火の魔道書を持つ少女-2
翌日。
夕方までは順調に仕事が出来た。
だけど、新魔法開発の進捗はいたって不調。
所長室に差し込む日の光がオレンジ色になっている事に気がついたチャオは、
「もうこんな時間か。簡単に思いつくことは、とっくに試してるわよね」
とため息をついた。
「地道な努力は、いつか必ず実るッス!」
「こう、なんか、事態が急変して研究が一気に進んじゃうような出来事が起きて欲しいですよね。
私に関わりが無いところで」
「また、ルーガはそんな事言って。
でも、確かに一理あるわね。
科学の世界でも偶然の発見による偉大な発明って多いものね」
そんな時、所長室のドアが強くノックされた。
ノックの強弱が事態の緊迫度を示すとは限らないが、ただ事ではないのだろうと予感させる強いノックだった。
チャオとルーガは、事態が急変する事件を予感し顔を見合わせる。
「どうぞッス!」
ボイはそう言ったけれど、その場で待たずに客人を迎えにドアへ近づく。
「聞いたぞ! どういうことだ!!」
ドアから入ってきたのは、ベアクーマだった。
一昨日、所長室を訪れた時のように慌てた様子で結構な量の汗も確認出来る。
「こんにちは。ベアクーマさん」
チャオは挨拶し、ボイとルーガは敬礼をした。
ベアクーマはもどかしそうに挨拶を返し、話を続ける。
「勝手な事をするな。キリングの事は、私の問題だ。報奨金が一千万エーン? なぜ、それをお前らがやる!」
チャオは推理。
そうか。
ずっとキリングちゃんを探してたのね。
だから、昨日使いの者に連絡させた事を、今日の今頃になって知ったと……。
この人、仕事してるのかしら。
「キリングちゃんの失踪は、国の一大事です。
あなたは、もっと自分の立場を理解してください」
「下らん!
お前らの力は借りんぞ。
キリングは私の子供だ。私達でどうにかする!!」
「それは、それで良いですよね? チャオ様」
「問題は無いけど……」
「話はそれだけだ! 失礼した!!」
ベアクーマは怒鳴るように言って、部屋を出て行こうとした。
チャオは照れ隠しなのか、昨日のゴールドタイガー横領事件をまだ怒っているのか判断出来なかったが、
「感謝は、してる」
ドアが閉める直前に、小さな声でベアクーマは言った。
ボイはチャオに聞く。
「あの、俺見送ってきても良いッスか?
キリングさんの詳しい情報も聞いておきたいので」
「えぇ。構わないわ。
時間も時間ですし、多分今日はもう出来る事はないから、そのまま捜索しても良いわよ」
「はいッス!」
ボイは慌てて部屋を出て、ベアクーマの後を追った。
「いや、結構仕事溜まってますよ」
「良いのよ。ボイ君が出来る仕事は、もう無いでしょ?
新魔法の方は手詰まりだしね」
残る仕事は、ゴールドタイガー横領事件の後処理と辻褄合わせの手続きがメインだった。
「それにしても、あのおじさん。やっぱり失礼な感じですね」
ルーガの愚痴に、チャオは自信を持って答えた。
「良いのよ。ただの照れ隠しだから」
そして、二人は静かに事務処理。
チクタクチクタク時計の小さいはずの音が響き渡る。
三十分程してルーガは少し飽きてきた。
小休止もかねて、部屋の空気を入れ替えようと窓を開ける。
「う~ん。
私、平日の夕方って好きなんですよ。
今日もあと少しで終わりですね~」
「そうね」
チャオはまだまだ集中していたので、空返事を返す。
「ちなみにですね。
嫌いなのは……、平日の朝!
こいつは恐ろしく強いです。
私の心は勝てないです。
連戦連敗です。
あとは、休日の夜も嫌いですね」
「そうね」
「チャオ様、見て見て!
あっちでは、帰宅路を歩く人たちでいっぱいですよ。
私たちも、もう帰りましょうか?」
「駄目よ」
「そうですよね~。分かってました」
ルーガはチャオの仕事を邪魔しながら、五分の小休止を取り、席に戻った。
そして、また静かになる所長室。
開きぱっなしにされた窓からは、生暖かい風が吹く。
国立魔法研究所の敷地は広く、道では賑わう時間なのだろうが人々の奏でる喧騒は聞こえてこない。
その代わりに、鈴虫の声が聞こえてきた。
静かな夕方だなぁと、チャオはぼんやりと思った。
しかし、また、ドアが勢い良く開かれた。
開けたのはキリングの捜索に出たはずのボイだった。
「大変ッス!! 不審人物が騒いでるッス!!」
そこまで言って、ボイは少しの休憩。
走ってきたらしく、少し息を整える必要があった。
「ん~、不審人物って、どう不審なんですか?」
まだ乱れた呼吸の中、息を大きく吸い込んでボイは報告を続ける。
「チャオを出せ!
チャオに会わせろ!
と騒いでるッス。
受付の人が断っても断っても、一切引こうとしないッス!」
ボイはまた休憩。
それでも、呼吸は大分整ってきた。
「衛兵はどうしたの?」
「はいッス。あいつは騒ぐだけなので、衛兵も取り押さえるタイミングを計りかねてるみたいッス。
一応、あいつの近くに三人の衛兵も集まってたのですが、気にも留める事無く、チャオを出せ~! の一点張りッス」
「チャオ様を呼び捨てなんですか? 凄いですね」
ルーガは続けて「チャオ様、怖い人なのに」と誰にも聞こえないように小さく漏らす。
「自分も近寄って、声をかけたッス。
でも、まずは会わせろと騒いでたッス」
「それで、ベアクーマさんはどうしたんですか?
一緒じゃなかったんですか?」
「下らんな。
と、行っちゃったッス」
「あのおっさん、やっぱ駄目ですね。
下らなくないじゃないですか?
どうします? 暴れる前に追い出しちゃた方が良いんじゃないですか?
あ、もう、逮捕出来るだけの罪状はありますよ。
ここは、チャオ様お得意の権力の力を見せてください!」
「あなたは私をどう認識してるのか、いつかじっくり聞きたいわね」
チャオは、ベアクーマが素通りしたのなら大した危険は無いのだろうと判断した。
なんだかんだで、彼を信頼していた。
「とりあえず、様子を見に行きましょう」
「チャオさんは俺が守るッス!」
「それが、仕事ですからね~。
でも、遠くから見るだけにしてくださいよ。
いくらチャオ様がアホ強くても、接近された魔法使いは無力ですからね」
「大丈夫よ。
衛兵が動けないってことは、不審者は尻尾も羽も出して無いんでしょ?」
「はいッス!」
受付ロビー隅の柱の陰から、チャオ、ボイ、ルーガの三人は受け付けカウンターを覗き見る。
まだ不審者は諦めて無いらしく、騒いでいた。
「私を知らないのか! 私が誰だか分からないのか!!」
受付嬢の表情はこの距離だと確認出来ないが、何度も頭を下げている様子から困惑した表情は簡単に想像出来た。
「知っているのなら、何故会えないのだ!
チャオに会わせるのだ~!!」
受付嬢の声も聞こえない。
だけど、不審者が言った言葉で何となく様子は想像がつく。
「あちゃ~。凄いですね。確かに危険はなさそうですけど」
ルーガは不審者の華奢な体つきを見て油断していた。
「でも、怪しすぎるッス!」
ボイは緊張を緩めてなかった。
「でも、何ですかね~。熱心すぎるファンですかね」
「そうなんッスか? なるほど……。危ないッスね。近寄らない方が良いッス!」
「いや、適当に言っただけですけどねぇ。
チャオ様、あの人に心当たりあります?」
ルーガはチャオの方を見て、驚いた。
ボイもルーガの質問に答えない様子が気になりチャオの方を見る。
ボイも驚いた。
チャオは左手で口を押さえ、目を大きく見開き、頬には少し赤みがさしていた。
ルーガの声にも気付いてないみたいだ。
だけど、顔全体の筋肉は緩んでいて、喜んでいる様にも見える。
「モクタク……」
チャオは小さく呟いた。
かと思えば、
「モクタク~! ちょっと、モクタクじゃないの!」
叫びながら不審者の方へ走り出してしまった。
本来ならば不審者に不用意に近づくチャオを止めなくてはいけないはずの、護衛二人は顔を見合わる。
「ボイ君! 聞きました? モクタクって多分あの人の名前ですよね?」
「聞いたッス……。モクタク……。モクタクの頭文字はM……」
「そうですよね! Mなんですよね~」
二人は『チャオは謎の男Mと遠距離恋愛中らしい』という一昨日の新聞を思い出しながら、確認しあった。
ルーガは意気揚々と、ボイは意気消沈しながら、チャオの後を追いかけた。
「おぉ~! チャオ!」
チャオの接近に、モクタクは気がついた。
衛兵がモクタクの動きを制止しようとするが、
「あ、大丈夫よ。もう、戻って大丈夫。
迷惑かけちゃったわね。
ごめんなさい」
とチャオの言葉を聞き自分の所定位置に戻っていった。
「チャオ様~。
アポが無い方はお通し出来ないって言ってるのに、全然聞いてくれないんです。
モクタクさんは同じことを何度も繰り返して困ってたんです」
受付嬢は不満を漏らす。
「ゴメンね。今度埋め合わせするわ。
お昼ご馳走させて!」
「えぇぇ? はい!!」
受付嬢はモクタクへの嫌味のつもりだったが、思いも寄らぬ賠償が舞い降りてきて胸が躍った。
憧れのチャオと食事が出来るとは思ってもいなかった。
チャオはモクタクを叱らなくてはと思いつつも、喜びを隠せなかった。
「ちょっと! 急にどうしたの? 久しぶりじゃない!」
「三年ぶりなのだ!」
「あれからそんなに経つのね」
「チャオが全然、戻ってこないからなのだ!」
「忙しかったのよ。アーツ村のみんなは元気にやってる?」
「もちろんなのだ!
でも、チャオのことは忘れてしまったのかもしれないのだ」
「ひっど~い! でも、そんな覚えの悪い人はモクタクだけよ」
「そんな事無いのだ!
私はとっても立派な知識人であるのだ。
沢山の本を読んでいるのだ!!」
「最初の数ページだけでしょ?」
「なぜ分かる? アーツ村はスパイの村なのだ……」
「分かるわよ! あなたは、変わってないのね」
「あの~。
チャオ様。
実は、そろそろご紹介して頂けると有難いのですが。
この方はどちら様なんですか?」
「あ、ごめんなさい。
あなた達の事を忘れてたわ。
この人は、モクタク。
私の家族なの」
「家族ッスか!」
「う~ん。本当ですか?
どうなんです? モクタクさん」
「うむ。私とチャオは家族なのだ!」
「そっスか。家族ッスか!」
「ふ~ん。
じゃあ、質問に答えてみてくださいよ。
あなたはお兄さんですか? 弟さんですか?」
ルーガは信用していなかった。
チャオに兄弟がいないことを知っていたからだ。
それを証明するかのように、モクタクは返答に困ってしまう。
「えっと、……私とチャオは何なのだ?」
「知りませんよ。
答えられない理由があるんじゃないですかぁ?」
ルーガは追い詰めたぞと鎖メガネをクイクイ動かす。
「叔父さんよ。モクタクは私の叔父さんなの」
「何を言うか! 私はまだまだピチピチの十七歳なのだ。おじさんではないのだ!」
「違うわよ。
じゃあ、言い換えましょう。
私がモクタクの姪なの」
「チャオ様は十六歳ですよね。一歳しか違わないのにですかぁ?」(クイクイ)
「私は確かに村長の息子なのだ。
赤ん坊の頃に拾ってもらったのだ!
チャオは村長の孫なのだ!」
「なるほど。つまりは、二人は血の繋がってない親族なのですね」(クイクイ)
「そうね。でも、感覚的には弟って感じなのよね」
「私の方が年上なのだ!」
「だらしなくて頼りないのよ。お兄ちゃんって感じは全然しない」
ルーガはチャオとモクタクを見比べる。
外見の差は大きいですね。
モクタクさんがどうと言うより、チャオ様が美しすぎる。
『外見的には不釣合い』OKです。
記者の言っていた言葉を思い出し、ルーガは心のチャックリストに一つチャックをつける。
何とも形容しがたい話しづらい雰囲気。
『性格がふわふわしてる』もOKです。
心のチャックリストにもう一つチェックをつける。
ボイ君に匹敵するだろう物の知らなさ。
きっと悪いことはしないと言うか出来なさそう、と思いますね。
『悪い奴じゃない』は保留しときます。
「モクタクさん! あなたをMと認定します! おめでとう!」(クイッ!)
「うむ? そうか!」
ルーガの突然の発表に、モクタクは、意味も分からないままとりあえず曖昧に返事をした。
「あ~……」
チャオはルーガの様子が変だった理由を悟るが、深くつつかない程度に忠告した。
「言ったでしょ。私にそういう人はいないのよ」
「俺は認めないッス! だって、モクタクさんは家族ッスよ!」
「いえ、ボイ君。その辺は何の問題も無いんですよ。法律的に」
「むむむ、でも、俺は認めないッス!」
ボイは口を尖らせモクタクを睨みつけた。
「うぅむ?
お! おぉ! 先ほどの少年ではないか!
言っただろ。
私はチャオの知り合いなのだ!
これっぽちも怪しくないのだ!」
「少年じゃないッス。ボイッス! よろしくッス……」
ボイは握手を求めて手を差し出す。
ちょっとだけ、強く手を握り締めてやろうと思ってしまった自分に気がつき、ボイは『嫉妬なんてみっとも無いッス……。俺は自分を鍛えてこいつに勝ってやるッス!』と思った。
「あ~、ご挨拶遅れましたね、ルーガです」
ルーガも握手を求めて手を差し出した。
失礼かなと思いつつも、ルーガはモクタクの観察を止められなかった。
ルーガは、『へ~。細長いくせに、手は大きいんですね。でも、柔らかい手。マメも無い。きっとこの人は尻尾系かな』と思った。
気がつけば四人の周りには人だかりが出来ていた。
チャオ目当ての一般人で、遠巻きにひそひそと話しながら観察されていた。
「私たちはまだ仕事が残ってるから、一度戻るね。
晩御飯まだでしょ? 急いで終わらせるから、後で合流しましょ」
一般の人に注目されるのも嫌だったし、軽く警告したぐらいじゃ言う事を聞きそうに無いルーガをモクタクから引き離したかったので、チャオは仕事に戻ることにした。
あまり色恋沙汰に興味のなさそうなボイにモクタクの相手をお願いしたのだが、実はボイはモクタクに興味津々だった。
とは言え、モクタクと二人きりにされてボイは困った。
気まずいッス。
こう言う時どう対応したら良いッスか?
宣戦布告ッスか?
それとも、モクタクさんに探りを入れるッスか?
と、ボイは短時間に今まで経験した事の無い目まぐるしい自問自答の思考の渦に飲まれていたが、先に話しかけたのはモクタクだった。
「約束の時間まで、大分あるのだ……。
ボイ君。チャオは仕事が忙しいのか?」
何故かボイはイラッとした。
恋とは決して綺麗な感情ではないのかもしれない、とボイは思いつつも、必死に感情を押し殺す。
そして、出来るだけ冷静に何故イラッと来たのかを考える。
ボイは考えるのが苦手だった。
苦悶の表情を浮かべ長時間黙り込んでしまった。
そんなボイを見て、モクタクはその無言が返事だと解釈した。
「そうか。忙しいのか」
「あ、違うッス! 違わないけど、最近特に忙しくなったッス」
「ふむ。しかし……。私も急ぐし……。いや、でも……」
モクタクも考えるのが苦手だった。
頭の中での言葉が、自然と口に出てしまっていることに気がついていなかった。
「あの、モクタクさん?」
「決めたのだ! チャオの事は本人と話しながら後で考える!」
「はぁ」
「だから、ボイ君。街を案内して欲しいのだ。
私もそれなりに土地勘はあるつもりなのだが、古い記憶なのだ。
もう、三年前の記憶なのだ!」
「はぁ」
「この子が行きそうな場所を教えてほしいのだ!」
モクタクはしわくちゃになった捜索願いをボイに手渡す。
ボイはモクタクもキリングを探していた事に驚いた。
「モクタクさん。このお子様が誰か知ってるッスか?」
「知らん。
子供を助けるのに、知り合いである必要もなければ、理由も必要ないのだ!」
一瞬だった、ちらりと思っただけなんて、言い訳にならないッス。
報奨金目当てなのかなと考えてしまった自分が情けないッス。
ベアクーマさんに恩を売るつもりなのかと考えてしまった自分が情けないッス。
嫉妬して力いっぱい握りつぶすつもりで握手しようと考えてしまった自分が情けないッス。
この人は、やっぱりチャオさんが選んだ人ッス。超大きい人ッス。
そうやって、ボイは勘違いした。
モクタクは総合的に立派な人物ではないし、どちらかと言うと、昨日の捜索願いの人物が見つかったかどうかの確認も取らずにひとまず探そうとする軽率な人物だし、そもそも、イニシャルMはモクタクではなくモウなのに、ボイは色々と勘違いをした。
「モクタクさん!」
ボイはモクタクの右手を両手でがっちりと掴み、目を潤ませ、
「あんたの事は認めたッス。でも俺も頑張るッス!」
「うむ? そうなのだ! 一人よりも二人の方が上手くいくのだ!」
「はいッス? いや、そうッスね。何事でもライバルの存在は、大事ッス!」
「うむ? そうなのだ! 結果的に相手が幸せになれば良いのだ!」
二人の会話は噛み合わないまま、キリングの捜索をする事で二人の意向は決まり、チャオとの約束の時間まで懸命に捜索した。
いや、夢中になるあまり、約束の時間に大幅に遅刻した。
「二人とも遅いですね~」
「久しぶりで忘れてたわ。
モクタクと約束する時は、嘘の時間を教えるべきなのよ。
たいてい、あいつは遅刻するから」
「へぇ~。やっぱりモクタクさんの事を分かってますね」
ニヤニヤと意味深に笑うルーガの言いたい事は分かったが、チャオは軽く流した。
「そうね。家族だから」
ニヤニヤしたままのチャオは、
「でも、ここで良かったんですか? あんまり、と言うか全く色気もムードもないですよ」
焚き火屋に先に来店したチャオとルーガは、既に席まで案内されていた。
飲食店には珍しく、加熱調理も薪や木炭をくべるのもセルフサービスで、広場に一つの受付と一つの食材と燃料売り場と多くの焚火台と多くの椅子を設置しただけの施設であり、食材と燃料の持ち込みも自由にする事で何らかの問題が起きても当店は関与していませんという姿勢を取る事から、焚き火屋はその分客側のコスト的負担は減る。
客層も賑やかで飾らない庶民が多くなる。
「良いのよ。色気もムードも必要ないし。
それに、モクタクは高級な店は嫌うの。
高級な味も雰囲気も苦手なのよ。
お店側もウルサイモクタクを嫌うでしょうし」
「やっぱり、良く分かってますね~」
「全然分からないわよ……。
全然会えないんですもの……」
チャオはモウを思い浮かべ、暗い雰囲気を醸し出しながら、これ以上追求するなよと伝える。
実際は悩んではいたけれど、進展はなくとも消滅もないと分かっていたので、深刻には悩んでいなかった。
「私、そういうの得意なんですよ~。
なんでも相談してください。
カップルの成立を幾度となく目撃してきましたから!」
でもルーガは引き下がらなかった。
「嫌よ。なんだか今のルーガ見てて思うわ。
恋の破綻も何度も目撃してきたんでしょ?
恋の相談が得意なんじゃなくて、恋の気配に見境なく首を突っ込んでるだけじゃないの?」
「そうとも言えますけどね。
良いですか?
成功しか経験してない方が胡散臭いじゃないですか!
失敗も含めた場数が物を言うんです。
恋ってやつはですね」
「じゃあ、やっぱり嫌よ。失敗したくないもの」
「む~。チャオ様手ごわいですね」
「あなたも手ごわいわよ。何度も言ったでしょ。
私にそういう人はいないの。
今のだって、家族でも分かってもらえない、分かってあげられない領域があるよな~って話なのよ」
本当はモウの事を考えていたけれど、チャオは嘘をついた。
内心、マジウゼーな気分だった。
「まぁ、今はそういことにしてあげますよ」
チャオの刺々しい視線に全く痛みを感じてないルーガはご機嫌だった。
その時、
「チャオさ~ん!」
と、ボイの声が聞こえたので、その方角、垣根で囲まれた広場の出入り口を見れば、モクタクとボイが走っててこちらに向かってくるのが見えた。
「あ、馬鹿……」
ルーガはチャオの視線には全く痛まなかったが、ボイの行動には軽い頭痛。
「みんな、気付いちゃいましたね。チャオ様がここにいるって……」
「別に良いわよ。
悪気があった訳じゃなさそうだしね。
それに、みんなも遠巻きに見てくるだけでしょ?」
ルーガは警戒するように見回す。
「そうですね。特に話しかけたりはしてこなさそうです。
相談してる気配は感じますけどね」
「それに、この変装は見破れないわよ。
今まで見破られた事無いもの」
ルーガは、『変装ですかぁ。あくまで変装と言いますか』と心の中でツッコミを入れた。
確かに、今のチャオを見て、あの有名な魔道書使いのチャオだと疑いはしても、確信を持って話しかけたり握手を求めたりサインをお願い出来る者はいないだろう。
チャオが普段ノーメイクなのは、十六歳という若さが理由ではない。
壊滅的に化粧が苦手だからで、どこが駄目なのかは分からなくても周りの評価が悪いことは本人も自覚していた。
簡単に言うならば、濃すぎてチグハグ、そして稲妻。
首の色と違いすぎて顔だけ日焼けしたかと思う程に塗り重ねられたファンデーション。
不自然に常に真っ赤なほっぺを演出するチーク。
どうしてその色を選んだの? な黒の口紅。
目は割りと無関心なのはダテメガネをするからなのだろう。
極めつけは、額を横に走る稲妻模様。
チャオの化粧が凄すぎて、何も突っ込めないルーガも、そこだけは聞いたことがある。
返ってきた答えは、「だって、稲妻の魔法ってないでしょ? 憧れるのよね」との事だった。
『憧れても、化粧で表現しない方が良い』と、言えない程に無邪気な笑顔に、言いたい事は言える方だと自分でも思ってるルーガですら黙るしかなかった。
「遅れて申し訳ないッス……」
チャオたちのいる焚火台にまずボイが合流し、落ち込んだ様子で謝った。
「ゴメンなのだ!」
遅れてモクタクが合流し、元気に謝った。
「良いですか? ボイ君。
チャオ様の一時間は、あなたの一ヶ月に相当します。
それが国がお金という基準で判断したチャオ様の一時間の重さです」
「ルーガ。良いのよ。
今は勤務中じゃないんだし、ボイ君が遅刻したのって初めてでしょ?」
「いいえ。初めてだからこそ、キツク言い聞かせるべきです」
「それ、あなたが言われた事よね? 副所長さんに」
「あら、聞いてたんですか?
そうなんですよ~。
だから、私、研究所じゃ一回しか遅刻してないんですよ。
学生時代はほぼ毎日だったのに、凄くないです?」
「凄くないわよ。ほら、ボイ君も座って」
「本当、申し訳ないッス……」
「そうだ。ボイ君は悪くないのだ! 私のせいなのだ!」
「えぇ。事情を聞いてないけど、そう思うわ」
モクタクは促されなくても勝手に座ろうとしたが、座れなかった。
いつもと違うチャオに気がつき、あまりの凄さに絶句した。
全員がモクタクの反応に気がついた。
初めてチャオの化粧を見る人の反応は、いつも同じだからだ。
そして、ここから数秒の沈黙の後、何にも気づかなかったフリをしてやり過ごすのだ。
「な~に? どうかしたの?」
チャオは初めて褒めてもらえるかもしれない期待から、猫撫で声になった。
ボイとルーガも期待した。
親しい関係のモクタクならば、チャオにハッキリ言えるかもしれないと、言って下さいと、視線で訴えた。
モクタクはチャオの声色にもボイとルーガの視線にも気がつかない鈍い男だったが、
「ハナ姉に化粧を薄くした方が良いと言ったら、三日間ご飯を作ってくれなかったのだ!
だから、私は別の宿屋でご飯を食べたのだ。
美味しくなかった!」
それでも遠慮してしまう。
唐突に自分の過去を暴露しながら、回りくどくチャオに伝えた。
「そ、そうなんだ。
男の人って、薄化粧が好きなの?
ボイ君」
チャオはショックを隠しながら、ボイに聞いた。
「え? あの、俺は化粧とか分からないッス!
ルーガに怒られた事あるッス。
どうして口紅を変えたのに気付かないのって……」
本当だけど嘘だった。
ボイも女の人の小さな変化には気付けない鈍い男だったが、チャオのそれは気付いていた。
「でも、化粧を頑張ると濃くなってしまうわよね?
努力の現われなのよね?
ルーガ、そう思わない?」
「えぇ? えっと、そうですよね~」
ルーガは愛想笑いするしかなかった。
ルーガが何も言えない一番の理由は、チャオが頑張った結果なのを知っているからだった。
「モウが言ってたのだ! ハナ姉の新作『牛すね肉の辛辛炒め定食』は好みじゃない、素材を生かした味付けが好きだと、言ってたのだ!」
モクタクはモウの名前を出して、それでも回りくどく、チャオを説得しようとした。
緊張しているボイとルーガは、聞き慣れない新しいイニシャルMの名前に気付けなかった。
「そう……」
チャオはモウも同じ意見なのかと、更に落ち込んだ。
もう、ショックを隠しきれていなかった。
「えっと、チャオは素材が良いから、薄味の方が似合うのだ!
チャオは美人なのだ!」
珍しく落ち込んだチャオに動揺したモクタクは、ついに直球で説得しつつ、フォローした。
「そうッスよ! チャオさんは、き、きれ、綺麗ッス!」
照れる事無く『美人』と言ったモクタクに、ボイは張り合った。
それより、落ち込ませてしまうぐらいなら、今のままのチャオで良いと思いつつも、やっぱり稲妻模様だけは嫌だった。
変わって欲しかった。
「男って酷いですよね。
いつも、女の努力を無神経に踏みにじるんですよ。
化粧もそう。
ダイエットもそう。
寒い日の薄着だってそうです!
私はチャオ様の味方ですよ~」
ルーガも落ち込むチャオには慣れていなかった。
チャオ本人も化粧が下手だと自覚し、変装だと言い張る様を見て、化粧技術を教える機会をうかがっていたはずなのに、いざその時が来ると、男を否定しながらチャオを肯定してしまった。
「良いのよ。
みんな気を使わなくても。
何となく分かっていたから」
痛々しい作り笑いでチャオは言った。
みんなの胸は痛み、それを察したチャオは、
「本当良いのよ。別に私流を止めるつもりもないし!
でも、本当の自分を表現するべき時と、周りが望む自分を演じる時を、使い分けるだけなんだから。
それって、今まで通りでしょ?」
「そうですね。そう言われればそうですね。
チャオさんなら、出来ますよ!
出来てます」
「うむ。本当の自分だけを晒すのは、とっても大変みたいという噂なのだ!」
「何もしないときのチャオさんは、……も! 素敵ッス!」
みんなが入れ替えようと話せば話す程、場の空気は悪くなるばかりだった。
解決方法を知っている女性陣が、この話を中断し別の話を始める。
「そう言えば、モクタクさんはどうして急にポーロにいらしたんですか?」
「そうよ。本当ビックリしたわ」
「あ、モクタクさんはキ……。例の迷子さんの捜索願いを見たみたいッス!」
「うむ! でも、チャオの所に訪れたのには別の理由があるのだ」
「へぇ~。そうですかぁ。そうですよねぇ~」(にやにや)
「はぁ……。聞くだけ聞くわ。なんか嫌な予感がするけど」
「会いたかったんですよ~。ねぇ? モクタクさん」(にやにや)
「ルーガは黙れッス!」
「あらあら。八つ当たりですか? 小さい男ですね」
「ち、違うッス! ルーガがうるさいから、モクタクさんが話せないッス!」
「関係ないわよ。モクタクに限っては。
でも、本当あなたらしくないわね。
言いたいことがあるなら言いなさいよ。
ちゃんと、私は断れる女だから大丈夫よ」
「うむ。実は、魔法を教えて欲しいのだ!」
「へぇ~。やっぱりモクタクさんは尻尾系の人なんですね」
「失礼ですが、その、モクタクさんは何段ッスか?」
「無資格でしょ?」
「うむ!」
「え? あの、良く聞こえなかったッス」
「私も聞き間違いちゃいました。無資格って聞こえちゃいましたよ」
「合ってるわよ。
む・し・か・く、なの。
多分、尻尾だけじゃなく、何の資格も持ってないわよ。
彼はそういう男なの」
「うむ!」
「えぇ~!!」
ボイとルーガは驚いた。
チャオの恋人(勘違い)が、まさか無資格だとは思っていなかった。
二人は顔を近づけ、ヒソヒソと話す。
「チャオさんって苦労したいタイプなんですかね?」
「いや、でも、きっと人柄が良いのかもしれないッス」
「無資格なんて人が、人柄が良い訳ないですよ。無資格なんて夢追い人か、穀潰しのどちらかです」
「それじゃ、俺はモクタクさんのどこに勝てば良いッスか? 何を目標にすれば良いッスか?」
「さぁ? 負ければ良いと思いますよ。チャオさんならどんなクズ男でも大丈夫でしょうし」
「ルーガは厳しいッスね。無資格はクズッスか?」
「女は現実思考なんですよ。ボイ君も出世と資格、頑張った方が良いですよ~」
モクタクは明らかに自分の噂を目の前でされているのに、気にしていなかった。
「お願いなのだ! どうしても四級に合格したいのだ!」
「アーツ村には今、尻尾系の資格持ってる人いないの?」
「いないのだ。でも親父殿がファイアーボールは教えてくれたのだ!」
「なんだ。ちゃんと魔法使えるようになったんじゃない。
それじゃあ、あとは反復訓練すればその内合格ラインまで上達するわよ」
「それが、駄目なのだ。親父殿もさじを投げてしまう程に、駄目なのだ……」
「そっか。
まぁ、おじいちゃんも四級を取れなかったしね……。
でもゴメンね。
嫌じゃなくて、無理なの。
私って教えるの下手みたいなのよ」
「分かったのだ! なんとか自分で頑張ってみるのだ!」
今度はチャオが見慣れぬ家族の心配をする番だった。
何かに向かって頑張ろうとするモクタクも、気を使って嘘笑いするモクタクも、チャオは知らなかった。
どうにか出来ないかと考えを巡らすも答えは出てこず、それでも何とかならないかと考える。
が、モクタクはやっぱり空気を読めない男だった。
「チャオには別のお願いもあるのだ。
さっき、少し話に出たのだけど、この子を見かけなかったのだ?
迷子なのだ」
キリングがベアクーマの子供だと、そもそも捜索願いの子供の名前も知らないモクタクは、捜索願いを作ったチャオだとも知らずに、聞いた。
「モクタクはこの子が誰なのか知ってるの?」
「変なの。ボイ君にも聞かれたのだ。有名人なのか?」
「知らないなら、知らないで良いわ。
知ってしまうのは、あなたのためにならないだろうし」
「うむ? ところで、この子を見かけなかったのだ?」
「あ、そうね。答えてなかったわね。残念だけど、見てないわ」
「そうか」
モクタクはコップの冷え茶を一気に飲み、
「久しぶりに会ったのに、申し訳ないのだ。
私はもう少し、この子を探してみたいのだ!」
席を立ち上がる。
チャオが退席者が出たことで無意識に時計を見ると、自分達が来てから二時間近く、四人が合流してから一時間近くが経っていた。
「あ、俺もご一緒するッス!」
ボイはモクタクに声をかけるのを見て、チャオは閃いた。
「ボイ君。それとルーガも。研究所所長権限にて特別ミッションを命じます」
「え? あ、はいッス!」、「ちょ、お食事中に急にお仕事モードですか? それ、苦手意識もたれる上司の特徴ですよ」
「ルーガ!」
「はいはい」
ボイとルーガは、少し時間差があったけれど、敬礼する。
チャオも敬礼を返す。
モクタクは口をあけた間抜け顔で「さよなら」を言って貰うのを待っていた。
「明朝、二人にはカーリシ鉱山に出張してもらいます。目的は迷子の捜索。モクタクも同伴させる事」
「はいッス!」
と、ボイは特に疑問なく返事するが、
「いや、ちょっと待ってくださいよ。
私達が捜索するのは良しとしますよ。
でも、なんでカーリシ鉱山なんですか?」
「誰かには行ってもらおうとは思ってたのよ。
各町は調べてもらってるけど、あんまり情報ないでしょ。
多分、私はここが怪しいと思うのよね」
「まぁ、カーリシ鉱山に行こうとする人は多い時期かもしれないですけど」
「それに、学校でもそういう時期でしょ」
「あぁ、なるほど。
そうですね。
確かに言われえみれば、初リングの儀式の時期ですもんね。
確かに、カーリシ鉱山は怪しいかもです」
「何の話をしているのか分からないのだ!」
「分からないなら黙ってて」
「はい、なのだ……」、「はいッス……」
「あ、ちょっと待ってください。ずるくないです?
さり気に、モクタクさんにもライフ金属掘らせるつもりでしょ?
不相応な資格とらせたら、本人のためじゃないですよ。
世間のためじゃないです」
「ずるくないわよ。
もともと、カーリシ鉱山は無資格じゃ行けない所ですもの。
あのシステムは、強い知人がいるかの人脈とか、傭兵を雇える資金力も測ってるのよ」
「そうかも知れないですけど……。
でも良いんですか?
これ、勝手なイメージですけど、不相応な資格を手に入れちゃったら、モクタクさん無理しそうですよ」
「そうね。だから、道中鍛えて頂戴!」
「全部が全部、丸投げですか~!」
ルーガはお手上げだと、手を上げた。
事情を理解出来ないモクタクには、バンザイに見えた。
「よろしくね」
「まぁ、良いですけど……」
ルーガは話についていけず黙っているボイとモクタクを見て、モクタクを少しでもチャオにふさわしい男に鍛えつつ、邪魔者はいてもボイとの小旅行になるのだから、悪くないかもと思った。
「あの、お話は終わったのだ? なんか私の名前が出てたのだが……」
「えっとね。明日、ボイ君とルーガと、あとモクタクで行ってもらう所があるのよ」
「それは駄目なのだ。私にはやるべき事があるのだ!」
「だから、その捜索願いの子も見つけられるし、四級の資格も取れる場所に行ってもらうの」
「何を言ってるか、分からないのだ……」
「だから、えっと、ルーガ。お願い」
「そこから、私の役目なんですか?
良いですけど……」
ルーガはどうやって説明しようか考えたが、面倒になったので、
「モクタク! と呼びますね。
今日から私があなたの師匠です。
弟子は黙って師匠についてきなさい。
今は分からなくても、後になって分かるものです。
師弟関係とは、そういうものです」
「うむ? それじゃあ、私もルーガと呼ぶのだ。
ボイ君もボイと呼ぶのだ!」
「思った以上に、何にも分かってないですね……。
でも、良いや」
「えっと、それじゃ、俺もモクタクさんから『さん』を取った方が良い流れッスか?」
「ボイ君も、全然分かってないですね!」
「仲間なのだ!」、「そうみたいッスね。も、モクタク!」
ルーガは『やっぱり悪い旅になるかも』と思った。
コメカミを押さえ困るルーガを見ながら、チャオはもう一度笑顔で言った。
「ヨロシクね!」
翌日、三人のうち二人は目的も理解しないまま、カーリシ鉱山へと旅立った。