2回目 -3-
魔物が人間の領域に侵入する。
それは迎撃される可能性もあるということに他ならない。
森のような身を隠せる場所が多ければまだしも、町中で見つかれば、まず間違いなく攻撃を受ける。
多くの人を呼ばれ、手に負えなくなるだろう。
危険が伴うことを十分に理解しながらも、俺が諦めることはなかった。
動けるのは、皆が寝静まる夜中だけ。
それから早朝までの間に、人間の領域でコレットの居場所を探る。
幸い、今の俺は魔物として高い持久力を誇っていた。
行って帰るだけの猶予は存在する。
その日、母のイツハが眠りについた時を見計らって、俺は家を静かに飛び出した。
「見つからないように……」
夜中とはいえ、魔物も人間も起きている者はいる。
見つかってしまえばそこで終わりだ。
俺は闇に身を隠しながら森の中を駆け抜けた。
赤ん坊のころから何も考えていなかった訳ではない。
目的地への大よその方角、そして距離や高低差は既に把握済みだ。
歩いている時間はあまりない。
悠長にしていては、恐らく間に合わないことも理解していた。
そうして途中の川の水で水分を取りつつ辿り着いたのは、俺がヴェインとして生きていた頃に住んでいた辺境の町。
コレット共に確かに生きた、故郷ともいえる場所。
俺は辺りが寝静まっていることを確認しつつ、イツハの家から拝借した大きな布で、コートのように身を包む。
旅人らしい風貌にして、一目で魔物だと分からないように変装した。
無論町の前には門番らしき者もいたが、一瞬の隙を突いて視界に映らないよう滑り込む。
何とか関門を突破した俺は、そのまま突き進んで、かつての家に行き着いた。
「これは……」
だが、そこに家らしきものはなかった。
取り壊されてしまったらしく、完全な更地になっている。
あれから何年も経っているのだから、こうなってしまっていても仕方がない。
なのだが、何だかもの悲しい気分だ。
あの頃のコレットと暮らした面影は、もう記憶の中以外には存在しないのか。
巡回の警備がやって来たので、ここに立ち止まるのはマズいと思い、俺は場所を変える。
再び隠れながら町の中を練り歩くも、手掛かりは何もなかった。
流石に家に押し入って、娘がいるかと尋ねられるわけもない。
俺は肩を落としながら、逃げるように町の外れまで移動する。
そこは俺、ヴェイン・ポードヴォールの墓標。
槍の頃に一度来たことのある場所だった。
「ここは、まだ綺麗なのか?」
俺は壊さないように、自分自身の墓に触れる。
暗闇で見え辛いが、古ぼけた印象はない。
それなりに磨かれており、飾られた花束もあってか真新しい雰囲気すら感じられる。
誰かが定期的に掃除をしているからだろう。
だとすれば誰が、と考えた所で俺は思いつく。
この墓に花を持ってくる人物は、彼女以外に思いつかない。
「そうか、コレットか……!」
それが分かっただけでも、十分な収穫だ。
まだ娘が俺のことを忘れていなかったと知り、心の底から感謝する。
そして気付いた頃には、夜は更けつつあった。
余計な長居は出来ない。
このままでは魔物達に、俺がいないことを勘付かれてしまう。
俺はすぐさまそこから立ち去り、魔物の領域へと戻っていった。
長い森を1、2時間かけて抜け、息を切らして自宅へと戻る。
朝日が昇ってくる。
どうにか元の場所まで辿り着いたが、想像よりも体力的に辛い。
疲労で今にも寝てしまいそうだ。
もっと効率よい行き来を繰り返さないと、絶対に怪しまれる。
起きた筈の俺が疲れ果てた様子でいれば、誰だって疑問を抱くだろう。
「ニュート、どうしたの?」
「ええと、ちょっと寝不足で……」
「そう……?」
俺の様子にイツハは何か言いたげな顔だったが、どうにか誤魔化し続ける。
分かっている。
今やっていることが、どれだけ危険なことなのか。
それでも俺は、一目会わなければならないのだ。
今も何処かで生きている、最愛の娘の幸せを知るまでは。
俺はそう決意し、次の作戦を練るのだった。
それから日々、魔物として生活をする裏で、人間達の領土へ侵入する策を実行していた。
彼女が墓標に赴いているのは分かったが、真夜中に来るとは思えない。
待ち伏せも無理なので、こちらから探し当てない限り、会える可能性はない。
俺は地元の町から探索地を外し、以前コレットが住んでいた孤児院の方へ移動する。
何か新しい手掛かりが掴めるかと思ったが故の行動だった。
夜が深まった頃、早々に寝たフリをしてイツハの目を掻い潜る。
何度かイメトレした結果、最初よりも大幅な時間短縮で着くことが出来た。
闇に紛れて、遠目から孤児院に住む人々を観察する。
だがやはりと言うべきか、そこには娘らしき人はいなかった。
あれから時が経っているので、孤児院も卒業しているのだろう。
となれば、最後に考えられるのはあの場所。
アイザックが住んでいた王都だ。
しかし、あの場所は非常に厳重で簡単に入れる場所ではない。
実際に赴き、警備の緩い所を把握しなければ話にならない。
一回でどうこうなる問題ではないことは理解していた。
そこから俺は、最終目的地を王都に定め、そこへの往復を幾度となく繰り返した。
寝て起きて、普通に暮らしつつ、夜中に王都へ駆け込む。
警備兵の行動パターン、巡回経路、入れ替わりの時間を確実に把握する。
そうして何度かのトライアンドエラーを繰り返した結果、どうにか手薄な個所を見つける。
しかし、手薄と言っても他に比べて、というだけだ。
下手に潜り込もうとすると、高い確率で見つかってしまうだろう。
「やっぱり王都への侵入は厳しいか……。ん、あれは……?」
やはり諦めた方がいいかもしれない。
王都外壁の傍にある木々の真上から、俺は視線を外そうとする。
すると外壁内に点在していた家々の一つから、金髪の女性が現れた。
何処かで見たことのある、美しい姿だった。
彼女は見送りに来た家の人に頭を下げる。
「ありがとうございました。皆さん」
「ううん、こちらこそ来てくれてありがとう! あの人にもよろしくね!」
少しだけ笑みを浮かべ、女性は背を向けて歩いていく。
どうやら自宅へと戻るつもりらしい。
靡く金髪が、かつてのコレットと酷似していて、俺は思わず飛び出した。
「今、何か通らなかったか?」
「何だって……?」
門を潜り抜けたため、警備兵が気配に気付いたが、構っている暇はない。
外壁を抜け、その女性の後を追う。
十数分が経って女性が入っていった家は、それなりに大きな屋敷だった。
俺からしたら、考えられない位の豪邸。
執事らしき人に通されて、彼女は中へと入っていった。
まさかと思い、俺は屋敷の裏手に回り込む。
姿を現すつもりはない。
壁伝いに内部の様子を窺う。
直後、二階にある部屋に明かりが灯る。
魔物特有の聴力で耳を澄ますと、微かに女性の独り言が聞こえた。
「私があの人と、アイザックと結婚するなんて。あの頃は想像もしてなかったな」
アイザック、と女性は確かに言った。
俺は思わずその部屋を見上げる。
「彼は元々冒険者。でも、一人だった私のことを守るって言ってくれた。ぶっきらぼうだった私に、何度も笑いかけてくれた」
彼女の声はとても優しいもので、かつての記憶が想起されていく。
疑いようもない。
父を思う、在りし日の娘の姿が浮かんでくる。
「お父さんも、喜んでくれるかな」
「……!」
瞬間、俺は彼女こそがコレットであることを理解する。
そうか。
後姿しか見えなかったが、あんなに立派になっていたのか。
病気も克服したのか、病弱な印象は一切なかった。
全く凄い成長ぶりじゃないか。
もう、一人で寂しくしていた少女の姿はない。
コレットには支えとなる人が出来たんだな。
良かった。
本当に良かった。
俺はその場で脱力し、肩を震わせる。
「おい、貴様! 何者だ!」
だが、男達の声で現実に引き戻される。
無理をして侵入したために、警備兵が追って来ていたのだ。
こんな姿で、こんな状況で娘に会える筈もない。
俺は苦心の思いで、被っていた布で再度身を覆い、その場から飛び出す。
「魔物だ! 魔物がいるぞ!」
「何だと!? 街中にどうやって……!?」
彼らは俺が魔物であることを見抜いたようだ。
剣を抜き、人間に害する者を殺そうと迫ってくる。
迎撃などしない。
俺は王都の皆が騒ぎを聞きつける中を疾走し、外壁まで上り詰める。
だがその直後、一本の矢が肩に突き刺さった。
「追え! 奴を逃がすな!」
「クソッ……!」
その一本を皮切りに、何本もの矢が背中に刺さっていく。
当然激痛が走ったが、壁を上り終えた後は、何処までも駆け抜けた。
人間達が追って来ていないと分かっていても走り続けた。
そうして体力に限界が来た時、森の真ん中で俺は地に伏した。
あぁ、そうさ。
俺は魔物で、彼女達は人間。
分かり合うことなんて出来ない、大きな壁が立ちはだかっている。
もう、俺がしてやれることなんてないんだ。
もう、何も。
安堵と後悔に身を包まれ、俺はそこで意識を失った。