装飾品はどちら?~ストーリー・キャラクター~
特定の作者様、作品、ジャンルに対する
非難ではありません。
タイトル通り装飾品、つまり都合よく使われるのはどちら?という話です。
今回の話はなろう小説特有の話ではなく、どちらかというと創作品全体に対する疑問の話です。
量産されているオリジナルファンタジー。賛否両論の内容もありますが、基本的に自分と相性が良い作者様の物語の展開はやはり面白く、否定派の意見も気になりません。
しかし、前々から思っていた事ですが、キャラを立てる事を重要視するあまりストーリーを中途半端、もしくはほぼないモノとしている作品が目立ちます。
もちろん日常モノとしての作品なら間違いはないと思いますが、
おい敵どうするんだよ、という率直な気持ちが出て来てしまう主要キャラの多いこと、多いこと。
アニメで例えると、キャラ以上に演じている声優さん目立てに視聴する感じになりますね。確かに演じていらしゃる演者さん達の技術は素晴らしいものです。しかし、本来の楽しみ方はそうではない。あくまで演者は裏方に徹するべきです。
この問題は演者さんではなく事務所の売り方に問題があります。
結局これだって、声優をアイドルのような売り方をした結果、技術以上にある程度の容姿が必要になったようなものです。
話を戻します。極論ではありますが、昔はストーリーありきのキャラであったのではないかと感じます。
もちろん昔だって、キャラメイクの後に物語を作った作品なんてもあると思います。しかし、少なくとも今の作品のような都合の良さそうな雰囲気を感じさせられることはないです。
このへんは魅せ方と言いますか、技術の問もあるのでしょうが…
後はそうですね。欲望と伝えたいことは違う事ですね。
少なくとも読書中の私が求めるものはわりと多い気がしますが、ほとんどのものは、あれば良し程度のもの。
しかし、作者様の欲望が見え隠れする作品はよっぽど作者様か、物語に入れ込んでいないとキツいです。
結論というか私が言いたいことは、作品の伝えたいことを読書に理解させるのは素晴らしい事ですが、作者様の欲望を直に感じてしまうような物語はダメって事と、ストーリーを大切にしてこそキャラに対する思い入れが光るのではと言う話です。