3回目 -2-
「治定師団?」
「そう。人と魔物とを結ぶ組織のことだよ」
また年月が経って、俺も青年という言葉の範囲に収まってきた頃。
とある団体が、孤児院にやって来る知らせを聞いた。
先生方が言うには、人間と魔物との平和を訴える組織なのだという。
かつて人間と魔物は長年争い続け、埋めきれない溝があった。
魔物達を率いる魔王が、人間達の領土を侵略しようと画策していたことも原因の一つだった。
人間達は当然彼らを敵視し、抗戦を辞さない構えだった。
だがそんな時、ある事件が起きる。
魔王率いる軍隊の王都侵略。
当時勇者とされていた者達が、敵の領土へ侵攻していた際に起きた戦いだ。
王都の皆は力を結集して戦ったが、一斉に攻め込んで来た魔物の物量は強力。
力の大波に押し負けようとしていた。
しかし、そこに現れたのが一体の魔物だったという。
その魔物は人間達を守るために同族と戦い続け、戦線を押し留めるという驚くべき快挙を成し遂げた。
加えて魔王幹部の一人を足止めし、勇者達が帰還するまで耐え、同時にその命を落とした。
一体何を考え、人間達に加担したのかは分からない。
代わりに、彼の母親を名乗る魔物がその場でやって来て、王都の人々に降伏した。
彼女は魔物の中でも争いを好まない中立派。
息子をこれ以上傷つけないでほしいと、涙ながらに訴えた。
そして、母親の意思を汲んだ当時の勇者によって、彼女は丁重に扱われたという。
「そこで皆、魔物にも平和を願う者がいることを知った。それを証明するために、この組織は結成されたんだよ」
「そう、ですか……」
「気になるなら、実際に質問してみれば良いかもね」
師団への質問といっても、魔物に対する疑念も何一つない。
記録を見る限り、この団体はかなり大々的に活動していたようだ。
過去の王都襲撃をきっかけに、勇者達に声を掛け合い、魔物との交渉を行ったという。
そして元々魔王に加担していなかった中立の魔物達が終結し、師団の元へ属する。
平和を望む魔物達を束ねるだけでも相当の成果である。
やがて人と魔物は協定を結ぶことになったが、決定的な要因は一つ。
数年前に、過激派だった魔王が、再編された勇者パーティー達の手によって撃破されたのだ。
元々王都侵攻で大半の勢力を失っていた強硬派は、統率を大きく失い離散。
師団の尽力もあって、降伏する形で殆どの魔物が下った。
どうやら俺が孤児院で自分の生活を維持している最中に、事は全て収まっていたらしい。
「魔王は本当に倒されたんですか?」
「若き勇者達が、確かに倒したらしい。でも、もしかしたら何処かで生きているんじゃないかって噂もある」
「……」
「まぁ、安心していいよ。仮に生きていたとしても、殆どの力を奪われている。今更人だけじゃなく、同族に対しても裏切るようなことは出来ないさ」
魔王が倒された今、明確な脅威はない。
俺は特に深く考えることなく、師団と勇者達の功績を称えた。
「師団もそうですが、あの魔王を倒したなんて、勇者の人達も凄いですね」
「ん?」
「魔王幹部だけでも相当な実力者だったのに」
「魔王幹部? 何処でそんなことを調べたんだい? 確か、そこまでのことは記録されてなかった筈だけど……」
「え……?」
その瞬間、頭の中で何かが引っかかる。
何故、俺は今魔王幹部という単語が口から出たのだろう。
そんな者達の実力など知らないし、素性を聞いたこともない。
「おかしいな……。今、どうして俺は……」
何かが思い出せそうな違和感。
結局俺は、何も言えないまま俯くだけだった。
数日後、噂の治定師団が孤児院までやって来た。
今回の目的は、自分たちの活動を広く伝えること。
人と魔物が共存できることを、子供たちに教えることらしい。
師団にはそれを証明するように、人間と魔物が協力して活動していた。
「あの人達、魔物なのかぁ」
「何だか優しそうな感じするねぇ」
年少の子供たちが、物珍しそうに声を合わせる。
俺も実際にこの師団を見るのは始めてだ。
修道服らしきもので統一された服を全員が着こなしている。
物静かで儚げな印象すら感じられる。
その中で、周りの者から頭を下げられつつやって来る者がいた。
「あの方は……?」
「師団を束ねている方だ。彼女が前に言った、王都襲撃で子供を亡くした母親なんだ」
俺は思わず、もう一度女性を見た。
人型の魔物のためか、見た目は人間とさほど変わりがない。
年齢は見た目相応なら50歳程度だろう。
とは言え、魔物は人間よりも長寿な例が多いので、もっと長生きかもしれない。
当然、初対面だ。
だが、何故か分からないが、俺は彼女と何処かで会ったことがあるような気もした。
「皆さん、こんにちは」
「こんにちはー!」
「あらあら、皆の元気な声が聞こえて、私も嬉しいです」
彼女は皆を集めて挨拶をした。
子供たちの元気な声を聞いて、嬉しそうに表情を緩めた。
「今日は皆さんに、人と魔物の生い立ちについて話します。ここにいる方の中には、まだ魔物に対して怖いと思っている人もいると思います。ですから、これからの話を聞いて、少しでもその気持ちが無くなってくれれば幸いです」
女性の魔物はイツハと名乗った。
彼女は過去、王都襲撃の際に起きたことだけでなく、自分が勇者達の手によって助けられ師団を結成したことを語る。
我が子は助けられなかったが、これによって多くの人と魔物の命を救えた。
そう言うイツハの話を面白半分に聞く子供たちはいなかった。
その後、魔物達と触れ合う機会も設けられた。
簡単に遊ぶ程度のものだったが、全員が割と寛容だった。
魔物側の者達が陽気な性格だったこともあって、怖がる様子はなく双方の態度が徐々に軟化する。
俺もそれに混ざりながら、妙な既視感を抱き続けた。
「まだ私達の間には、長年分け隔たれていた溝があります。これは私達魔物が行ってきた罪でもあります。ですがいつか、きっと手を取り合える日が来る。私はそう信じています。皆さんも、優しい魔物に出会ったなら、優しくして下さいね」
「はーい」
彼女達との対話を終え、俺は孤児院にある運動場で身体を休めていた。
身体を動かした訳でもないのに、何故か凄く疲れていた。
そんな所に、イツハがやって来る。
他の子供たちと違う反応を取っていた俺を気に掛けたのだろう。
「こんにちは」
「ど、どうも」
「……ごめんなさい。魔物は苦手だったかしら」
「いえ、そういう訳じゃなくて……」
彼女は恐らくとても地位の高い所にいる。
そんな者に気安く話しかけて良いものか。
何度か迷った挙句、俺は見覚えのある女性に向けて問いかけた。
「あなた達は、人が怖くないんですか? 今まで対立しあっていた人達と協力するなんて……」
「そうね。私も、昔は人が怖かったわ。でも信じられるものもあったから」
「それって……?」
「悪い人ばかりじゃない。息子が、そう教えてくれたのよ。だから私はあの子を信じて、ここまで来れたの」
息子。
その単語を聞いた俺に、妙な感覚が全身を縛り付ける。
得体の知れない、このもどかしい感情は一体何なのだろう。
師団と関わってから、心が全く落ち着かない。
俺は振り払うように立ち上がったが、勢い余って体勢を崩してしまう。
そのまま地面に倒れかけた所を、彼女に抱き留められる。
「大丈夫? 怪我はないかしら?」
ある筈のない母の感触が伝わってくる。
直後、脳裏に何かが溢れかえった。
必ず帰って来て、そう言っていたイツハの姿が浮かんでくる。
それだけではない。
まだ幼い少女を見守る記憶が、鮮明に見える。
あの少女の名は、確か。
「コレット……」
「えっ?」
「母……さん……?」
ハッとして、俺はイツハから離れる。
訳が分からなかった。
ただ、この場から一刻も立ち去りたかった。
「す、すみません! 何でもないです! 忘れてください!」
「あっ!? 君! ちょっと待って!」
踵を返して走り出す。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、構わない。
孤児院を飛び出し、俺は行く当てもないまま駆けていった。




