一幕 2話 「駅」
「貴様は誰だ?」
タケルが座席の下に身を潜めていると、鳥の声がそう言った。なんとも率直な質問をするもんだ、と感心したが、相手方に返答はない。
「ふーむ。答えたくないと言うことか? いいだろう。ならば、先に貴様の質問に答えよう。なにか私に問はあるか?」
「‥‥ 少年を見なかったか?」
低くこわごわとした声が車内に響く。口ごもりをした聞き取りづらい話し方だ。鳥は、特に思考などせず、すぐに返答をした。
「少年。あー、あのガキのことだな。臆病で気弱そうなソイツなら、そこの椅子の下に隠れているぞ」
ビクリ、とタケルは体を震わせた。次の瞬間、フードを深く被った男が、座席の下を覗き込んできた。
「わぁぁ」
タケルは声を上げて、身体を跳ねさせる。狭い椅子の下で頭部を強打した。「痛いっ」と声が漏れて、反射的に「大丈夫か?」と男から心配の声が飛んできた。
その言葉に警戒心が和らいだ。生理的に出た涙を拭いながら、座席の下からタケルは出ていく。
男の前の立つとその背の高さに驚いた。普通の大人よりも頭一つか二つは大きい。黒いコートを羽織り、顔が見えないように深々とフードを被っていた。白く細い腕が、コートの袖から覗いている。血の気のない肌は、男にしてはあまりにも細く頼りなく、ポキリと今にも折れてしまいそうだった。
「誰ですか?」
タケルの問いかけに男は答えない。鳥の時もそうだが、この類いの質問には答えてくれないようだ。
ふと、この男が少年を探していたことを思い出す。この電車に自分と鳥しかいないということは、少年とはつまるところ自分だろう。
「僕を探していたんじゃ?」
「あぁ」
低くこもった声で、男は頷く。
「なにかようですか?」
男は首を横に振った。黒いフードの首元に皺が寄る。見えなかった顔がわずかに見えた。皺の寄った皮膚に、男がある程度の歳だと分かった。身体は細いというのに、瞼の辺りに無駄な肉がつき、大きな双眸が垂れてさらに年老いた風貌に見せる。
「それじゃ、どうして探していたんですか?」
男は、言葉を詰まらせたまま下を向いた。男の胸元ほどまでもないタケルの背丈からでも、その深々と被ったフードの中を覗き見ることは出来ない。
「おいおい、いくつも質問するな。困るであろう」
鳥が、やれやれと言いたげに言う。黄色い鶏冠がピクリと動いた。
「そうかも知れないけど。君だって知りたいんだろう?」
「それはそうだが、答えられる質問とそうでない質問があろう。それにだ。情報提供とは、常に等価交換でなくてはいけない」
赤い翼を広げれば、鳥は倍ほどの大きさになった。威厳があるだろう? と言いたげな表情でこちらを見つめる。水色から青色のコントラストを帯びた模様が翼の内側に入っていた。空にでも擬態して獲物を狩るのかもしれない。そんなことをタケルが考えていると、男が、ゴホンと喉を鳴らし、口を開いた。
「そうだな。それなら君には、ひとつ答えなくてはいけない」
フードの奥の年老いた双眸が鳥の方を見つめる。どうだ、と言いたげな鳥の表情にタケルは眉をひそめるが、気にしない様子で鳥は男に質問を投げた。
「貴様は誰だ」
「それは答えられない」
無駄使いだ。 無駄使いだ。落胆にタケルは額を押さえ、鳥のことを睨む。流石に視線に気づいたのか、鳥のくせに咳払いをして言い訳がましく言う。
「この質問には答えられないことが分かった。少なくとも、この男は正体を隠したいのだろう。それが分かっただけ十分な収穫だと思わないか?」
自分の正当性を求めるような鳥の口ぶりを、タケルは気に留めず、男の方に視線を向ける。
走っているというのに、揺れのない汽車に、何となく気持ち悪さを覚えるがそんなことよりも気がかりなことは山程あった。
「それじゃ、等価交換? まずあなたの質問に答えましょう」
自分の言い分をタケルが言ったことにご満悦なのか、機嫌良さそうに鳥が肩を揺らせば、一緒に黄色い鶏冠が揺れた。犬のしっぽみたいだな、とタケルは思う。
「いいや‥‥ 。君の質問に答えよう。‥‥ ただ答えられないものもある」
至極申し訳なさそうに男は、肩をすくめた。この男にも都合があるらしい、そのせいで答えられないことについて多少気にしているようだ。
タケルは、少し考えてひとつ質問をした。
「ここはどこなんですか?」
男は、コクリと首を縦に振る。答えられるということらしい。
「ここは、『引き裂かれた魂の至る処』へと導く場所だ」
あまりに遠回しな言い方に、タケルは首をひねる。「もう一度言って」と言うと、男は正直なのか、また同じように言って見せた。
「ここは、『引き裂かれた魂の至る処』へと導く場所だ」
噛み砕いてくれという無言のメッセージは伝わらない。もしくはそれ以上、言う術がないのか。なにか知らないか、と鳥の方をみるが同じような表情でこちらをみていた。
「そうじゃなくて、引き裂かれた魂の至る処っていうのはなんなんですか?」
男は、細い手を顎の辺りに当てて考え込む。ガス灯りが、チラチラと揺れながらその手の影を、木製の床に落とした。
思考の末、男はタケルの方を指さした。皺のない綺麗な指には、長い爪が伸びていた。薬指の爪だけが、皮膚に食い込む程丸まり、痛々しいくらいに赤く腫れ上がっている。
「なんですか?」
男は、タケルの下半身を指さしていた。タケルは、自分の服装を今になってようやく確認した。さっきまで部屋で着ていた紺色のシャツに、グレーの半ズボン。そのズボンのポケットの辺りに向かい男の指が伸びている。タケルがポケットに手を入れると、薄い紙が一枚入っていた。
緑色のそれは乗車券らしく、すでに改札鋏で切られていて、切符の端には小さな四角い穴が空いていた。
表に翻しみてみると、『魂の至る処』と明記されていた。
「いつからこんな切符が‥‥」
「身に覚えがないのか?」
背後から覗き込むように、鳥がこちらを見ていた。
「ほぉ、この男のいう通り『魂の至る処』と書いてあるな」
器用に翼を手のように使い嘴の下を撫でる。そういうからには、この鳥は文字が読めるらしい。鳥のくせに、とタケルは乗車券を鳥から見えないように背中で隠す。
「ここに行けばいいの?」
男はまた首を横に振った。
「君はまだ、終着駅に向かう時ではない」
しまっておきなさい、と叱咤するような口調でタケルを促す。素直に切符をポケットに戻すと、タケルはどっと疲れを感じた。
座席に座り込み、体の力を抜く。硬い緑色のシートは、あまり心地良いものではなかった。
「終着駅でないならどこで降りればいんだよ」
タケルの問いに男は答えない。言えないか知らないならその都度、そう言ってほしい。その方が、幾分か苛立ちも少なくすむのに。
「質問を変えるべきだな」
鳥が嘴を開く。
「我々をここに導いたのは貴様か?」
「正しくもあり、不正確でもある」
「また回りくどい‥‥」
ため息混じりにタケルがぼやくのを見ながらも男は続けた。
「救わなくてはいけない‥‥ 君は守らなくてはならないものがあったはずだ」
男の背中越しの窓に、流れ星が流れた。長い弧を描きながら通り過ぎていくさまが、あまりに美しくタケルは思わず見入ってしまう。その後ろには、真っ暗な宇宙のような空間が広がっていた。キラキラと夜空だと思っていた星々は、正面や地面の方にも散在している。一体ここはどこなのか。内心に生まれた疑問の答えに、思考がたどり着く直前、意識は鳥の声に戻された。
「おい、少年よ。話を聞いているのか?」
鳥に叱咤され、意識を男に向ける。だんまりした様子で、こちらを見つめる男は、怪訝とも笑顔とも取れない無な表情を浮かべていた。
「なんだって」
「やはり聞いていなかったか。つまるところだな、まもなくエキというやつだ」
「エキ? ‥‥ 、駅か」
一体どれくらい思考にふけっていたのだろう。無口なこの男は、一体なにを話していたのだろうか。そんなことを考えていると、車両が激しく揺れた。
均等にぶら下がった木製の取っ手を付けたつり革が一斉に揺れる。下から突き上げるような衝撃が走ると、思わず体が宙に弾かれそうになった。椅子の肘置きに捕まり、飛ばされないように体を縮こめると、鉄と鉄が擦り合わされる音が響いた。車輪がレールに擦れる。その摩擦で体が前方に向かい飛ばされる。向かい側の座席に体をぶつけて、タケルは思わず声を漏らした。
ブレーキの音が鼓膜を揺らす。レールのつなぎ目を踏む車輪の感覚が長くなる。シートに倒れ込んだまま窓の外に視線を向けると、綺麗な青空が見えた。激しく汽笛の音が鳴り響く。大きな蒸気の音を立てながら、汽車はその動きを止めた。
「ここはどこ?」
そう言って、タケルは男の方に視線を向ける。しかし、そこにすでに男の姿はなかった。強い陽射しが窓の外から照りつけて、その景色をひた隠す。
「随分と手荒いな」
バサバサ、と翼を広げながら、鳥はタケルの正面の肘置きに留まった。飛んでいれば、手荒いもなにもなかっただろうに。
「ここはどこだろう」
「私に聞いて分かると本気で思っているのか?」
ムッ、とした表情を受けべてタケルは立ち上がった。とりあえず外に出ようと、車両のつなぎ目の方へと向かう。
重たい手動の木の引き戸を開けると、眩しい陽の光が差し込んできた。奪われた視界が、次第に戻ってくる。眩しさに細めた瞼をゆっくりと持ち上げると、眼前には一面の綺麗な草原が広がっていた。
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