二章 24夢 愛のある鞭
「アルちゃん、あのね。私、今日はずっと部屋にいるから……その……ごめんだけど今日の予定は全部キャンセルでお願いっ!」
ユミがアルメリアに手を合わせてそう申告したのは、コウたちとの朝食を済ませた後、彼らが部屋を去ってからだった。
――動かないこと。
結果としてあった現実を糧とするならば、この判断は最も簡潔で妥当な解答でしかない。動かなければ出会わない。出会わなければ死なない。死ななければ時は過ぎ去る。
アルメリアがそれに対してどういう答えを出すのか。ユミは片目で恐る恐るながら彼女を見やってその時を待った。
「いいえ」
それは思いの外早い相反した返事だった。速い直球。受け止めたはいいもののユミは飛ばされ、矢継ぎ早に面に現れる。仰天。それがユミの表情から物語れる。
「え? ほ、ホントにいいの?」
「いいえ。ユミ様がそう黙るのならば何も昨日でなくとも私としましては構いませんので」
「じゃ、じゃあ明日みんな空いてたりしても、アルちゃん的には大丈夫なの?」
「……黙っている理由が謎です」
不信感を買ったかのように、アルメリアの視線がユミを襲う。
冷ややかなジト目。
普段の心境ならばここはどう反応しただろうか。慌てて訂正したのだろうか。でもそれが何故かしっくりとくる。
「そ、そうじゃなくて、ね? あ、アルちゃんは明日も大丈夫なのかなって意味でして……」
だからそうした。慌ててそう訂正した。
下手くそな芝居も、――――あれ? これいつもの私じゃん!? などと以外にも思考は冷静。それと朝よりかは幾分、自分の心が平穏なのをユミは理解した。
今はアルメリアと二人きり。客間はコウたちが去っているために当然である。動悸、息切れ、気付けもユミは和らいでいる。それでも救心は欲しいのだが今はそのことはいい。
動揺し、息を呑むのがユミ。そんな彼女の着付けを手伝うアルメリア。
「駄目です。私はユミの侍女です。ユミ様のお役に立つことが、私の休暇ですから」
そう言ってユミに上着を渡すアルメリア。「ありがと」と言い受け取り、着替えに勤しむ。そうすることで自然とその会話の流れをユミは途絶えさせた。
ネグリジェ姿。就寝時の姿。休日ならばそれで一日過ごせるが、今さらながらそのだらけたスタイルを一新して真っ只中。フードのついた死装束へとチェンジ中。
フードの服装は、ユミにとって『赤』を隠せる唯一の代物であり、それが無くては話にならない。それでもその格好で幾度となく死を迎えている。袖を通すのも本当ははばかられる。験を担ぐ。アルメリア的に言えばそうなのだろうか。実際問題、彼女の気概を鑑みると気を使ってくれている。それは他の誰の目から見ても明らか。そもそも用意されたもののため、長ったらしく上部を並べても、致し方ないことがこの物事の本質でしかない。
全ての事柄が致し方なかったことでしかない。
「……仕方ない、かぁ」
「何か?」
「うんうん。何でもない、何でもない」
袖を通し終えて、首を振る。
それを言ったらおしまいだ。口走ったことも。感情に身を任せたことも。理由もなく動くことも。仕方のない。その概念で片付く。
それでも仕方ないでは終われない。『赤』の揺れが着替えの針の、振り子を止めた。その針はまた新たに動きを求めるように、次の揺れを起こして、音を引き連れてきた。
寝室内に音が響いた。真っ先に止めに行くアルメリア。その背中を追うようにユミも続く。次の始動に準ずるように――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
音の出所は客間の外の扉からだった。アルメリアが、「いいえ」と返事をしながら扉を開く。すると廊下と共に音の正体が現れた。それはユミにとって見慣れた人物であった。
「あ! お、おはようございます。リコリスさん」
すぐさま頭を下げて挨拶をするユミ。アルメリアも合わせて頭を垂れた。
「……おはようとはずいぶんとのんきだな」
どことなく不機嫌なリコリス。上部からそれに伴う声色がユミを襲う。恐る恐る顔を上げて、見やる。予想通り。よりいっそうなまでの堅物。その名にふさわしいほど、呆れた様をまざまざと見せつける表情が作られていた。
「ええっと……それはどういうことでしょうか?」
「今日はお前たちが王都へ行くというので、私は殿下から預かっていたものを持って門の前で待っていたのだ。嫌に遅いので、様子を見にこうして部屋を訪ねてみたら――どうだ! 身支度に時を有するならばまだしも、その髪は何だ! もう少しまともに整えたらどうだ。そして、アルメリア! お前が付いていながらこの体たらく。殿下の御前でまさかこの娘のこんな姿を晒したのではあるまいな」
リコリスに言われて、「……え!?」とユミの情けない声が飛ぶ。すぐに髪を掴むと、明らかな跳ね返りの痕跡を感じた。髪の乱れ。疎かになっていた。ユミは寝癖の存在を呪った。
やってしまった。ユミは醜態を悔い改める。それはすでに二度目のことだ。『リダイアル』をして巻き戻った今、この周回のたった数時間の間にそれは起こった。
「いいえ。ユミ様は後ほどまで寝間着でした。本当にありがとうございました」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとー! ななな、何言ってるのアルちゃん!」
あわてふためくユミ。アルメリアの口を咄嗟に塞ぐ。『だ、ダメじゃん。ここは嘘を言わないとダメじゃん』と、リコリスに背を向け、こそこそと相談する。『いいえ』と無感情にもアルメリアは頷く。
これでひと安心ではない。決して油断などできない。そもそもあり得ない。真実を言ってどうする。明らかに反感を買う。もう買ってしまっているのに、これでは火に油だ。
「嘘! アルちゃんは嘘を言いました!」
「……いいえ。違います」
「ほ、ほら、アルちゃんはこう言っています!」
二人並んで見せた。コントを。ぶっきらぼうな語りをユミはする。
だが、時すでに遅し。ユミはリコリスの目を見れずにいた。プレッシャーという名の採点結果が恐ろしい。何か金属が擦れる音がする。嫌な予感。
「……これでもまだ嘘が言えるのなら、私はお前を称賛して首をはねてやる」
「は、はい! ごめんなさい、ごめんなさい。私は嘘をつきました、ごめんなさい!」
嫌な予感はよく当たる。ユミはすぐに謝罪した。冷ややかな鉄の輝きが、冗談ではすまされないことを意味していた。
「それでいい。つまらんことをするな」
「は、はい……」
「ここではなんだ。――そこに座れ。その性格、少し正してやる」
ソファーに誘導されて、その言葉通りにユミはその後、リコリスからこっぴどくお叱りを受けることとなった。
「――反省しろ。お前が気安く接しているのはこの国の王族のお方であるぞ。こともあろうに、ふしだらな格好で会うなどもってのほかだ! いくら客人と言えど限度というものを知れ」
「あぅ……」
ぐうの音も出ない正論が矢のようにいくつもの曲線を描いて一点に降り注がれた。ユミは項垂れてそれを黙った受け続けるしかない。グッとこらえる。それでもキツイ。こんなに叱られるのはいつ以来だろうか。ぶたれないだけまだましなのか、それとも哀れすぎたのか。説教が痛いほど突き刺さる。
「早く髪を直してこい。そんな姿でまたコウ殿下と会うことなど、私が許さんぞ」
「……は、はい!」
ユミはすぐさま立ち上がって、急いで寝室へと、そして髪をとかし始めた。
何はともあれ――ではない。堪えていたものが一人になって溢れ出す。
――――駄目だ。泣いちゃ駄目だ。
これは自分の不甲斐なさ故に起こったことだ。それを身勝手に泣いて、済まそうとしている。許されようとしている。それでは駄目だ。駄目なのだ。強くならなきゃ駄目だ。
リコリスの説教は全てが正論だ。裏を返せば愛情の叱りともいえる。だからこそユミは自分の弱さをきれいに吹き払い、鏡の前の自分の姿をもう一度見やった。自分自身に、「がんばれ」と言葉をかけ、そして髪が元通りに直ったことを確認して、また客間へと戻った。
「……こ、これでよろしいでしょうか?」
「自分で判断を下せ。私に女の髪の毛のことを聞かれても分からんとしか言いようがない。――ただ、さっきの姿よりはましに見えるがな」
一先ず許しを得られてユミはホッと一息つく。
リコリスの表情もどこか和らぎを持ち始めていた。カップを手に取り、口をつけて飲み物を口に運んでいる。上品なその姿は流石は貴族と言ったところか、彼の言葉を改めて真摯に受け止める。
「あ、あの……アルちゃんは?」
ふと部屋を見渡すと、アルメリアがいないことに気がつく。先ほどまでユミの公開説教を傍聴していた彼女であるが。
「アルメリアなら今頃は殿下のところだ」
カップを置いてリコリスは説明をしてくれた。
「こ、コウのところですか?」
その言葉がリコリスの圧を呼び覚ました。呼び出してしまった。
――あっ、とユミは自分の失言にすぐさま気づいて口を塞ぐ。だが遅かった。また怒られると思い始める最中、「……殿下だ」と半ば呆れたリコリスからの忠告が飛んできた。無愛想なそれを受けてユミはすぐさま謝罪。「は、はい。す、すみません」とただ頭を下げるしか他なかった。
「――お前たちが王都へ行くというから預かったものを殿下に返しに行かせた」
「そ、それって……」
ユミには心当たりがあった。あの時と状況は違えど、リコリスと出会った事実を思い返せば自然と分かること。
「殿下の剣と貨幣だ。お前たちのために殿下がわざわざ用意したものだったが、今のお前たちには不必要なものでしかないからな」
「それを返しにアルちゃんはいないと」
「そうだ。何か問題でもあるのか」
「い、いえ! そういうわけじゃないです」
ユミは手を振ってきっぱりと否定する。
アルメリアの運搬任務に問題はない。むしろこの王城で彼女がトラブルに巻き込まれる可能性など無いに等しい。たとえお金を得られるチャンスだとしても、だ。もしここで事を荒立てれば、彼女自身危険な目に遭うの必然なためだ。
「……リコリスさん。一つ相談があるのですが、いいですか?」
「なんだ、突然改まって」
突然のユミの神妙な面持ちに、リコリスの気概も張り詰めていた。
今こうしてリコリスがここにいること。その意味は計り知れないほど大きい。コウとカイがいない今、そしてこれからのことを踏破すると、ユミにとって彼は最も信頼を寄せれる人物であり、証人でもある。
だからユミは一言。胸元に手を当て、
「――私と一緒にいてくれませんか?」
そう懇願したのだった。




