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FANTASIA―ファンタジア―  作者: 伊勢祐里
第一章「ウイエル王国編」(上)
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一幕 7話「誘惑」

 石畳に影が伸びる。陽が地平線に沈み、辺りに暗さが押し寄せた。町を吹き抜ける風が少し肌寒く、半袖のタケルは思わず腕をさする。


「寒いね」


「あぁ、夜は冷え込むのかもしれないな‥‥ 早く寝床を見つけねばいけない」


 暖かそうな羽毛を纏ったアルは、大きなあくびをついた。鳥は、野宿などたやすいことなのかもしれない。


 背後から、コツコツと石畳を何かが弾く音が聞こえた。タケルがとっさに振りかけると、杖を持った老婆が広場の階段を上がって来ていた。

 随分とみすぼらしい格好をしている。ボロボロの服は、所々に穴があき、腿の辺りから汚れた下着が見えていた。髪は白くボサボサで、肌も乾燥しひび割れている。杖とは逆の手に黄色い布が掛けられた小さなバスケットを持ち、その中身は見ることができない。



「野掛けではなさそうだな」



 アルが耳元で囁く。野掛け? とタケルが聞き返そうとした時、老婆のくすんだ双眸がじっとこちらを見つめた。



「あんたら、ここで何をしているのかね?」



 か細い声が、今にも切れてしまいそうなほっそりとした喉から発せられた。夜を運んできた風が、妙におぞましい雰囲気を演出する。

 ゴクリ、と喉を鳴らし、タケルはその場に固まった。



「おぉ、そうかい。帰る場所がないのかい?」



 心理を当てられ、思わず目を見開く。それを見て、老婆の口端が気味悪く緩む。


「怯えなくともいいよ。どうだい、ひとつ如何かな?」


 そう言って、老婆はバスケットの中から、小さな果実を取り出した。ぶどうのような大きさの青白い粒が、わずかに残った陽の光を浴びて艷やかに輝く。



「ほら、かじってみなさい」



 老婆の年老いたしわくちゃな指が、タケルの口元に伸びてくる。みずみずしいその果実を見て、思わずよだれが垂れた。乾いた喉が潤いを求めている。ゆっくりと運ばれる果実に向かい口を開く。



「ひと粒で気持ちよくなれるさ。すぐに忘れられる。辛いことも苦しいことも‥‥」


「忘れられる‥‥ ?」


「そうだよ‥‥ たくさんあるだろう? なにかを失ったかい? なにかを奪われたかい? ‥‥それらをすべて、綺麗に忘れられる。気持ちのいい快楽に溺れながら、幸せな夢を見られるんだよ‥‥」



 掻き立てられたのは、胸の中にあった悲しみだった。失った友人のことを忘れられたならどれほど楽だろうか。このまま、何も分からない世界で生きていくとすれば、苦痛などないのだろうか。そんな風に思えてしまうほど、老婆の言葉は魅力的で、同時に不思議な誘惑に思考が虚ろになっていく。


 タケルの口は自然に開いていた。ぼんやりと視界に、綺麗な色の果実が近づいてくる。双眸を見開いた老婆から視線を反らすことが出来ず、ただなすがまま果実を口に含もうとした瞬間、頬に衝撃が走った。鋭い痛みと共に、バサバサと激しい音が耳元に響く。



「やめておくことだな。こいつはタルジ売りの老婆だ。始めは無償で譲るんだが、中毒性が出てきてから高額な金を請求してくるのだ」



 鳥が話したことに驚いたのか、策略がバレたからなのか。チッ、と舌打ちをして老婆はその場からいなくなった。



「うむ。やはりタルジが横行しているようだな。こんな広場にまで来るとは‥‥ そうなると、夜の町は危険かもしれないな。早く宿を見つけられればいいが」



 アルはこちらを一瞥すると、はぁと息を吐いた。随分とひどい顔をしていたらしい。タケルは自分の顔を手のひらで打ってみせた。


「こうやって子どもがタルジ中毒になっていき、金を欲しさに犯罪に走る。そうして、荒んだ国がいくつもあると聞く。貴様‥‥、タケルも気をつけるがよい」


 照れたアルは、いつもにまして赤くなったように思えた。


「意外と素直だね、アルは。ありがとう」


「礼には及ばないさ」


 顔を隠すように、くるりとそっぽを向く。クスクス、とタケルは思わず声を漏らした。


「それにしても、どうしよう‥‥ 」


「そうだな‥‥ ん。また誰か来るぞ」


 アルに言われて視線を向けると、老婆と入れ違いに人影がこっちに迫っているのが見えた。思わずタケルは身構える。沈みきったわずかな陽の光を受けて、人影は輪郭をはっきりとしていた。



「あんたこんなところに子どもがいるよ‥‥」


「子どもだって?」



 聞こえてきた優しげな女性の声に、タケルは肩の力が抜けた。緑色のエプロンをかけ、まだ若く赤子を抱えた女性がこちらに寄ってきた。

 その少し後ろには、旦那と思しき男性もいて、二人は顔を見合わせると、タケルの方へと寄ってきた。



「あんたどこの子だい? この辺りの夜は危ないから出歩かないようにしないと」


 少し色のついた肌が、夕闇に染まる。大きな胸に、赤子は気持ちよさそうに眠っていた。


「孤児じゃないか? 随分異国の服を着ている」


 ガタイのいい男が、タケルの服装を不思議そうに見いった。


「お家はどこかわかるかい?」


 女性は、タケルの視線に合わせるようにかがむと、優しい声を出した。その問いに、タケルは首を横に振る。


「やっぱり孤児か。困ったなぁ」



 短い髪を掻きむしりながら、男はうーんとうねる。「仕方ないね」と女性は弾みをつけて立ち上がると、男の肩をぽんと叩いた。


「一晩くらいいいでしょ?」


「そりゃ構わないが‥‥ 近頃は子どもでも用心しないといけない。さっきもタルジ売りの老婆がいたしな」


 少し怪訝な表情を浮かべて、男はこちらを見た。疑いの色をした双眸がじっとタケルの瞳を見つめる。


「タルジならちゃんと断ったよ」


 しゃんとした表情で、タケルは言った。


「ほーら。いい子じゃないか。もう秋も深くなってきたんだ、野宿は体に堪えちまうよ」


「目も正気なようだしな‥‥ 。まぁいいだろう。着いてきなさい。一晩面倒を見てやる」


「あ、ありがとうございます」


 広場から城とは反対方向の路地に向かい夫婦は歩き出した。タケルは、そのあとをついて行く。


「いいのか?」


 アルが小さな声で言った。


「どうして? いい人たちだよ」


「そう見えるかもしれないが‥‥ 。『ベンサムと赤い野兎』の寓話を知らぬのか」


 聞き馴染みのないタイトルにタケルは首をひねる。


「どんな優しそうな人間だとしても、少しは疑うべきだという話だ」


 夜の帳が下りる。白い町をじんわりとした闇色の影が覆い始めていた。


次回は、土曜日の19時頃更新予定です

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