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行方不明になった子供

 リングで自分の特質を確かめることが出来るのは、身分や才能に関係なく、十歳になった後初めて訪れる『前長期休み』か『後長期休み』の初日である。


 リングを初めて装着出来る年齢が統一されていることに、深い意味はない。

言うならば、法律で決まる以前の統計では、十歳頃に尻尾や羽を出せるようになった人間が多かった。


 リングを始めて装着出来る時期が統一されている大きな理由は年齢ではなく、それよりも、全ての人間の特質を管理する事が目的で、そのために決まった年齢の決まった時期に、強制的に儀式として確かめる事が、重要だった。


 各個人の任意的行事ではなく、一斉に行う国際的儀式にする必要があった。

 皮肉にも、この法律を作ったのは、隠れながら力を蓄えていた、魔法を持たざる者たち、羽の革命軍が作ったものだった。


 今日はその儀式を行う日、前長期休みの初日。


 冒険者ギルドの直ぐ横、国立自然公園にポーロ中の十歳になったばかりの少年少女は集まっていた。

 

 ギルドの人間が呼びに来て、十人ごとのグループを冒険者ギルドに連れて行く。

 順番は先着順で、公園に入場する際に整理番号の書かれた札を受け取っていた。

 

「おい。聞いたかよ。今呼ばれたのが、百十番目だぜ。まだまだ待たされるのか!

 あぁ~、かったり~な。せっかくの長期休みを一日潰されるぜ」


 きめ細かい金髪の少女、キリングは自分の番号を見ながら言った。

 母親譲りの綺麗な顔と綺麗な髪のせいで、男の子のようなショートカットにしても男の子には見えなかったが、彼女の乱暴な口調が、初対面の人間に誤解させる。

 キリング自身も、それを目的として、乱暴な口調にしていた。


「キリング君は怖くなさそうだね。

 僕は不安だよ。

 年に四、五人がいるんでしょ? 尻尾も羽も出せない子が」


 キリングの数少ない友達、坊ちゃんヘアーに丸メガネの大人しそうな少年、マルガネは答えた。

 キリングが乱暴な口調を使う訳は、もう一つあった。自分には興味がなく、王国軍軍団長のベアクーマに興味を持って近づいてくる人間を、遠ざけるためだった。

 しかし、ベアクーマに興味を持たない国民は少なく、今では友達と呼べる人間は片手の指で数える程しかいない。


「マルガネはビビってるのか?」


「うん。僕は怖いよ」


「かぁ~! 情けね~な。今日、儀式をする人が、えっと知らんけど……」


 キリングは周りを見渡しながら、


「まぁ、三百人ぐらいだろ?」


 マルガネも周りを見渡すと、


「いや、二千人はいるよ」


「どっちでも良い。

 とにかく、こんだけ沢山いるのに、後長期休みにまた来なくちゃいけなくなるのは、四、五人なんだ。

 じゃあ、大丈夫じゃね?」


「何となく分かるけど、何となく分からないことを言うよね。

 キリング君はいつも」


「お前はいつもウジウジしすぎなの」


 キリングには自信があった。

 

 人に親の話しをして欲しくないと願う一方で、親からの血統を自分が一番信じていた。

 ベアクーマの娘の自分は、きっと立派な羽が生えると、信じて疑わなかった。

 



 キリングが通された部屋は、ちゃんとした部屋だった。

 大きな部屋に、机や棚やしきりで区分けしている冒険者ギルドには珍しい、数少ない、壁で四方を囲まれているちゃんとした部屋だった。

 入った瞬間タバコのにおいが染み付いていると分かったこの部屋は、きっと普段は会議室に使われているのだろうと、キリングはなんとなく推測した。

 ドアから見て、正面には長机二つが並べて置かれており、その奥には十三人の大人が座っていた。

 

 校長先生と、冒険者ギルド火の国支部ポーロ署長以外は、知らない人だった。

 きっと、偉い人なのだろう。

 ペンを片手に、おそらく自分たちの個人情報が書かれているだろうファイルを見ている大人たちは、まるで自分の品定めをしているみたいだった。


 自分達を公園からここまで案内してくれた人が、部屋の中央に置かれている椅子を指差し、


「それでは、その席にお座りください」


 椅子は一つしかなかった。

 公園で長い間待たされ、この部屋の前でも結構な時間待たされた。

 公園から十人ずつしか連れて来ないなら、せめて十人同時に儀式をすれば良いのに、とキリングは思いつつも、


「はい!」


 らしくなく、明朗快活ハキハキと返事をする。


 強がるのも今日ここで終わりだと、この時のキリングは思っていた。

 もう強がらなくても、今日からは立派な羽の戦士となって、周りの連中も、何より父親を認めさせることが出来るという、意識の現われだった。


「良い返事だねぇ。やっぱり良い親の元じゃ、良い子が育つんだね」


 一番偉そうな人が、校長先生に聞く。

 校長先生は偉そうな人には何も答えず苦笑いし、キリングの方を見て、


「今日を契機にやる気を出してくれる子は沢山いる。

 自分はもう大人なんだと思うんだろうね。

 でも、その気持ちが長続きする子は、滅多にいないよ」


「私は長続きする側です」


 大人たちは笑った。

 口には「頼もしい」だの「良い子だね」だの言っているが、明らかに格下へ向けられる笑顔だった。

 子ども扱いしている、態度だった。

 

 チャオの儀式の時の話は、キリングも知っていた。

 火の魔道書使いが現れてしまった事で、大人たちはパニックを起こし、その日の儀式を全て中止してしまって、多くの儀式浪人を出したのは、有名な話だった。

 

 だから、大人たちの態度は気にならなかった。

 余裕でいられるのも今のうちだけ、こいつらは直ぐにビビルんだ。

 そう思っていた。


「それじゃぁ、まず説明を始めるよ。

 事前に紙は配布してあるよね。

 それを読みながら、説明するよぉ。

 いつもなら、私達が説明したという事実が大事で、紙を配った時点でお仕事終わり。

 相手が理解したかどうかなんて重要じゃないんだけどねぇ。

 今回はそうもいかない。

 きっちり理解してもらうからねぇ」


 こうして、長い説明が始まる。

 どうして、儀式をするのにこんなに待たされるのか不思議だったが、こんな無駄手間をかけているからだったのかと思うと、キリングは呆れてしまった。

 この説明こそ、十人単位で、いや公園で全員まとめてやっても問題ないはずだと、思ったのだ。

 個人説明する事で一人の落ちこぼれも出す事無く理解してもらおうなんて、大人の優しさは、子供にはお節介と伝わってしまった。

 普段、座学授業についていけないキリングでさえ、無駄だと感じてしまった。

 

 偉い人の話は、次のような内容だった。

 

 今日使うリングは特別製で、羽も尻尾も出せるが、肉体強化も魔法も使えない。


 個人用リングは血で使用者登録し、一度使用者登録されたリングは他の人には使えない。

 故に身分証明にもなるから、肌身離さずなくさないように。

 

 尻尾系のリングには、使用出来る魔法を制限するリミットがかけられている。

 それをはずす事はギルドの関係者以外は出来ないし、仮に出来たとしても厳しく罰せられる。

 

 羽系のリングには、収納出来る武器のライフ金属純度を識別する機能があり、これにもリミットがかけられる。

 だから、資格に合わない違法な武器を買っても、持ち運び出来ずに直ぐにばれるから、悪いことしちゃ駄目だよ。

 

 尻尾や羽のランクアップを目指し、兵士や冒険者を目指すなら、いずれは知られるだろうけど、むやみに人に自分の特質を話さない方が良い。

 

 最後に、コレが一番大事だけど、今日仮に尻尾も羽も出なくても、落ち込む必要はない。

 人間的成熟が関係する説も、素質がある人間程時期は早いとする説もあるが、すべてはオカルトの域を出ない。

 儀式となる前、家庭行事だった頃も三歳で尻尾を出し世間を騒がせたけど平凡に納まった人もいれば、二十歳まで羽も尻尾も出せなかった前国立研究所所長の例もある。

 

「えっと、まぁ、こんな感じなんだけど、質問あるかなぁ?」


「いいえ。ありません」


 その後、質疑応答で、本当に理解しているかを確かめられた。

 説明の書かれた紙を見ながら答えられるのだから間違えるはずはない、と大人を小馬鹿にしたり逆に小馬鹿にされた気分になり、露骨に態度を崩す人も多い。

 

 しかし、キリングは真面目に答えた。

 

 もう、気分は国を代表する英雄だったからだ。

 毅然とした『表』の顔を、使いこなしているつもりだった。

 

 そして、ついにその時が来た。

 

 案内係の人が、キリングに近づく。

 手には開かれた黒のリングケース。


「立派な箱でしょ?」


 緊張をほぐすためか、案内係りの人はどうでも良い事を聞いてくる。


「そうですね」


 キリングは笑顔で答える。

 ケースからリングを取り出し、まじまじと見つめた。

 銀色に輝いてはいるものも、装飾も模様もない、シンプルなリングだった。

 小さくてシンプルなこれが、国際的な法律で管理しなくてはいけない程に、偉大で強大で危険な力を持っているのかと思うと、不思議だった。


「それじゃぁ、好きな指にはめてみて」


 良い子を演じていたキリングも、装着の瞬間となると、緊張と興奮から返事を忘れてしまう。

 無言で右手薬指にリングをはめる。

 ぶかぶかだったリングは、動いたり光った様子も見せなかったのに、気がつけば丁度良いサイズになった。

 

 キリングは右手側の壁にある窓に手をかざした。

 窓から差し込む日の光に当て、自分の手ごと、もう一度リングを見つめてみた。


「うん。そのままリングを額に当ててみるんだよぉ。そして、念じるんだ」


 キリングは無言のまま、リングを額に当てる。

 念じるという言葉から何となく目を閉じてみた。

 しかし、念じると言われても、何を念じれば良いのか知らなかった。

 直ぐに偉い人は説明してくれた。


「元々自分には見えない部品があるとイメージするんだ。

 おぼろげの方が良い。

 尻尾とか羽とか、そう言った事は考えない。

 とにかく後ろに精神を集中する」


 さっきまでふにゃふにゃした喋り方だった偉い人は、早口で言った。 


「うん。そのままイメージし続けて。

 その見えない部品は、世界からの力を借り受けるためのもの。

 鼻と口が酸素を借りるように、つまりは背中のそれで呼吸するような感覚だよ」


 貸しやがれ。よこしやがれ。偉大になる予定の俺に、力をよこせ!!


 キリングは念じ続けた。

 大人たちは何の反応も示さない。

 嫌な予感を振り切るように更に念じ続けていると、声が聞こえてきた。

 

 最初に聞こえたのは、校長先生の声だった。


「ヨーンさんは元からある見えない身体と表現したけれど、私は違うかな。

 世界に漂う力が、新しい身体を作るイメージだよ」

 

「あ、私は呼吸って表現がしっくり来ないです。

 どちらかというと、もっと勢い良い感じですね。

 あれです。

 子供の時から、磁石の実験をイメージしてました。

 小さな釘を沢山くっつけるやつ」


「俺は何もイメージしないな。『ありがとう』を心の中で唱えてるよ」


 もうキリングには、誰が喋ってるのか良く分からない。

 とは言っても、もともと知らない人ばかりだった。

 でも、彼らの言いたい事は分かる。

 自分の背中では、何も起きてないのだ。

 

 貸せ! よこせ! ひれ伏せ! 従えよ!!

 

 キリングは念じ続ける。

 自身も変化を感じられなかったし、周りの反応も変わらなかった。


「うん。駄目かなぁ」


 聞き覚えのある口調に戻った偉い人、ヨーンが言った。


「もう、良いよぉ」


 キリングはその言葉を無視して、念じ続けた。


 お願いします。力を貸してください。お願いします。お願いします。お願いします!


 誰かの手が、キリングの肩に乗った。

 キリングは、諦めて恐る恐る目を開くと、大人たちが見えた。

 落胆している者は一人もおらず、全員が優しい笑顔だった。

 そんな大人の優しさは、キリングには辛かった。

 自分は最初から期待などされていなかったように感じた。


「落ち込む必要はないよぉ。

 僕もね、二十歳まで全然駄目だったんだねぇ。

 ところがどっこい、遅いスタートから、バンバン出世して、最後は国立魔法研究所所長にまでなったんだよぉ。

 それだけじゃなく、チャオ様を育てたのは僕だよねぇ?

 時期的にねぇ?

 ねぇ?」


 ヨーンは右を見て「ねぇ?」、左を見て「そうでしょぉ?」と言うが、誰も答えない。


「あれ、おかしいなぁ。この冗談で、みんな笑ってくれたんだけどなぁ」


「見たらお分かりでしょう。彼は今までの誰よりも、落ち込んでます。

 もっと、空気を読んでくださいよ」


「だからって、大人が暗くなったら駄目でしょう。

 困った時も笑顔で安心させなきゃねぇ?

 もっとも、本当、今回の件は大したことじゃないんだけどねぇ。

 僕が言うんだから、間違いないよ」


 キリングは案内係りの人に黙って指輪を返し、無言のまま深く頭を下げた。


「今日はありがとうございました。失礼します!」


 そう言って、大人達の顔を見ないように、頭を上げながら反転する。

 急ぎ足で、ドアへ向かい、そそくさと部屋を出た。


 ドアの外には、七人の子供がいた。これから儀式を受ける子供達だ。

 彼らは一斉にキリングを見る。

 

 頭では分かっていた。

 ドアが開かれたから、反射的に何も考えずに、こちらを見ただけ。

 今の結果を知っているのではない。

 

 しかも、全員が見覚えのない子供で、多分別の学校に通っている連中なのだから、自分を知っているはずもない。

 

 それでもキリングは、彼らの視線を悪く解釈してしまった。

 

 親はあんなに立派なのに……。

 こればかりは、コネじゃどうしようも出来ないよな……。

 自信ありそうな奴に限って、大口叩く奴に限って、実力は伴わないもんだ……。

 

 キリングは怒りも悲しみも沸かなかった。

 寸での所で、これは妄想だと理解していた。

 

 目を合わせながら全員の顔を見渡す。

 余裕ありげに鼻で笑って、すまし顔で歩き出した。

 

 喧騒が、キリングには陰口に聞こえた。

 強い負の感情が沸かなかったのは、妄想だと理解しているだけではなく、いつもの通り評判に負けないように強がっているだけではなく、信じられなかったからだったのだろう。

 

 生まれ変わるはずの今日、何の結果も残せなかった事が、信じられなかった。

 だから、心の奥で落ち込んでいるのに、気付けないでいた。

 

 キリングが事実を認め、悔し涙を流したのは、冒険者ギルドの入り口で自分を待つマルガネの姿を見た時だった。

 数少ない友の姿を見て、安堵した。否、安堵する自分に気がついてしまった。

 

 余分に五分待たせることを心の中だけで謝りながら、キリングは顔から涙の面影を消した。 


「よっ。先に帰って良いって言ったろ?」


「うん。言われた。でも、寂しかったんだよ」


「そっか……」


 そのまま二人は歩き出す。

 公園にはまだ待たされている子供達がいた。


「あれは、三百人ぐらいだよな?」


「そうだね。あれなら、三百人ぐらいだよ」


 そのまま無言で歩き続ける。


「やっぱり、一日潰れたな。もう、夜だ」


「夜なのかな。いつから夜なのかな?」


 マルガネは立ち止り空を見上げた。

 キリングも立ち止り空を見上げた。

 空を覆いつくす雲に横一筋の切れ目があった。

 切れ目から覗く空は、赤い川みたいだった。


「さぁ。どうでも良いよ。夕方でも、夜でも」


「そうだね」


 そのまま、また二人は無言で歩き続ける。

 マルガネの表情は落ち込んでいるようにキリングには見えた。

 だから、あまり喋らないだろうとも思ったが、いつも話題を作るのは自分で喋るのも自分で、マルガネはいつも聞き役だと思い出した。


 自分が無言だから、今会話が少ないのか。


「お前、どうだったよ?」


「何が?」


「儀式」


「秘密。あんまり人に言うなって言われたでしょ?」


「そうだな。そういや、そうだった」

 お前は聞かないのかよ?」


「キリング君はどうだったの?」


「言わねぇよ。言うなって言われたからな」


「じゃあ、聞けって言わないでよ」


 キリングは「そうだな」と答えただけだった。

 キリングが何も言わないから、会話は途切れた。

 

 騎士団常駐所の前を通る時、キリングは無意識に視線を反対側に向けた。

 今は、父親の職場を見れなかった。


「僕はいつだって聞かないよ。それが楽なんでしょ?」


 最初はさっきの会話が続いているのかとも思ったが、あれから大分時間も経ってるし、関連はあっても別の話だと解釈した。

 珍しくマルガネから話題を作ったことに驚きつつも、キリングは答える。


「楽ってなんだよ」


「居心地が良い。一緒にいて辛くない。だから、友達なんでしょ?」


「かぁ~! お前は暗いぞ。友達ってそういうもんか?」


「そういうもんだよ。僕にとっては。

 キリング君は教えて欲しい事は全部言ってくれる。

 だから、僕は楽なんだ。

 そして、大体、聞いて欲しい事は聞いてくれる」


「違うだろ? あのな……、」


 友達ってのは、もっと、こう熱く競いあい、励ましあい、助けあい、罵りあい、語りあいだな……。


 キリングは自分の理想を熱く語ろうとしたが、結局、マルガネと一緒にいるのは楽だからだと気がつき、何も言えなかった。


 父親と比べず、親のコネを疑わず、ベアクーマの娘じゃなくそのまんまの自分を見てくれる、マルガネといるのは、楽だった。


「いや、どうでも良いか。友達だって事実は変わらない」


「そうだね。僕達、友達のままだよね」


 マルガネは左手を見ながら言った。

 キリングはやっぱりマルガネも儀式の結果が宜しくなかったのだと思った。


「家、来るか?」


「行くにゃ!」とマルガネは脊髄反射の如く答え、その様はとても嬉しそうだった。


 キリングは元気のないマルガネを励ますつもりで家に誘ったのだが、嬉しそうにしてくれるマルガネを見たかったはずなのに、なんだか面白くなかった。



 

 一日交代や数日交代や一週間交代や一月交代なんて規則性はないが、一年のうち王都ポーロと騎士団自治区オーガの滞在日数がほぼ一対一の割合なので、付け加えるなら金持ちなので、ベアクーマは両方の街に家を持っていた。


 キリングは戦闘訓練の多い生まれ育ったオーガの学校に通いたかったが、両親は座学授業の多いポーロの学校に通わせた。

 女の子には戦いと無縁の生活を選んで欲しいという、願いの表れだった。

 抗う術を持たないキリングが出来た反抗は、男のように振舞う事だけだった。

 嫌々ながらも、ポーロでの生活を余儀なくされた。

 

 キリングは呼び鈴を鳴らしてから玄関を開け、叫ぶ。


「帰ったぞ~。お客さんもいるぞ~」


「お邪魔します~」


 マルガネの声は尻すぼみになった。

 何度か訪れた事があっても、玄関ホールだけで自分の家がすっぽりと納まりそうな広さと高価そうな調度品は、挨拶する集中力を奪う魅力があった。


「はい、にゃ。はいはい、にゃ! 直ぐ行くにゃ!」


 玄関ホールには、右に二つ左に二つ奥に一つのドアがあり、右手前のドアから声は聞こえた。

 その部屋はキッチンだった。

 

 慌てる必要はないのに、ホイッパーを手に持ったままキッチンから出てきたお団子ヘアーで大きな猫目の若い女性は、この家の住み込みメイドであると同時に、キリングにとってポーロの母親であり姉であり友達だった。


「おかえりにゃ!」


 メイドはホイッパーを持った手を高く掲げ大きく振ったから、ホイッパーについていた白い液体が床に飛び散った。

 キリングの「ただいま」を、「失敗にゃ……」という独り言で打ち消す。

 

 少し遅れて、マルガネは改めて挨拶。


「お邪魔しますにゃ!」


「いらっしゃいにゃ!」


 マルガネは元気良く挨拶したくせに視線を下に落としがちにモジモジしている。

 キリングはやっぱり原因不明の苛立を隠しながら、


「時間があったら一緒にお茶でも飲もうと思ったんだけどな。

 まだ、仕事残ってるのか?」


「ないにゃ! 直ぐに用意するにゃ!」


「いや、だって、それ……」


 キリングはホイッパーを指差す。


「これは違うにゃ。

 今日は珍しくみんなの帰りが遅いから横領にゃ。

 人様の金で作るケーキは、格別にゃぁ~……」


「そうか。でも、それ俺に言って良かったのか?」


「きゃ~! 駄目にゃ! 秘密にしてにゃ!」


「別に、良いけど……」、「はぁ~……。また、失敗にゃ……」


「マルガネ。時間大丈夫か? 良かったらケーキも食べようぜ」


「大丈夫だよ。もし駄目だったとしても、時間ごとき作ってみせるよ!」


 なんかイラッとしつつ、キリングはメイドポンランに言った。


「ポンラン。そのケーキ、俺らにも食べさしてくれよ。

 これ、断れないからな。口止め料な」


「人間はずる賢い生き物にゃ……」


 返事の変わりに捨て台詞を吐き、ポンランはキッチンに戻って行った。 

 キリングはため息をつきながら、マルガネはちょっと先の未来に目を輝かせながら、クリームで汚れた床を掃除して時間を潰した。

 それでも足りなかったので、リビングルームでお喋りをしながら、ポンランとケーキを待った。


「お待たせにゃ~!」


 ポンランは三つの皿と三つのカップを持ってきた。

 ほっぺには生クリームがついたままだ。

 

 皿には、底辺四センチ高さ十五センチぐらいの細長く三角形にカットされたケーキ。

 カップには、紅茶が入っていた。

 

 キリングは皿とカップを受けとり、


「サンキュー! って思ってたより大きいな」


 マルガネも皿とカップを受け取り、

 

「ありがとうですにゃ! って、うん。大きいね」


「みんな小食なのにゃ。これでも、沢山つまみ食いしたにゃ!」


 言われてから、キリングは三つのケーキを頭の中でつなぎ合わせてみる。

 カットされる前のケーキが丸かったとするならば、三つ合わせても元の一割にも満たなさそうだ。


「別に、この大きさで充分だから、良いけどよぉ」 


 かなり金を使いこんで、つまみ食いもしすぎだな。

 横領しすぎだぜ。

 とキリングは思った。 

 

 キリングはケーキを三口味わってから、


「ポンラン。あの話してやってよ。ほら、ドラゴンのやつ」


「どのドラゴンにゃ?」


「どれでも良いよ。同じだし」


「全然違うにゃ! 狩った数だけの物語があるにゃ!」


「じゃあ、俺達が、特にマルガネが聞いてなさそうなやつ」


「お願いしますにゃ!」


「分かったにゃ。

 えっと……、あれは私がまだ騎士団にいた頃ですにゃ。

 ドラゴンを狩るお仕事があったですにゃ。

 でも、空を眺めていたら仲間と逸れてしまったにゃ。

 私は必死に仲間を探すにゃけど、仲間より先にドラゴンと出会ってしまったにゃ。

 そして、ピュン、ピョン、ザクっと退治したにゃ!」


「ぱちぱちぱちぱち!」


 マルガネは手と口で拍手。


「やっぱり同じじゃん」


 キリングは欠伸。


「えっへんにゃ!」

 

 ポンランにはマルガネの賞賛しか見えずに聞こえない。

 だけどマルガネは、キリングに対して反論。


「本当に凄いんだよ。

 ポンランさんが騎士団に所属していたのは、十六歳から二十歳までの四年間だけ。

 そのたった四年間に、三十一匹のドラゴンを討伐し、うち二十三匹は単独での狩りだよ。

 単独でドラゴン狩れた人は少なくはないけど、二十三匹って数は、歴代四位。

 十九歳のときの年間討伐数、七匹に至っては歴代一位!

 そりゃ、キリング君はおとう……」

 

 勢い良くまくし立てていたマルガネは、急にバツの悪い顔をした。


「別に凄い凄くないの話をしてるんじゃねぇって。

 話が下手だってことだよ。

 仲間とはぐれて、一人の時にドラゴンと出会って、ピュン、ピョン、ザク、だろ。

 いつもいつも」


「違うにゃ! 最初から一人の時もあれば、タタタタ、グサ! の時もあったにゃ!」


「だから、肝心の戦闘シーンが擬音だけで構成されているのが、駄目なの

 俺にはお前の戦闘シーンの区別がつかねぇ」


「仕方ないにゃ……。あんまり、考えて戦わないタイプにゃ!」


 マルガネとポンランに睨まれながら、キリングはイライラした。


 こっちから話してくれって頼んどいて、いちゃもんつけるなよ。

 何やってんだ、俺は。

 でも、絶対に謝りたくない。

 クソ。あれか。

 これが噂の反抗期か。

 

 二対一の睨み合いは直ぐに終わり、マルガネとポンランは楽しそうに会話する。

 ポンラン相手でも、マルガネは聞き役に回りがちだった。

  

 キリングは、詰まらないイライラすると思いながらも、楽しそうにしている人の邪魔をしないようにとしたが、我慢出来そうもない。

 ケーキのなくなった皿を見つめ続けやり過ごすのは、そろそろ限界だった。


 立ち上がるのに支えにしようと思っただけなのに、机についた手は予想以上に大きな音を鳴らした。

 少し気まずく思い、深い意味はないのだと伝えようとしたが、


「散歩してくる」


 ぶっきらぼうに言ってしまい、余計に気まずくなった。


「うん」


 マルガネはそっけなく言った。

 キリングの行為に不快感を示すでもなく、どちらかというと同情や心配を訴えるような表情をしていても、何も聞こうとはしなかった。 


「分かったにゃ!」


 ポンランは明るく言った。

 キリングの行為に、まるで気付いていないみたいだった。

 

 後悔半分、イライラ半分のまま、キリングはリビングを出た。

 

 キリングが玄関ロビーに出た直後、玄関が開かれた。

 外から入ってきたのは、ベアクーマだった。

 副騎士団長も一緒だった。

 

 逃げても意味がなくても、今日だけは会いたくなかったキリングは、

「おかえり」と言っても目を合わせようとはしなかった。


「あぁ」とだけしかベアクーマは言わなかった。


「こんばんは」と副騎士団長はニコヤカに言って、


「キリングさんの年代は、一ヶ月会わないだけで大きくなりますね」


 定例句の社交辞令。


「変わんないよ。一ヶ月じゃ、身長も、他も」


 いち早く逃げ出したかったのに、と思いつつもキリングは答える。


「いえいえ。見た目の話ではありません。

 雰囲気というか、たたずまいというか、明確に何がとは言えないですけど、確かに成長を見て取れます。

 本人や、毎日接する周りは見落としがちですが、キリングさんの年代は、そういうものなのですよ」


「相変わらず口が上手いなぁ。

 嘘だと分かっていても、少し嬉しくなったよ」


「褒め言葉、として受け取りますよ。

 それが私の売りのつもりですから」

 

 嫌味も難なく流し、他の誰よりも自分を子ども扱いする副騎士団長を、キリングは嫌いじゃなかった。

 父親と比べがっかりする大人も多く、父親は寡黙だし、母親は厳しいし、人並みの事をしても決して褒められない環境にあったキリングにとって、褒める時も叱る時も慰める時も挨拶する時も、何かしら良いところを見つけてくれる副騎士団長は珍しい大人だった。


「下らんお喋りをする暇はない。行くぞ」


 ベアクーマは副騎士団長を急かすが、


「おやおや。本当は自分も話したいくせに。それとも、嫉妬されましたかな?」


 手痛い反撃を食らい、


「下らん!」


 とろくに言い返すことも出来ないでいた。 


「そうだ。そう言えば、今日ですよね」


 副騎士団長は急かすベアクーマを無視して、


「今日、リングの儀式だったのでしょう?」


 一番触れて欲しくない話題をキリングにふる。


 出会ってしまったのだから、キリングは覚悟はしていた。

 口下手なベアクーマだけなら、「最近どうだ?」とか「リングとは不思議なものだな」とか、回りくどく探りを入れるだけで、下手したら何も言わずに自分の周りをうろちょろ歩き回るだけで、もっと下手したら直接アクションを起こせず数日後にポンランを使ってくるかして、こちらから言わなければ聞かれなかっただろう。

 

 でも副騎士団長は違う。

 

 そんなベアクーマの事を知っているからこそ、絶対にこの場で聞いてくるだろうことは、キリングにも予想出来た。

 

 キリングはベアクーマと副騎士団長と逆の方を見て、


「駄目だった。羽を出せなかった。尻尾も、出せなかった」


 眉間にしわを寄せつつ、自傷の嘲笑を浮かべ言った。


「そうですか」


 副騎士団長は間をおかずに答えた。

 優しい口調は『大丈夫だよ』、『気にしてないよ』と伝えてるのだろうけど、キリングは惨めな気分になった。


「下らん! 行くぞ」


 ベアクーマは、玄関から見てホール左手前のドア、応接室へと消えていった。


 キリングは『下らん』の意味を考える。

 落胆した? 見損なった? 最初から期待などしていなかった?


 副騎士団長はベアクーマの気持ちも、キリングの気持ちも分かっているような口ぶりで、


「ベアクーマは言葉を扱うのも致命的に下手ならば、感情を制御するのも得意ではない。

 今、あれは、苛立っているだけです。

 ライフ金属の産出量不足、その原因の一つの冒険者ギルド昇進ミッションを使っての資格取得者の減少、それに付随する戦闘系資格取得者の減少。

 これでも悩んでいたのに、更に今日、抽象的な表現による国防強化の王命。

 どれもこれも、暴れるだけのあれの苦手な問題。

 足りない脳みそを使いすぎて、気を使えないだけです。

 気にする必要はありません。

 それに、大丈夫です。

 あなたは、誰よりもベアクーマに……」


「余計な事を言うな! 早く来い!」


 一度は閉じられたたはずの応接室のドアから、ベアクーマは副騎士団長の邪魔をした。


 副騎士団長はキリングの頭を撫でる。

 そして、キリングが副騎士団長を見るまで待って、


「愛されてます」


 優しい笑顔で言ってから、『早くしろ』と怒鳴り続けるベアクーマをなだめながら応接室へ歩き出した。


 キリングはリビングの友に、「スマン。具合悪いから寝る」と告げて、自室に戻った。


 ベアクーマが自分を大切に想ってくれる事は、なんとなく知っている。

 副騎士団長の言葉は、きっと嘘じゃない。

 だけど、自分自身が自分自身に落胆していて、その重く沈んだ感情は、世界を歪んで捉えた。

 さっきの、副騎士団長の言葉も、お世辞交じりの嘘の慰めにも思えた。

 

 半分信じて、半分疑って。

 

 重く重く沈んで浮かんできそうにない気分は、キリングの思考力を奪い、暗い部屋で何も考えずに天井を見つめていると、直ぐに眠ることが出来た。



 

 翌朝、目が覚めても気分は沈んだままだった。

 カーテンから漏れる光は強かったが、人の出す音は聞こえてこない。

 まだ、早朝と呼べる時間。それを確かめるようにキリングが時計を見ると、四時を少し過ぎていた。

 

 嫌だな。学校行きたくない。

 キリングは寝返りを打ち右を向く。

 

 昨日から休みだったか。

 キリングは寝返りを打ち左を向く。

 

 どっちでも良い。

 どこにも行きたくない。

 何もしたくない。

 キリングは寝返りを打ち、天井を見る。

 

 右腕を伸ばし、顔の上に右手を掲げる。

 昨日リングをはめた薬指を見つめる。


「別に良いか。戦うだけが人生じゃない」


 右手を下ろし、右手甲で目を押さえる。


「やっぱり嫌だなぁ」


 お堅い騎士団に強い憧れを持っている訳でも、前人未到の活躍と自由奔放な生活を両立してそうな上級冒険者に強い憧れを持っている訳でも、魅せる強さを追い求めるグラディエーターに強い憧れを持っている訳でもないのに、物心つく頃には立派で強い羽の戦士になりたかった。

 

 十歳になっても将来像なんて全然定まらないのに、羽の戦士への憧れだけは、幼い頃からあった。

 

 キリングは気付いていないが、理由は単純だった。

 

 他の子が絵本やマンガや小説や演劇のヒーローに憧れるように、自分もベアクーマに憧れていたのだ。

 いかなる困難にも立ち向かい、そして勝利を収めてきたベアクーマは、キリングにとってどんな創作物語のヒーローよりもヒーローだった。

 肩書きや地位や身分にではなく、精神的肉体的強さに憧れていた。

 

 親へ反発する前から、キリングは少年色の強い少女だった。

 

 気付かぬうちに眠っていたのか、時間を忘れる程無心だったのか、キリング本人にも分からないが、彼女が決意を固めたのは約一時間後の五時だった。


 お子様の生傷よりも衣服の損傷が心配ですか?

 それならば、わが社にお任せください!

 のキャッチコピーと耐久性と子供心をくすぐる商品名に定評のある、デビルキッズ社製のシャツとパンツを着込む。

 変装用に同社マントを鞄につめる。

 キッチンで日持ちしそうな食品と水を入れた水筒を鞄につめる。

 

 最後に、ポンランの部屋を訪れた。

 

 ポンランの部屋は、大きさ的にキリングの部屋と遜色はない。

 しかし、男っぽく振舞うキリングの部屋よりも、男っぽかった。

 野蛮だった。

 ドラゴンの生首剥製や今にも動き出しそうな甲冑鎧や洋服掛けはないくせに武器掛けは沢山あったり、とても二十五歳の女性の部屋とは思えなかった。


 キリングは毛布ごしにポンランを揺らしながら、


「お~い。起きろよ~」


 呼びかけるも返事はない。

 ベアクーマを起こさないように小声だから仕方ない。


「起きろよ~」


 と何度か呼びかけると、


「ん~。まだ寝るの~」


 やっと返事はあったけど、『にゃ』を忘れてることから考えると、明らかに寝言だった。


 実力行使に出たキリングが毛布をめくってみると、ポンランは裸だった。

 女らしくない。


「別に、羨ましくないし。大きいときっと戦うのに邪魔だし……」


 キリングはポンランの胸を見ながら自分に言い訳をしてみるけど、やっぱりスッキリしなかったので、ポンランの鼻と口を塞いだ。

 むしゃくしゃしてやった。意味はない。

 反省したのは、数秒後。

 

 突然、手を叩かれたかと思うと、目の前のポンランは消えた。

 直後、背中に暖かく柔らかい感触。

 首筋に冷たく固い感触。


「いたずらが過ぎるにゃ……。

 もう少し寝ぼけていたら、グサッ! だったにゃ」


 抵抗の意思がないことを示すように両手を挙げていたキリングは、軽く押され、ベッドに倒れこんだ。

 半回転してポンランを見てみると、手には果物ナイフを持っていた。

 首筋をさすると、ちょっとだけ手に血がついた。

 マジかよと思ったキリングがもう一度さすってみると、今度は血がつかなかった。


「怒るなよ」

 キリングの声は震え、目には涙が溜まっていた。


「怒てないにゃ。ただ、危なかったにゃ」

 ポンランの声は、怒っている声色だった。


「ゴメン……。今度から、襲われないように起こす」


「ん、にゃ! 遠くから大声で起こすのが、オススメにゃ!」


「出来るだけそうするよ。でも、今日は駄目だ。こっそり起こしたかったんだよ」


「んにゃ?」


 キリングは事情を説明した。それは、嘘の事情だった。




 ポンランとは一度別れ門で待ち合わせた。

 キリングの次の目的地、マルガネの家に向かった。

 

 マルガネの家は十四組の家族が暮らす七階建ての住居用タワーで、その二階にある。

 

 キリングは手馴れた様子で壁をよじ登り、マルガネの部屋のベランダに到達した。

 今日はガラスを割る覚悟と準備もあったが、試しに窓を開けてみると鍵はかかっていなかった。

 

 マルガネの部屋は面白みのない部屋だった。

 

 去年卒業した、基礎学校の教科書が几帳面に並べられた本棚。

 足し算や字の書き方がメインの初年度の教科書まである。

 衣装掛けの、キリングの部屋では出し入れに邪魔だからと撤去改造された埃避けのシートも、几帳面にかぶせられている。

 

 何より面白くないのが、どこかの誰かが書いたポンランの特大似顔絵が、数枚壁に張られていることだった。

 

 何度も訪れた事があるのだから、今更マルガネの部屋が面白くなくたって、キリングは少ししか腹立たない。

 

 だから、今回も優しくイタズラした。

 

 気持ちよさそうに寝息を立てるマルガネにそっと近づき、耳に息を吹きかけた。


「うひゃぁぁ」


 マルガネは直ぐに起きた。

 間抜けな声を出し、ベッドから転がり落ち、それでもタオルケットをしっかりと握り、そのタオルケットで器用に身体全部を隠す。

 

 マルガネは少し落ち着きを取り戻し、顔だけをタオルケットから出し、


「キリング君?」


「いかにも俺はキリングだ。

 ってか大声出すなよ。暴れるなよ。

 近所迷惑だろ」


「それを、君が言うかな!」


 マルガネは大きな声を出したので、キリングは人差し指を口に当て静かにするようにのジェスチャー。


「どうしたの? どうしているの?」


 マルガネは不満を心の奥にしまいつつ、状況把握に努めようとしていた。


「それが、大変なんだ」


 キリングは事情を説明した。

 マルガネにも、嘘の説明をした。




 キリングは一度家に戻り、準備しておいたリュックサックを背負い、門に向かった。

 門前の大通り沿いには、荷台車に日よけ傘をつけただけの露天がいくつも並ぶ。

 その一つで、ポンランと待ち合わせをしていた。

 

 門番に見つからないようにとお願いしておいたので、ポンランは門番から死角になる場所で荷台車に寄りかかり座って待っていた。

 

「お待たせ」


 キリングも荷台車に隠れながら、声を掛けた。


「はぁ……、にゃ」


 ポンランはキリングに聞かせるのが目的だろうため息をつく。

 キリングは気にも留めずに、


「マルガネは、まだ来てないな」


 荷台車から顔だけを出し、門番を確認する。


「マルガネ君が来るにゃ?」


 キリングは質問を無視して、もう一つ確認。


「良し良し。門番も、中年さしかかりの男だな」


「門番さんの容姿が何か関係あるにゃ?」

 キリングはまた質問を無視した。

 答えられなかった。

 

 マルガネには、こう説明していた。

 

 門番歴十三年のクーニク二十九歳は、妄想癖の強い男で、ポンランのちょっとした仕草を誤解してしまった。

 クーニクはポンランが自分に気があると妄想して、それを現実として認識してしまった。

 何度ポンランが断っても、照れているのだと都合よく勘違いして、しつこく言い寄ってくるのだ。

 だから、男であるマルガネに説得を頼みたい。

 一応実は女である俺は、ポンランの傍にいる。

 クーニクが子供が傍にいるのに口説くような男じゃない事を願ってな。

 あ、七時には交代の時間になっちゃうから、急げよ。

 でも、急がれすぎると困るから、シャワーを浴びて洗顔を済ませ、学校の制服に着替えてから行けよ。

 

 と説明していた。

 

 もちろん、名前もエピソードも、全部嘘だ。

 今日、門番が男かどうかも、キリングは知らなかった。

 

 思いつきの決意は、行き当たりばったりの計画を生み出した。


「今日から私も犯罪者にゃ……」


 質問に答えなかったせいか、ポンランは嫌味を言う。


「それは違う。お前は元から犯罪者じゃないか。

 つい昨日も経費を誤魔化しケーキを作ったんだろ?」


「あれは違うにゃ。バレナイ罪は、犯罪じゃないにゃ。

 これ、恋愛の基本にゃ」


「お前はわざと突っ込みどころを用意しているのかよ。

 何? 恋愛って何?

 俺の知る、俺がポーロに来てからの四年間は、全然そういのなかったじゃん」


「そう思うのなら、そう思っていれば良いにゃ」


 含みがあるかのようにポンランはクククと喉でいやらしく笑った。

 キリングには強がりにしか見えなかった。


「あ、マルガネだ」


 マルガネは言いつけ通りに学校の制服に身を包み、言われてないのにつけすぎの整髪料で髪を整えていた。


「にゃ。本当にマルガネ君が来たにゃ」


 ポンランは中腰になり、座りこんでいるキリングの上から覗き込む。


「どうしているにゃ?」


「どうしてもだよ。

 それより、門番の注意がそれた今がチャンスだ。

 行くぞ」


「はぁ……。分かったにゃ」


「本当に大丈夫か? 俺を背負って行けるのか」


「楽勝にゃ!」


 キリングはリュックを背負い、ポンランはキリングを背負った。

 二人の目の前には、ポーロと郊外を隔てる高さ約二十メートル、幅約五メートルの高く分厚い壁がある。


 ポンランは鍵爪つきのロープをぐるぐると回し勢いをつけ、壁の上部に投げた。

 ポンランはロープを何度か引き、鍵爪がしっかりと固定されているかを確かめる。

 そして、静かにジャンプする。

 三回壁を蹴っただけで、それも静かに蹴っただけで、壁の頂上に辿り着いた。


「凄いな! お前、凄いじゃん!」


 二十メートルの空中浮遊に、キリングは興奮。


「静かにするにゃ。門番さんに見つかったら大変にゃ。

 それよりも、あったかにゃ?」

 

 ポンランは這いつくばりながら注意。

 キリングはポンランにこう説明していた。

 

 やっと儀式を終えたのに、やっと羽の戦士になれたのに、オヤジは「下らん」しか言わなかったんだぜ。

 もうさ、悔しくてさ、早朝トレーニングしたわけよ。

 でも、なんか次第に腹が立ってきて、こんなものいらね~って投げちゃた。

 え? どこにって?

 壁の上。

 オヤジには秘密にしたいんだ。

 頼むよ、探すの手伝ってくれ。

 

 と説明していた。


 思いつきの割りにポンランを信じさせられたのは、微妙に本当の事を交えた嘘だったからだろうとキリングは思った。

 そして、淡い期待もあった。

 ベアクーマがポンランに何らかの話をしているのではないか、自分の事を話しているのではないだろうかと期待した。

 期待は見事に裏切られた。


「ないなぁ。向こう側まで飛んでったのかも」


 キリングは郊外の方を覗き込みながら言った。


「にゃ~……。キリングにしては随分と飛んだにゃぁ」


「ポンラン頼むよ。リングの貴重さは分かるよな? それをなくした失態度も分かるよな?」


「分かるにゃ。そんな大事な物を投げ捨ててしまう気持ちは、全然分からないにゃ」


 俺だって分からないよ。

 そんな馬鹿の気持ち何て。

 と思いつつも、そんな馬鹿は仮想の自分なので、キリングは必死に哀願し続けた。


「う~、迷ってる時間もないしにゃ……。人が少ない今がチャンスなのは確かにゃ」


 ポンランが悩むのも無理はなかった。

 無断で街の外に出ることは、犯罪防止の目的よりも市民の安全確保が目的のためか、大した罪ではない。

 罰金と一ヶ月のギルド依頼受注の禁止。

 それだけである。投獄もなければ、むち打ちなどの肉体的刑罰もないし、義務教育中のキリングは退学になる事もないだろう。

 

 それでもしかし、確かに前科者リストに名前がのるレベルの罪ではある。

 刑罰以外にも様々な制限を受ける人生になるだろう。

 ポンランはキリングの将来を心配しているのだろう。

 対して、リングの紛失は罪ではない。

 キツイ説教と所定の手続きさえ済ませば、再発行してもらえる。

 紛失したリングも、本人以外には使えない。


「頼むよ。ポンラン」

 キリングは下手に嘘を重ねずに、シンプルに頼み続けた。


「分かったにゃ。さくっと降りて、さくっと探して、何食わぬ顔で戻るにゃ」


 ついにポンランは折れた。

 片膝で屈み、背中をキリングに向ける。


「ゴメン。ありがとうな」


 キリングは先ほどと同じように、ポンランの背中にしがみつく。

 今度は道具を使わなかった。

 ポンランは躊躇する事無く、二十メートルの高さから飛び降りた。

 着地音も、今のは大きかった。

 何よりキリングは、怖かった。


「飛ぶか! 普通、​あそこから飛び降りるか?」


 壁の頂上を指差し、キリングは抗議。


「飛ぶにゃ。飛ぶ以外にどう降りるにゃ」


「飛ばねぇよ。少なくとも俺は飛べねぇよ。

 だから頼んだのに、結局飛んだよ!」


「うるさいにゃ。お礼を言われると思ったのに怒られるなんて心外にゃ」


 ポンランは不満そうに、草わらを掻き分けながらありもしないリングを探す。


 キリングは、


「そうだな……。ありがとう」


 お礼を言った。


「俺のつまらない意地のためにさ、迷惑かけるよ」


「別に良いにゃ。ばれなきゃ、大した事無いにゃ」


「昨日のケーキも美味しかったよ。今までも何度も迷惑かけたな」

 

 ポンランはこの四年間を思い出しているのか、しみじみとしていた。

 ポンランをしんみりさせたキリングはあまり感慨にふけっていなかった。

 まだまだ悪いことを考えていた。

 今も、恐怖ですくんだ足が動けるようになるのを待っていた。

 もう、大丈夫そうだ。

 

 キリングは突然走り出した。

 

 目的地もなく、ただ前に走り出す。

 

 しかし、二秒後……。

 

 それに気がついたポンランに取り押さえられる。


「どこ、行くにゃ!」


「分かった! もう逃げないから、まず降りろ」


 キリングはうつぶせに倒され抑えられている。

 とてもお喋りしたい体勢ではなかった。

 ポンランはキリングの右手をしっかり握ったまま、優しく起こす。


「実は、嘘なんだ。

 リングをなくしてなんかいない。

 俺はまだリングを手に入れてもいないんだよ」


 キリングは本当の事情を説明した。


 儀式に失敗して、リングを手に入れられなかった事。

 そして、ベアクーマに報告しても「下らん」としか言わなかった事。

 だから、見返すためにライフ金属を掘りに行こうとしていた事。

 つまりは家出目的だという事。

 

 なぜ、ライフ金属を掘りに行くかと言うと、それはギルドが四級昇級試験の他の道として用意している四級昇級ミッションが、毎年、『カーリシ鉱山でのライフ金属採掘』だからだと。


 さらに何故、四級昇級ミッションを受注してもいないのに挑戦するのかと言うと、ベアクーマがライフ金属が足りなくて困っていたからで、感謝されると思った。

 それに、羽は肉体強化されるのだから、強化される前の状態でも四級昇級ミッションに合格出来る実力があると見せ付けたかった。

 いや、頑張ってその実力を身につけるつもりだった。


「ポンランも羽を出さなくても超スゲーじゃん!

 だから、俺もリングがなくても出来る女になりたかったんだよ。

 とまぁ、こんな感じで、しばらく家に戻らないから」

 

 腕組みをして一言も発せず、それでも何度も頷くポンランに、キリングは全てを説明し終えた。

 

 キリングはポンランの反応を待って、ポンランはキリングの話の続き待った。

 十秒の沈黙。話が終わったのだと判断したポンランは、


「お前は馬鹿か~!! にゃ!!」


「馬鹿じゃねぇよ!」


「いや、馬鹿馬鹿にゃ!

 まだ、一時の感情に流されてリングを投げ捨てた馬鹿の方が可愛げがあったにゃ!」


「いや、リングを捨てるより馬鹿じゃないだろ!」


「馬鹿にゃ! そんな事して本当に褒められると思ってるかにゃ?

 こっぴどく叱られるだけにゃ!!」


「それで良いよ。

 叱られても良い……。

 下らんって言い捨てられるより良い……」

 

 キリングは下唇を噛み、ポンランの靴を見つめた。

 ポンランはしばらくキリングを見つめていた。


「めんどくせー……」


 にゃ、もつけずにポンランは呟いた。


「え?」


「止めたってどうせ言う事聞いてくれないにゃ。

 それなら、私も一緒に行くにゃ」


「いや、良いよ。一人でやらなきゃ意味がない。

 休みは一ヵ月半ぐらいあるんだし、ゆっくり特訓してく」


「出来るか~! にゃ!

 叱られるどころじゃないにゃ。

 死体になって泣かれてしまうにゃ」


「出来るよ。俺になら出来る!」


 ポンランはキリングの額を指で数度つつき、


「お前はボーイノベルの読みすぎにゃ!

 そんなに上手くいかないにゃ!」


 キリングは額の指が気になって、すこし寄り目になりつつ、


「やってきただろ?

 オヤジもポンランも、そんな人生談の一つや二つあるだろ?

 じゃあ、俺にだって出来る!」


「はぁ……にゃ。

 確かにお前の周りは凄い人ばかりにゃ。

 でも、それとお前の実力も潜在能力も無関係にゃ」

 

 ポンランはキリングをそっと抱き寄せた。


「普通で良いにゃ。

 普通以下でも良いにゃ。

 凄い人じゃなくたって、私はキリングが大好きにゃ……」


 キリングは知っていた。

 ベアクーマの周りには、自分の周りには、国を代表するような偉人ばかりで、キリングもそれと同等なのだと勝手に期待しては落胆する大人ばかりだ。

 子供もそうだ。

 ずっとそうやって生きてきた。

 

 その一方で、そこらの子と比べても秀でた物がなくたってちゃんと愛してくれる人たちがいる。

 ポンランもそうだし、マルガネと友達になれたのもそれが理由だった。

 自分が偉人である必要のないことぐらい、知っていた。

 

 キリングはポンランの身体を優しく押して、距離をとる。


「それでも、俺は行くよ」


 でもベアクーマは違った。

 普通なだけじゃ、父親の気をひけない、満足させられない。

 キリングの中では、そう認識されていた。


「知ってる。だから、私も一緒に行くにゃ」


「いやだ。俺はひとりで行く」


 ポンランは微笑んだ。

 キリングは説得に成功したのかと思ったが、ポンランはそっとキリングに近寄り耳打ち。


「お気づき頂けないかにゃ?

 お前を気絶させて持ち帰る事ぐらい、私には容易いにゃ……」


 ポンランは言いたい事を言って、再びお互いの表情が確認出来る距離で、


「私も行くにゃ!」


 無邪気に笑った。

 キリングは引きつった笑顔で言うしかなかった。

「よろしくお願いします」

 



 キリングの旅装備、つまりはリュックの中実を確認したポンランは「やっぱり馬鹿にゃ」と捨て台詞を残して、一時帰宅。

 五分後、キリングのリュックの三倍はありそうなリュックと、寝袋二つをもって戻ってきた。

 キリングは時間操作されたような間隔に陥り「五分でどんだけの事をやってきたんだよ」とツッコムも、「ウルサイい。馬鹿に説明しても分からないにゃ」と一蹴された。


「本当、お前は馬鹿にゃ。

 街を抜け出すつもりだったなら、門の近くの壁を登らなくたって良かったにゃ。

 壁はどこにでもあるにゃ」


「あ、マジだ。

 それなら、マルガネを巻き込む必要もなかったよな。

 なんかさ、出入り口=門ってイメージがあったから」


「馬鹿の考える作戦は、穴だらけにゃ!」


「うるせーな。その馬鹿に騙された馬鹿は誰だよ。

 はいつくばって、アリもしないリングを探してたくせに」


「うゎ。それを言うかにゃ。人の親切を踏みにじれる立場かにゃ?」


「うるせーよ。馬鹿。それに、お前、外を歩いてるのに羽を出し忘れてるぞ。

 そんな馬鹿、新聞の三面記事レベルだ。何度か読んだことある」


「はいはい。馬鹿はお前にゃ。わざわざ門の近くから街を抜け出たり、常識にとらわれすぎにゃ。

 思い込んだら、他の可能性を見れないにゃ。

 馬鹿だから。

 私は羽を出さなくても強いにゃ。むしろ出したら調子狂うにゃ!」


「それが馬鹿な証拠なんだろ。

 強化された肉体を操るだけのスペックがないんだろうな。

 その脳みそには。

 可愛そうに」


「黙るにゃ。馬鹿」


「うるせーよ。お前が黙れ。馬鹿」


 お互いがお互いに「黙れ馬鹿」と言っているのに、一向に「馬鹿」の応酬は収まらないまま夜になった。


「そろそろ、限界かにゃ。お子様は辛い時間にゃ」


「俺はまだ大丈夫だぞ」


 ポンランはキリングを無視して、リュックを下ろす。


「おい! 行くぞ!」


 キリングもムキになってポンランを無視して歩き続ける。

 でも、遠くで犬っぽい遠吠えが聞こえ、草むらの中からなんとなく視線を感じ、怖くなった。


「お~い、行くよ!」


 と振り返りながら言えば、さっきまでいたポンランの姿はなく、さっきまではなかったテントがあった。

 

 また、犬っぽい遠吠えが聞こえた。

 

 キリングはダッシュでテントを目指す。

 中に入る。


「酷いよ! お前が見てないところで襲われたらどうするんだ!」


「変な話にゃ。元々一人旅の予定だったんじゃないかにゃ?」


「そうだけど……」


 キリングは何も言い返せずに、本気で落ち込んだ。


「はぁ……、にゃ。

 馬鹿にはいちいち説明しないと駄目にゃ。

 あのぐらいの距離なら、私は目で見なくてもある程度分かるにゃ。

 気配とか音とか臭いとか」


「説明になってねぇよ! 馬鹿!」


 キリングは言い返せるようになり、直ぐに元気になった。


 晩御飯はお弁当だった。

 ポンランは一時帰宅の五分間にお昼と晩のお弁当まで作っていたらしい。

 

 キリングは五分間に今夜のお弁当まで作っていたことに驚きつつ感謝を述べようとしたが、それよりも五分でそれだけ出来るならいっつも殆ど自由に遊べてるんだろうななんて嫌味が思い浮かんで、でも自分が持ち込んだ保存食よりポンランの料理の方が好きだな第二のオフクロの味みたいなもんだなんて照れくさい事も思い浮かんでくるけど、結局何も言わなかった。 

 

 ポンランの持っていた昼に吸収した明かりを夜に放出する石、つまりは光石は、人の目玉サイズの小さな石ころで光の量は少なく、何かをするには暗い。

 ランプもあるが有限の燃料は節約したい。

 そんな理由から、二人は早く寝て早く起きる事にした。

 二人は寝袋にもぐり、ポンランは光石に布をかぶせた。

 

 慣れない野宿のせいか中々寝付けないキリングはポンランに、


「色々、ありがとうな」


 言えたり言えなかったりした、今日一日分のお礼を言った。

 相手が見えない暗い空間は、キリングをほんの少しだけ素直にさせた。

 

 ポンランは何も言わない。

 キリングがもう寝てしまったかなと勘違いするぐらいの時間、何も言わなかった。


「思ったにゃけど、私は馬鹿じゃないにゃ。

 だから、私を騙したキリングも馬鹿じゃないにゃ。

 今日の出来事は、天才たちの駆け引きだったにゃ」

 

 それは別にどうでも良いよ、とキリングは思ったのに、


「そうだな」


 肯定の相槌。


 キリングが寝付けなかったのは、慣れない野宿のせいだけではないのかもしれない。

 心配しているだろうベアクーマが気になる。

 あるいは心配してくれているのか心配なのかしれない。 

 もしかしたら、不思議な力でこの親子は繋がっていて、今夜ベアクーマがゴールドタイガー達と死闘を繰り広げる事を察知したのかもしれない。

 

 旅初日の夜は、時間以上に長く感じる夜だった。

 



 二人は目覚まし時計や自然の音に起こされるのでもなく、目を覚ました。窓のないテントにも日の光が差し込んでいる。

 

 時刻は五時だった。

 

 キリングはテントから出て、身体全体で欠伸をするように身体を伸ばす。


「大自然の朝は気持ちが良いなぁ!」


「使われてない旧道が直ぐそこにゃ。全然大自然じゃないにゃ」


 五十年程前、火の国は国家プロジェクトとして、首都のように村も町も全ての集落を壁で囲む事にした。

 それには膨大なお金が必要で、いくつもの見捨てられた村や町があった。

 それらに続く道のほとんどは、現在使われなくなっていた。


 王都ポーロの近くには、その旧道が多く、草木で覆われ獣道のようではあるが確かに舗装された道を、昨日は歩けた。


 キリングにとっては、人気もなく整備されなくなって約五十年の旧道は、大自然と表現するのに充分だった。


「ちぇ。どうせ、俺は管理される子供ですよ。

 どこかの野生メイドとは違いますから!

 それよりどうよ?

 長期休みの序盤に二日連続で早起きとは、学生の見本みたいな存在だな。俺は」


「そうにゃね。正式な手続きなく野外を歩き、野宿する、野生学生にゃ」


「嫌味の反撃のつもりか? 残念だな。俺は、ワイルドになりたいんだぜ? 褒め言葉だよ」


 干し肉で軽い朝食を済ませてから身支度を整え、二人は歩き始める。

 お昼間近には旧道の行き止まりに出た。

 そこはヒバナーナの群生地だった。


「ここにも、昔は村があったらしいにゃ」


「へぇ~」


「王都に近いから盗賊なんかのアジトにされると危険にゃ。

 だからキレイさっぱり撤去されてしまったにゃ。

 廃墟になることも許されず、それでもヒバナーナの群生地として人々を支えているにゃ」


「そっか」


 時間も丁度よく、光り輝くヒバナーナを収穫出来た。

 さらにそこでポンランは角兔をしとめ、捌いた。

 初めて見る動物の解体作業に、キリングは嘔吐した。


「いつも平気な顔をして肉を食べてるくせに、情けないにゃ。

 しっかりするにゃ! 男の子でしょ!」


「女だよ」


  女の子扱いされ戦闘技術を教えてもらえないのも気に入らなかったが、男の子扱いされるのはもっと面白くなかった。


「あら、知らなかったにゃ!」


「嘘つき」


「嘘にゃ!」


 本当は丸焼きにするつもりだったが、ポンランは気を使いステーキ状にカットしてから焼いた。

 それでも食べようとしないキリングに、


「生きるってことは、こういうことにゃ」


「分かってるよ」


「分かってないにゃ。

 嘔吐するのは生理現象だからまだ許せるとしても、手をつけないのは許せないにゃ。

 別に敗者に感謝しなくちゃいけない決まりはないにゃ。

 敗者を見下す事で、自分は絶対に負けてたまるかと頑張る人もいるにゃ。

 だけど私は許さないにゃ。

 特に食事には厳しいにゃ。

 食べることは生きることにゃ。

 やっぱり、それ、欲しいにゃ。

 いらないなら、くれにゃ!」

 

 冗談なのか本気なのか、説教中に本能と戦い始めたポンランにツッコム余裕もないキリングも、


「分かってる。分かってるけど……」


 自分と戦っていた。


「はぁ……にゃ。やっぱりキリングには無理かにゃ。サバイバルはまだ早いにゃ」


 ポンランの言葉にキリングはカッとなって、一口食べてみる。


「美味しいな……」


 角兔を食べるのは決して初めてではないのに、味付けもされてない焼いただけなのに、やたらと美味しく感じた。


「んにゃ!」


 ポンランは満足そうに笑った。


「お前も、今度からセロリ食えよ。偉そうな事言ったんだから」


「嫌だにゃ。

 収穫しない、買わない、料理しない、方向で頑張るにゃ!」


「ワガママなメイドだな!」


「キリングよりはマシにゃ!」


 キリングは「俺はワガママじゃない」と反論しようとするも、ポンランがバースデーケーキのロウソクを消すように一息で焚き火の火を消す。

 それならばとキリングは「どんな肺活量してるんだよ」とツッコミを入れようとするも、ポンランはキリングの頭を押さえつける。


「伏せるにゃ。誰か来るにゃ」

 自らの腕力で無理やり伏せさせているキリングに言った。


 だけどキリングは文句を言わなかった。

 息を潜め、辺りの様子を伺う。


「誰も、いないぞ?」


「奥に湖が見えるにゃ?

 あの奥に獣道があるにゃ。そこから二人、近づいてくるにゃ」


 ポンランはキリングの頭から手を離し、静かに出発の準備。

 キリングは湖の方をジッと見続けていた。

 一分後、二人組みが現れた。

 距離があって、人相は分からず、尻尾系か羽系かも分からない。

 それでもおぼろげなシルエットから、なんとなく、小太りの男とノッポの男のペアだと分かった。


「さぁ、行くにゃ」


 その時、ポンランは身支度を終えた。

 小声でキリングを呼ぶ。


「おぉ」

 キリングも小声で答え、その場を後にした。


 道なき林の中を二時間程歩くと、二人は障害に出会った。

 林を抜けた先は見通しの良い平野で、右手側には村を囲む壁らしき巨大な建造物が見えた。

 その村らしき建造物を囲むように、いくつもの畑が広がっている。

 これは問題ない。

 村らしき建造物からも距離があるし、人かどうかも判別出来ない所で畑仕事している人から見れば、自分達が家出人などとは思わないだろう。

 

 小さな問題は左手側にある。

 地平線まで見渡せそうな草原が広がっていた。

 遠方には道があるのか動く黒点が沢山見える。

 きっと通行人なのだろう。

 しかし、人通りが多かろうと、やっぱりあの距離から自分達が家出人だと判別出来はしないだろう。


 大きな問題は前方にあった。

 正面は見た感じ平野だ。

 しかし、少し左に目をやると、橋が見えた。

 キリングには、そこにあるのが谷なのか川なのか分からなかったが、自分の進行方向に何らかの障害があるのは予想出来た。

 かといって、橋を渡るにも、その橋は黒い点が忙しなく行き来している。

 通行人が多いのだ。


「失敗にゃ。お荷物があることを忘れてたにゃ」


 立ちすくむポンランが漏らした言葉を、キリングは意図的に好意ある解釈した。


「そうだな。荷物ありでジャンプしたら、落ちちゃうかもしれないもんな。

 リュックからこぼれ落ちてしまいそうだよな」

 

 本当は自分の事をお荷物と言われた気もしたが、下手に刺激しない事にした。

 自分が傷つくからではない。

 谷だろうが川だろうが、ポンランの背中にしがみつき飛び越えるのは、嫌だった。

 怖かった。


「夜まで待つしかないにゃ~。そうすれば、橋もひと気がなくなるはずにゃ」


「それで良いよ。急いでないし」


 キリングは安心した。

 大きなリュックを背負うポンランの背中に余裕はなさそうだし、想像するだけでジャンプする恐怖に足が少し震えていた。




 人目の触れない林の長い待機時間の中、キリングは立ち塞がる障害の正体がオオツキ川であることを教えてもらう。

 他にも、角兔の解体術を教えてもらったが、しばらくは実践しない事を心に誓った。

 他にも、ナイフ術を教えてもらったが、身体能力に頼り自己流のポンランの説明は参考にならなかった。

 最後に料理を教えてもらったが、実践のない料理の実物なきイメージトレーニングは、良く分からなかった。

 

 殆ど経験として蓄積されない時間だったが、普段なら「キリングにはまだ早いにゃ! ってベアクーマさんに言われてるにゃ」と断られていたナイフ術や料理を教えてもらえるのは、楽しい経験だった。

 

 ポンランが先生役に飽きた頃、時刻はまだ十八時だった。

 今日は夜間活動もするので、二人は仮眠を取ることにした。

 

 いくら冒険者ギルドの資格があれば夜間に集落の外に出られるとは言え、好き好んで外出する者は多くない。

 夜の闇は自らの戦闘力を奪うだけではなく、もしもの時に助けてもらえない上に、闇は犯罪を隠す役割も果たす。

 二十時にもなれば、橋から人の姿は消えるはず。

 そこで、二人は余裕を持って少し遅めの二十一時まで仮眠をとることにした。


 ポンランが寝ながらも周囲の警戒を怠らないとは言え、流石に索敵範囲は著しく低下する。

 もし、ポンランが一時間早く起きていれば、誰も傷つかなかっただろう。

 それを知る者は、ポンラン含め、誰もいない。

 

 

 仮眠から目を覚まし、草原に戻った二人は、遠くで薄く光る橋を真直ぐ目指す。

 見通しの良い草原は、かえって夜の闇を際立たせた。

 更に見通しの良さが、人目を忍ぶ二人にとっては不安を駆り立てる。

 それが胸騒ぎの原因だと思っていた。


「ビビッてるかにゃ?」


「ビビッてねぇよ!! だけど騒ぐんだ。俺の優秀な戦士としての勘がな……」


 キリングは精一杯強がってみせると、ポンランはクスクスと笑い、


「安心するにゃ。私も嫌な予感がするにゃ。今夜はおかしいにゃ」

 キリングの手を握った。

 キリングは手を振り払わなかった。

 

 今まで木々が密集する林を歩いてきたせいか、目視出来る橋に中々近づけないのは、不思議に思えた。

 闇のせいもあるのだろう。

 見た目には近そうなのに、二十分歩いても近づいた気がしない。

 自分達は本当に進めているのか不安に思い後ろを振り返れば、林は遠くに見えた。

 発光性樹木の光が、優しく感じた。

 

 その僅かなキリングの安心を否定するように、雄たけびが聞こえた。

 

 静かな夜じゃなければ、聞き逃しそうな遠くの雄たけび。

 

 だけど、心をかき乱す不快な雄たけび。


「ドラゴン?」


 キリングは無意識に握ってる手の力を強めた。


「違うにゃ。虎にゃ」


 ポンランは後ろを見ていた。


「そっちから、聞こえたのか?」


「にゃ。なんとなくしか方向が分からない程度に距離は遠いにゃ。

 ここは安全にゃ。

 でも……」

 

 安全宣言したのにポンランの顔は緊張を含んだままだった。


「でも、なんだよ?」 


「さっきのは、標的を見つけた喜びの咆哮にゃ。

 わざわざ獲物に自分の存在を知らせるなんて事するのは、無機質系動物だけにゃ」

 

 十歳のキリングでも知っていた。

 無機質系動物は、人しか襲わない。


「じゃあ、誰かが襲われてるのか?」


「そう、なるにゃ」


 二人は無言ではるか先を見つめる。

 黒い空間を見つめた。


「こんな夜に出歩く人なら、きっと大丈夫にゃ! 心配いらないにゃ!」


 ポンランの声はトーンもボリュームも一回り大きくなっている事に、キリングは気がついた。


「行けよ」


 キリングの声はトーンもボリュームも一回り小さくなっていた事にも、気がつく。

 せめて顔だけでも笑おうと決意してキリングは続ける。


「俺は速く走れないし、役にも立たない。だからさ、行ってくれよ」


「何言ってるにゃ! きっと問題ないにゃ!」


 また雄たけびが聞こえた。

 聞こえた気がする、と言える程にさっきよりも遠くで聞こえたのに、さっきよりもおぞましく聞こえた。

 キリング以上に、ポンランの手を握る力が強くなっていた。


「行けよ! お前は家の雇われメイドだろ! 言う事聞けよ!」


 言った瞬間に後悔しても、遅かった。


 違うんだ。ポンランが離れられないのは、俺の安全を第一に考えているからで、それを否定したかっただけなんだ。


 心の中で言い訳をするも、言葉にも出来ない。


 命令なら、何度もしてきた。

 でも、それは子供が母親に甘えるようなもので、ポンランも断る事も多かった。

 

 意識する事無く、それでもハッキリと自覚出来る。

 キリングはポンランを家族として認識していた。

 母親なのか姉なのか、そう言ったハッキリと定義出来る存在じゃなくても、確かに家族だった。

 

 ポンランは強く握っていたキリングの手を離した。


「ゴメン……。今のは最低だった……」


 ポンランの温もりが消えたことでやっとキリングは言葉に出来た。

 でも上手く言いたいことも伝えられない。


「分かってるにゃ」


 キリングは『キリングが最低なのぐらい分かってる』と言われたのかと思った。

 拳を額に当てていてよく見えないポンランの表情は、口元で判断するならば優しく微笑んでいた。


「キリングの強がりに甘えるにゃ」


 キリングは自分の過ちを許してくれた事にホッとすると同時に、ポンランの格好が羽を出そうとしているのだと気がついた。


「行ってきますにゃ!」


 にゃ、と同時にポンランの背中に羽が見えた気がした。

 だけど、確認する間もなくポンランは姿を消した。

 残されたのは、耳に残る何かが高速移動したらしき空気を切り裂く風の音だけだった。

 

 ふと、足元に人差し指サイズの筒が三本落ちているのを見つけた。

 キリングは教科書で見たことがあった。

 SOS用の小型花火だ。

 

 キリングは小型花火を拾うためしゃがみこみ、そのまま草むらに仰向けに倒れこんだ。


「あぁ。クソ。結局、俺はガキじゃねぇか」


 夜空を見上げれば、星達が輝いていた。

 もう胸騒ぎはしなかった。


「ポンランにしてみれば、我が子に『死ね』と言われたようなもんなんだ。

 最低は最低だったけど、多分大丈夫」

 

 多分、友達っぽくて家族っぽい自分たちの関係は終わらない事に安堵しながら、星を眺め続けた。


 手に握った小型花火は心強かった。

 ポンランなら直ぐに駆けつけてくれると思った。

 それが、子供が親にする過度の期待と甘えだという事にまでは気がついていなかった。

 

 周りに注意を払うため耳を澄ませながら、星を見つめること四十分。

 

 キリングは急に不安になった。


「おい。俺、火持ってないぞ……」


  上半身を起こし、耳だけ注意から、五感をフルに使った警戒に移行。

 それでも背後のポンランには気付けなかった。


「何キョロキョロしてるにゃ?」


「うゎぁぁ……」


 とっさの悲鳴とは思っていた以上に小さな声で間抜けなんだな、とキリングは恥ずかしくなりつつ、


「いつからいたんだよ!」


 強気に出て誤魔化そうとした。


「俺、火持ってないぞ。からにゃ!」


「戻ったなら直ぐ声かけろよな」


「女には、準備が必要にゃ。キリングにもそのうち分かるにゃ」


 なんの準備が必要なんだよ、と思ったが、ポンランの背中に羽はなくいつもの姿だったことに気がつく。

 羽をしまっていたのか、と納得するも、文句はまだあった。


「あとな~。お前、馬鹿だろ! コレ、花火! 俺は火を持ってないぞ!」


「馬鹿はキリングにゃ。緊急用アイテムに別のアイテムが必要だなんておかしい話にゃ」


 ポンランは小型花火をキリングから奪い取り、導火線と思われる紐を握る。


「この糸を引っ張れば良いにゃ!」


 キリングは慌ててポンランにタックルした。


「馬鹿! 人に見つかったらヤバイの。俺らは家出人なの」


「む~。引っ張ろうとなんてしてなかったにゃ。

 フリだけにゃ。

 私だってそのぐらい分かってるにゃ」


「嘘だ」


「嘘にゃ!」


 キリングは堪え切れず下を向いてこっそり笑った。

 ポンランは隠そうともせず大きく口を開けて笑った。


「ゴメンな」


 ポンランのウルサイ笑い声で隠すようにキリングは謝る。


「ん~。何がにゃ?」


 ポンランは絶対に『雇われメイド』と言った事だと理解している、挑発的なからかうようなイタズラな微笑みを浮かべる。


「何でもない」


「んにゃ」


 ポンランの微笑が気恥ずかしくなってきたキリングは、話題を変える。

 と言っても本来なら直ぐに聞きたかった事。

 驚かされなければ、直ぐに聞いていた事。


「ご機嫌だよな。虎退治は上手くいったのか?」


「手遅れだったにゃ!」


 ポンランは「にゃはは」と呑気に笑った。


「いや、笑えねぇよ!」


「大丈夫にゃ。

 一人負傷者がいたけれど、致命傷ではなかったにゃ。

 ちゃんとしっかりと手当てしたにゃ!

 手当ての後に気配を追ったにゃ。

 すると、ゴールドタイガーもおじいちゃんが退治してたにゃ!」


「よく分からないけど、どうでも良いや。

 みんなも、ポンランも無事だったならそれで良いよ!

 多分ポンランも良く分かってないんだろうし……」


「実は……、その通りにゃ!」


 ポンランはまた「にゃはは」と笑った。

 キリングは『だから、笑えねぇ』と思いつつも、笑いがこぼれていた。




 その後、目的地までの数日間は特に問題はなかった。

 王都ポーロから離れた事によって、集落の数は減り人の数も減ったので誰にも見つからなかった。

 自分で動物解体を出来るまでには至らなかったものもキリングも少し旅慣れしてきていた。

 野生動物たちは本能的にポンランに手が出せないことを察知したので襲われる事もなかった。

 

 目的地、カーリシ鉱山で待ち伏せしている三人組に出会うまでは、特に問題はなかった。

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