3回目 -3-
「俺は……俺は一体……!」
孤児院を飛び出した俺は、奇妙そうに視線を向ける人々を背に街道を抜ける。
全速力で走っていることもあり、徐々に息が上がる。
だが、それで良かった。
体力を消耗することで、混乱する思考が奪われ冷静になっていく。
それでも俺の中にあるのは、一つの疑問だった。
俺は一体誰なんだろう。
両親から暴力を振るわれ、孤児院に拾われたころとは違う、別の記憶が蘇ってくる。
更に、それらの記憶に気味の悪さを感じない。
全ては俺自身の経験、生の軌跡。
それを示すように、身体や思考がそれら過去を拒絶しない。
まさか本当に、俺は複数の人生を渡り歩いてきたというのか。
肯定も否定も出来ず、ただ走ることしか出来なかった。
気付けば、森の中にいた。
誰の目にも止まらない場所で落ち着きたかったのだ。
俺は大きな木陰で立ち止まり、数分を掛けて息を整える。
そして先程の女性に申し訳ないことをしたと思い、帰って謝らなければ、と考え直すまでに至った。
だが、そこで俺は周囲の雰囲気が今までと違っていることに気付く。
元々森は静かな場所なのだが、何処かざわついている。
重苦しい、誰かに見られているような感覚が俺を貫く。
「な、何だこの異様な空気……」
不安な声を上げたが、その元凶を直ぐに知ることになる。
森の葉擦れの音が一気に沸き上がり、突風が巻き起こる。
思わず両目を瞑ると、その瞬間、俺の身体を鷲摑みにされた。
子供とはいえ、胴体を握る程の巨大な手。
目を開けると、そこには黒い影がいた。
「見つけた……ぞ……!」
「な、何だコイツは!?」
黒い影は、巨大な魔物に姿を変える。
やたら力を消耗しているようにも見えたが、その威圧感は途轍もない。
掴まれているだけで、気迫に押し負けてしまいそうだ。
だがそれ以上に重要なのは、その声が、以前俺を呼んでいた声に酷似していることだった。
胴を掴み力が強まり、肺の中の空気が吐き出される。
「ぐあっ!?」
「この時をどれだけ待っていたか! 転生の能力者よ……!」
転生の能力者。
奴はそう言ったが、何一つ理解できなかった。
何故、俺のことを知っているんだ。
そう思った瞬間、脳裏に先程の記憶が浮かび上がる。
そうだ。
俺はこの魔物を知っている。
過去の記憶が、あらゆる情報が流れ込んでくる。
そしてそこから、一つの解を導き出した。
「まさか、魔王……なのか……!?」
「仇成す同族、ニュートよ。その正体、分からないとでも思ったのか?」
「ニュ……ニュート……!?」
「あの時は露にも思わなかった。貴様が人間から転生してきた魔物だとはな」
存命していた魔王は苛立たしくそう言った。
そして無事だったもう片方の手を、俺に向けて翳す。
「だがこれで終わりだ。貴様の力、この魔王が頂く」
闇そのものにも見えるその手が、俺の中に眠る力を奪おうとする。
それが何を意味しているのか、まだ自覚できる程に理解は出来ていない。
しかしとある予感を抱き、俺は呻いた。
「まさか、生まれ変わる……のか!?」
「そうだ! 勇者達によって倒されたこの身体も限界! 貴様の力で別の肉体へと転生し、再び人間に思い知らせてやるのだ! 我が魔王の脅威を!」
転生の力を奪う。
ヤツはまだ、諦めていないというのか。
俺はどうにか抜け出そうともがいたが、無駄だった。
直後、魔王の指先によって、俺の体内から何かが抜き出される。
強烈な光が解き放たれ、意識を失いそうになる。
魔王の手には、周囲を照らす巨大な光球があった。
「か……はっ……!?」
「素晴らしい! 何という輝きだ! これが、生を輪廻する力の源か!」
魔王が歓喜の声を上げる。
あれが、俺の力なのか。
俺は沸き上がる衝動に動かされ、必死に手を伸ばす。
力を失うことに恐れはない。
だがアレが呑まれれば、魔王は新たな生まれ変わりを果たす。
過去と同じように災厄を呼ぶことになってしまう。
それだけは絶対に、絶対に阻止しなくてはならない。
「この力を得て、我は復讐を遂げる!」
「や……めろ……!」
だがどれだけ力を振り絞っても、魔王の手から抜け出せない。
子供一人程度の力では、どうすることも出来ない。
いつか抱いた無力感を俺は再び味わうことになり、思わず叫ぶ。
だがその瞬間、魔王の力が緩んだ。
「結界を中和するだと!?」
何かが崩れる音が聞こえる。
俺は魔王の手から離れ、音を立てて地に伏す。
一体何が起きたのだろう。
どうにか視線を上げると、そこにはイツハが他の団員を連れ、決意を漲らせた目で立っていた。
まさか、俺を追って来たというのか。
「その子から離れなさい! 魔王!」
「クッ! 忌まわしい、裏切り者共め……!」
憎々しげに魔王は標的を見定めた。
敵意は真っすぐにイツハを捉えている。
いかに弱体化しているとはいえ、危険すぎる。
俺は皆を止めようと声を張り上げた。
しかしそれと同時に、一人の青年が魔王の元へ躍り出る。
彼の姿は、文献で見たことのある風貌をしていた。
「あれは、まさか勇者……!?」
魔王を打ち倒したと言われる勇者の一人。
未だに生存の可能性がある魔王を追っていると聞いていたが、師団の中にも属している者がいたようだ。
青年は冷静に一本の試験管を取り出し、その中身を放つ。
液状だったそれは急速に動きを変え、蒼炎へと移り変わり魔王を呑み込んだ。
「竜の息吹」
「おのれッ! アイザックの手下風情が……ッ!」
俺を綺麗に回避しながら燃え上がったそれは、魔王の全身を焼き尽くしていく。
威力はまさしく竜のブレスと同等。
弱った敵を仕留めるには十分な威力だった。
それでもまだ、奴の手には転生の力が握られている。
その光を見下ろしつつ、勇者である青年が静かに呟く。
「微かな気配を追うため、師団にいたのは正解だったみたいだな。でもこれで、アイザックさんの悲願は叶う」
「まだ……だ……! この力さえ、手に入れば……!」
「あくまで俺達への殺意を抑えきれないのか。だったら」
人だけでなく、魔物にも危害を与える者を放ってはいけない。
青年はゆっくりと新たな試験管を二本取り出し、それを放出した。
一本は光り輝く転生の力を取り囲み始める。
あれは恐らく封印の術式。
文字のようなものが浮かび上がり、その光を抑え込んでいく。
魔王はどうにか封印されていく光を体内に取り入れようとするも、それよりも先に強い力が彼を妨げる。
もう一本の液体が漆黒の渦に変わり、魔王を吸い込んでいたのだ。
「ダークマター」
「グオオオォォッ!」
弱った魔王に抗うだけの力は残されていない。
恨みの断末魔を上げて、螺旋の中へと吸収される。
敵を呑み込んだ渦は、その後すぐに極小の黒い球体に変わり、地に落ちると共に消滅。
元の静かな森へと空気が変わった。
助かったのか。
地に倒れたままの俺は、その場で脱力する。
そこへあの女性がやって来て、俺を抱きかかえた。
「大丈夫!? しっかりして!」
「は……お、俺は……?」
「怪我もない……。あぁ、良かった……!」
彼女が、イツハが安堵したように顔を綻ばせる。
あの時とは違う、この手で助けることが出来たという喜びが、ひしひしと感じられる。
彼女の姿を見て、何処か懐かしく、俺自身もそれを望んでいたような気がした。
すると先程の青年が俺達の元にやって来る。
「すみません、イツハさん。自分が付いていながら、敵の感知が遅れてしまいました」
「いえ、レクトさんがいなければ、皆無事では済まなかったと思います。本当に、ありがとうございます」
「こちらこそ。それでその、彼は一体? 魔王が取り込もうとしていたあの力、思わず封印してしまいましたが……」
「もしかしたら……。いえ、きっとこの子は……」
イツハは、それに気付いたのかもしれない。
彼女の眼は真っすぐに俺を見ていた。
躊躇いがちに、しかしハッキリとした声で問い掛ける。
「ニュート。あなたは、もしかしてニュートなの?」
「ど、どうして……」
「私のことを母さんって呼んだわ。そう呼ぶのは、あの子だけなの」
俺は戸惑うが、何も言えなかった。
「あの子は言ったのよ。自分には生まれ変わる前の記憶があるって。その力があるから、行かないといけない所があるって」
「……」
「魔王も確かに言ったわ。転生の力、って。まさか、本当にあなたは……」
彼女が呑み込んだ言葉に、俺は想起する。
魔王は俺の中に眠っていた転生の力を狙った。
俺がかつて魔物であることも語っていた。
ここまで来て、疑う余地なんてないのだろう。
俺はいつの間にか土だらけになっていた、自分自身の手を見つめた。
そうだったのか。
こんなことを忘れてしまっていたのか。
忘却していた全てのものを受け入れ、記憶の中を手繰る。
「約束、した気がするんだ。絶対に、生きて帰るって。それに貴方とは、初対面じゃない気がする。何処かで会ったような、そんな記憶があるんです」
「……!」
「転生の力なんて、全く自覚がない……。でも、本当に生まれ変わっているなら……俺は……」
そこまで言うと、彼女は俺を強く抱き締めた。
「お願い。今は、このままでいさせて」
思わず声を掛けようとするが、震える声が聞こえてくる。
「魂が転生するなら、いつかきっと会える。絶対に帰ってくる。私はそう信じて、生きてきたの」
魔物として命を落としたあの時から、イツハは我が子を失った思いを、ずっと抱えて生きてきたのか。
俺のことを忘れずにいてくれたのか。
家族としての温もりに包まれた俺は、そのまま瞼を閉じた。
今ある感覚を二度と手放さないように。
「お帰りなさい、ニュート。ずっと、ずっと待っていたわ」
「……ただいま。母さん」
俺は確かにそう言った。
もう彼女を悲しませてはいけないと心に誓う。
だがたった一つ、やるべきことが残っている。
生を輪廻した中にある、唯一の心残り。
俺にはまだ、会わなければならない人がいるのだ。




