2回目 -5-
「どういうことですか!?」
「どうもこうもない、これは魔王様の決定だ」
俺は叫びに近い声で問うも、魔物の兵士はそう答えるだけだった。
ここ数日で断片的な情報を得た結果、導き出されたのはとある作戦だった。
編成された勇者パーティーが、魔王を討ち果たすために、こちら側の居城へ攻め込むという。
しかしその居城は囮。
人間の領土内には、魔物のスパイがいたのだ。
最低限の戦力を残して、残りを全て王都侵略の軍勢に集中させる。
言わばこれは、魔物達が行う最大級の侵攻。
いかに戦力を強化された王都でも、それだけの軍勢を相手にするとなると苦戦は必至。
もしくは、本当に侵略されてしまうかもしれない。
「アイザック達は直ぐに罠だと気付くだろう。だが、戻ってきた時には既に手遅れだ。我々の軍勢が、王都を侵略しているのだから」
「っ……!」
「お前も魔物の端くれなら、良い結果を心待ちにしているんだな」
反論する猶予もなく、魔物の兵士はその場から立ち去る。
聞こえるのは遠くなっていく足音だけ。
俺は牢獄の中で膝を屈した。
王都には善良な市民だけじゃない。
俺の娘、コレットがいるのだ。
あの場が戦火に巻き込まれればどうなるか、分からない俺ではない。
加えて今回の騒動、突如勇者パーティーが攻めに転じたのには理由がある。
恐らく俺が王都に侵入したことが関係しているのだろう。
「俺のせいだ……! 俺が、あんなことをしなければ……!」
娘に一目会いたい。
そんな自分勝手な思いが、事態をここまで悪化させてしまった。
何としてでも、この戦いを止めなければならない。
だが今の俺は、触れた者の力を奪う特殊な錠によって、全身を拘束されている。
どれだけ力を振り絞っても、ビクともしない。
他者がこの錠を外さない限り、俺は身動き一つとれないのだ。
もう、どうすることも出来ない。
俺はなんて無力なんだ。
深い失意と絶望が全身を包み、時間だけが過ぎていく。
そして、魔王軍が王都への侵略を開始した日。
気力すらなく項垂れていると、誰かがこの牢獄までやって来る。
気配を隠すような、慎重な足取り。
巡視の魔物にしては妙な動きだ。
何も出来ず、ただ横たわるしか出来ない俺の視界に、ぼんやりとした姿が見える。
そうして現れたのは予想もしなかった、母のイツハだった。
「ニュート、そこにいるの?」
「か、母さん? どうしてここに……?」
俺は混乱する。
ここは強硬派の管轄する領域だ。
中立であるイツハが、ここに立ち入ることは許されていない筈。
しかし彼女は牢獄の前までやって来て、静かに口を開いた。
「今日、魔王様が集った軍隊が王都に攻め込むそうよ」
「……」
「……やっぱり、あそこに気になる人がいるのね」
「な、なんで……」
「母親だもの。あなたの考えていることくらい、分かるわ」
イツハは悲しそうに笑う。
憔悴する俺に向けて優しく問い掛けた。
「ねぇ、ニュート。何を隠しているの?」
心の中を暴かれそうになって、俺は視線を逸らした。
まさか、正体に気付いたのか。
今までやって来た無茶が、息子の正体が人間だったためだと、気付いてしまったのか。
強烈な罪悪感が全身を包み込んでいく。
反射的に、俺はその問いを否定する。
「何も隠してない……。俺は……魔物だ……。母さんの息子……」
「……本当にそう思っているの?」
「本当も何も……この姿を見たら誰だってそう思う……。俺は魔物……魔物なんだ……」
コレットの姿が、俺を殺そうとした兵士の姿が、脳裏をよぎる。
だがイツハは、その答えを見抜いていた。
「じゃあ、どうして、そんなに悲しそうな顔をするの?」
「……!」
「教えてほしいのよ。あなたが、どうしてそこまでのことをするのか」
自覚のなかった思いを告げられ、俺はようやく彼女の目を見た。
イツハの目は真剣だった。
危険を顧みずに、俺の真意を探るためここまでやって来たのだろう。
もう隠し立てをする必要などなかった。
今まであったことを洗いざらい吐き出す。
自棄なところがあったのかもしれない。
人間だった頃の記憶や、今まで考えてきたことを打ち明ける。
「生まれ変わる前の記憶……」
「ずっと騙してた。俺には、人間の頃の記憶があったんだ」
魔物を騙った人間だと、ただの裏切り者だと、八つ裂きにされる覚悟すらあった。
だが彼女は態度を崩さない。
暫く間があって、二人に流れる沈黙が破かれる。
「その人はニュートにとって、とても大事な子なのね」
「え……?」
「分かるわよ。私も親だもの。自分の子が危険に晒されるかもしれない状況で、黙っていられる筈がないわ。それにこの機会を失えば、あなたは一生後悔する」
イツハがおもむろに何かを取り出す。
それは兵士達が持っていた牢獄の鍵だった。
何故それを持っているのか、そんな疑問は些細なことだった。
考えるよりも先に、イツハは牢を開け放つだけでなく、全身を拘束していた錠を解き放った。
困惑する俺に向けて、彼女は先の道を指し示す。
「行きなさい。今ならまだ、間に合うわ」
「どうして……こんなことをしたら……」
「今までずっと、隠し事をしていたでしょう? 私もね。ニュートから距離を置いているみたいで、どう接すればいいのか、分からなくなってたの。でも今、やっと本音が聞けた。本当のことが聞けた。それだけで私は十分。だからあなたは、あなたの思うことをしなさい」
俺はずっと、彼女に嘘をついていた。
魔物でありながら人としての魂を持ち、その思いをずっと隠し続けていた。
だと言うのに、そんな俺を信じてくれるのか。
「でも忘れないで。あなたは私の子、ニュート。絶対に、絶対に帰ってきて」
イツハは、俺に近づき一度だけ抱きしめる。
それは人間だった頃に感じたことのある、母の温もり。
そうだ。
親子の絆とは、こんなにも温かいものだったのだ。
俺は目頭が熱くなりながらも、母と正面から向き合う。
「ありがとう……。必ず、必ず帰るから……!」
俺はコレットの父親であり、イツハの息子でもある。
この命を無駄にしたりはしない。
新たな決意を抱いた俺は、力を奮い立たせて牢獄から脱出した。
以前に受けた背中の傷は既に完治している。
今なら十全に動くことも、侵攻した強硬派の連中に追い付くことも出来る。
「貴様!? 一体どうやって抜け出した!?」
「その子に手を出さないで!」
洞窟の出口で見張りをしていた魔物に気付かれるも、イツハが身を挺して妨害する。
一度振り返りかけたが、彼女は自分が危険になることも顧みず、俺を助けてくれたのだ。
立ち止まってはいけない。
俺はそのまま脱兎の如く森を駆け抜ける。
いつかの時と同じように、それでいて今までにないスピードで、全ての光景を置き去りにしていく。
喉の奥が痛んだが、何を意味しているのか、理解する暇はなかった。




