断首カートリッジ
画面の向こうをのぞく。
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広い世界が暗闇を照らしているが、陰の灯り。
昔の行灯越しの灯明の方が、しっかりしていただろう、現実としては。
打ち込みの音だけが響く。
音が消え自分も消える。
修行僧的な時間を過ごす。
画像が歪み、物が二重三重に重なる頃、仮眠室で、寝る。
風が窓を揺らす音で目覚めた。
いつの間にか、雨。
冬の雨だ。
車のタイヤが水を弾かなければ、理想的な静けさの中になる。
この仕事が終わったら、しばらく休みが取れるはず。
何か飲もう。
子供の頃、こんな仕事をしてる自分を想像したことがない。
まあ、不適切なのや苦情の来たのを、排除するのを開発する。
業者用に、そういったソフトを売りつけるのだ。
法整備が必要な程、匿名での誹謗中傷が、嵐の様に吹き荒れて、実名以外の投稿は、固めて丸めて捨てられる様なのを、作っている。
いちいち警察に目をつけられていたら、ネットの世界じゃ仕事にならない。
電子紙芝居的に、考えていた行政も重い腰を上げ出していた。
ここで、ブラックリストに載ると、業者も仕事にあぶれる。
こんな、仕事が稼ぎ頭なのが現実。
人の迷惑顧みず、馬鹿書き込みが、後を絶たないのも現実。
炭酸に幸せを感じ、一息つく。
給湯室のホコリの溜まった窓枠から、雨の街と夕暮れが縦に切り刻まれて映し出されている。
一気に、人の気配や匂いや生活音がなだれ込んできた。
帰宅時間だ。
フロアーをぶち抜いて、この6階全てを、この部署にあててから2年。
業績は伸び、まだまだ天井知らずだったのだ。
喧騒の中、いつの間にか半分の人間が帰って行った。
残りも、今夜は帰そう。
その旨を伝えると、ホッとした。
この仕事は、誰かが大鉈をふるわないと、やめ時が見つからないのだ。
ダラダラと続いて、大事な人材を食い荒らしてしまう。
淡い光を残し、ひとつひとつ、人影が離れていく。
奥の天井灯が消され、闇と静けさが戻ってきた。
ザッと片付けたら、自分も帰ろう。
画面を見ると、新しいメール。
囲い込み用のサーバーに飛ばす。
こちらは消去。
我が社の画期的なソフトだ。
来た物を、離さない。
万が一、性悪ウィルスでも、ここから他のサーバーに飛べなくしてしまうのだ。
まるで、羊を集める牧羊犬の様に、柵の中に追い込む。
電脳の檻だった。
こんな仕事なので、とにかく不審なものは、ウカウカと開けたりしない。
メールは、ウィルスが付着してなかったが、誰宛かわからなかった。
「間違いメールですか。」
残っていた城崎が、脇に立っていた。
「いや、違うな。
ここに直接来ているし。
迷子の蝶だと、名乗ってはいる。」
「まだ、匿名なんて事をしてるのが、いるんですか。」
「まあ、待て。
読んでみてから、判断しても遅くないからな。」
《迷子の蝶からのお知らせ。
来る2月10日お越しくださいませ。
長物の珠数と檜扇は、こちらで用意させていただきます。》
城崎が顔をしかめる。
「間違いにしても、変な文ですね。」
「下に署名してあるぞ。
住所も名前も知らないが、ちゃんと書いてあるな。」
首をかしげるメールだ。
宛先が、この6階の部署になっているだけなのだ。
城崎と手分けして、他のサーバーを見て歩いたが、迷子の蝶からのは、これ一件だけだった。
「変なメールですよね。
ここのは、ホームページにも、載せてないし、社内の者以外だと、警察か同業者ですかね。」
「それなりのセキュリティをくぐり抜けてきたのかもな。」
「それって、ヤバイですよ。
俺、調べてみます。」
城崎がその住所と名前を検索したが、これといって、不審なものは出てこない。
迷子の蝶のプロフィールが手に入っただけだった。
プリントもしない。
アナログに手帳に書き込む。
「俺、調べて見ます。」
とめればよかったが、うなずいてしまったのだった。
気になったのだ。
それなら自分で動けばよかった。
その日から、城崎との連絡はつかなくなってしまった。
その上、新しいプロジェクトが、前倒しで、下ろされてきた。
天からの声だ。
6階は、てんやわんやになった。
この時求められたのは、ネットの世界に、不純な物を出さないシステムだ。
管理人の手を煩わせることなく、キーを押した途端に、取り締まれる。
羊追いから、カツオの一本釣りだ。
半年がすぎ、目標の80%が、釣り上げられる様に、様変わりした。
誰も知らないうちに、邪な書き込みには、釣り針が下げられたのだ。
城崎の行方は、わからなかったが、完全に消えていた。
プロジェクトの終わりが見えた頃、メールが来た。
迷子の蝶だった。
《迷子の蝶からのお知らせ。
来る9月10日お越しくださいませ。
帷子と守り刀はこちらで、用意させていただきます。》
ゾッとした。
今回は明確に死の匂いがする。
城崎を思い出したのだ。
手帳の最初の頃の頁を開く。
迷子の蝶の名前と住所が認めてあるのだ。
今回のメールの送り主も同じだ。
迷う事なく、このメールを削除した。
誰もいない、オフィスの天井灯を消し、陰を残しながら、6階を後にした。
外に出ると、時雨が足元を濡らした。
まだ寒くもなく、あたたかな雨。
にじんだ街路灯の中に、フードの男が立っていた。
痩せてやつれていたが、城崎だ。
走り寄ると、フードの中に城崎の顔が埋まる。
「城崎か。」
「久しぶりです。
ご迷惑かけてなければ良いのですが。」
声が違う。
陰の中に鈍い光が当たり、無精髭の顎と黒光りの何かが見えたが、暗転してフードの中に消えていった。
怪訝な顔をしていたのだろう。
「これを。」
1冊のノートを押し付けられた。
フードをかぶったまま、城崎は雨の闇の中に紛れて、足早に去って行ってしまったのだった。
追う暇もなかった。
ノートを鞄にいれ、帰宅を急いだ。
柔らかい雨でじっとりと濡れ、アパートの扉を閉じた。
フードの下の城崎のやつれた顔が、気になっていた。
カーテンを閉め、ソファに座る。
城崎のノートは、あの日から、始まっていた。
迷子の蝶は、個人的な発明集団だった。
城崎はその集団に飲み込まれたのだ。
あのメールは、ヘッドハンティングだったのだ。
彼の知識は、プロジェクトを進めるのに役立った様だ。
そして、人体実験が始まった。
人体実験しなければ、結果は出ない。
モルモットや犬で成功していた。
城崎は、実験体に志願したのだ。
それは、まだ名前もない、人工胎盤プロジェクトだったのだ。
免疫抑制する事のない母体と胎児の関係を、人工胎盤で創り出すのだ。
手足が成功し、やがて城崎は志願して、そのカートリッジを首につけた。
首から下は、やはり志願した別の研究者の身体だった。
ノートには、城崎のその後が書いてあった。
二人は最初なんの問題もなかった。
だが、一ヶ月後、しなびた頭を乗せて、相手が死んでしまった。
実験動物では、現れなかった事例だった。
恐怖が襲ってきた。
首のカートリッジが、呪いの様だ。
だが、死の恐怖の中、死なない。
痩せてやつれたが、今日まで生きて来たのだった。
カートリッジは、成功したのだろうか。
不安が身体を縛り付けている様だと、書き込まれ、後は白紙が続いていた。
涙が出て来る。
医療実験体だったのだ。
城崎の陰を含んだ顔が、よみがえる。
ノートを閉じ、ジッと自分の手を見る。
これから城崎は、あの身体と共に、死が別つまで生きるのだ。
悪意の感じられないあの蝶のメールが、城崎を釣り上げたのだ。
善意や好奇心を餌にして。
声が違っていた。
首のカートリッジが、鈍く光る。
断頭台の柱の陰が、黒い蝶の様にまとわりついて、今も城崎の首の周りを飛んでいるのだろうか。
今は、ここまで。