第一章 15話 『永き闘争の始まり』
「うんうん!! 友情っていいよね!! じゃあ、お別れの挨拶もしよっか!!」
一言、たったの一言でこの男の異物感に三人は本能的な何かに後押しされるかのように距離を取った。こいつだけはダメだと、気を緩めてはいけない相手だと一瞬で悟る。
薄暗いダンジョン内とはいえ、クロア達は細心の注意を払い周囲の警戒は怠っていなかった。故に、なんの前触れも無く、まるで瞬間移動でもしたかのような現れ方に動揺を隠しきれない。
身長は二メートルは届きそうな長身。白く長い長髪は地面を引きずっており、ところどころ傷んでいる。体は骨が浮き出るほど肉は薄く、ボロボロの包帯を巻きつけ、今にも倒れそうなほどの満身創痍に見えるが、その瞳はクロア達を睨め回しながらも確実に笑っていた。
まるで幽鬼。本当に生きているか不安になるほどの存在感の無さに不気味さは感じざるを得ない。
「……おいおい、いつからそこに居やがった。一応、魔力検知は常時展開しておいてるんだがな、目の前にいるのになんの反応もしないっていうのは一体全体どういうことだ?」
魔力検知は自身の魔力を波のように周囲に巡らせ、生物が範囲内にくれば魔力の波紋が生じ、術者に返ってくる。その波紋の大きさで生物の姿や大きさを判別できるという魔力の性質を利用した探査術だが、それに反応しないということは――
「幽霊――ってわけじゃないよね……」
「失礼なっ! この姿を見てそんなこと……よく見れば不気味ですね、私の体」
これが、友達との会話だったら声をあげて笑えたのかもしれないが、その容貌と雰囲気にただただ目の前の男が得体のしれない化け物のように見えて仕方なかった。
「それで? 私たちになにか用でもあるのかしら?」
そう質問したセフィラの手はホルダーに差し込まれているダガ―に手をかけ、すぐにでも抜けるようにしている。
男はそうでしたと言わんばかりに「あ」と大口を開け――
「そうでした、そうでした。ではまず自己紹介からいきましょうか。――偉大なる『黒い獣』を崇拝する”クリフォト”第九殻を務めさせていただいております――ストリーゴと申します。気軽にストちゃんって呼んでね!」
”クリフォト”、マレイシャより聞かされている『黒い獣』を使役させようとしている組織名、まさか目の前にいるこのストリーゴと名乗る男がその一員だとはクロア達も予想できなかった。
この名乗りを聞いてクロアとセフィラは臨戦態勢になる。ログは怪訝な表情で、しかしクロアとセフィラを見て、自身も魔術を発動できるよう準備しておく。
「こいつがクリフォト……僕たちの――敵」
クロアは改めて”敵”を再確認する。
「……クリフォト、まさか実在してたのか。ただの噂話だと思ってたんだが……」
「おや?私たちそんな人気者になってたんですか?いけないなぁ、いけないなぁ、これでは”彼”に怒られてしまう、私たちは見つかってはいけないもの、全力で隠れなければ!」
自らを抱きしめ、腰を横に振り、見ているだけで気持ち悪くなっていく。
「くそっ、何を言っているのか全然わからないんだが、こいつがとんでもない異常者だっていうのだけは分かったよ、こん畜生」
ログはストリーゴの言動を見て、目の前の男が常識に当てはめられない人物だと判断する。それはつまり敵対するにあたって相当厄介な相手だとログの経験から認識せざるを得なかった。
「……あの」
クロアはどうしても彼に聞いておかなければならないことがあった。幸か不幸か目の前に答えを知っている相手がいる。だからチャンスなのだろう。この機を逃せば次はいつになるのかわからない。クロアは己が感じている恐怖に耐えながら、目の前でぶつぶつ独り言をつぶやいている男、ストリーゴとの会話を試みる。
「……あなたたちの目的は何ですか?僕たちはあなたたちは黒い獣を使役しようとしているって聞きました、でもなんでそんなことを――」
「……偉大なる黒い獣を使役? ……ククク、カッカッカ、ケェッケェッケェッ!!!! 私たちがそんな恐れ多いことをできると? それに全くの見当違いですよ! 私たちは黒い獣が行う破壊活動をお手伝いしたいのですよっ!!」
「破壊活動の……手助け?」
この男は何を言っているのだろう?あの惨劇を、悲劇を、虐殺を行うことを許容し、あまつさえ、その行いに手を貸していると?
「あなたたちは知っていますか? 黒い獣の行動時間には限りがあることを。だからその時間は出来るだけ壊して、壊して、壊してほしいのに、どっかの騎士団やら冒険者が足止めして被害を減らそうとするんですよー、困りますよねぇ?」
「――ふざけるな! 今までどれだけ王国騎士団の皆が命を懸けたと思っているの! 皆、黒い獣に殺されて、私の友達だって……」
セフィラの慟哭。あのいつも冷静なセフィラがここまで感情をあらわにするところを、クロアは初めて目撃する。しかしクロアにもその嘆きに共感できる理由があるのだ。
「母さんも僕の目の前で、黒い獣に殺された。だから僕は絶対に黒い獣を殺す!!」
「そう!そこなのですよ!」
いきなり声をあげる狂人にクロアはたじろぐ、セフィラもログも疑問の表情を浮かべていた。
「あなたの母は殺された。しかし! あなたは生きている……なぜ?」
「一体、どういう……」
「私が報告を受け、現地に赴いた時には黒い獣はあなたに背を向け立ち去って行った。……ですが今回の活動時間があまりに短すぎる。人一人喰うぐらい余裕だったはず、なので私はあなたに原因があるのではと思いずっとあなたを尾行していたのですが……」
思わずゾッとしてしまった。一体いつから?もしマレイシャとの関係、自分が黒い獣を傷つけることができること、この二つは知られるわけにはいかない。
「城門をでてからあなたを見ているのですが、これと言って脅威に思えることはなにもなかった。しかも持たざる者と来たものだ。……あなたはあの時、黒い獣と出会ったとき、一体何をしたんですか? どうして? どうして?」
じっと見つめてくるストリーゴにクロアは内心、安堵する、どうやら肝心なところはまだ敵には知られていないようだ。
「――誰が」
だから精一杯の虚勢を張る。こっちは畏まる必要もない。怖いものは怖いが、このストリーゴという男がこれからも黒い獣を手助けするようなら倒すべき敵だ、ならば――目いっぱい馬鹿にしてやればいい。
「――誰がお前なんかに教えるかっ! ガリガリ男!!」
「よくいったクロア!!」
瞬間、爆ぜる。正確にはストリーゴが立っている地面から炎の柱が立ち上る。炎の柱は天井にまで届き、ダンジョン内をまぶしく照らす。その炎柱が発する熱は、そこで耐え続けることはできないほど熱く、クロア達は焼き付けるような熱の及ばない範囲にまで下がる。爆発が発生したところを見ると一部熔解しているところから、その熱は計り知れない
「熱、熱いわよ! ログ! やるなら事前に言いなさい!」
「それじゃ避けられちまうだろ。だがかなりの魔力を込めた《エム・ルーブス》だ。――あの男はどうなった?」
「……ログ、ただの魔力の無駄遣いだったかも……」
未だ燃え続ける炎の中から何かが出てくる。黒いごつごつしたもので覆われた人型のなにか。いや――あれは岩の鎧。全身を岩で覆い、熱を通さないようにした、ストリーゴの魔術。
「完全な不意打ちだと思ったんだがな。それにしても魔術展開が速すぎだろ――」
体を覆っていた岩がボロボロと剥がれ落ち、ストリーゴ自身が出てくる。俯きながらログの魔術で高温で熱せられたその岩を裸足で構わず踏みつけ、足の肉を焼きながらクロア達の元へとゆっくり近づいてくる。
「あなたが会話の最中ずっと魔力を練っていることには気づいてましたよ。だから私も準備していただけのこと」
俯いてた顔を上げ、身もすくむような鋭い眼光をクロアへ向ける。その瞳にはなにも感じられない、いやクロアには理解できない何かが込められていると感じた。
「クロアといいましたか、やはりあなた何か隠してますね。……包み隠さず、全て私にさらけ出せェェェェェェッッ!!!!!」
憤怒なのか憎悪なのか、クロアにはわからない。しかし、ただ狂っていただけの狂人が明確な意思を持って、その牙を剝いてきた。
第一章 7話のカイヴェルが使った魔術名を《ラメド》から《ルーブス》に変更しました。