二章 22夢 死始累々
子供の頃に見た、戦争映画のようだった。
――パーン。
無音の緊張感から放たれた一発の弾丸。銃口から火花散って、遠方の敵を抉り取る。
言い表すのなら、そんな音だっただろうか。
分からない。擬音で表すには限度があるものだからなのか、もっと近い音が存在するからなのか――そんな気がしてならない。
もっと簡潔に表現できる。そのはずだ。
――――あぁ、そっか。
簡単だ。あまりにも簡単なことで、自分に拍子抜けだ。
だって、そのままに説明すればよいのだ。起こったことをありのまま伝えればよいのだから。
――――どうしてそうしなかったのだろうか。
そう自分に言い聞かせても、答えは自分の中で出ているのだから意味はない。
――発信すること。
そうすれば、きっと届く。そうすれば、伝わらなくてもきっと分かってくれる。そうすれば――。
そうしてはならなかった。そうした結果がこれだ。
どんなに答えを切り詰めても、導き出される一つ。
――死。
あの時発生した音は、発信したがために訪れた、『夢美』の死音だったのだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――――様」
「わあぁぁあああ!!!!」
飛び出すかのようにユミの半身が起き上がる。そしてそれと共に繰り出された絶叫が寝室に放たれた。
顔色は淀みを見せ、胸に手をかざし、乱れ狂う呼吸は治まる様子はない。
悪兎の声以上に、ユミは自分の鼓動音で目を覚ました。全身を鮮明に響く証――生命。
それは、あったらあったで恐怖をより強固なまでに呼び覚ます。
「ゆ、ユミ様! だ、駄目ですか?」
悪兎――アルメリアはユミの背をさすりながら、心配する言葉をかける。
それを突き放す気力はユミにはない。返す言葉もない。余力さえ残されていない。それを凌駕するほどに、ユミの心はズタボロに朽ち欠けている。
―――話せない。
何故話さなかったのかは、無意識ながらも持っていた本能。ユミ自身の危機察知能力であったのだろう。
それが乱調により狂った。そしてその隙を練ったカイの救援。見事にはまったパズルのように、解き明かされた扉の向こう。そこに封印されていた悪魔によって、ユミは心臓を握りつぶされた。
突きつけられる現実。新たな現実の色を手で覆い隠す中、ユミから零れ落ち続ける涙が溢れて止まらなかった。
泣きじゃくって、泣きじゃくって――。
さすられて、さすられて――。
この状況はユミが望む平穏である。何も起こらずにただ流れる時間。たとえそれが、異常なまでの慟哭が奏でられる空間であったとしても、だ。
同じことだ。同じことなのだ。
時間の流れは皆に等しく与えられるものであり、それを変えることなど不可能。
だが、誰も知らない事実がある。ユミがその時を何度も駆けていることなど、誰も知る術はない。
皆は握りつぶされた。ユミによって。ユミも知らない相手によって。
――――ころす。
ユミの慟哭が治まりを見せ始める中、彼女は小さく殺気を纏い始めていた。
――――コロス。
芽生える感情に否が応でも苛まれる。
――――殺す。
毛布を強く握る。
「……ユミ様? 駄目ですか?」
再びの『大丈夫』の相反言葉を皮切りに、押し寄せる呪詛がユミを飲み込んだ。
いったいどの口がいっているのか。その口か。その喉か。
――その命か。
「――――ッ!!!!」
ユミから声にならない声が上がった。
呪いに操られるがままのように、ユミは自分でも何と言ったか分からない。
だが、今はそんなことなどどうでもいい。今はただ、動物の本能に従い唸るだけでいい。
――――こいつ、こいつさえいなければ私はっ!!
蓄積されたユミの思いが今、炸裂する。
アルメリアの喉を掴み取り、勢いのままに二人はベッドから転げ落ちる。
アルメリアに馬乗りとなったユミ。掴まえた手だけは確実に喉笛を捉えており、さらに両手となって――それは一段と強く、力の限りに喉を潰している。
今のユミに躊躇いなどない。息の根を止めること。それだけの気概も、度胸も、力量も、今はある。十二分にある。
このままいけば確実に殺せる。元凶を絶つことができる。全て丸く収まる。
このままいけば――。
このまま握り潰せば――、
「ゆ、ゆ……み、さま……」
そんな中、弱々しい言葉がアルメリアから送られた。
抗うためのアルメリアの手の冷たさが、握り潰すユミの手にはある。
だが、抗う力はもうほとんど無いのだろう。徐に片手が落ちて行った。
パタリと、重力に逆らえないままに床へと落ちる。こと切れるのも時間の問題といったところか。
儚く散り逝く運命を前に、名を呼ぶ様はあまりにもおぼろげ。
それが最後の言葉になるとも知らないのに――知らないのに――ユミの目の前はまた、だんだんと濡れていった。何故か溢れ出して止まらなかった。
目の前がどうしようもなくなっていた。
振り払うには手を離さなければならない。でも、離すわけにはいかない。でもでも、離さないとこのままでは――。
せめぎあう頭の中のユミは、葛藤の果てにだんだんと真っ白になっていって――、
ユミの目の前には兎がいる。
元気に笑ってる。
――――ち…………。
光輝いている。
――――…………う。
逞しいく生きてる。
――――……が……。
ユミの手のひらに残留する人肌程度の温もりは今もある。紛れもない体温が今もアルメリアかれ送られてくる。
だから、気がついたことが相反していると信じたかった。
ユミは咄嗟に手を離して、すぐさま自分の濡れを拭い落とす。吸収されて行く水たち。視界をクリアに開けさせる。
そして――そしてようやく、ユミは理解した。
「ああ……ぁぁ……」
――ユミは相反していると気づいた。
恐怖にひきつり、自分の犯した罪の重さに苛まれ、腰を抜かして情けない声を上げる。
どれだけ信じていても、相反することなく存在する現実がそこにはある。そしてそれは決して不変することはない。
目の前には兎がいる。
――活力無く泣いていた。
――闇にくすんでいた。
――弱々しく死んでいた。
落ちた花はもう戻ることはない。たとえそれが造花であろうとも、同じ姿で日の目を浴びることもう二度とない。
萎れた花に何を与えても戻らないように、死んでしまった者は生きて帰っては来ない。決して。
ユミは人として越えてはならない一線を越えてしまった。
目の前に広がる真実の光景から目を背けるように、ユミは走り出した。あたかも死の現場を目撃してしまった通行人のように、喚声を上げながらその場から一目散に逃げ出したのだった。
ユミは城内を駆けていた。
すれ違う際にあった人々の呼び掛けをも置き去りにして、止ること無くひた走る。どことも知れずに足を動かし続ける。
脳を支配する残留物を振り払うには、何かで埋め尽くさなければならない。何かをしなければ。何かしなければ、飲み込まれる。
――人殺し。
「ちがう。……ちがう! ちがう!!」
支配される。
どれだけ他のことで埋め尽くしても、刹那に塗りつぶしてくる色があまりにも深くて濃い。
一度支配されたが最後、鮮明に色づいて頭の端から端のどこにもこびりついて離れない。キャンパスのどこを切り取っても、目移りする害悪なる存在となっていた。
ユミの足は止まる。ゆっくりと方向を変える。進行方向とは別。向かって右側へと歩き始める。
ユミの虚ろな目に写るはただ一つ。城内を覆う壁だけだった。
そこにたどり着いたユミは、何の躊躇もなく――、
――壁が震撼し始めた。
大きな物音を立てて、静寂する城内を駆け回る。
だが、それでもびくともしないのが壁だ。生身の体でいくらぶつかっても、破壊することなどできない。ましてや、彼女の『頭』一つで何ができるものか。
それでも彼女は何度も頭を壁へと打ちつける。力に身を任せて、何度も何度も――。
すると『赤』が流れ出す。それらが服を汚す。壁を汚す。床を汚す。それでも続ける。
だって、しょうがないんだ。続けるしかない。どうやったってそれが、どうしたってそれが、したところでそれが、
「きえない……きえないんだもん……」
消えないのだ。消えないのだから仕方がない。消えるまでやる。何度だってやる。
ただ、それだけのこと。
頭も去ることながら、手のひらにもそれは残留している。それを落とそうと、新たにそこも追加して壁に当たる。
みるみるうちに頭も、手も『赤』に染まって、見るに耐えない少女がいる。
膝から崩れ落ちて、意識が朦朧とし始めている。それでも止めようとしない少女――ユミ。
「……だれか、わたしをころして……ころしてよー!!」
ユミは叫んだ。泣きわめいて、壁に向けて懇願する。
ぶつけるしかない心の叫びを受けてもなお、壁はそこに鎮座しているだけだった。
アルメリアは簡単に殺せたのに、自分には無意識にも躊躇している。どこかでストッパーがかかっている。ここから先がどうしても――どうしても遠い。
「……ころして」
ふらふらながらも立ち上がるユミ。何度もそう呟きながら、壁づたいに歩を進み出した。
この先に何があるかなんて分からない。それでもこのまま止まっていては苛まれ続ける。蝕まれる。もういっそそのままの方がいい気がする。だけど、言葉とは裏腹に死にたくはない。死ぬのは嫌だ。
このままでは死にきれない。
――――こんなことがしたいんじゃなかった。
『赤』が流れると、沸点が下がり始める。吐き出すことで、スッキリすることがある。
ユミは自然と冷静になり始めた自分と向かい合った。
アルメリアは何で殺されたのか分からず死んだはずだ。
ユミも――私も何でそれを行動に移せたのか分からない。
でも、一つだけ私の言い分も分かって欲しい。
――――怖かった。
ただ、怖かった。
目の前の恐怖からただ逃げたかった。
そんな恐怖に我を失った結果、アルメリアを殺めてしまった。
きっと、私はあの場で恐怖を与える存在だったのだ。誰もがそうなり得るのだと。
だから、誰も悪くはない。悪くはないはず。悪いのはそう――私だけだ。
「……っ、うぅ……アル、ちゃん……」
どれだけ涙を流しても、それでだけでは償えない。償いきれない。
恐怖に負けか結果が今だ。そして、最悪の称号までをも獲得する始末。
人として終わっている。
「――――!!」
今ここで、ユミ・ヒイラギは完全に理解した。
人としてあるまじき行為により、文字通り人生が終わったのだ。それは、ユミは人でないことを表す。
では、ユミとは何者なのか。
その答えは既にあった。
どこにでもある色のように、突如としてキャンパスの片隅からその色が浮かび上がってきた。
「……違う!!」
それでもユミは拒絶する。
その色とは既に袂を分かちあった。
その色は捨てた。
その色は――、
「私は……私は絶対に『魔女』なんかじゃない!!」
ここで表面化した『魔女』の存在が、『リダイアル』と相互関係であるのは言うまでもない。
「……っ、そんなに私が死ぬのが見たいのなら見せてあげるっ!」
苛立ちを露にして、どことも知れない『魔女』へと言葉を上げる。その『魔女』は今もきっと見ているはずだから。
死ぬ様を見て、苦しむ姿を見て、ゴミの生き様を見て、ほくそ笑んでいるに違いない。
腹が立つ。人の命を弄んで何がしたい。
苦しいだけなのだ。苦しくて、苦しくて、苦しいだけ。
先が見えない。それは当たり前のことなのに、それを得られる機会が生まれれば、生まれた分だけ、まさに地獄。突破口を一人で抱えさせられるのもまた鬼畜。そして、力がないのもまた、拍車をかけている所以である。
だが、ゼロじゃない。一つ。たった一つある。
「私は必ず生きてやるっ! そして、約束を果たすんだっ!!」
ユミからは今も髪色と同じ『赤』がポタポタと流れ続けている。
壁の補助を外し、よろけながらも自分の足だけで立つ。そして、ユミはそのいるとも知れない『魔女』に向かって、どこへともなく大声で高々と宣言した。
直後、ユミは呟く。
その言葉をきっかけに、破裂音が響き渡ることになる。
たった一つ。命を命で繋ぐ『赤』の力。それをユミは『リダイアル』と呼んでいる。




