二章 23夢 考察の三日目
「――――さま」
そんな声が聞こえた瞬間だった。
ユミは何もかもを置き去りにした。五感の覚醒を待たずして、第六感が指し示すがままに、力強く抱きしめた。
その声の主を放さんと、ベッドから身を乗り出し、胸元へと顔を埋め、声の主の細い体を両手で囲った。
そこにいる。目の前に確かにいる。
――――アルちゃんがいる。
そんな当たり前でありきたりな思考だけが、今のユミを支配していた。
「ゆ、ユミ様? どうしましたか?」
慌てる声。温もりある体。冷たい手。
そして、生きてる証の鼓動がある。
そんな事実にユミの気持ちが溢れ出す。それが目の前を潤ませていって、
「あるちゃん……あるちゃんあるちゃん……よかった。よかった、よかったよー」
何度も何度も、ユミはアルメリアの名を呼んだ。慟哭を繰り返した。勝手に安堵し続ける言葉を放ち続けた。
見境なくわんわんと泣くその姿はまるで子供。思いの丈が爆発し、解き放たれている。
ユミは初めて思った。『リダイアル』があってよかったと、そして自分が死んだことでアルメリアが生きてること。それが何よりも嬉しかった。
だが、決して消えない事実もまたある。
ユミがアルメリアを殺めた事実も、彼女がユミを売った事実も、これからのことも――課題は山積み。光さえ見えていない。それに突破口があるのかさえ分かっていない。
ただそれでも、今は平穏が流れる時をユミはしかと噛みしめている。
アルメリアがここに生きている真実だけが、今のユミの拠り所であり、そして何よりの、
――救いであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ユミの涙も無限ではない。
どれだけ夢を見ていても、いつかは冷めるように、ユミの慟哭も少しずつ収まり始めた。
「ユミ様、駄目ですか?」
「……う、うん。大丈夫」
もう何度目か分からない『大丈夫』。
はっきり言って駄目に近い。そのままの意でユミは受け取りたい。
だけど、逃げても何も変わらない。ぶつけたとしても、自分がさらに苦しむだけなのを知っている。
ならば、今まででの教訓全てを糧にするしかない。残された道はそこしかない。
ユミは涙を拭い去って、見つめる先にいる悪兎――アルメリアを見据える。
心配そうな面持ちなのだろうか、相も変わらず無表情。多少の変化が窺える程度の崩れを露にしている。
「……嘘ですか?」
「ホント、ホント。ちょっと怖い夢見ちゃっただけだから……そのー、ごめんねアルちゃん。いきなりびっくりさせちゃって、あははは」
疑いの眼を向けられるが、ユミは平静を装うようにおどけた。手を後頭部へとかざして、苦笑った。
今はただ、平静を装うしかない。見繕って縫い合わせる。がさつなまでの荒い縫い方ではあるが、ないよりはましだ。
疑られるのは致し方ない。真っ赤な嘘なのは見え見えだと思う。
実際、アルメリアは目を逸らすことなくじっと見つめてきている。
その無表情がユミの心に突き刺さる。すぐに見繕ったものが壊れて――ユミはアルメリアから目を逸らした。それが彼女の特徴なのも理解している。だが、その内心いったい何を考えているか分からない。
恐怖心から鼓動が速まる。
抑えろ。抑えろと、ユミは念じながら目線をゆっくり元に戻す。
「……ごめんアルちゃん。少しだけ、あっち行っててくれるかな?」
「……いいえ。分かりました。お湯の準備を致してきます」
アルメリアは素直にユミの言葉に従って、寝室を後にした。
一人なったユミ。天を仰ぐように、ベッドへ倒れ込んだ。
「冷静にならないと。このままじゃあ前とおんなじだ。――落ち着け、落ち着け私」
胸を押さえて深呼吸を繰り返す。
このままいけばカイがやってくる。そうなると、悟られてしまう。何があったか詮索される。バレてしまう。
恐らく、話さなくてもそのことは必ずコウに伝わる。そこから先はどうなるかは分からない。
ただ一つだけ。一つだけ確かなことがある。
――迷惑を掛けることになる。
たとえカイに露見しなくとも、このまま時が進めばアルメリアに売られてしまう。悪党に弄ばれてしまう。
そして、結果的にはまた掛け直されてしまう。
「大丈夫。大丈夫だよ私。カイさんと普通に会話して、その後外に行かなきゃいいだけだから……大丈夫。普通に。普通に……」
何度も自分にそう言い聞かせると、鼓動はゆっくりと元に戻り始めた。
何も同じ事を繰り返す必要はない。ルートの選択を誤らなければ問題ない。わざわざ死にに行く必要はないのだ。知り得ているのだから、避ければいいだけ。それが『リダイアル』のいいところでもある。
ユミはベッドから起き上がり、寝室の扉に手をかざしたその時――カイの呼び掛けが寝室と客間に響き渡った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
何度かの『リダイアル』の結果、見えてきたことがあった。そして、納得できないところがいくつか見えてきていた。
『リダイアル』の条件が『死』。それは恐らく変わらない。
だからあの時――アルメリアに売られたその時も、死んだのだろう。意識が遠退いていて正確ではないが、それは間違いない。
誰かが殺した。あの場の誰かに殺された。
「――――」
誰なのだろうか。いまいち見えてこないが、ユミの心当たりはあの場にいた一人しかいない。そうだと仮定するならば、その人物に付け入る隙がアルと考えるしか今はない。
実際のところ全てはユミの仮説でしかない。それでもそんな小さな糸を手繰り寄せて、紡いで、繋いでいくしかないのだ。
そもそも『リダイアル』事態があり得ないのだから、それ以上のことなどありはしない。まだ仮説の方が優位性は保てている。
ならば、次に立てられた仮説。それは『リダイアル』が『自殺』でも有効であるということ。それは謀らずも前回の『リダイアル』で証明されてしまった。
自殺による逃れさえも許されない。確実な死は今のところユミから失われている。
「――――ミ」
そうなるとおかしいのだ。『リダイアル』の条件が『死』。『リダイアル』するためには、殺されるか、自ら死ぬか、もしくは、
――『リダイアル』のことを話すか。
そこがおかしい。
何故ならそれは、今まで何度かユミは『リダイアル』について話している心当たりがあるためだ。
「――――ユミ」
自問自答のように話したことがある。
メトンにもはぐらかすように伝えたことがある。
コウにも話している。
ならばその時も同様に死ぬはずだった。だが、結果的にそれはなかった。何かしらの条件により回避したことが明白である。それはアルメリアを殺し、自暴自棄になって呟いた時は死んだのがその証拠である。あの時の死因は、『赤』を流し続けたのが原因ではない。確かに死音を耳にしたためだ。あの破裂音はカイに甘えたときと同じだったから。
もちろんではあるが今、ユミが『リダイアル』してここにいる事実を知る者はいない。全ては『リダイアル』の輻輳の中に消えているからだ。
だとすれば、条件を満たせれば『リダイアル』――もといこれから起こることを話すことができる。そう仮説を立てられる。
それは突破口となり得る可能性が秘められた仮説だった。
「――――ユミ?」
ならばその条件は何だと言われれば――はっきり言って分からない。
全てにその条件が当てはまって、自殺時に満たせていない条件となると限られている。
何だろうか。何が足りない。いったい何が――。
「ユミ!!」
その呼び掛けに、ユミはハッとした。意識ごと持っていかれるかのようで、無意識にその言葉のする方へと首が動く。
そこにはカイがいる。ユミの目の前には彼女がいる。客間のソファーで対面に座っている。
「あ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい。少し考え事してて……」
ユミはあわてふためいてカイへと何度も頭を下げる。何度も謝る。
「考え事するのは勝手だけど、話を聞いてからにして。大事な話があるっ言ったけど……そのことも分かってないように見えるけど?」
図星を突かれてぐうの音もでない。
カイを部屋に入れたところまでは覚えている。だけど座ってからが思い出せない。ずっと考え込んでしまっていた。
「す、すいません」
「謝ればいいってものじゃないでしょ? ……何かあったの? 目が真っ赤なのは、それと関係あったりするの?」
「――――!! それとこれとは関係ないです。な、何でもないです」
「嘘つくのが下手だよねユミは。表情が面に出過ぎ。言いたくないなら別に聞かないけど、困ったことがあったら言ってね。私たちはユミの味方だから」
優しさで包み込もうとするカイに、ユミは甘えられない。また同じ事を繰り返すだけなのを知っているためだ。
その心だけは受け取って、「は、はい」と空返事を繰り出すしか今のユミには他、選択肢はなかった。
「……それじゃあさっそくだけど――ユミはどこから来たの?」
若干見透かされたような気がしたが、カイはそれ以上詰めては来なかった。そこもまた優しい――甘えたくなってしまうポイント。グッとこらえる。
そして切り出した彼女の問いかけは、一番最初と全く同じことであった。あの時と同じやり取り。『内通者』の存在。ユミが『魔女』なのかどうか。そして、コウにそのことを言わないという約束。
その後、カイは一先ず帰って行った。ホッと一息ついて、ユミは一先ずの脅威を退けたことに安堵する。
やはりあの洞察力は侮れないと思い知らされる。赤の下の赤を軽々と見透かされている。範囲は前回と狭いというのにだ。
だが、カイとのやり取りを改めて経験したことで、浮上した一つの可能性があった。
――アレはあの時あった。ずっとあった。
「うーん。対処には問題ないみたい……なんだよね。なら、自問自答はあまり関係ないのかも」
ユミはまた一人になった。
部屋を彷徨うように歩きながら深く考え込む。まるで探偵のように顎に手を当てて。
「――だとすれば、あの時誰かいたってこと? 聞かれてたって考えれば納得できるけど……」
ユミの考察が正しければ、自殺は誰かに聞かれていないとできないことになる。
あの時誰が聞いていたかなんて、正直どうでもいいことなのだ。過ぎたことで、実際にはなかったことになっているためだ。
しかし、今この時を誰かに聞かれていた。などという偶然の産物の結果――置き土産的に死する危険性があるのも、拭えない事実。
試してまた死ぬなんて、死んでもごめんだ。
「あまりしゃべらない方がいいのかもね……特にアルちゃんは耳が良いから気を付けないと」
アルメリア――兎人族は聴覚が優れている。
うかつには喋らないことをユミは肝に銘じる。考察は頭の中だけ。もしくは文字だけにすると。
パソコンに打っていた時も死にはしなかった。だけど、見られないことも加味するべきことの一つ。そうするに越したことはない。ついでに文字も日本語にしておこうと。そして、
――――必ず乗り越える。
ユミはそう改めて心に固く決意した。
はしょったユミとカイとのやり取りは、二章16夢をご参照ください。
ほぼ同じやり取りだと思っていただいて大丈夫です。
『ユミってどこから来たの』からですが。




