3回目 -4-
「転生、ですか。話には聞いていましたが、目にするのは初めてです」
「俺のことを知っているんですか?」
「イツハさんの証言を基に、アイザックさんがそう結論付けたんです。彼には生を輪廻する力があるって」
「……」
「だから貴方の事情は、ごく一部の者が知っています。もうすぐ見えてきますよ」
数日後、馬車に揺られながら、俺は勇者の青年と共に王都を目指していた。
魔王との決別を経て、最後の望みを叶えようとしていたのだ。
既に事情を知ったイツハは、その再会に邪魔をしないために、孤児院のある街に残った。
元々、他の隊員達と襲撃事件の検証を行う予定だったらしい。
俺は彼女の意向に感謝し、一旦別れることになった。
過剰だと思うのだが、代わりに護衛として勇者の青年、レクトが付き添いをすることになった。
青年は薬師を名乗ったが、言われてみればその通りの格好をしていた。
街中の医師といった風貌で、あまり勇者らしく見えない。
何となく気になって声を掛けてみる。
「貴方も、勇者なんですよね?」
「あはは、それっぽく見えませんか。お恥ずかしい限りです。勇者らしい立ち振る舞いというのが、どうも自分は苦手でして。アルメリアにも、そろそろらしくなれ、とは言われているんですが……」
「アルメリア? 確か第三王女の……」
「ぁ……。申し訳ない、今のは聞かなかったことにして下さい……」
咳払いをして彼は誤魔化す。
国の王女を呼び捨てにするなんて、相当深い関係にあるのだろう。
だが、わざわざそれを茶化すこともない。
俺は微笑しつつ、流れていく外の光景を見るのだった。
それから何事もなく、俺達は王都へと到着した。
記憶の中にあった頃よりも盛況さが増しており、立ち並ぶ建物が高さを競っているように見えた。
時が経つのはこういうことなのかと、そう実感せずにはいられなかった。
辿り着いたのは、壮観で巨大な屋敷だった。
下手な貴族よりも豪華な造りになっている気がする。
国の英雄ともなれば、これ位の恩恵は普通なのだろう。
見上げる俺は圧倒されつつも、馬車をゆっくりと降りた。
「では、自分はここで待ってますので」
既に話は通しているようで、レクトは馬車の前で待機するとのこと。
事情を知っていても、首を突っ込むつもりはないのだろう。
俺は彼に頭を下げつつ、屋敷の執事に案内される。
辺りは物静かで煌びやかな内装が続く。
王都の雰囲気からしても、張りつめた空気はなかった。
戦いが終わり、皆が国の繁栄のために日々を勤しんでいる。
「本当に平和になったんだな……」
実感しつつ応接間らしき部屋に足を運ぶ。
やたら凝った照明が吊るされ、向かい合うように高級そうなソファーが並んでいる。
そこに座っていたのは、杖を持った老爺。
老いた姿でありながら、服の上からも筋肉質な体型がはっきりと分かる。
彼は俺の姿を見て目を見開き、そこから立ち上がる。
その瞳はかつて俺が見たあの色にそっくりだった。
俺は躊躇いながら、ゆっくりと話しかける。
「アイ……ザック……?」
「今は、マルクと呼ばれていると聞いた」
否定しない老人は、杖をついて俺の元まで歩いて来る。
長身ということもあって、影が俺の全身を覆う。
次いで大きく皺の入った手が迫ってきたかと思うと、立ち竦んでいた俺の手を取った。
そうして彼は、その場で片膝をつく。
「ありがとう」
「アイザック、さん……」
「貴方に会いたかった。命尽きるまでに、私達を救ってくれたことを、この目でこの言葉で語りたかった」
「……国の英雄が膝をつかないで下さい。自分に比べれば、貴方達がしてきたことの方がよっぽど凄いし、讃えられるべきものなんです」
「いえ、そんなことはありません。私の功績は、全て貴方がいたからこそのもの。あの時、私はまだ若かった。好奇心だけのために貴方を振り回し、望みを叶える前に遠ざけてしまった。あれから私は何度悔やみ、何度詫びたことか……」
「でも、そのお蔭でこうしてまた会えた。そう思うと、悪いことばかりじゃないですよ」
老人、アイザック・ハーレイは俺のことを理解した上で俯いたままだった。
やっと言葉を交わすことが出来たというのに、表情は優れない。
今まで背負って来たものが、どれ程のものだったか一目で分かる。
これまで彼は長い間、自分を責め続けたというのか。
「私は、彼女を幸せにしようと尽くしました……。出来る限りのことを、私の生涯を、彼女に捧げました……」
「……」
「私は……果たせたのでしょうか……」
「……貴方はあの子を愛していなかったのですか?」
「そんな! そんなことは断じてありません! 私は彼女を今でも愛しています!」
「なら、それを言うのは間違いですよ」
それが本心なら、口を挟むことなんて出来ない。
俺は彼の手を握り返す。
「あの子と共に歩んでくれたこと、本当に感謝します。かつての、大切な相棒」
「っ……! ヴェインさん……!」
ようやくアイザックは俺を見上げた。
罪悪感すらあった表情に光が差し込む。
他の誰でもない、俺自身の言葉を待っていたのかもしれない。
そして、彼は今までのことを語った。
若い頃に失った槍のことや、王都襲撃で起きた事の顛末。
時が経つことによる世代の交代を、懐かしむように口にした。
当時傷心していたイツハを保護したのは、やはりアイザックだったようだ。
魔物であるという周囲の反対意見を跳ね除け、自分の保護下に置いたらしい。
それによって、イツハは師団を立ち上げる切っ掛けを見つけた。
魔王打倒だけでなく、種族間の対話を実現させたのだ。
文句など言える筈もない。
再度俺達は握手交わし、今ここにいる実感を確かめ合うのだった。
数々の昔話を経て、俺は最後の場所へと赴く。
屋敷の二階にある静かな個室。
柔らかい絨毯を越えて、大きな音を立てないように足を進める。
目的の扉の前で控えていた、メイドらしき女性に話しかけた。
「彼女は……?」
「個室に。全て事情は知っています」
「……」
「しかし身体に障りますので、あまり大きな声は出さないようにお願いします。何かありましたら、声を掛けてください」
メイドからの注意を受け、微かに勇気と共に俺は部屋の中へと入った。
目に入ったのは天蓋付きの巨大なベッド。
奥の窓は開けられ、流れ込むそよ風がその覆いを僅かに揺らす。
とても儚げで、寂しささえ感じられる一室。
そのベッドに、一人の女性が横たわっていた。
老い衰えた姿で、既に立ち上がるだけの力も残されていないように見える。
残された僅かな命の灯。
老婆は俺の気配を感じて視線を向け、微かに笑った。
「お父……さん……」
彼女は、コレットは確かにそう言った。
俺は傍まで歩き、その場で両膝を突く。
老衰。
イツハやアイザックの姿を見て心構えは出来ていた筈なのに、時が経つという現実が心に突き刺さっていく。
1回目の転生から、既に60年もの年月が流れていたのだ。
唇をきつく結んでいた俺は、優しく語り掛ける。
「具合は、どうだ……?」
「いい気分よ……。今日は晴れていて、鳥の声も聞こえる……。とても、良い日……」
笑みを崩さない彼女の手を、俺は取った。
子供でしかない俺の手に比べて、それはあまりに脆かった。
今にも崩れてしまいそうな程に弱弱しい。
「恥ずかしいな……私の方が、ずっとお婆ちゃんね……」
冗談を言いながら、コレットが優しく握り返してくる。
俺は何も言えなかった。
感情の波が、身体の底から込み上げてくる。
「今まで、色々なことがあったわ……。アイザックを愛して、一緒に沢山知らないものを見て……。怖い時もあったけど、毎日が掛け替えのないものだった……」
「……楽しかったか?」
「勿論よ……。それも全部……私を生んでくれた、お父さんとお母さんのお蔭……」
その言葉に、ただ首を振る。
俺は何もしていない。
彼女達が自分の足で立ち、歩いたからこそ生まれた結果なのだ。
俺がしたことは、転生を経てごく僅かな時間に留まっただけ。
親としての愛情を、与えることも出来なかった。
「俺は、何もしてやれなかった。一番大事な時に傍にいてあげられなかった」
「いたよ……。ずっと近くに……」
だが、コレットは目を背けなかった。
「一緒にいた時間は、少なかったかもしれない……。でもお父さんは、私のためにいつも笑ってくれた……。今でも、覚えてる……。それだけで、私は元気になれたの……。それに生まれ変わっても……お父さんは、会いに来てくれた……」
「……!」
「ありがとう……。私を、ずっと守ってくれて……」
恨みの言葉など一つもなかった。
こんな俺を、父親として認めてくれるのか。
娘の幸せすら見届けることが出来なかった俺を。
そこまで考えて、自然と涙がこぼれた。
堪えようと我慢していたのに。
娘の前で泣いてはいけないのに、止めどなく溢れてくる。
零れ落ちる思いを拭わないまま、コレットの手を額に当てた。
「コレット……良かった……。幸せになってくれて、本当に良かった……」
「うん……うん……」
ゆっくり頷く娘の温もりを、確かに受け止める。
しかし、再び俺を呼び止める声が聞こえた。
「私は、もう大丈夫……。沢山の幸せをもらったし、子供も孫もいる……。だから、お父さんも……」
「え……?」
「お父さんも……お父さんの幸せを、考えていいのよ……?」
それが何を意味するのか、分からない筈もない。
俺は転生する以前の願いを思い浮かべ、顔を上げた。
「でもコレット、それは……」
「私を看取るなんて考えないで……。それにはもっと、相応しい人がいるわ……」
コレットは窓の外を見た。
その向こうでは、二羽の小鳥が囀りながら空の彼方へ飛んでいく。
時を待たずして、鳥たちは光の向こうへ消えていった。
「鳥は巣から飛び立つのよ……いつか必ず……」
穏やかな表情のまま告げられ、俺は彼女と共にその光を見た。
それは転生の力が放つものよりも、ずっと力強いように思えた。
●
少しの時間、俺はコレットと話をした。
相も変わらず故郷への道のりは不便なこと。
最近また料理を始めてみようと思ったこと。
どれも他愛もない世間話だったが、彼女はとても楽しそうだった。
「これから、どうするんですか?」
馬車の前で待っていたレクトが、屋敷から出てきた俺に問い掛ける。
「数日ここに滞在したら、イツハ……母さんの所に戻ります。いつまでも親不孝者のままじゃ、コレットに怒られてしまう。今まで出来なかった孝行をするんです」
成程と頷く若き勇者だったが、直ぐに思い出したようにハッとする。
「あ。あと一つ、聞きたいことがあります」
「?」
「封印した転生の力ですが、私の手で解くことが出来ます。元は貴方の力です。もし、必要だというなら……」
「いえ、もう大丈夫です」
首を振った俺は空に手を伸ばした。
指の隙間から流れる日の光が、目を細めさせる。
もう、その力は必要なかった。
「俺は今を生きるんです。今、この瞬間、この時を」
家族のためなら、時間を越えても構わないと思っていた。
でも、今は違う。
共に生きる幸せを、同じ時間を共に過ごすことが、今の俺の幸せなのだ。
光を手にしながら、俺はハッキリとそう言った。




