ジャマイカサウンド史 ~ コクソン・ドット&デューク・リード篇
1838年、250年続いた奴隷制度が廃止されジャマイカ人はついに自由となった。
1950年代に入るとアメリカから入ってきたスイングジャズ、R&Bがジャマイカ人のブームとなる。
それと同時に安上がりで最新のレコード聴かせてくれる野外ディスコ、いわゆる「サウンド・システム」が庶民の間で人気を博す。
この「サウンド・システム」は、トロージャンのデューク・リードや、コクソン・ダウン・ビートのコクソン・ドット等らを筆頭に、多数ジャマイカ国内にできあがることとなる。
これら「サウンド・システム」はライバルよりも人々を集めようと、いち早くアメリカからのレコードを入手することへ互いにしのぎを削った。
それは、ついにはジャマイカ人ミュージシャンのオリジナル音源をも必要に迫られることとなる。
50年代中期、クーリ・ファミリーがジャマイカ初のレコーディング・スタジオ「フェデラル」を設立。
SP盤や「サウンド・システム」用のプレスを始めるようになる。
そこで、デューク・リードとコクソンらが「フェデラル」を使い、彼らの経営する「サウンド・システム」でかける、独自の音源をレコーディングするようになる。
それがのちに、ジャマイカミュージックの名門レーベル「トレジャー・アイル」(デューク)と、「スタジオ・ワン」(コクソン)の誕生へとつながっていくのだ。
さて、ここでデューク・リードとコクソン・ドットについてお話しよう。
デュークは警察官からトロージャンのオーナーに転身した変わり種。
60年代初期、コクソンより先にレコード・レーベル「トレジャー・アイル」を設立。
多くのスカ、ロック・ステディの名作を残す。
60年代後半に「Uロイ」を起用し、初めてDJをレコード化した功績は大きい。
コクソンは、61年に「スタジオ・ワン」を設立。
「スカタライツ」のレコーディングを始め、スカの歴史を築いていく。
やがて流行はスカからロック・ステディ、レゲエと移り変わっていくが、ウェイラーズやアルトン・エリスを始めとした多くの人気シンガーやDJを世に送り出した。
2人は共にジャマイカサウンド史において、もっとも重要な人物と評される。
ジャマイカサウンド史の話に戻ろう。
60年代初期、ジャマイカ音楽シーンを影で支えていたのが「スカタライツ」である。
当時レコーディングされたレコードのほとんどは彼らで演奏されている。
「スカタライツ」はレコーディングを前提としたバンドだったので、レコーディング・プロデューサーによってメンバーは流動的であった。
中心メンバーはトミー・マクック(テナーサックス)、ローランド・アルフォンソ(テナーサックス)、ドン・ドラモンド(トロンボーン)の3人。
スカブームをの立役者「スカタライツ」だったが、60年代中期になると、ゆったりとしたリズムのロックステディがジャマイカサウンドの主流となり、「スカタライツ」は、わずか3年で解散、中心メンバーの3人もそれぞれ他のバンドへと分裂してしまう。
次章はスカの次となるブーム、ロックステディについてと、その代表的シンガー、「アルトン・エリス」について語ろう。
… つづく