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FANTASIA―ファンタジア―  作者: 伊勢祐里
第二章「ブリキの王国編」(中)
39/120

序幕 プロローグ「ヒラエス」

 星の瞬きを見たことがない。閉鎖的な作り物のこの空を、みんなは綺麗だと言うけれど、私はそう思わない。

 淀みも荒れ狂うこともない『空』を、『空』だとは認めたくはないのだ。


 曇天の空が懐かしい。錆びた街の匂い、カビた鉄の碧が手に付く感触、どんよりとした空気が排気口から逃げてくる生温さも、そのすべてが織りなす街を隅々まで覚えている。


 汚れ廃れたコンクリートの隙間から雑草が顔を出し、ひび割れたトタンの屋根を茶色い雨が伝う。


 それが私の居場所。



 だから――



「あの街が好きだった」



 私がそう言うと、母はオイルに汚れたその手をそっと差し伸べた。冷たい手が私の頬に触れる。


「本当に?」


 私は、大袈裟に頷いてみせる。瞳に潤んだ涙がこぼれそうになり、思わず洟を啜った。



「私のお母さんはお母さんだけだよ」


「そう言ってくれて嬉しい。あなたが無事で良かった」



 美しい夜空を背にした私の膝の上に、母の身体が横たわっている。崩れた摩天楼の隙間から立ち込める煙が、その美しさをぼかすけれど、確かに星空はそこにある。



「‥‥ちゃん?」



 私はかすかに名を呼ばれた気がして顔を上げる。瓦礫の丘の向こうから随分と小さく柔和な輪郭の少女が顔を出した。


「あなたがどうして?」


 私がそう言うと、彼女はくすりと笑みを浮かべた。


「良かった。無事で」


 アーモンドの形の目が、くりりとしていて可愛らしい。細くなった双眸が、優しくこちらを見つめる。私は、その美しさに言葉を失い。少しだけたじろいでしまった。



「ほら、行こう。みんなが待ってる。‥‥もう大丈夫だから。お家に帰らないと」



 切なさが沈んだような黒い瞳が、うるうると潤んでいる。彼女の気持ちを考えると、無性に心が痛んだ。彼女の帰るべき場所は、もうないというのに、どうしてそんなに優しい表情を浮かべられるのだろう。

 そして、私の帰るべき場所ももうない。だから――


「それはどこのお家なの?」


 思わず冷たい言葉が出てしまう。トゲのついたその言葉は、喉を通り抜ける時、チクリと痛みを伴った。


「それは、あなた次第でしょ?」


 それもそうなのだけど。「あなたにはまだ幾つもの選択肢がある」そんな含みを持ったその言葉がまるで()()みたいで、あなたが言うのはおかしいと反論してしまいそうになる。


 どう? と言いたげに傾いた彼女の首元には、真っ赤な血がかさぶたになり固まっていた。痛々しい傷口がピクリと脈を打つ。それを隠す素振りもなく、彼女は少しだけ怪訝な顔を浮かべる。


「早くしないと。ここもどれくらいもつか分からないよ」


 あなたには、それくらい分かるでしょ? そう言いたくなる気持ちを抑えて、私は母の方へと視線を戻した。変わりない母の表情が、無性に切なくて痛々しい。


「でも、お母さんが――」


 私がそう言うと、彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、私が抱きかかえている母を見つめた。千切れかけた脚が、腿の付け根あたりでなんとか繋がり、金属の断面から飛び出した細くカラフルな線が、ビビりと火花が散らしている。


 母は、無言のまま「お母さんはもう歩けないよ」、そう言おうとしているのが分かった。


「無理だよ。置いていけない」 


「背負える?」


 彼女は、肩をぐっと持ち上げ担ぎ上げるような動きをした。私はすぐに首を横に振る。すると、彼女はその手を差し出し母の肩を片側持ってみせた。


 破けた紺色の衣の下に、傷を負った彼女の肌が見えた。白く美しい肌から赤色の血が流れている。その傷口の奥で、光るものが見えた。チカチカと色めくそれは、虹色の小さな光だった。


「ありがとう」


 そう呟いた母の手は、錆びた鉄屑だ。

 鈍色の瞳の奥に、チカチカと赤いランプが灯る。ブリキの身体の母は、抱きしめる私の温もりをきっと分からない。


 いつも母に聞いていた。「どうして私は、他の子達と違うの?」かと。


 そうすると、母は人間みたいにケラケラと笑いながら言うのだ。


「あなたは、とてもとても特別で優秀なアンドロイド‥‥」


 ブリキの手に触れると、冷たい感触が私の肌を伝った。このひんやりとした感触は本物だろうか。


 見上げると、一筋の流れ星が、空の果てへと弧を描いていた。美しい――

 ふいに私はそう思い、そっと目を閉じた。

このあと、20時頃に次話投稿予定です!

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