二章 14夢 袂切り
分厚い雲で覆われ、天のから恵みは今やどこ吹く風。闇夜の世界は産声を上げ、今日もまた陽が昇る。
「んんっ……ん――zzz」
唸り声を無意識に発する『赤』。今も夢見心地の表情で、彼女は眠りこけている。机の上に突っ伏し、腕を枕にしたそんな体勢で――その背中には、そんな彼女を思ってか、一枚の毛布が掛けられている。
ユミは寝落ちした。
アルメリアの指導を数時間。その後の自習を一人で行っていた最中のこと。
――――ちょ、ちょっとだけ……。
と、ユミは目を閉じたが最後――そのまま夢に落ちた。
ユミの勉強の成果は、今も確かに彼女の眠る机の上に置かれている。
――文字早見表。
アルメリアが作ったものを参考に、自らも何度も紙へと写した。そして、
――本。
早見表と見比べながらに、本を少しずつ読む練習をしていた。
異世界文字はとてもシンプルであった。
『あ』に対応する一文字。『い』に対応する一文字――といったように、異世界文字はその一つだけであった。日本でいう平仮名のみ。片仮名や漢字はない。あるのは大文字、小文字。あとは数字ぐらいなものか。
とは言うものの、ユミにとっては見慣れない文字のため、彼女がそれをマスターするにはまだまだ時を要する。
「――!! や、やばっ!」
ユミはふと目を覚めすと、飛び込む日差しに焦りを露にした。バッと机に手を当てて、イスの引きずりを伴って立ち上がった。
だが、
「……あぁ、そっか。そうだった」
髪を掻きながらに、今のこの焦りは必要ないことを思い知る。
「異世界にいるんだっけ……そういえば」
毛布のバサリと床に落ちた音が冷静さを呼び覚まし、辺りの景色が現実を突きつけた。
――異世界三日目。王城生活二日目。その朝。
ホッと一呼吸――安堵した表情を浮かべながらに、再びイスへと腰かける。毛布を拾い上げ、それを膝掛けのように流す。そして机へと肘をつけ立てて、顎に手を当てる。
眠気など完全に吹っ飛んだ。目が冴えてしまったのだ。それほどまでに心が焦った。体が焦った。何故焦ったのか、その理由は正確には見いだせない。
しかし、
「こういうことってあるよね。たまに」
強迫観念だったのだろうか。休みの前の日、的な感じなのだろうか。それともただの寝苦しさからきたのだろうか。
一種の興奮状態。眠りが浅かったとしか――答えはそれに落ち着く。
だが実際、その理由を自らに問いただしても、はっきり言って意味はない。どうでもいい事柄でしかない。被害は無いに等しいし、あったとしてもそれは、ユミが被るだけ。自らの行いに対する罰というだけなのだから――。
「アルちゃん……まだ寝てる」
ユミは振り返り、寝室の占有率堂々の第一位。そのベッドに横になる小さなウサギを見やった。スースーと、寝息を立てて眠るアルメリアのその姿に癒される。
「可愛いなぁ、アルちゃん」
顔をうっとりさせるユミ。小さいものは何をこうも可愛げがあるのか。備わっているものがそもそも違うのか。
ただひたすらに可愛い。可愛い以外の語彙が思い浮かばない。
「……妹って感じ、じゃないんだよね~」
表現力は悪いが、どちらかといえばペット――マスコット的存在に近い。それらに親近感を抱くのは、恐らく耳のせいだろう――モフモフしたい欲求に駆られる。
だが、流石にそれは自重する。当然ながらアルメリアには意思がある。許可なく行えば当然蔑まれ、嫌悪感を抱かせる。下手に関係を壊したくはない。無論だが、ユミにそっちの気などない。ただ、形容しがたい何かに駆られるのは確かであった。
――――ウサミミ……。
じっと見つめるユミの双眸は、ピクピク動くそれを確かに捉えて、離しはしなかった。
「……可愛いの反対ってなんだろ?」
唐突ながら、ユミに降ってきた疑問。可愛いの意味合いが多種多様なため、正解は一つとは限らない。特にその権化であるアルメリア。彼女の相反癖の餌食にならないためにも――。
「――あぁ!! 忘れてたー!!」
思わず大声が飛び出したユミは、慌ててそれを発した口を手で覆う。著しく取り乱した原因――もとい、反対の答えが脳裏を過ったのだ。そして思い返された約束事。取り乱したのも頷ける。
その折、恐る恐るアルメリアへと目を移すユミ。彼女を起こしたのではないかと思ったが、彼女は今も夢の中のようだ。一先ずは安堵が許された。
だが、可愛いの反対。真逆の存在である彼――、
――メトン・ジャルバ。
その魔女との約束事を今さらながらに思い出した。
「……もしかして、焦ったのってこの事が原因、だったりして……」
『――自らにその理由を問いただしても、はっきり言って意味はない』
「流石にこのまま黙って……なんて、駄目だよね?」
腕を組んで、考え込む。人としてのモラルが試されている。だが、それは約束事なのだ。有無など言わせない。
ユミは条件を突きつけ、メトンはそれを快諾している。つまり、約束を結んだのはユミの方だ。あり得ない。破るなど――。
「ば、倍になって返ってくるかも……」
約束事の忘却は次、大いなる約束事の締結を助長する――by柊百合。
ユミは母親からの忠告をしっかりと心に宿している。
行くと――決意を新たに、徐ながらも立ち上がった。ユミの中でその事に対する返事はもう決まっている。
――いいえ。No。
行かないと、そう突きつけるだけ。
アルメリアの横になるベッドへと近づき、
「ちょっと行ってくるね」
と、小声で呟きながらに髪を撫でて、寝室を――客室を後にした。
「……ユミ、様。どちらに……」
アルメリアがムクリと起き上がったのは、ユミが客室の扉を閉めた後のことであった。
まるでユミの言葉が聞こえていたかのような反応だったのは――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ユミは約束の地へと到着すると、既にそこにはメトンがいた。「も、もしかして、結構待たせちゃいましたか?」と、気まずい気持ちになりながらもユミは彼に声を掛けた。
メトンは懐中時計に目をやる視線を、ユミへと向ける。
「いえいえ、約束の時間にはまだ早いですな。全く問題ないですぞユミ殿。――さっそくですが、本題に入らせていただきたい。お答えを聞きましょう」
世間話などなく、メトンは本題を切り出した。
「――という、訳でして……その……」
ユミはモジモジと、指遊びを交えて――未だに切り出せずにいた。ノーと突きつけるだけなのに、言葉が紡げない。弱ユミを引きずっている彼女だが、このままでは勿論、埒が明かない。顔を上げて意を決し、
「――ご、ごめんなさい。私、魔女に何て全く興味ないんです。だから、一緒には行けません」
頭を下げて、丁重にお断り申し上げた。
「そうですか……それではユミ殿。最後に一つだけ確認させてもらいたい――」
残念そうに落ちた声色をメトンは立て直し、また新たな問い投げ掛けようとする。名前を呼ばれたユミは顔を上げる。
「――あの指輪は『フィア』殿から譲り受けられたものですかな?」
その問いにユミは「は、はい」と素直に答える。「……なるほど」と一人納得するメトン。
「な、何がなるほど、何ですか? 自分一人で完結して……『裁定者』としてそれはどうなの? ――そもそも、シギリさんから私が仮魔女だってこっそり教えてもらってない? それならある程度はこっちにも情報を流してよ。『中立』の立場ならそれぐらいのことは……してくれるよね? まさか、シギリさんだけ贔屓するの? それはあり得ないって思うけど」
自己完結し、絞るだけ搾って――はい終わり。そんな事などあり得ない。だからユミは、メトンの性格と魔女としての力につけこんだ。
メトンは温厚の性格といえる。心があり、話は通じるタイプ。見た目からは想像もつかないほど繊細。過去に接してきた分そこは心得ているユミ。
『裁定者』の意味は分からない。だが、自らの発言から『最低』の方ではないだろうとユミは思っている。性格とはそれは釣り合わない。そもそも自らを『最低者』と名乗りはしないだろうに――。
恐らくは裁く者の意味合い。それに近しいものでユミが思い浮かぶのは、裁判官。ならば『中立』の意味もそれと繋がる。そして『嘘を見抜く力』。全てが繋がる。
「ベストアンサーってところ、見たいね」
真っ直ぐぶちかました。その結果、メトンは小さくなったように見える。
強ユミの登場。
「分かりました。ユミ殿は良き性格の持ち主のようで……答えられる範囲だけですぞ」
立て直したメトンは、虚勢を――見栄を――体躯を張り上げる。
良きお爺さん。それがユミのメトンに対する答えだ。
「私が仮魔女だって誰から聞いたんですか?」
「シギリ殿です。――しかし不思議なもので、ユミ殿がそうであると情報を得たのは昨日のこと。フィア殿から指輪を譲り受けているのなら、何故あの時……」
「あの時?」
「それ以上は中立から反しますのでご勘弁を」
胸に手を当て、頭を垂れて追求を交わす。それで終了。そう決定付ける一打であった。それだけに、ユミはそれ以上詰め寄れなかった。
「じゃ、じゃあ次ね。――『魔女の館』って何? そこに行けば魔女として認められるって、どういうことなの?」
気を取り直して、次を繰り出す。
冠する名からして、魔女の誰かの家。もしくは拠点。
魔女には『魔女生』という括りが存在している。そこがその中枢であろうか。
「『魔女の館』は、『魔女の森』の奥深くにある建物のこと。人々はそう呼んでおりますな」
「『魔女の……森』?」
ユミは首をかしげて新たな疑問を投げ掛ける。
「『魔女の森』というのは、その館を取り巻く自然の造形美のこと。森という概念はお持ちで? ――それと同じ。ただ、少々手荒な歓迎を受けるやも知れませんが」
ユミのハテナはさらにも増す。投げれば投げるほど、返される物事が多い。
だがそれは、ユミが未だ異世界に対しての無知度を表していることに他ならない。
魔女は忌み、嫌われる存在。ならば、そういう場所があってもおかしくはない。メトンが『中立』である以上、それを告げたのは周知の事実ということになる。むしろ聞くほどのことではないということ。
森の中にある館。そこに集まるのが魔女のため、そう呼ばれている。ただそれだけのこと。哀れに思われたか、森すらも教授される始末であったのは――。
「――これ以上のことはお答えしかねますな。残念ながら、その先はユミ殿には無関係。いかんせん私はフラれてしまった。この老体では、ユミ殿のような可憐な花を射止められなかった。素直にここは退かせてもらいたい」
「えっ!? ちょ、ちょっと!? それはいくらなんでも……唐突すぎない?」
「――もしも魔女にまだ興味がおありなら、一度訪ねて来られるとよい。『魔女の館』はゼネリアからそう遠くないですからな。――ただし! 指輪はお忘れなく」
メトンは強くその存在をユミへと叩き込む。
――指輪を。
それは魔女の証。魔女になるための道具。そして、ユミが袂を切ったものでもある。
もうメトンからは何も引き出せない。一方的な打ち切りであった。『中立』の立場が邪魔をする。それより先は魔女の領分――ということだろう。思わずユミは、知りたいという欲が出る。それより先を知りたい。そこには何があるのか。魔女の全貌――その一合目すら登れていない。
だが、それには魔女へと転生しなければならない。
――――あり得ない。
ユミは何のためにここに来たのか。改めて己へとNoを突きつける。
「……分かった。ありがとね、メトンさん。後は自分で調べてみるよ」
感謝の言葉を述べるユミ。
「……運命は変えられませんぞ、ユミ殿。私の領域を侵すことになりますが、それだけは覚えておいていただきたい。――それではユミ殿、またどこかで」
意味深な言葉を残して、メトンは去っていった。ユミは手を小さく振ってそれを見送るしかできない。
これでユミは、完全に魔女との袂を分かち合った――否、袂は分かれてなどいない。ユミの中にはもう一人の存在が残っていた。
「――フィアさん。あなたは何なの。いったい私をどうしたいのよ」
――フィア・エクソス。ユミへと指輪を与えた張本人。
あの人物の計り知れない何かに、ユミは背筋が凍る思いをした。
いくつもの拒絶を見せても、次から次へと魔女の刺客が襲いかかってくる。それらが求めてくる。
――繋がりを。
求められているのなら、いずれはその日が来るのだろうか。応えるしかないのだろうか。分からない。分からないからこそ、未来は怖くて、恐くて――それでも楽しいは必ずどこかにある。嬉しいは――ハラハラ、ドキドキするのが未来だろう。
「……ユミ様?」
突如の来訪者の呼び掛けに、「ひゃぁ!?」とユミは情けない声を上げた。声のする方へと振り返るとそこには、耳を立てた可愛いがいた。
変えられない運命などない。ユミは確かに変えた。変えてきた。彼女の心の中だけの事実。
だからあの日果たせなかった約束のため。あの時もう一度結んだ約束事のために、今を精一杯生きるしかない。それこそが運命だ。それこそが、ユミがこの世に生まれた時からの運命なのだから――。




