一章 5夢 夢オチ
という夢だった。
「――――!!」
瞳孔の開ききった目が、彼女にその光景を与える。
体のこわばりが、あの出来事に対する彼女なりの防衛。
そんな事を彼女は一切無視し、仰向けの状態を瞬時に起こして、
「はぁはぁ――ッ、はぁはぁ」
常軌を逸する心拍数に襲われている状況に、乱れ狂う過呼吸を抑えることで彼女は精一杯だった。
――――最悪の目覚めだ。
パジャマ姿で柊・夢美は、自分の寝室で目を覚ました。
部屋の大部分は、大きなベッドが占領し、床には丸いテーブル。そしてクローゼットに勉強机。
暖色系で占められた部屋に差し込む光は、カーテンに遮られているが、まだ薄暗い。
「夢……夢……だよね」
速まる鼓動が今もなお脈動を続けて、生を実感させる。
そのリズムを抑えるように心臓へと手は伸び、あの夢を思い返す時を堪能させられる。
リアルすぎる夢に体の震えが止まらず、『死』という現実を、あたかも体験させられたことへの恐怖が、今だ鮮明に夢美を捉えて離さない。
思い返せば思い返すだけ、それは断片することなく鮮明に海馬に植え付けられているという現実。
最初から最後まで――異世界で目が覚め、死の瞬間を味わわされるまでのこと。それが夢であったと、そのことに対する疑念の余地しか今の思考はそれしか流してはくれない。
――――夢にしてはおかしい。
だが、夢美がそれを確かめる術は無い。
ベッドの枕元にあるスマホへと手を伸ばし、現在の時刻を確認する。
六時二十分。夢美が起きる時刻――七時よりまだ時間はある。
二度寝する気にはなれず、うつむけ状態で、お気に入りのネット小説の更新を確認。
「あっ! 更新されてる。ラッキー」
そんな夢逃避をさせてくれるような出来事に、作者には感謝しかない。
そんなこんなで、スマホ中毒者にとっての約四十分という時間などあっという間に過ぎ去り、
「……はぁ、やっぱり夢かぁ」
今起こっている現実が現実でしかないことに、謎の高揚感に襲われ、スマホを放り投げて仰向けにして体を広げる。
見慣れた天井の模様が、どこか懐かしい。
柔らかなベッドの感触が、どこか心地よい。
静寂に包まれた部屋の空気が、どこか平穏をもたらしてくれる。
何もかもが現実。夢ではない確かな現実に帰って来た。
現代の地球。その中のたった一つの小さな魂の物語が、今日もまた進み出す。
「夢美ー! 起きなさーい!」
鳴り響くは、母というなのアラーム。その言葉に、「起きてるよー」と、謎の反論。
ベッドから飛び出すと、夢美の足音とは別の――床を物が転がる音がした。その音が小さくて金属のような物だとすぐさま解釈を出して、それを探す。
思いの外呆気なく見つかったそれに、夢美は戦慄した。
戦慄を覚えざるを得ないその物体が、夢逃避した夢美にまたしても夢、という名の悪夢に苛まれる形となって現れた。
床に転がるそれが――『指輪』であったのだから。
無駄な装飾――ダイヤなどの宝石類は一切なく、ただ銀色に輝く凹凸のないリング。
内側には古代の文字のような、規則正しく並べられた線が入っている。
一定の法則を見つければ、それを解読できるだろうが、それを持ち合わせているほど、夢美の頭はできていない。
「……あり得ない」
戦慄が終わりを告げ、残ったのは驚愕。ただただ、それだけであった。
夢美は夢の中である変化をしていたことを思い出し、指輪など眼中になく、急いでクローゼットを開き、内側に内蔵された姿見に自分を写しこんだ。
「あり得ないって……ホント、あり得ない」
新たな悩みの種を抱えたその頭をかきむしって、落ちたそれに夢美が気づくはずもなく――。
「こんな姿……お母さんに見せられない」
ベッドへとよぼよぼと舞い戻り、布団にくるまりを見せた。その密室を、何人足りとも覗かせない――そんな思いと決意を持って閉じこもった。
柊・夢美。今日は学校お休みします。理由はただ一つ。頭髪検査に引っかかるからです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
柊家は一軒家である。父方の祖父の財産であり、それを譲り受けた夢美の父のリフォームの結果、新築同然の風貌に生まれ変わった。
だが、その父は現在単身赴任中。今は夢美と夢美の母との二人暮らし。
「……夢美? どうしたの? 具合でも悪いの?」
心配そうな声を上げて、何の躊躇もなく夢美の部屋へと足を踏み入れたのは、夢美の母親。
天然なところと、抜けたところがある中年の女性。
年齢のわりに若々しく見え、それは身長も相まってそう見えるのだろう。
「うん……ちょっと風邪気味みたいで……連絡はしたから、大丈夫だよ……」
見繕った言い訳に合わせるよう、咳払いを交えながらにそう答える。
嘘の咳払いなど、感が鋭ければすぐに露見する。それこそ対峙しているのは母親。母に対するそういう信頼度は、嫌に高いものである。
が、毛布による厚い防御壁によるものかそれは、
「そう。分かった。だけど、お母さん仕事だから一人になっちゃうけど、大丈夫?」
と、嘘を防いで、真実味のある嘘としてそれを母に植え付けさせたようだ。
仮病であるが故に、その母親の心配そうな声色が、夢美の心を突き刺す。
「……うん。大丈夫だよ」
だが、今はそれに乗っかるしかない。
嘘に嘘を並べて、引き返せる状況ではない。それは夢美が望んだことであり、仮病の嘘より『赤髪』の言い訳の方がよっぽど厳しいのは確かで――夢美はその嘘に向かっていくしかなかった。
「……あれ? なにこれ、指輪?」
そんな思考を吹っ飛ばすほどの疑問の言葉が、夢美の母親から上がった。
夢美の内心は、夢から覚めた時と同様に脈動うねる。
嘘と『赤髪』のことに気をとられてしまい、もう一つの大事な物を忘れていた。
「もう! 物を床に置かない! 机に置いておくから、大事にしなさいよ」
説教じみた言葉を残して、夢美の母親は足音と共に、テーブルに物を置く音を奏でて部屋を後にした。
行ったという気配を感じとり、すぐさま毛布の密室を解き放ち、指輪を手中に収めて、部屋を施錠する。
部屋のドアへと持たれるようにして座り込んだ夢美は、手中の指輪をただ見つめて、
「……大事にしなさい。かぁ……」
それは母の言葉にと同様に、夢の中で起こった言葉とそっくりであったために、思い返された。
――――魔女フィアという存在が。
せっかくの夢の異世界であったのに、それを悪夢へと変えた張本人。
その者にされたことが、夢美の記憶からすっぽり抜け落ちている。それは目覚めたことで回避はできたものの、夢美の潜在意識はそれが『死』ということを理解している。
だからこそ、あの心拍の上昇と体の震え。
玄関のドアに来訪の知らせを届けるベルの音が、ユミの母親の通勤の合図として、夢美の耳鳴りを呼んだ。
車のエンジン音がだんだん遠退いていくのを、否が応にも聞かされる。
「……ふぅ。とりあえず、髪染め買わないと……」
一息ついて、無駄な心配を掛けていることを反省する。それと同時に、何よりも優先するべき事柄は、髪を染めることだった。夢を思い返しても、それには何ら意味はない。
――――夢は所詮。夢でしかないのだから。
夢美は現実と向き合うための一歩として、一先ず着替えを行うところから取りかかった。