二章 26夢 正体
リコリスを追うために急いで客間を出る。当然ながら、髪は隠さない。堂々とはいかないが、一応ユミの中では気張っているつもりで飛び出した。
廊下へと駆け出すための曲線を描こうとした矢先、「――遅い」とリコリスの一言に、ユミは急減速でエンスト。前のめりで廊下へと倒れ込んだ。
待っててくれるのならそう言ってくれればいいのにと、ユミは床を舐めながら思った。お陰で体が痛い。
パンを咥えて曲がったら、あらぶつかっちゃった――ぽっ。などと頬が紅潮し、一目惚れ的な運命の出会いなどでは決してない。そもそも受け止められていない。だからどちらかといえばギャグだ。ズコーだ。デースなどど、訳もなく叫ぶところだ。
縁起でもない。
無粋な眼でユミは見上げると、リコリスは壁にもたれ掛かっていた。呆れた表情で、「行くぞ」と言うだけだった。手を貸してはくれない。振り返る素振りさえ見せずに行ってしまうので、ユミはすぐに立ち上がって、ただ彼を追うしかなかった。
どこまでも女心の分からない人だなと、亭主関白なのだと思った。あの人の奥さんの気苦労が思い浮かぶ。
ある部屋の扉の前でリコリスは止まった。ユミへと振り向いて、「ここが資料室だ」と言った。うんとの頷く。知っている。場所は既に予習済み。というのも、王城生活二日目に一度コウたちに案内されている。中には入ったことはない。
否が応でも鼓動は早まる。待ち受けるものは未知数で、これは予定になかった展開だからだ。ただそれでも、リコリスがいる。
「ここから出なければ何も問題はない。私が責任をもってお前を見張っておいてやる。そのつもりでいろ」
「はい。お願いします」
扉の向こうのまだ見ぬ部屋へとユミは足を進めた。
一人ではない。それだけで心強いというもの。ゆっくりと鼓動が落ち着いていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
資料室は本に溢れた部屋であった。溢れていると言っても、整理整頓に抜かりはない。貯蔵量は尋常ではない。それでいて手狭という印象はない。現代で言う図書館に近い部屋だ。ひと部屋丸ごと広々とした吹き抜けの作りとなっている。
そんな資料室には数多の人がいる。机に座っている者。本を探している者。話し合いに講じている者。揃いも揃って皆、高貴な服装に身を包んでいた。
入室時に注目が集まるのは無理もないこと。一人が気がつくと、バタバタとまるでドミノのように広がって行くのをユミは感じた。思い思いの反応が窺える。主に注視されているであろう『赤』。一瞬にして注目の的となっている。
リコリスは何事もなかったかのように歩き始めた。それについて行くユミ。皆は目線を隠す気など更々ない。露骨なまでに目を奪っているのが分かる。それは明らかに色物を見る目であった。
「どうやら皆はお前に気があるようだな」
リコリスはその場の真実を何の躊躇もなく放ってきた。「……いじわる」との弱ユミの言葉とは裏腹に、内心の強ユミはカチンと来ていた。
わざわざ言うことかと、そんなことなど重々承知だ。
――――なら、見せてやる。
ユミはピタッと止まって辺りを見渡した後、リコリスの背中と別れた。ズカズカとうつ向きながら少し歩いてある場所で止まった。そこは資料室の全体が見渡せる場所。つまりユミは、資料室の中心に今いる。誰に求められるわけでもなく、「ユミ・ヒイラギと申します」と一言名乗ると、注目の的にさらなる拍車がかかった。
当然だ。ユミは自ら斜線上に飛び出したのだから、こうなることは周知の事実。流石のリコリスも止まってユミを見ていた。
「ここにいる賢明な皆さまの目の保養になるのでしたら、私は一向に構いません。お気の済むまでご覧下さい。――ですが、私は色物ではありません。コウ殿下は、私の『赤』をそのような目で見たことはありませんでしたが、それでも私の『赤髪』に興味がおありでしたら、私はここから一歩も動きませんのでどうぞお好きに」
胸に手を当てて堂々と語ったユミの姿に、唖然とする貴族たちの姿があった。
語りを終え、ユミが視線をある貴族たちに向けると、彼らは一斉に目を背けた。別のところに向けてもまた同じ。今度は目さえ合わせてくれない。
だがそれでいい。それでもまだ見てくる度胸があるのなら、本当に見たいのだろう。はっきり言って終わりだ。それ以上などないし、何も言えないし、何も生まないし、何も――、
――ここから先などない。
ユミは壁にぶち当たった。この問題の終着点。事の解決がなされた今、ユミは次に、自ら口走った問題点に突き当たった。
ここから動けなくなった。『赤髪』より浮き彫りになった大問題。
最初はよかった。してやったという気持ちがあった。それも次第に、これはマズい。と苦笑いを浮かべるしかない。
「……見てないで助けてください、リコリスさん。私はこれからどうすればいいのでしょう」
「……私は知らん。それはお前が勝手に行った結果だ」
「ちょっ! それはないでしょ! さっきの言葉はなんだったんですか!」
「それは解決しただろう。お前がそこにいればいいだけだ。立ち位置を自ら作り上げたことに、私は感心しているぞユミ」
言葉とは裏腹に、呆れ口調でその場から去ろうとするリコリス。それを見て目が点となるユミ。そんなやり取りが繰り出されていた、
――その時だった。
それは突然湧いて起こった笑い声であった。
澄んだ声色が最奥から響き渡り、それに皆が皆『赤』以上の注目下を置き始めた。
張り詰めた緊張感。そう呼ぶ名の注目である。
貴族たちが思い思いの反応をするの中で、特に顕著に反応を示したのは、意外にもユミであった。その笑い声は明らかに先程の演説に対する反応なのは間違いない。だからこそ、その声の主に誰よりも反応したのはユミなのだ。
――トラウマだ。
笑い声が湧いた瞬間、ユミの緊張の度合いは膨れ上がって、表情もこわばった。
――――何でここにいるのよ。
ユミはつくづく実感する。その人物はいついかなる時でも、予想外に登場してくることを。
笑い声が収まると、足音だけが静かに響き始めた。そしてゆっくりと、その人物はユミを見下ろす形で姿を現した。
「こういう形でまた君に会うことになろうとはな――ユミ」
「し、シギリさん……」
「いやいや、いいものを聞かせてもらったよ。随分と華やかな自己紹介じゃないか」
シギリは徐にユミへと近づく。その圧に屈するようにユミが一歩後退すると、「言葉には責任を持て」との言葉に歯を食い縛ってユミは立ち止まった。「……っ、ど、どうぞお好きに」とすでに目の前に来ている彼を見上げながら、息巻いて見せる他、手立てがなかった。
ユミはその後、顎を持ち上げられた。強制的な執行に、抗う術などなくただ従うしかない。
「どうして逃げる。自分で言ったのだぞ。まさか、嫌だなどという戯れ言を吐くつもりはないだろうな」
「も、もちろん! どうぞお好きにしていただいて構いません。――ただ、シギリさんはコウのお兄さんですよね? 皆さまが見ている前で、弟君より品位を欠く行為は如何なものかと思いますが?」
苦笑いながらも、精一杯の言葉の抵抗をユミは見せた。
青ざめる貴族たち。リコリスもその中の一人だ。
「あいつのお兄さんか……ハハハハ。そんな風に私を呼ぶのは恐らく、ユミ――君ぐらいだろうな」
「そ、それはどうも! そのついでにできれば放してもらえると助かりますが!」
どこぞの少女漫画ではないのだ。顎クイなどでは屈しないし、残念ながらなびきもしない。今、高鳴る胸の鼓動は一つをはっきりとさせている。
嫌いだってことの証。拒絶の表れだということを。
「ふっ、つれない奴だな。あいつがいればもっと面白いのだが……まあ、いいだろう」
シギリの手はユミの顎から自分の顎へと移った。
離した方が思いの他、優しかった。雑に扱うかと思ったが、そこは流石紳士と言ったところか。それでも拭う。拒絶反応で流れる冷や汗を腕で拭って、鼓動を落ち着かせていると、次にポンっと頭に手を置かれた。
突然の出来事に、ポカンとしてシギリを見上げるユミ。本当に次の一手がまるで読めない行動。そんな折に、「いいことを教えてやる――」とユミはシギリからの耳打ちを受けた。そして、そこからさらに言葉は続けられた。
コソコソと二人だけの時間。それもあっという間に終わりを告げ、
「――では、また会おうかユミ。今度はじっくり時間を設けて話をしたいものだな」
シギリは最後、ポンポンと頭を二度撫でて、ユミから離れていった。向かう先は部屋の出入り口。ガチャリと扉が開いて、シギリが部屋を出て行くと、資料室は一気に静けさを伴う。
貴族たちはそれを表情を固めて見送っていた。そんな中で異質を放つユミだけが一人、表情を引きつらせて、見送らなかった。
それどころではない。ユミはその時、頭が真っ白になっていた。言われたこと言葉に、驚愕していたのだ。
もしシギリの言葉が本当だとするのならば、ユミにとってそのことは何よりの一大事。だからこそ、言葉の責任を顧みず、プライドも、マナーでさえもかなぐり捨てて、ユミは駆け出した。
「……マズい。マズい、マズい、マズい!!」
顔面蒼白になりながら、城の廊下をただ必死に駆け出すことだけが、今のユミにできる精一杯の表現であった。
全ては繋がりを絶たせないために。
全ては繋がりを終わらせないために。
全ては繋がりをまた始めさせないために。
ユミは知ったのだ。『内通者』が誰なのかを――。




