一章 4夢 欠裂の意味
ユミのもといた場所。そこに登場した人物は、フィアとはまた別の意味で目を引く中性的な人物であった。
凛とした顔立ちであり、備わる双眸にはどこか冷淡さを感じる。
本来ならば、肩に掛かる程度の長さの金髪であると言える。が、そう断定できないのは、後ろで結われているためであろう――だが、長髪とは受け取りがたい。
スラリとした細身の体格であり、軽装な服装に身を包む。
背中を隠さんとばかりに羽織られる白のマントが、優雅になびいている。
そして当然のように、その人物も腰に剣を差していた。
「遅れてしまい、申し訳ない。こちらの諸事情で『コウ』殿下は……しばらく待つ時間をいただけないだろうか?」
冷静沈着であり、その口調からは物怖じなど微塵も感じさせない。だが、険しい表情はやはり隠せていない。
「それは構わないけど……『コウ』が来ないとなると、この会談は意味をなさないことなるよ? 君ほどの人間ならその意味ぐらい――分かるだろ?」
「……はい、ノイ殿下。しかし、コウ殿下はこの日のために尽力してきました。きっと……」
「そうだね。ただこっちとしても、時間がない」
「――ではこの場を取り仕切る私の一存ながら、リミットは決めさせていただきます。それまでにコウ様がお越しにならない場合は――残念ながら、決裂ということで、いかかでしょうか?」
「……はい」 「分かったよ」
それぞれの陣営が、仲介役の魔女の提案に了承の声を上げた。
一人置いてきぼりのユミだが、このただならぬ場の雰囲気に、固唾を呑んでそれらを聞き入るしかなかった。
フィアが言っていた、もう一人とはコウという人物と断定できる。しかも『殿下』と金髪の人はそう言っていた。ついでに、ノイのことも――。
――――と、とんでもない場所に来てるみたい……。
ヒイラギ・ユミが異世界に来た場所は今、そんな記念碑など蹴散らされて、王子同士の会談場に整地され始めていた。
『……こ、来なかったらどうなるの?』
ユミは真っ直ぐ視線を変えずに、フィアへと小さく言葉を並べる。目の前に広がる緑と、その尻目に二つの陣営がある。
フィアも真っ直ぐ前を見つつ、
『本当になにも知らないのですね。まぁ、いいでしょう――簡潔にまとめると、『戦争』が始まります』
「せ、戦争!? そんな大事な場面に私……いや、意外にも私の力でなんとかなったり……」
「それはいけません。この場を仲介する私の立場がございませんので――もしも、この場を乱す方がいらっしゃるのなら、その命は私がもらいます。言っておきますが、これは冗談ではありませんので悪しからず」
名指しこそ避けて入るが、それがユミへと向いているのは間違いない。
ユミは隣の魔女のその言葉だけで圧倒された。
淡々と語ったが、間違いなくそれは実行されることだろう――やりかねない。それほどまでに、目には見えない圧力が確かにそこにあった。
「――それに、今のユミ様にそのような力を感じ取れません。何もせずにただ成り行きを見守ればよいのです」
「……フィアさんなら、何とか出来たりするの?」
「ええ。ですが、私はいつでも中立。誰かを贔屓にすることなどありません。たとえそれが、同じ魔女であったとしましてもそれは変わりません」
「メイドなのに?」
「そうですねー。ご主人様には例外かもしれませんね」
少しおどけながら、フィアの表情には笑顔があった。
そんなユミとフィアの会話が乱れ飛ぶ中、今もなお時間は刻々と進み続けている。
――――あれから、約一時間経った。
スマホの時計は動いているため、現代の進みではあるが、確かに一時間。午前十時を越えたところで、
「時間です! 残念ですが、コウ様はいらっしゃらないご様子ですので、交渉は決裂です。以上を持って、『プラノ王国』と『ルテーノ王国』はこれより戦争状態に――」
フィアの高らかな発声により、この会談は決裂したと――改めて宣言されたが、
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんな簡単に戦争が決まっていいの? おかしくない? ――ノイさんも、ゼーブさんも、そっちの金髪の綺麗な人も何か言ってよ!」
フィアへと振り向いてそう投げ掛けるが、同意は得られず。それどころか、無視を決め込まれた。
そのために当事者たちにも投げ掛けたが、全員が全員押し黙っており、ユミは一人浮いてた。
結局、コウは現れなかった。
この約一時間。ユミは何もできなかった。出来ることなど無いに等しい状況で、ただ待つことを余儀なくされた。
「仕方ないよ。それに火種は向こうから投げられたものだからね。こっちとしてもいつまでも防戦一方って訳にもいかないし――これが最後の望みだったんだ……コウがいないんじゃ話にならない」
これから戦争を始める国の王子であるはずなのに、意外にも冷静に分析するノイ。だが、最後の最後に本音のような言葉がこぼれたのをユミは見逃さなかった。
そのことにコウという人物に対して苛立ちを加速させる。「なんで来ないのよ……」と思いながら、今ある疑念を言霊に乗せて、
「どうしてよ! そのコウって人がいなくても――」
「黙っていろ魔女風情がっ!!」
感情をぶつけたが、割って入ったゼーブの怒号が殺気を伴いユミを襲った。
その言葉に体はビクつく。向けられたものが今までの比率を大きく逸脱しているのは間違いない。
「貴様に一体何が分かるっ! 魔女風情が……舐めているのかっ」
「今はゼーブ殿の言うことを受け入れた方がいいよ。知らないのなら、そのままの方が幸せだ……」
両陣営が、それぞれに思うところがあるように言葉を残して、『戦争』というものに向かうため、背を向けてウマゴンへと歩み行く。
空気を読めていないのは分かっている。だけど、こうもあっさりと戦争の引き金が引かれていることに、偶然ながら居合わせ、そして何もできない歯痒さに、ユミが上げられるのは声しかなかった。
「あり得ないからっ!!」
ユミは声を荒らげて、その場の支配権を奪い取る。その言葉に、両陣営が振り向き――そして続ける。
「私は何も知らないけど、そのコウって人が来ればいいんでしょ? だったらいくらでも待ってあげてよ」
それは懇願ではあるものの、今のそれを解釈するならば――わがままでしかない。
当たり前だが、わがままがそう易々と通り、都合よく話が転じるほど、ユミには権力も――発言力も――そもそも力がない。
見せたのは、あくまでも機械を使った間接的な力で、この場に必要な力ではない。
「君は少し変わってるね――身勝手過ぎる」
「魔女にも堕ちた者がいるのか……」
「もう、個人の問題を越えているのよ。……分かって」
それぞれの陣営から蔑みと憐れみじみた言葉が送られる。
一人は傲慢だと――一人は愚者だと――一人は哀願を――。
第三者である仮魔女ユミにそれぞれが抱くものは何なのだろうか。
募らせた思いをそのまま言霊として送り続けた行為は、ある人物にそう抱かせるのには十分すぎた。
――――この場を乱したということを。
ユミは隣から押し寄せる闇を感じ取り、後退を余儀なくされて一歩下がらされた。
そんな中でも、
「私が間違ってるの……」
自問自答のように声が漏れ出すが、答えは決まって『違う』であった。
戦争が起こっていいわけがない。たとえそれが異世界だとしとも、人や亜人が血を流して、大地を汚す行為が正義のわけがない。
――――あっちゃダメだ、と。
それを知っているからこそ、全員が押し黙ったあの間に、ユミは場を乱して止めようと割って入った。
「……そうだ。フィアさんの力で何とかしてよ。いや、してください。このままなんて絶対に――」
「ユミ様……」
「この魔道具と交換でどう? ――そうだ、それで万事解――」
「ユミ様!!」
「――――!!」
最後の望みでさえも、中立を貫く魔女には響かず、荒らげられた魔女の声に、ユミの足はさらに下がりを見せて、止まろうとしない。
うつむいたまま近づく魔女から発するそれの臭いが、嫌というほどユミだけを襲撃している。
「いや……いやだ……」
そんな受け入れがたいものに、ユミの声色は悲痛さに取って変わって、惨めにも振り返って逃げ出した。
恥を忍んで逃げるという選択肢しか、今のユミにはなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
脳がその事を悟るために巡る血も、酸素でさえも通わせるを嫌う。
だが、それはいつしか抗う術もなくその事だけで塗りつぶされた。
どんなに息が上がっても――。
どんなに苦しさに苛まれても――。
どんなに足を回しても――。
――――殺される。
殺される。殺される殺される殺される。
嫌だイヤだ嫌だいやだ。
塗りつぶされ――支配され――欠かされた。ただ、ユミの全身、恐怖というものに蝕まれていった。
ヒイラギ・ユミという十七年の人生で、生まれることのなかった感情。
――――『死』。
思考と心情と足とが駆けるユミ。だが、その少女の抗いさえ、嘲笑うかのようにその魔女は、瞬く間にユミの目の前に現れた。
息せき切らせ、ボロボロになった少女に送る双眸の赤光。ユミはそれに戦慄を覚えた。身体中を隈無く駆け抜け、竦み上がってその場に固まるユミ。
「……いいましたよね、ユミ様」
ゆっくりと近づく死の足音を最後までたっぷりと聞かされ、
「あの場を乱したことに対する代償について」
ひんやりとする魔女の手がユミの頬に触れて、死化粧のように撫でられ、
「……あぁぁっ」
ユミの喉が自然と震撼し、発せられた恐怖に打ち負かされた声。
跳ね上がる心拍を抑えきれず、後はもう魔女の思うがままにされるだけだった。
声を上げようにも、声帯が震えて思うように言葉が発せられない。
体が言うことを聞かずに、感覚だけが失われていく。
目の前に立つ魔女の姿が、少しずつ闇色に染められていく。
「――――」
――――死んだ。
そう思うことすら、ユミは思えずに死んだ。
痛みさえも、思考さえも、ましてや、死さえも――。
知らない。知る術を無くしたことさえも知らない。
あっけない刹那の出来事を説明するならば、それは『風斬』。
魔女の片方の手に纏った風の剣が、ユミを胴体を断裂させたのだ。
ユミだった肉塊が今も止めどなく赤を地へと送り続け、その赤の光景を作り、それを浴びた魔女がポツリと一言、
「また、会いましょう」
そんな小さな呟きを残し、ユミの魂と同じく、その姿を捉えた者は、誰一人としていなかった。