2回目 -6-
時が刻々と過ぎ、徐々に辺りを震撼させる騒音が聞こえてくる。
これは自然のものではない、魔物達が蠢くうねり。
命を刈り取ろうと跋扈する者達の行進曲だった。
それだけでなく、王都との距離が近い。
まさかと思う間もなく俺は森を抜け、開けた光景が視界に飛び込んでくる。
見えたのは赤黒い炎。
それらが王都の一部を早急の形相で照らしている。
既に魔物達が王都への侵攻を開始し、人間達と交戦していたのだ。
「コレット……!」
間に合わなかったのだろうか。
強烈な後悔が押し寄せるも、それでも俺は王都へと駆け出した。
巨大な足跡の群れが残る道を辿ると、強硬派の魔物達と人間の兵士達が戦う様子が近づいてくる。
獣の叫び声と死闘する人々の掛け声が折り重なっている。
いかに戦力の高い魔物達とはいえ、王都の兵士達も並みの者ではない。
どちらも一歩も譲っていない。
だが一部の魔物達は外壁を越え、王都内部へ侵入している。
俺はどうにかその死線を潜り抜け、中央街へと進み続けた。
何体の魔物は俺の存在に気付いたようだが、戦いの混乱によって追って来る者はいなかった。
「クソッ! 何てことだ! このタイミングで王都に攻め込まれるなんて……!」
「俺達の行動が筒抜けだったのか!?」
だが、人間達が相手となれば話も違う。
俺を見るや否や、侵入を拒むように立ちはだかる。
加えて俺の姿に心当たりのある者もいたようだ。
怨敵を見つけたように目を見開き、辺りに声を響かせる。
「見ろ! あの魔物、以前ここに侵入していたヤツだ!」
「コイツが全て手引きしていたんだ! 必ず息の根を止めろ!」
退いてくれ。
俺は生きて帰らなくちゃいけないんだ。
次々と攻撃が繰り出される中、俺は回避に徹するだけで反撃をしなかった。
当然、無傷で済むはずもない。
身体の至る所に切り傷が刻まれていき、治った筈の背中の傷も痛みだす。
人間の中には、一切手を出さない俺の行動に不信を抱く者もいたようだ。
すると王都中央街で防衛線を張っていた人間達の中に、一人の女性を見つける。
「ここを持ち堪えれば、助けが必ず来ます……! 諦めないで……!」
彼女は他の人達に支えられながら、苦しそうに声を振り絞った。
逃げ遅れて怪我をしたのか、体力を消耗したのかは分からない。
ただ分かるのは、彼女があの時見た金髪の女性であること。
コレット・ポードヴォールであることだけだ。
「人間ども! ここで全員、くたばれッ!」
侵攻した魔物の一体が防衛戦に辿り着き、強烈なブレスを放とうとする。
アレに巻き込まれれば、タダでは済まない。
俺に迷いはなかった。
血の流れる身体のまま、その魔物の背後に飛び込み、それを引き裂く。
同族の奇襲を受けた魔物は、信じられないと言った様子で俺を視界に捉えた。
「お、お前……! 何故……ここに……!?」
最後まで言葉は紡がせなかった。
力強く腕を振るい、その命を奪い取る。
すまない。
手に掛けた者の血を手に滴らせながら、俺は防衛線で固まる人々を庇うように背を向けた。
「どうして、魔物が同士討ちを!?」
「コイツ……まさか、俺達を守っているのか……? そんな馬鹿な……」
王都の兵士達は、何が起きているのか理解できていないようだった。
魔物同士で相討ちを行うなど、今まで見たことがなかったのかもしれない。
だがそれは魔物達も同じだった。
俺が反逆の意志を見せたことが直ぐに広まり、困惑と敵意の視線を向けられる。
一線は踏み越えた。
ここからが正念場だ。
押し隠していた気迫を滾らせ、周囲を僅かに震わせる。
「誰、なの……?」
コレットの言葉が、後ろから微かに聞こえた。
だが答える余裕も、振り返る余裕もない。
アイザックが戻ってくるまで、彼らを一歩たりとも立ち入らせない。
それが今の俺の役目。
引き金を引いてしまった後始末だ。
だからこそ。
俺の娘に、コレットに手を出すな……!
「グオオォォォォッ!」
俺は叫ぶ。
声にならない声を王都全体に轟かせ、襲い掛かる魔物達に立ち向かった。
それから先のことは、徐々に記憶から薄れていった。
あらゆる攻撃から皆を守り続け、全身が徐々に削り取られていく。
それでも思い通りに誰一人近づかせなかったのは、槍だった頃の経験があったからだ。
彼の戦闘技術や戦いぶりを、俺は誰よりも近くで目の当たりにしていたためだ。
「あの魔物……まるでアイザックと同じ動きを……!?」
人間達も俺の戦い方に思い出すものがあったらしい。
だが元々疲弊していたこともあって、兵士を含めた全員が、その行く末を見守ることしか出来ない。
別にそれでも良かった。
元々助力を期待していた訳でもない。
俺はただ、彼女に危害を加えるモノを倒すだけだ。
そうして数十体の魔物を排除すると、見覚えのある巨大な影が目の前に現れた。
「やはり、あの場で始末しておくべきだったか」
魔王幹部、因果応報のヘリオが、俺を見下す。
やはりこの侵攻に加わっていたか。
俺は両足に力を込めて、その場に立ち続ける。
身体が重い。
今までの戦闘で大半の力を使い切ってしまったらしい。
更に幹部相手となれば、倒せるかどうかも怪しい。
それでもコイツを倒すことが出来れば、魔物達の士気は落ちる筈。
俺は抵抗の意志を失わず、ヘリオに向けて攻撃を繰り出した。
だがその瞬間、俺の身体が全身に渡って切り刻まれた。
「か……はっ……!?」
「無駄だ。俺の力は因果応報。俺を傷つけようとする者は、何人たりともその罪を受けることになる」
そうだった。
奴への物理的攻撃は全て弾き返される。
特殊攻撃の類を持たない者に、その力を突破することは出来ない。
思考が正常に働いていないこともあって、攻略法が思いつかず、遂に俺はその場で膝を屈した。
「お願いします……! 誰か、手を貸してあげて……!」
「し、しかし……アレは魔物です……! 危険です……!」
防衛線の人々は、コレットの言葉を受けても魔物という壁に踏み出せずにいた。
俺は視線を自分の身体に下す。
いつの間にか左腕が、二の腕から先が消えている。
何処で失ったのか、どれだけの痛みを抱えているのかも理解できない。
視界が徐々にぼやけていく。
満身創痍の俺に、ヘリオがゆっくりと近づいて来る。
「そこまで人間を守るのか。いい加減諦めたらどうだ」
「……ない……」
「何だと?」
「諦め……ない……」
思考が定まらない。
もう戦うだけの余力も残っていない。
だが、それでも俺は手を伸ばした。
「俺は……生きて……帰るんだ……」
「何を訳の分からないことを。そのザマでは、もう長くないだろう。ここで死ね」
大きな暗闇が目の前に広がる。
駄目なのか。
結局俺は、何も果たせずに終わるのか。
そう思いかけた瞬間、上空から何かが降りてくる。
それは人の影、槍を持った尖兵のそれだった。
「我が槍よ! 全てを穿て!」
光の一閃が、巨大な衝撃と共に降り注ぐ。
目の前の影が、その光と衝突し硝子のような音を立てる。
何が起きたのかは分からない。
ただ、視界を照らすように光るその槍は、何処かで見覚えのある武器だった。
「アイザック……! あのパーティーが、戻ってきたんだ……!」
誰かの声が聞こえる。
事態が好転したことだけは分かった。
そして、目の前の影が大きく揺らぐのが見えた。
「馬鹿な! 想定よりも早すぎる! いや、全てはコイツが我々の邪魔立てをしたからか……!」
これが最後のチャンスだ。
俺はもがくように、その影に飛び掛かる。
どう足掻いても反射されていた俺の身体が、この時だけは吹き飛ばされなかった。
「しまっ……」
「オオオォォッ!」
残っていた右腕を振るった、気がする。
直後、影が崩れ落ちるのが見え、俺の視界もグルリと回転した。
後は、それだけだ。
身体の感覚が次第になくなっていく。
星がまばらに輝く夜空が、微かに瞳の中に映った。
「コレット! 皆! 無事だったんだな! 戦況はどうなっている!?」
「それが、あの魔物が私達を守って……!」
「何だって……!?」
そうだ。
コレットはどうなった。
アイザックは助けに来たのか。
皆、無事なのか。
もう一度腕を伸ばそうとしたが、その感覚すら無くなっていた。
もう、何も見えなかった。
「皆、別の魔物が来るぞッ……!」
誰かの声が聞こえると共に、別の誰かが俺の傍にやって来る。
一体、誰が来たんだろう。
敵ではないことを祈っていると、懐かしい気配が俺を包み込んだ。
「ニュート! ニュートッ!」
この声、イツハだ。
どうしてこんな所にいるんだ。
そうか、分かったぞ。
俺はいつの間にか、成し遂げていたんだ。
皆を助けて、戦いを止めて、家に帰ってきたんだ。
「かあ……さ……ん……」
「ニュート! しっかりして! 血が……血が止まらない……!」
分かっている。
俺にはまだ、やり残したことがある。
約束したじゃないか。
必ず生きて帰ると。
あの人に、母さんに話したいことが、山ほどあるんだ。
「お願いします! 誰か! 誰かこの子を助けて……!」
後悔してもし切れない。
今まで出来なかった、打ち明けなかった家族への思いがある。
だからこそ、俺はそれを言葉に変えた。
暗く冷たい闇の中で、必死にもがく。
「ごめん……なさい……」
しかし、それから何が起きたのか。
もう何も分からない。
生死の境界を越えた闇の中で、たった一人だけ取り残される。
すると次第に、眩い光が頭上を照らした。
この光、見覚えがある。
何度か経験したことがある気がする。
ただその正体を思い出せない。
沈みかけていた身体が、抵抗する間もなく無理矢理引っ張り上げられる。
意志なんて関係ない。
そのまま、俺は光に呑み込まれた。
そして、魂は再び輪廻する。