舞い戻るためには『二度』死ななければならない。
何故、夢と現実の両方に『リダイアル』するのか――まどろっこしいことこの上ないが、今のサンプルの少なさにそう結論を提出するしかない。
「……フィアさん」
思い出されるは魔女の名前。
ポケットの中の指輪を取り出し、それを見つめながらに思う。
――――これだけは現代にも着いてきた。
その謎がまた謎を呼ぶ。
「そういえばこの指輪、役に立つとか言ってなかったっけ……」
天に指輪をかざしながら、魔女との会話を思い出す。
「ループ物なら記憶が大事よね。うん」
スマホのメモ機能を出して、思い出しながら重要な事柄を書き込む。消える可能性の方が高いが、その可能性より記憶の欠如は待ってはくれない。
そしてたどり着く。
『この先この指輪はきっとお役に立つことでしょう』
「――まぁ、この指輪のせいで『リダイアル』してる訳じゃないし……」
勝手ながらに、能力らしき権化の名を『リダイアル』。そう名付けた。
指輪のせいでこうなっている――なんてことにしようとしたが、それは可能性としては低い。指輪を持っていないのにも関わらず、最初の異世界リダイアルは起こっている。指輪せいではないのは確かで、
そして思い返されたのはもうひとつあった。
『私はいつでも中立。誰かを贔屓にすることなどありません』
「中立……かぁ」
フィアの忠告を無視し、会談への乱入行為。
中立という立場を厳守するフィアからの粛清は、それはもう免れないものであった。もちろんそれは、ユミ自身も自分の行いに対する非を猛省。
「はい。これで仲直り」
気持ちを切り替えるために、手を叩いてそれに終止符を打つ。
そして、
――――ありがとう。
言い表すことはなかったが、心で感謝の言葉を思い浮かべる。
死に伴う『痛み』を無くしてくれたことは、ある意味で感謝しかない。
だが、殺ったことを許す気ににはなれない。簡単に殺めるなど、それこそ魔女。人とは言いがたいが、そんな事があったなんて事実が今の世界線では『ない』。
それにだ、
「どう考えても、私がここにいるってことは……つまりそういうこと?」
これから起こること、それは戦争の会談。
戦争を防ぐこと。それがユミに与えられた宿命だと、ループ物を知るが故なはそういう思考に陥る。
「いやいや……無理でしょ。もうすぐ来るのに……」
スマホの時刻は、あの二人と一匹の到着予定を告げる時刻を間もなく迎える。八時半ちょっと過ぎ。
ピースの不在。それだけが心残りの中、
「……来たみたい」
座り込んでいた腰を上げ、砂を払ってここと向かい合う。
擦りを伴った音を止めて、『ウマゴン』こと『魔獣』は、改めてその眼光をユミへと向ける。
その上から颯爽と降り立つ、『カエル』と『中年男性』。
「……よし! やるしかないっ!」
気合いをいれるために、頬へと一発叩き込む。
――――やっぱり痛い。
髪とはまた別の赤を作った頬から伝わる響いた痛み。
やはり夢ではないと――そして生きていると――死なないためにと――。
異世界二週目のリダイアル。それはここから始まる。