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火の魔道書を持つ少女-1

 彼女は、そろそろ少女とは言え無い年齢にさしかかろうとしていた。

 土の魔法学の高度専門学校を、飛び級も留年もせずに四年で卒業した彼女の年齢は、今二十歳である。

 

 少女終わりかけの彼女は名をルーガといった。

 

 彼女は学生時代の成績が良かった。

 そのまま学校の先生のつてで城への就職が決まった。


 つまりは新人である。

 

 そんな新人の彼女に与えられた仕事は要人警護だった。


「ありえないですよ。これは」


 一人暮らしのルーガの朝食は、やはり独りで食べる訳で、今のは独り言だ。

 独り言を言わざるを得ない衝撃的な事実が、今朝の新聞には載っていた。

 そのニュースは彼女の仕事がらみの事だった。

 ルーガはメガネの位置を直し、もう一度新聞を読み直す。

 メガネの装飾品の鎖が、音を鳴らした。

 

「うそですよ。きっと、間違いです。私、知りませんもの」

 

 ルーガは独りで何度も否定の言葉を吐いた。

 受け入れがたい現実を受け入れるための儀式だったのかも知れない。

 

 今日、ルーガは放心状態のまま新聞を見つめ、遅刻ギリギリで出勤する事になった。




 彼はまだまだ少年だった。

 少年じゃない、子供じゃない、と主張するが、あるいは主張したい時期ではあるが、飛び級も留年もせず義務教育を終えたばかりの彼は、十六歳と若かった。 

 年齢だけならば、確かに大人として立派に成長している十六歳もいるだろう。

 しかし、小柄な身長を除外視しても、彼は誰が見ても少年だった。


 彼は名をボイといった。   


 ボイは幼少から騎士団に入る事が夢だった。

 しかし、ボイの特質はそれを拒んだ。

 ボイは魔法使い、尻尾系の人間だった。

 それでも国を守る兵隊になる道を選んだ。

 無事試験を合格し、ボイは兵隊になることは出来た。

 

 そんなボイの仕事は、要人警護だった。

 

「うぉぉぉ! ありえねぇ~ッス!」


 ボイは新聞を読んで絶叫した。

 記事には認めがたいニュースが載っていた。

 自分の仕事がらみのニュースだった。

 普段のボイは新聞を読むような男ではなかったが、寮暮らしゆえ毎朝新聞をちゃんと読む仲間と共に暮らしていた。

 そのおかげで、ボイは見逃してはいけない大事なニュースを読むことが出来た。

 だけど、ボイは途方にくれる事しか出来なかった。

 

「嘘ッス。こんなの俺は認めねぇ~ッス!」


 慰め飽きた仲間達が出勤しても、ボイは新聞と睨みあっていた。

 

 ボイもこの日、遅刻ギリギリで出勤する事になった。

 



 チャオは幼い頃から優秀だった。

 初めて言葉を話した時期も早かったし、歩く事が出来るようになるのも早かった。

 オムツを取るのも早かったし、字を覚えるのだって早かった。

 

 それでもアーツ村の人々は、幼いチャオがあんなにも凄い人物だとは思いも寄らなかった。

 

 チャオの才能が異常なまでに驚異的に凄いのだと、アーツ村の人が知ったのは、チャオが十歳の時だった。

 リングを使って特質を見極める儀式の時だった。

 なんでも人より早く習得してきたチャオだったが、初めてリングを装着する時期は国際法律の通りに十歳の時だった。

 

 その儀式でチャオはリングを額に当てて念じた。

 すると周りから感嘆の声があった。

 チャオは何故人々が驚いているのかも分からなかったが、それでも自分が出した尻尾か羽に問題があるのだと察した。

 恐る恐る自分の背後を覗き込むと、赤い尻尾が見えた。

 赤い尻尾は、チャオの特質が火の魔法使いである事を示していた。

 その赤い尻尾は大きさも色合いも、周りが感嘆の声を上げるような異質なものではなかった。

 

 しかし、輝いていた。

 

 輝く赤い尻尾は、魔道書に選ばれた印だった。

 

「アーツ村から魔道書使いが誕生するとは、これは伝説になるぞ」


「彼女は村長さんのお孫さんだね。いやはや、立派な事だね」


「しかし、あれは本当にそうなのか? 十歳の子が選ばれるなんて聞いたこと無いぞ」


「先代の魔道書使い様が死んで、二年になる。

 しかし、誰一人として名乗り出るものが出なかった。

 それもそのはずだ。だって、選ばれた人物はリングを装着出来ない年齢だったのだから」

 

「だから、本当にそうなのか? 

 まだ、喜ぶのは早い。まずは城に報告しなくては!」

 

 係りの大人たちは信じられない出来事に、大人気なくパニック状態に陥っていた。

 

 それだけ凄い事だった。


 魔道書が選ぶ人物が、必ずしも国一番の魔法使いだとは限らない。

 魔道書にも何かしらの好みが合って、選んでいるらしい。

 しかし、優秀な魔法使いなのは間違いなかった。

 

 初めてリングを装着した、いや、リングを装着した事すらなかった少女が人知れず選ばれていたという事は、歴史上初めてのことだった。

 

 今回のチャオが人より早くやってしまった事は、歴史上初の偉業だった。


 火の魔道書に選ばれたチャオは、歴代の魔道書使いたちがそうであったように、城で暮らす事になった。

 

 それから元々にじみ出ていたチャオの才能は、一気に開花する事になった。

 

 普通ならば二十歳で卒業する高度専門学校を、十一歳で卒業した。 

 その後直ぐに城で王国軍の一員として働くようになる。

 羽系の王国軍員が平治には騎士団として国の治安を守るように、尻尾系の王国軍員は、魔法研究所にて未だ謎に包まれている魔法やリングについて研究する事になっていた。

 チャオは研究所でも軍員としても次々と功績を挙げ、十三歳の時には王立魔法研究所の副所長に就任した。

 

 そして十六歳になった今年、王立魔法研究所所長に就任した。

 

 それは、王国軍のナンバーツー、副軍団長に就任する事も意味していた。

 

 十歳からのチャオの異例の出世は、人々に安心を与え夢を与え希望を与えた。

 

 誰もが火の国の安泰を信じた。

 

 誰もが火の国の未来を信じた。

 

 美しい外見もあって、気がつけば、軍の上層部であると同時に、国のアイドル的存在にもなっていた。

 

 チャオの生活は多忙を極め、ポーロに上京して以来、アーツ村は決して遠くは無いというのに、一度も故郷に帰ることは出来ないでいる。

 

「信じられません。……しかし、可能性はゼロではありません」

 

 チャオは月に一度の定例会議、火国会ひこくかいに出席していた。

 この火国会に出席しているのは、国王、各種大臣、軍団長に各ギルドの火の国支部長。いずれも火の国を支えるビックネーム達だった。

 研究所の所長であるチャオも当然出席するのだが、彼女の若さは浮いていた。

 

「チャオよ。土の国が正式に発表したものだ。嘘であるとは思えん」


 王はそう言って、外交大臣を見る。

 外交大臣は王の発言に同意するように言った。


「えぇ。この書状に押してあるのは確かに土の国の印。

 チャオ殿が信じられない気持ちも分かります。

 私も信じられませんでしたから。

 故に、何度も鑑定しました。

 これは間違いなく本物です」


「我々にも似たような情報は入っています。

 土の国支部から、土の国で盛大なパレードが開かれたとか」


 そう言ったのは、冒険者ギルドの支部長だった。

 答えたのは、ヒゲを生やしすぎた男、軍団長だった。


「下らん。

 言うだけなら、誰にだって出来る。

 実際に見た者はいないのだろう?

 今は無視すれば良い」


「チャオよ。魔法についてはお前以上に詳しい者は、火の国にはいないだろう。

 書状の信憑性は重要ではない。

 可能か不可能かを聞かせてくれ」


 王に質問されたチャオは答える。


「えぇ。新魔法の発明は可能でしょう」


「ならば、ベアクーマよ。

 土の国が本当に新魔法を開発したと思って行動するべきではないのか?

 油断はならぬ」

 

「……。御意に」


 軍団長は納得していない顔で答えた。


「それでは、研究所は新魔法の発明に尽力を尽くせ。

 騎士団は国内警備の充実を目指せ。

 他の者も最優先にて軍備を整えよ。

 本日はこれまでじゃ」


「はっ!」


 チャオは他の人と同様に答えた。

 しかし、内心では出来る訳が無いと思っていた。


 土の国が新魔法を発明した。


 魔道書の発掘より三百五十年、世界中が魔道書の研究を進めるなか、誰しもが不可能だと思っていた。

 

 しかし、土の国が作ってしまった。

 

 土の国より送られてきた書状には、他に情報はなかった。

 技術の共有をするでもなく、新魔法をちらつかせ何かを要求するでもなく、ただただ新魔法を発見した、とだけあった。

 それが今朝の会議での混乱の元でもあった。

 入国も出国も厳しく取り締まり、他国との接触 を極端に嫌う土の国だから、それは警告でしかないのだろう。

  

 我が国に介入するなという、警告なのだ。

 

 そうは思っても、新魔法は脅威だった。

 魔道書の発掘が国境を大きく動かしたように、新魔法一つで世界を征服するだけの力を持っている可能性もある。


 結局、火の国は防衛力を強め、対抗策として新魔法を見つけるしかなかった。


 チャオは自分の部屋を目指しながら、新魔法の発見方法について考えていた。

 しかし、上手く考えられなかった。

 あるノイズが思考の邪魔をした。

 

 無理よ。

 絶対に無理よ。

 出来るわけ無いじゃない。

 

 そのまま寝つきの悪い夜を過ごす。

 翌日、目を覚ましても、チャオは悩んだままだった。

 習慣化した朝の準備を無意識下の身体に任せ、チャオは心こちらにあらずのまま城を出た。

 王立魔法研究所を目指した。

 

 王立魔法研究所は国立図書館や国立博物館を内包した施設で、三角形上に設置された巨大なドーム三つをガラス張りの通路で結んだ建物だった。

 正面口のドアは、ドームの建物にぴったりくっつくように作られた四角い受付ロビー専用の建物にある。

 正面ドアを開けると、直ぐ目の前に受付の机が設置されていてた。

 受付嬢が憧れの笑顔を作り、チャオに挨拶する。


「おはようございます! チャオ様!」


 いつもならチャオは上流階級っぽい笑顔で挨拶を返すのだが、今日は彼女達の声に気付けなかった。


 一般解放されている区域と一般開放されて無い区域を隔てるドアの前で、衛兵にも挨拶された。

 しかし、チャオはここでも気付けなかった。

 

 チャオの頭の中は、『無理無理無理無理!』でいっぱいだった。


 所長室に入ると、誰もいなかった。

 これは問題は無いけれど、いつもと違う。


 時刻は七時半。始業時刻は八時。


 いつもなら二人が出勤しているはずの時間だった。


 今年からの新人所長であるチャオは、自分の秘書兼護衛にも若い新人を選んだ。

 将来を考え、長く自分の右腕となる様な人材を育てる目的があったからだ。

 

 偶然にも、今年は幸運な年だった。

 優秀な新人が二人いた。


 座学、実験、実習、実技、卒業研究、全てにおいて上位五番内の好成績で土の魔法学の高度専門学校を卒業したルーガ。

 ただし、優秀な成績を収めながら彼女が飛び級の道を選ばなかったのは、大切な友達と時間を共有したかったからとか、勉強以外にもやりたいことがあったとか、そんな人に言えるような理由ではなかった。

 

 「手続きが増えるじゃないですか? 飛び級すると」

 

 と人に言えないはずの理由を面接で堂々と言ってしまう人だった。

 上昇志向を著しく欠如した性格だった。


 筆記試験は足きりギリギリの成績だったものの、続く実技試験において他と圧倒的な差を見せ付ける結果を示したボイ。

 魔法使い四級にして、ルーガ含む二級や一級の成績より良かったのはそれ以上の経歴を持つチャオでも驚かされた。

 ただし、面接では、特に口頭問題に何も答えられず、多分チャオが手を回さなければ落ちていた。

 

 二人とも一癖あるが、先が楽しみな優秀な人材だとチャオは思っていた。

 それに一癖ある人物なら、アーツ村には沢山いた。

 慣れっこだ。

 

 チャオは二人がいないことにも気付かずに、自分の机から研究中の資料を取り出しうめきながら読み始めた。


 『魔道書の構造と解析』

 

 それがチャオの研究テーマだった。

 

 およそ三十分見つめ、チャオは独り呟いた。

 

「やっぱ、無理よ……。 

 年単位の時間が必要だわ」


 その時、廊下から二人の喧嘩する声が聞こえてきた。


 時計から九時を知らせる木で作られたハトが飛び出す。

 ハトが鳴き声を上げる。その鳴き声を打ち消すように、所長室のドアは勢い良く開かれた。

 

 二人は遅刻ギリギリの出勤を謝罪することなく、チャオに詰め寄った。

 二人の手には今朝の新聞が握られていた。


「チャオ様! これは本当なんですか?」


 ルーガは強く机を叩いて、新聞の記事をチャオに見せる。

 興奮しているルーガは珍しかった。


「チャオさん。この記事って嘘ッスよね? そんな訳無いッスよね?」

 

 ボイも強く机を叩いて、新聞の記事をチャオに見せる。

 鼻息の荒いボイはいつものことだった。


「あら、おはよう。二人とも。今日は遅かったのね」


 やっと思考の海からこちら側の世界に戻ってきたチャオは、二人に挨拶をした。

 この慌てようは、今朝の新聞にも土の国の新魔法についての記事が書いてあったのかと思った。

 ピンチの時に慌てる人を見ると、それが事態の解決にはなっていなくても少しだけ落ち着くものだ。

 

 が、チャオが新聞に目を通すと、みるみる血の気が引いてくるのがわかった。

 

 新聞には新魔法のことなんて書いてなかった。


『火の国の英雄は遠距離恋愛中? 魔道書よ、恋の魔法を燃やして!』

 

 なんて見出しだけで、概ね事態は理解出来た。

 記事の詳細を見るまでも無い。


「どうなんッスか? チャオさん。嘘ッスよね?」


「えっと、ちょっと待ってね。じっくり読むから」


「即答出来ないってことは、恋人はいるんですね? キャ~! どんな人なんですか?」


「いないッス。いる訳無いッス。じゃないと、俺……」


「いてもいなくても、ボイ君を待ってるのは悲しい結末だと思いますけどねぇ」

 

「なんッスか! そんなの分かんないじゃないッスか!

 ……、何の話をしているのか検討もつかないッスけど」


 チャオはウルサイ二人を無視して、新聞を読んでいく。

 どこから情報が漏れたのかと思えば、モウ自身がインタビューに答えてるみたいだった。


 馬鹿な男だ。

 私の立場を考えて欲しいものだ。

 その鈍い所が可愛いのだけど……。


 なんて思ってる場合ではなかった。


「えっと、そうね。

 嘘ではないわ。

 でも、恋人って関係でもないのよ。

 なんとなく二人の気持ちを伝え合った。それっきりよ。

 もう何年も会うことも出来ずに手紙のやり取りしかして無いわ」

 と言おうとして、チャオは言葉を呑んだ。

 

 説明する必要も無い。


「私に恋人はいないわよ」

 とだけ答えることにした。


「またまた~。もうバレてしまったのだから隠さなくても良いんですよ~。

 で、イニシャルMってどんな人なんですか?

  名前ぐらいは教えて下さいよ!」


 恋の話に我を忘れるルーガには珍しく少女の面影があった。


「え? 恋人はいなくても、このMって野郎は実在するんっスか?」

 

「ちょっと! もう勤務時間よ。さぁ、お仕事しましょう!」


「顔赤いですよ~。チャオ様~」


「Mってどんな野郎なんッスか! 答えて欲しいッス!」


 チャオは少しキレた。

 机を力いっぱい叩き冷たく言い放った。


「お仕事よ」


 ルーガとボイは、チャオの力の大きさを知っているため怯えざるを得なかった。

 

「うん。宜しい。

 それで、昨日の火国会で話題になったんだけどね、土の国が新魔法を発見したらしいのよ」


「そうなんですか。でも、それ嘘ですよね」、「外交でハッタリは大事ッスからね」


 二人は冷静だった。

 

 いや、私のスキャンダルよりこっちのが重大事件じゃないの? 

 

 とチャオは思ったが、チャオも土の国の発表を信じていなかったので、二人の反応も理解出来た。


「でも、本当かもしれない。火の国としては、新魔法に屈しないための対策が必要なのよ。早急にね」


「はぁ。まぁ、そうでしょうね。

 で、何をするんです? 徴兵制度復活とかですか?」


「それは確かに防衛力の強化に繋がるッスよね。冒険者ギルド資格の四級すら持たない国民が、年々増えてるそうじゃないッスか。負抜けッス」


「別に、それは問題ないと思うわよ。良いことなのよ。それだけ、今は平和って証でもあるわ」


「じゃあ、どんな対抗策があるって言うんです?」


 う~ん。おかしいなぁ。

 この状況で、真っ先に出てくるはずなんだけどな。

 

 とチャオは思ったが、それだけあり得ない要求なのだろう。


「王様は言ったわ。私達も新魔法を見つけなさいってね」


「えぇ~!!」


 二人は叫んだ。


「そう。無茶な話なのよ。期限こそ指定されなかったけど、まぁ、早急にって事だからそれ程長い目で見てはくれないでしょうね」


「出来るんですか?」


「出来るとは思えないわね。

 でも、出来そうも無いから何もしないって訳にもいかないでしょ?」


「そうッスよね。

 何事もチャレンジッス! 自分の限界を決めるのは、いつだって自分自身ッス!」


「はぁ~。形だけやっとけば良いって感じですかね~?」


「全然違うッス! なんでそうなるんっスか?」


「とにかく! 私達は今まで通りのことを、今までより多くやる感じね」

 

「ウッス!」、「は~い。……残業やだなぁ」


 とは言ったものの、チャオには次の会議で王様に怒られる未来しか想像出来なかった。

 

 

 

 それから三時間。

 いつも通りに過去のレポートを読み返し、魔道書を睨みつけ、思いついたことを試してみたり、部下に実験指示を出したり、いつも通りに仕事をこなしていた。

 

 が、そろそろ昼休みにさしかかろうとしていた時、珍しい来客によって、一時中断することになった。


 力強い二つのノックと共に所長室に入ってきたのは、大柄の男だった。

 

 火の国王国軍のトップ。

 軍団長、ベアクーマだ。


 ルーガとボイは椅子から転げ落ちるように起立し、敬礼した。

 

 おかしいな、私に対する態度と全然違うぞ。

 

 と思いながらチャオも敬礼した。

 ベアクーマも敬礼を返す。


「突然の訪問すまない」


「いつでも来て欲しいッス! いつでも大歓迎ッス!」


 王国軍は羽系の人間は騎士団に所属し、尻尾形の人間は研究所に所属する。

 

 そして、軍団長は騎士団長か研究所長が勤める事になっていた。

 

 つまり、所長であるチャオが副軍団長であるならば、軍団長のベアクーマは騎士団長なのだ。

 

 ボイにとって、自分が尻尾系だったがゆえに入れなかった憧れの組織、騎士団の長である。

 ボイはベアクーマを尊敬していた。

 ちなみに、自分の組織、研究所長のチャオには恋していた。


 対して、ルーガはベアクーマをあまり好ましくは思っていなかった。

 チャオが副軍団長なのが気に入らないのだ。

 ルーガにとってベアクーマよりチャオの方が優れた人物だった。


「本当に突然ですね? チャオ様。アポイントメントってありました~?」


 軍団長に嫌味を言えるのは、出世欲が欠如しすぎているからだった。

 

 困るのは私なのよ!

 

 と思いながら、チャオは慌ててフォローに回る。


「遠い所ご足労感謝ですわ。おほほほ!」


「本当にすまないな。少し顔を出したかっただけなんだ」


 ベアクーマは部屋を見回し、「ここを開けても良いか?」などと聞いてはロッカーをあけたり、机の下を覗き込んだり、カーテンの裏を覗き込んだり、部屋中をうろちょろしたかと思えば、「失礼した」と部屋を出て行こうとした。

 

 ボイもルーガもベアクーマの行動が理解出来ずに、とりあえず見送ろうとしたのだが、チャオは違った。

 

「あの。もしかして、探し物ですか?」

 

「あぁ。下らん話だ。キリングが家出したらしい」


 全然、下らなくなかった。

 キリングはベアクーマの一人娘で、つまりは軍団長の子共である。

 王国軍のトップの子が家出とは、結構一大事だ。


「大変じゃないッスか!」

「本当に家出なんですか? 誘拐の可能性は無いのですか?」

「騎士団の方でも捜索隊を作ったッスか?」

「ギルドに捜索願は出されたのですか?」


 ボイとルーガが矢継ぎ早に質問するが、ベアクーマはうっとおしそうに眉を寄せ言った。


「下らん。必要ない」


 チャオもベアクーマが苦手だった。

 

 そっけない態度とは裏腹に心配で心配でしょうがないくせに。

 団長自ら、探し回るぐらいに心配なくせに。

 この人はいつもそうだ。

 下らん、の一言で冷静なフリをする。

 あぁ、面倒な人だなぁ。

 良く見たら、凄い汗の量じゃない。

 って言うか、実は私にこうさせるのが目的だったんじゃないの?

 

 と、グダグダとグチグチとチャオは心の中で毒づきながら、ベアマークに聞こえるようにわざと大きな声で、ルーガに指示を出した。


「ルーガ。今朝の新聞の抗議してきて。

 ついでに、折込チラシを押し付けるよ。

 明日の朝刊に間に合うようにしなさいって脅しかけて良いわ。

 内容はキリングちゃんの捜索願い。

 懸賞金は百万エーン。

 でも、身分は隠しなさい。

 似顔絵も少し崩しなさい。

 城下町には配らないようにさせなさい。

 こう言うのがいじめの原因になったりもするからね。

 あ、悪いけど、直ぐ動いてね。

 そのまま、連絡なしにお昼休みにして良いから」


 ボイはチャオの早口についてけずポケーとルーガの顔を見ていた。

 

 ルーガはメモ一つ取らずに「は~い。了解です」となんとも本当に分かっているのか怪しい返事をした。


「下らん」


 とベアクーマは顔を赤くしながら言って、


「優秀な部下も一緒にいなくなった。そいつの字で置手紙もあった。何も心配はいらん。余計な事をするな」


 チャオに詰め寄りながら文句を言って、


「そもそもお前らにそんな暇があるのか? 

 魔道書の発掘から三百五十年も解明されなかった新魔法の発明を命じられてるのだろ。

 いや、チャオ殿は以前言ってたな。

 目星はついた。火の国が十一番目の魔法を何処よりも早く見つめるとか何とか。

 結局、土の国に先起こされているではないか。

 歴史上もっとも若くもっとも優秀な魔道書使い、と誰もが噂していたが、所詮噂か」


 とゴツイ顔の癖に目線を弱々しく泳がせ、ニヒルを気取ってるくせにポンポン人の悪態をついたかと思えば、


「まぁ、良い。邪魔したな」


 と赤い顔を焦って隠すようにして、そそくさと帰っていった。


「ベアクーマさん怒らしてしまったッスかね?」


「あの態度何なんですかね?

 やっぱ、何もしない方が良いんじゃないですか~?」


「良いのよ。

 ただの照れ隠しだから。

 それに、大げさすぎるぐらいに対処しといても良いものよ。

 手遅れになってから後悔しても遅いんだから。

 こういうのはね」


「は~い。じゃあ、私はお出かけしてきます」


 チャオはため息をついた。

 

 ベアマークさんって、苦手なのよね。と心労のため息だった。

 

 でも、ベアクーマの言っていた優秀な部下に心当たりがあったので、とりあえずは安心した。


 ギルドへは依頼しなくても大丈夫そうね。

 さて、捜索隊の人員をピックアップしなくちゃ。

 

 そう思いながら、チャオは初日から仕事を結構中断した。

 

 

 

 ルーガは新聞社へ飛び込み訪問した。

 先ほど自分が言っていたアポイントメントなんて取っていなかった。

 受付の人はルーガの身分を聞くと、顔を青くして素直に案内してくれた。


 ルーガが部屋のドアを開け、

 

 「こんにちは~」

 

 と挨拶すると迷惑そうな視線が集まったが、

 

「私、国立魔法研究所所長秘書官兼護衛官のルーガと申します。

 編集長さんってどなたですか?」

 

 と身分を明かせば、部屋のほぼ全員が『あちゃ~。だから止めとけば良かったのに』と分かりやすく顔で物を言いながら、一人の男を指差した。

 

 ルーガはキリッとエリート風な歩き姿をイメージしながら、カッコつけて編集中の元へ行き、チャオの記事が書かれたページを開いた新聞を机に叩きつけ、冷たく言い放つ。


「こういうの困るんですよね」


 何も言えずに、固まる編集長に明日の朝刊に捜索願いを入れろと、こちらの要求を伝えた。


「費用はこちらで出しますので、その辺は安心してください。

 今回はこれで和解としませんか?」


「はい。もちろんです」


「ありがとうございます。次はきっとこんな甘くないですよ~?」


「はい!」


「はいはい。これで、私のお仕事は終わりです。

 で! 

 この記事を書いた人って誰なんですか?」


 編集長は『仕事が終わり』と言ったはずのルーガが、何故そんなことを聞くのか分からなかったが、大人しく白状した。


 ルーガはにやけるのを抑えきれずに、その記者の元へと歩み寄る。

 部屋中の多くが観念無念あら残念な表情の中、彼だけはルーガを睨みつけていた。

 ルーガが彼の机の横に立つと、ルーガより先に口を開いた。


「俺は嘘を書いてねぇ。別にチャオさんの批判も書いちゃいね~だろ」


 納得して無いと抗議するつもりらしかった。

 いや、抗議したくても出来なかったのに、ルーガから接触してきたからつい不満が漏れてしまったのだろう。


「まぁ。諦めてください。本当は無視するつもりだったみたいなんですけどね。今回は運が悪かったんですよ」

 

 ルーガは適当に男を慰め、


「それよりも、このMって人の本名は? どんな人なんですか? 年齢は? 何してる人なんですか?」


 チャオに教えてもらえなかった事を、記者に直接聞いた。


「ちっ。そういう事か……」

 

 と呆れながら、記者は続けた。


「あのな。英雄のプライベートは金になる。

 活躍も失敗も、もちろん色恋沙汰もな。

 でも、俺だってチャオさんのこと尊敬してるんだぜ。

 俺なりに言えると判断した事は、全部書いた。

 これ以上は本人から発表するまで待ってな」


「ケチな人ですね」


「あんた自分の立場分かってんのか?

  もう書くなと脅しかけに来といて、詳細教えろなんて虫が良すぎるぜ」


「だって~、チャオさん口堅いんですもん」


「じゃあ、言いたくないんだろ」


「それをあなたは言いふらしたんですよ。

 わぁ! なんて悪人なんですか?

 さぁさぁ、懺悔しなさい。

 私、そういう資格もって無いですけど、神は人を選びません。

 きっと」


「それ、信者が聞いたら相当な問題発言だぞ。

 きっと」


 記者はここで思いついた。


「チャオさんには圧力かけるだけの権力があるけど、あんたはなさそうだよな。

 今の発言を記事にされたくなかったら、さっさと帰りな」


 ルーガは迷ったが、もう少し粘ってみた。


「じゃあ、あなたの感想だけで良いです。

 一言で言うとどんな人なんですか?」


 記者も迷ったが、長年の経験からこいつは情報を与えないと帰りそうも無いなと判断した。


「つかみどころの無い奴だったよ。

 性格がふわふわしてるな。

 あぁ、それと外見的には不釣合いだった。

 でも、きっと悪い奴じゃないんだろうぜ。

 チャオさんが選んだ人なんだからよ。

 これ以上は何も言えね~ぞ。ほら、さっさと帰りな」


 結局大した情報は得られなかったが、ルーガは満足して研究所へと戻っていった。

 一番欲しかった情報は手に入れたのだ。

『嘘は書いてない』、それだけで満足だった。

 


 

「こんなものかしらね」


 チャオが気リング捜索隊メンバーを選び終わったのは、十四時ごろだった。


「ボイ君。これ、通信部に届けて頂戴」


 出来立てのメンバー表をボイに手渡した。


「了解ッス!!」


 ボイは元気良く返事した。

 彼はご機嫌だった。

 ルーガのいない、チャオと二人っきりの時間をたっぷりと堪能した後だったからだ。


 しかし、通信部を目指す途中、メンバー表を見てみれば、捜索隊にボイが選ばれて無いことに落胆した。

 捜索能力に優れてないのだから、選ばれてなくても不思議ではないし当然なのだが、憧れの騎士団長ベアクーマの役に立ちたかった。


「良いッス。仕事外に、プライベートで探すッス!」


 ボイは持ち前の前向きな性格から、すぐに立ち直った。

 そして気合を入れるため、独り言を言ってしまった。


 すると後ろからクスリと笑う声が聞こえたので、ボイは振り返った。

 振り返ればチャオがいた。


「ごめんね。ボイ君がベアクーマさんを好きな気持ちは気付いてるんだけどね……。

 君にいなくなられると私が困るのよ」

 

「とんでもないッス! どっちも頑張るッス!」


「無理をして、体は壊さないでね」


「はいッス!」


 ボイはチャオと二人きりの時間を過ごせ、あなたが必要なのと言ってもらえ、今日はついている日だと思った。


 実はチャオはボイの性格を見抜いていて、落ち込んで直ぐに復活する可愛らしい様子を見たくて後をつけられていたことを、ボイは全く気付いていなかった。 

 更に、ボイの性格は見抜いてるくせに、チャオに対する恋心だけは全く気づいてない事も知らなかった。

 


 

 チャオの部屋はとても広かった。

 城に住み込みながら働く人は多かったが、彼らの部屋とチャオの部屋は、比べる対象にならない程広かった。

 魔道書使いというだけで、広い部屋を与えられるのに充分な身分なのに、副軍団長にまでなったのだ。


 副軍団長は本来なら、城の大きな部屋どころか、ほぼ自由に統治出来る街ひとつ与えられる身分だった。


 しかし、チャオはこの部屋が好きではなかった。

 

 広い部屋に一人でいると、寂しくなるのだった。

 

 モウったらいつまで待たせるのよ。

 心変わりしちゃうかもしれないんだから。


 毎晩の行事のように、今日もそう不貞腐れながら、チャオは眠りについていた。

 心変わりする訳が無いと、誰よりも思っているのはチャオ自身なのだと、確かめているかのようでもあった。



 

「チャオ様! 起きて下さい! 大変です!」


 そう何度も誰かが部屋の外で叫び、チャオの睡眠を邪魔したのは、深夜一時だった。


 チャオは中途半端に寝たせいで、寝る前より重く感じる身体を無理やり起こしながら、

 

「どうしたの?」

 と尋ねた。


「はっ! 村一つが壊滅したと国境警備兵からの通信が入りました。詳しい話は会議室でお聞きください!」

 

 チャオは半覚醒の頭が、覚醒していくのを感じた。


「分かったわ。直ぐに行きます」


 チャオは最低限の身だしなみを整え、急ぎ部屋を飛び出した。


 しかし、会議室に全員が集まるまでには一時間の時間が必要だった。




「みな、遅くに呼び出してすまなかったな」


 そう言った王は、綺麗な正装だった。

 良く考えればみんなが集まるのに時間が必要なのだから私も時間をかけて準備すれば良かった。

 とすら思えない程に、チャオは緊張していた。

 一番最後に到着した財務大臣が口火を切った。


「緊急召集とは、一体何が起きたのです?」


「それは彼に直接聞いてくれ」


 王に指名されたのは、チャオの良く知る人物だった。

 王立魔法研究所の通信部の人間だった。

 

 風の魔法には、遠く離れた距離を無視して言葉を伝えることの出来る魔法が存在する。

 しかし、送信にも受信にも、風の魔法使い初段クラスの資格が必要だった。


「はっ! 今から一時間半程前に、国境警備兵からの通信がありました。

 オコロギ村が、襲われ壊滅したとのことです」


「オココギ村? すまないが、どこのどんな村なのかね?」


「国境付近の村ですよ。え~、城からほぼ真北の、暗黒中央地帯の国境付近にある村です。

 いえ、現在戸籍上は無人のはずですが」


「ならば、何も問題はあるまい」


「いやはや、それが問題ありなのですよ。

 え~、君。続けたまえ」


「はっ! 襲われた村に確かに人影はなかったそうです。しかし、彼らの猛進は村をことごとく破壊したそうです」


「違うよ。君~。問題はそこじゃない」


「襲った相手が問題だったのですかな?

 ……。まさか、土の国が新魔法発見で調子付いて、あの暗黒中央地帯を渡って我が国を攻めて来たのか?」


「ご冗談を。暗黒中央地帯は人を寄せ付けない死の地。新魔法一つで行軍出来はしまい」


「しかし、その通りなのです。襲った相手が問題なのです。規模は二万匹程らしいですよ。

 そうだね? 君」 


「はっ! 二万程のゴールドタイガーの群れが、村を襲いました。

 更に、尾行していた国境警備兵は、ゴールドタイガーの一匹に見つかってしまったが、襲われなかったそうです。

 まるで、人を襲う時間すら惜しんで、一直線にどこかへ進んでいくようだったと。

 報告を受け、我々は目撃地点から見失うまでの地点までを確認しました所、目的地はおそらくここポーロだと思われます」


 多くの者は、全員が集まるまでにこの辺りの説明を聞いていた。

 今ここで、初めて聞いたのは二人だけだった。

 その二人が『馬鹿な!』と混乱するのを見ながら、事態の重さを再認識していた。

 

 侵略宣言をしない国の新魔法発明より、ずっと危険な状態だった。


「ゴールドタイガーは群れるものなのか?」


「えぇ。群れはしますよ。

 しかし、二万もの群れなどあり得ません。

 いや、無機質系生物である彼らが、人を襲うより他の目的を優先した事も、今までの事例で言えばあり得ないのです」


「本当にポーロ城を目指しているとしたら、いつ城に辿り着く?」


「そうですね。彼らが普通のゴールドタイガーと同じ速度だとするならば、丸一日ぐらいですかね。

 明日の今ぐらいかと」


「はっはっは! ならば、問題ないではないか?

 城の前の平原で迎え撃てばよい。

 所詮はゴールドタイガーだな。

 何ゆえ城を襲うのかは知らんが、二万程のはした兵で、火の国の王都を落とせるはずは無い。

 馬鹿な生き物だ」


「えぇ。

 問題はそこじゃないんですよ。

 つまり、ゴールドタイガーの異常行動は国の危機へと発展する可能性があるのです」


「それを調べるのが君の仕事だろ?

 私の仕事は金を管理する事だ」


「何を言います。

 魔道書使いが不在の三年間、我々がどれだけ貢献したかお忘れですか?」


 自分達の安全は確実となった偉い人たちは、少し話がそれていく。

 チャオは彼らの話をあまり聞いてはいなかった。

 多分、国として、約二十四時間後に城が襲われるのならば、確実に勝つためにも常駐兵の多い城付近で討伐するだろうとは思っていた。


 副軍団長には特権として五千の私兵を持つことを許されている。

 

 緊急時に時間の掛かる手続きを飛ばして、直ぐに行動出来る軍隊として、認められているのだ。


 その私兵を使って討伐に出るつもりだった。


 早くそのためにも、会議が終わって欲しかった。


 少しの遅れのせいで、救えるはずだった村が被害が受けるかもしれない。 チャオは苛立ちながらも、新人所長ゆえ、なかなか無理に会議を終わらせるような行動には移れないでいた。


 ルーガとボイには連絡は取ってある。

 もう召集はかかってるはずだ。

 もう本当なら出陣出来るのかもしれない。

 早く、一秒でも早く、会議が終わって欲しかった。


 ルーガみたいに空気を壊す性格が欲しい。

 

 ボイみたいに素直に自分をさらけ出す性格が欲しい。

 

 今だけでも……。

 

 チャオは弱い自分を呪った。


「下らん!!」


 喧嘩を始めた偉い人たちに、ベアクーマは一喝を入れた。


「我が火の国は、二万のゴールドタイガーに臆するのか。

 山賊騒ぎの如く、こちらから討伐しに行くべきだ!」


「山賊騒ぎとは違うでしょう? 城を狙っているのですよ?」


「何も変わらん!

 民が犠牲になるのだ。

 今兵を出さずに、何が王国軍か!」


 ただひたすら話を聞いていた王は、待ってましたとばかりに口を開いた。


「ベアクーマよ。

 王国軍を動かすのには、いくつもの手続きが必要だ。

 城が襲われたのならば、いらない手続きが必要になる」


 王はベアクーマが次に言う言葉を、既に知っていた。


「ならば王。

 私の私兵を使わせていただきます。

 それならば、事後報告で構いませんな?」


「ふむ。それならば、私は何も文句は言えん」


 チャオはベアクーマを面倒な男だと思った。

 

 問題あるに決まってるじゃないの。

 城が襲われるのよ。

 軍団長が不在で良い訳ないじゃない。

 そういうのは、こっそり動かせば良いのに。

 あ~、嫌になっちゃうな。なんで、もっと考えてくれないの。

 

 と、チャオはグダグダグチグチと心の中で文句を言いながら、偉い人たちが騒ぐ前に代案を出した。


「ベアクーマさん。

 勝手な事をしないで下さい。

 軍の指揮を執る人がいなくなってしまうじゃないですか?

 副騎士団長は置いてくと、お約束してください」


「ふん。問題ない。では、私は失礼する」


「ちょっとまだ話は終わってませんよ。

 あ、私も副所長を置いていきますね。

 私よりずっとキャリアの長い、優秀な将ですよ。

 もう、ちょっと! ベアクーマさん話は終わって無いですよ!」


 そうして、さり気なくかどうかは怪しかったが、自分も会議から抜け出すことに成功した。

 

 チャオはベアクーマが苦手だった。

 

 でも、嫌いじゃなかった。


 早足で廊下を歩くベアクーマに、チャオは走って追いつき、


「ベアクーマさん。ありがとうございます」


 とお礼を言った。


 ベアクーマは何故お礼を言われるのか見当もつかなかったが、今の彼にとってそんな事はどうでも良かった。


「下らん。他に用が無いなら、私は急いでいるので失礼する」


「用ならありますよ。ベアクーマさん、具体的にどうするつもりなんです?」


 二人は歩きながら、城門を目指しながら会話する。


「これから、オーガへ行く」


「あなたの自治街ですね」


「そうだ。そこから、急ぎ部隊を編成し……」


 ベアクーマはここで一度言葉に詰まった。

 いくら考えても、今から動いたのでは、一つの村を見捨てなければいけなかったからだ。


「アービー村の前で迎え撃つ」 


「そうでしょうね。

 機動力のある飛び馬隊でも、アービー村までが限度。

 時間が足りません」


「何が言いたい?

 それでも何もしないよりマシだろう!!」


 ベアクーマはどうしようも出来ないふがいなさから苛立ちを、チャオにぶつけてしまった。


 チャオはしたり顔で受け流す。


「私達なら、間に合いますよ。

 シーク村に一瞬でいけます。

 ご存知でしょう? 風の魔法には転送の魔法もあるのです」


「何を言っている? まさか、お前まで出るつもりか?」


「もちろんです。

 こう言う時のために私たちには私兵が許されているのですから。

 それに、尻尾と羽が協力するために、王国軍と騎士団、あるいは王国軍と研究所、我々は二重の組織に所属しているのでしょう?」


「下らん。

 逆だ。

 尻尾と羽が混在する組織は運営が難しかった。

 だから、騎士団と研究所が出来たのだ。

 これは遠い昔の話ではある。

 しかし、若いお前には分からないかもしれないが、尻尾と羽の確執は深い」


「えぇ。分かりませんよ。

 私田舎出身ですし。

 アーツ村ではみんな仲良しです。

 確執?

 それこそ、下らない、ですよ」


「ふん。勝手にしろ」


「勝手にしますよ」


 チャオの微笑みに、ベアクーマは戸惑うことしか出来なかった。


「チャオ様~! こっちです~!」


 城門の外ではルーガが待っていた。


「ルーガ。兵の方はどう?」


「はい。みんな叩き起こしました。二十分後には出撃出来ますよ」


「そう。転送魔法を使える人は西門に集めて。

 私達と一緒にオーガへ行きます。

 残りは直接シーク村へ進軍させて。

 あ、そうそう。

 副所長さんには、悪いけど会議室まで行くように言っといて。

 生贄にしちゃったの」


「了解です。チャオさん、相変わらず黒いですね~」


「い、良いから早く行きなさい!」


「は~い」


 ルーガは逃げるように走っていった。


「さて、ベアクーマさん。

 私達も行きましょうか。

 ご存知かもしれませんが、後出しでこんなことを言うのもあれですが、実は転送魔法って結構、高位魔法なんですよね。

 転送出来るのは三十人ぐらいだけです。

 だから、殲滅は無理だと思うんですよ。

 覚悟してくださいね。

 三十人で二万のゴールドタイガーの足止めです。

 騎士団の飛び馬隊がつくのが一時間後ぐらいでしょうか。

 私たちの殆どは歩兵なので、どんなに急いでも、四時間後ぐらいにつくでしょう」


「充分だ。それに、我が軍は早い」


「心強いお言葉。期待してますよ」


 門の外ではボイが待っていた。

 手に持った地図を風にバタつかせながらチャオに近づき、


「チャオさん! ベアクーマさん! お疲れ様ッス! 

 ってそれよりも大変ッス。

 俺、わかんないッス!」


 ボイは随分と慌てていた。

 確かに緊急事態ではあるが、慌てすぎだった。


「落ち着いて。ボイ君。何が分からないの?」


「さっきルーガから聞いたんですけど、シーク村の前で待ち伏せッスよね。

 でも、待ってる間、俺考えたんッスよ。

 多分、それ、マズイんッスよ!」


 ボイは地図を地面に置き、説明する。


「そうね。キツイ作戦かもしれないわ。

 だけど、無理だなんて思って無いわよ」


「違うんッスよ。

 ゴールドタイガーって、金ですよね。

 金って重そうじゃないですか?

 多分、シーク村は駄目ッス!

 オオツキ川があるじゃないッスか?

 あれ、溺れちゃうッスよ!

 だから、進路を変えるッス」


「そうか。チャオ殿は面白い部下がいるな。

 いや、私達が動揺しているのか」


「えぇ。どうして気付かなかったのかしら。

 ボイ君。お手柄よ!」


 無機質系生物は酸素を必要としない。

 だから、溺れると言う表現は何も知らないボイならではだ。

 しかし、ゴールドタイガーは確かに水を嫌う。

 ゴールドタイガーのコア炎上石えんじょうせきは水につかると化学反応を起こし、火月石になってしまうからだ。

 自らの雄一の急所であるコアの弱体化を、ゴールドタイガーは嫌うのだ。


 チャオは地図を確認すると、オオツキ川は横幅二十メートルはありそうな広い川で、ゴールドタイガーが渡河するとは思えなかった。

 そして、その広い川に橋を架けるのは高度な技術と高額な投資が必要なため、橋の数も多くない。


「ここ、しかないですよね。

 ゴールドタイガーはこの橋を渡るはずです」


「下らん。

 あいつらが、地理を理解しているとは思えんぞ。

 川にぶつかってから、気まぐれでどちらかの川沿いに進むかもしれん。

 つまり、間逆のこちら側に進む可能性だってある」


「それはないッス。

 だって、その辺高台になってるッス。

 だから、その川にぶつかるポイントから橋が見えるッス!」


「ゴールドタイガーが目で世界を認識してるとも限らんが……、迷ってる時間もなさそうだ」


 ベアクーマはチャオに詰め寄り、


「まず、俺を今すぐ転送しろ。

 橋でなら一人で時間を稼げる」


 橋の上ならば一度に相手するゴールドタイガーの数は限られる。

 しかし、二万を一人で相手に出来るはずはなかった。

 それはベアクーマも承知していた。

 しかし、橋を渡った少し先にはデージ村がある。

 そして、ゴールドタイガーはそろそろオオツキ川にぶつかる時間だった。

 それも、今までの研究データーから算出した予想進軍時間であり、異常行動を見せた彼らがもっと速い移動速度ではないとも言い切れない。


 ベアクーマに無理をさせるのは、足りない時間と不足な情報だった。


 一人でって無理に決まってるでしょうとか、

 オーガで誰が騎士団に指示を出すのよとか、

 男っていつもどうしてこうなのとか、

 

 とチャオは色々と心の中は文句だらけだったが、他に方法は見つけられなかった。

 無理をベアクーマに押し付けるしか出来なかった。


「分かりました。

 精鋭十人を同行させます。

 しかし、彼らは魔法使い。

 接近戦にはむいてません。

 呪文の詠唱のたびに、大きな隙が出来ます。

 あくまで後方支援しか出来ないでしょう」


「問題ない。

 一人で充分なのだから。

 ……しかし、感謝するぞ」


「ボイ君は転送魔法の使える者をここに集めて。

 私は十人を選んでくるわ」


「九人ッス。

 俺、行きますよ」


 ボイはベアクーマと共にしたいという気持ちもあったが、何よりチャオの心理的負担を軽くしたかった。

 生還確率の低そうな作戦を指示するのは、辛いだろうと思ったのである。


 しかし、逆効果だった。

 

 ボイの命が他の者より軽いと、チャオが思えるはずなかった。

 全ての命は等価値だと思っていた。

 むしろ、ボイに気遣いをさせてしまった事によりよりチャオの心理的負担は大きくなった。

 

 そして、殲滅や時間稼ぎが目的ならば、詠唱が短く燃費の良い基礎魔法の方が都合よい。

 ならば、選ぶべきメンバーは資格の高い者ではなく、内在魔力の高い者だ。

 ボイはその条件を充分に満たしている。


 断ることならば出来た。


 いくらボイの内在魔力が高かろうと、せいぜい二段レベル。

 チャオの私兵五千人中、上位十番以内とまではいかない。

 それを理由に断ることは可能だった。


 しかし、ボイは危険な任務に自ら志願する兵。

 しかも、外から見れば代替のききそうな低資格低階級の新人で、必要な能力は充分に満たしている。


 五千の私兵を率いるトップとして、五十万の王国軍副軍団長として、断るべきではないことも分かっていた。


 チャオは今にも泣きそうな素顔を隠し、冷静な指揮官の顔で言った。


「そう。わかったわ」


 そのまま振り返り、自分の仕事をしなくてはいけない。

 残る九人の先発隊を選ばなくてはいけない。

 事態は一刻を争うのだ。

 

 でも振り返ることが出来なかった。


 チャオは強くボイを抱きしめてしまった。

 涙をこらえるように、強く強く抱きしめた。


「言ったよね。

 私にはボイ君が必要なんだ。

 死んだら一生かけて恨むんだからね」


 その願いはあまりに残酷だった。

 敵二万に対し、前衛はベアクーマ一人。

 きっと、ボイたちも接近戦を余儀なくされるに違いない。

 ベアクーマ以外が全滅する可能性だって、低くはなかった。


「な~に言ってるんっスか!

 自分の運命を決めるのは、いつだって自分自身ッス!

 やる前から弱気になってちゃ駄目ッス!

 俺、絶対大丈夫ッスよ!」


「んっ。そうだね」


 そうして、チャオとボイは別れた。


 チャオが戻ってきた時には、もうボイとベアクーマの姿はなかった。




「ベアクーマさん! 彼らが転送魔法で送ってくれる大先輩たちッス!」


 ボイはベアクーマに、三人の魔法使いを紹介した。


「三人だけなのか? チャオ殿は三十人は送れると言ってたぞ」


 三人の魔法使いのうち、一人が答えた。


「相変わらず、チャオ様は厳しいですね。そこが宜しいのですけど」


 すると呼応するように、もう一人が答えた。


「無理して強がる所が良いのです。妻も子供もいますが、チャオ様は別腹で愛おしい」


 最後の一人も、答えた。


「男って嫌な生き物ね。いくつになってもスケベなんだから。

 チャオ様の魅力は世間に見せる顔と、私達にみせる腹黒い性格とのギャップなのよ」


 ベアクーマは困った。

 彼らは自分の質問に確かに答えてくれたが、聞きたかった情報とは、かけ離れていた。


「えっと、この大先輩が十五人送れるッス。

 こっちの大先輩は十人送れるッス!

 それで、この先輩が五人送れるッス!

 ただ、多分皆さんを転送した後は疲れ果ててそのまま寝るぐらいのハードな命令ッス!

 でも、多分やってのけるッス!

 凄い人たちなんです!」


「ボイ君。

 なんで、私だけ先輩の前に『大』がつかないのよ」


「ルーガの友達は、なんか大先輩じゃないッス!」


 ベアクーマはこれから戦地へ赴く兵士の態度じゃないと思った。

 自分の隊にはこんな連中はいない。

 ただ、彼らの笑顔の中に、みなぎる闘志と張り詰めた緊張感は汲み取れた。

 チャオの人柄なのだろうと、ベアクーマは思った。


「さぁ、大先輩方、まずは俺とベアクーマさんを送ってください。

 えっと、座標は……、どこが良いッスかね?」


「デージ村付近が良い。

 もしかしたら、予想以上にゴールドタイガーの進軍が早いかもしれん。

 しかし、チャオ殿を待たなくて良いのか?」


「良く無いッス。

 でも、俺、また会っちゃうと、きっと、泣いちゃうッス。

 だから、規約違反するッス。

 これ、偉い人には秘密にしてくださいね」


 騎士団長であるベアクーマや、高位な転送魔法を使える程の高官を前に、ボイは言った。

 だけど、だれも突っ込まなかった。


 下らん。軍人が女々しい。なんて男だ。

 と、ベアクーマはやはり魔法使いは軟弱だと偏見の目でボイを見た。

 しかし、死地へ赴く男の覚悟を無下にするつもりもなかった。


「そうか。何も聞かなかった事にしよう。早速送ってくれ」


「よろしく頼むッス!」


 三人の魔法使いも、ボイの軍事規約違反について何も言わなかった。

 先ほどまで全開だった笑顔に急ブレーキをかけ、呪文の詠唱に入る。


 彼らの呪文詠唱が終わると、ベアクーマとボイは身体が宙に浮いたような錯覚に襲われ、景色が捻じ曲がりながら回転していく。

 最後に無音漆黒の世界に一瞬だけ包まれ、気がつけばそこはデージ村の近くだった。


「村は、無事みたいッスね」


「そうだな」


 ベアクーマは門番に質問するため、村の門を目指す。

 ベアクーマは何も言わずに走りだしたので、ボイは慌てて後を追った。


 やっ! ほっ! と人の姿が見えない深夜に素振りをしながら眠気を誤魔化していた門番は、ベアクーマを見つけるととても焦った。

 こんな深夜に騎士団長が訪問してくるなんて、良く無い話をされるに決まっているからだった。

 混乱した頭は、何も言葉を生み出さず、とりあえず敬礼だけをした。


 ベアクーマは敬礼を返し、質問する。


「異常は無いか?」


「はっ! 何もありません」


「そうか。ここに、通信の出来る風の魔法使いはいるか?」


「いえ、なにぶん田舎ですから」


「そうか……。警備を怠るな」


「はっ!」


 ベアクーマはそのまま橋を目指して走りだした。

 門番はますます混乱し、不安になった。

 不憫に思ったボイは手短に説明する。


「ゴールドタイガーが襲ってくるッス!

 でも、ベアクーマさんとチャオさんが出撃するから、安心ッス!」


 ボイは急ぎベアクーマの後を追った。

 門番は何一つ理解出来なかった。


 ベアクーマは重鎧を着込み大型の武器を持っているとは言え、置いてかれないように走るのはボイにとって過酷な五分間だった。

 川沿いに走っていたのだが、夜の川と言うのはどこまでも深い底なしに見える闇で、今の緊迫した空気が感じさせるのかもしれないが、どこか恐ろしく見えた。


 オオツキ橋は見えてきた。


 ゴールドタイガーの光は、今のところは見え無い。

 なんとか間に合った。

 あるいは、別ルートを使ったのか……。

 

 ベアクーマはよりペースを上げ、橋を目指した。


 オオツキ橋は岸から向こう岸まで、一つの大きな鋼のアーチで結ぶ橋だ。

 金属加工の得意な火の国が、橋技術に長けた水の国の技術者を借り受けることで作られた、世界初の金属橋である。

 昼に太陽光を吸収し夜には吸収した光を放出する光石こうせきで手すりを作る事で、夜でも視界に困ることは無いが、この光石は値段が高く、夜に通行する者など殆どいないのだから全くの税金の無駄使いである。

 しかし、オオツキ橋はチャオの就任を記念して作られた橋であり、魔道書使いの不在の二年間に沈みかけていた火の国の威厳を回復させる目的で作られた橋で、故意的に不要な贅沢な無駄遣いをして作られたのである。

 

 ゆえに、橋を落とすことは出来ない。


 これがベアクーマに課せられた一つの枷だった。


 橋に辿り着くと、もうボイ以外の九人の先発隊もいた。

 魔法研究所のドリームチームと思わせる、凄い人たちを前に、ボイは自分がここにいるのは場違いな気もしてきた。


 ベアクーマは敬礼で無言の挨拶をし、


「ゴールドタイガーは来たか?」


「今のところは、まだ……」


「そうか」


 ベアクーマは偵察するべきか、ここで待つべきか悩んだ。

 そのベアクーマの顔を見て察した魔法使いの一人が言った。


「あの丘に光る点が見えるでしょうか? あれがこちらに向かうゴールドタイガーの群れだと思われます」


 そして、彼はボイの方を見て言った。


「ボイ。勝手に動くなよ。チャオ様もルーガ嬢も怒ってたぞ」


「ウッス……」

 とボイは力なく答える。


「ちゃんと無事に帰って、ちゃんと怒られろよ」


「ウッス!」

 とボイは力強く答えた。 




 チャオが九人の先発隊を連れて戻った時には、もう既にベアクーマとボイの姿は見えなかった。

 まだ転送魔法を使える魔法使いを連れて戻ってないのかとも思ったが、それならばベアクーマのいない理由にはならない。

 チャオが困っていると、ボイに呼ばせた三人の魔法使いの方からチャオに近づいてきた。


「これはこれは、凄い面子を揃えましたな」


「えぇ。ベアクーマさんを死なせるわけにはいかないわ。

 出来うる限りのサポートをするべきでしょ」

 

ボイだって、彼ら九人だって死なせたくない。

 出し惜しみする事無く、チャオは最高メンバーを選んだ。

 彼らは一人として嫌な顔をしなかった。

 無理な作戦でもやってのける自信のある者ばかりだった。


「肝心のベアクーマさんとボイ君は? 姿が見えないのだけど」


「あぁ、それはですね」

 

 と微妙に口ごもる三人の魔法使いを見て、チャオは理解した。


「またなの! もう! ベアクーマさんって突っ走りすぎよ!!

 ボイ君だっているんだから、もっと慎重に動いて欲しいわ!!」


 でも、チャオは勘違いしていた。

 暴走したのは、ベアクーマではなくボイだったのだが、三人の魔法使いは何も言わないことにした。

 ボイに秘密にするように約束したし、そんな約束守れるはずも無いのだが、それよりも、何より時間が惜しかった。

 時間が惜しいのはチャオも同じだった。


「ボイ君にどこまで聞いたかわからないけど、詳しい話は後でね。

 今は手短に説明するわ。

 まず、この九人を送って頂戴。今すぐね!

 そして、オーガに急ぎ向かって騎士団の人たちを送るわ」


「了解です!」


 三人は直ぐに呪文の詠唱に入った。

 その時、チャオに命じられた仕事を終えたルーガがやってきた。


「チャオ様! 大変です!!

 私考えたんですけど、水を嫌うじゃないですか。

 ゴールドタイガーはオオツキ橋から来ちゃいますよ!

 アービ村もシーク村も通らないんです。

 今危ないのは、デージ村なんです!!」


 ルーガはもう転送の魔法を唱えてるのを見て、焦りながらチャオに説明した。


「ルーガ。大丈夫よ。

 ボイ君が気付いてくれたの。

 今、彼らをオオツキ橋に送ってるのよ」


「えぇ!!

 何言ってるんですか? 九人だけ?

 いくら狭い橋の上だからって無理に決まってますよ!

 中止してください!

 確かにデージ村を救う時間は無いですけど、騎士団の人と合流してから転送するべきです!」


 ルーガは少し怒った口調でチャオに言った。


「無理よ。

 もう、ベアクーマさんが行ってしまったの。

 ボイ君もね」


「ボイ君が?

 なんで?

 どうして?

 まさか、ボイ君に先発隊を命じたんですか?

 なんで?」


「落ち着きなさい。

 ボイ君には充分に資格があるわ。

 選考試験の時の彼を、あなたも見たでしょう?」


「だからって、ボイ君には知識が追いついて無いです。

 それに、彼が得意なのは初期魔法だけ。

 って言うか、二つしか魔法の使えない四級なんですよ。

 経験だって全然足りません。

 初陣じゃないですか?」


 ルーガは喋っているうちに段々と感情が高まり、言ってはいけないことを言った。


「村一つぐらい見捨てれば良いのに!

 ボイ君が……、ボイ君が犠牲になるぐらいなら!!」


「ルーガ! 落ち着きなさい!」


 チャオの言葉は、ルーガの混乱をますます深めるだけだった。


「落ち着けですって?

 ふざけるな!

 あんたはボイ君を捨て駒に使った!

 あんたが殺したんだ!」


 そして、ルーガはチャオを殴った。


「ボイ君は、ボイ君は、あんたの事を……」


 そのまま泣き崩れる。

 ルーガの今の行動は、作戦中に感情に任せ副軍団長を殴るなど、死罪に値する程の重罪だった。

 だけど、周りの者は見て見ぬフリをした。

 一番近くにいた、先発隊九人と転送役の三人の魔法使い達も、何も起こってないかのように淡々と自分の作業を続けた。


 きっと、それがチャオの望む行動だろうと思っていた。


 チャオは直ぐには言い返せなかった。

 頬に残る痛みを感じながら、気持ちを切り替えたはずなのに再び溜まってきた涙をこらえながら、ただ呆然とルーガを見つめたいた。


 先発隊の九人のうち、六人が転送された頃、やっとチャオはルーガに言葉をかけた。


「自分の運命を決めるのは、いつだって自分自身ッス! 

 ボイ君はこう言ってたんだ。

 彼はまだ諦めて無いよ」


 ルーガはチャオの言葉に何も反応せずに、泣き続けた。

 チャオは話を続ける。


「駄目だなぁ。

 ボイ君は分かって無いよ。

 政治家にはなれないね。

 自分の運命を、自分ひとりで決定付けられるほど人は強くないし、人間社会は単純じゃない。

 ルーガには分かるよね?

 ボイ君の運命を決めるのは、ボイ君だけじゃない。

 ルーガ、あなたにも掛かっているのよ」


 ルーガはまだ泣き崩れたままだった。

 先発隊の転送が丁度終わったのを見て、チャオは怒鳴る。


「しっかりななさい!

 今、ボイ君を助けるためにあなたがするべき事は、泣く事なの?

 今は一秒も惜しい状況なんだよ!」


 ルーガは音も無くすっと立ち上がり、チャオを睨みつけた。

 そして、自らの頬を叩いて気合を入れた。

 ルーガの頬は直ぐに赤く腫れた。


「次はオーガに行くんですよね?

 冒険者ギルドで飛び馬を借りてきましたよ。

 借りれたのは十二頭だけですけど。

 あ、勝手にチャオ様の名前使いました。

 深夜にウルサイ! って騒いじゃって大変だったんですよ。

 そろそろ来る頃だと思いますよ~」


 ルーガはいつものローテンションなルーガに戻っていた。

 ただ、最後にポツリと言った。


「私、謝りませんから」


「えぇ。構わないわ」


 いや謝らなくても良いけど宣言はするなよとか、

 女の子が女の子をグーで殴るなよとか、

 最後の気合入れるところって普通私に殴らせない? とか、

 

 チャオは色々不満に思ったが、ルーガにも熱い心があり、ボイの事を強く心配していたのが嬉しかった。


 チャオとルーガと転送役の三人は飛び馬の騎乗資格を持っていなかったため、資格を持っている五人を集め、オーガ街を目指した。



  

 ベアクーマは橋の中央に陣取った。

 自らの武器『恨みの槍斧』を右に掲げ、次いで左に掲げ、橋の手すりから逆の手すりまで全てをカバー出来ることを確かめた。


 恨みの槍斧。

 長年虐げられた力を持たぬ者達が、羽という新たな力を手に入れた革命を起こした時、革命軍のリーダーが持っていた槍斧だ。

 火の国はその恨みの槍斧を国宝とし、代々騎士団長が受け継いだ。

 

 しかし、六人いる歴代の騎士団長でも、実戦で恨みの槍斧を扱えたのは半分の三人だけだった。

 

 柄の部分も穂先も斧頭も全てライフ金属で作られた恨みの槍斧は、純金製で作るよりもずっと重くなってしまうのが理由だった。


 扱い難い武器である。


 それでも扱うだけの理由はあった。

 国際組織の冒険者ギルドが特別に認めた世界に四本だけの純ライフ金属製の武器は、魔道書に匹敵する力があると考える者も少なく無いぐらいの価値があった。


 ベアクーマはゴールドタイガーが来るだろう方角へと目をやる。

 先ほど点だった丘の光は、大きくなっていた。

 川の隣には、光り輝く川があった。

 星達が作り出しす幻想的な川が、地上に落ちてきてしまったかのようだった。

 二万ものゴールドタイガーの群れが高台から駆け下り、この橋に向かってくるのが見えた。

 ゴールドタイガー達が橋に到達するまで、あと三分ぐらいだろう。

 ベアクーマは橋に迫る光の川をじっと見つめた。


 思えば、ベアクーマは守る戦いはあまり経験なかった。

 若い時からガムシャラに突き進む戦いばかりだった。

 今日は一匹たりとも後ろへ通してはいけない戦いだ。

 せめて敵がベアクーマだけを狙ってくれれば楽なのだが、ゴールドタイガーの目的はベアクーマの討伐ではない。

 ベアクーマのはるか後方、ポーロなのだ。

 そして、自分の後ろには、チャオから借りた優秀な人材十人。

 彼らを失うことだって、国にとっては大きな損害だろう。


 自分を無視して通り抜けようとするだろう敵を、一匹も通してはいけない。

 

 いや後ろの魔法使いたちは、十人いる。

 断続的に十匹以内なら、自分をすり抜けた敵も無視して良いのかもしれない。

 

 ふん。下らんな。

 何を弱気になっている。

 いつも通りだ。

 いつもと同じ。

 ただ、敵をねじ伏せれば良い。

 一匹残らずだ。

 

 とベアクーマは気合を入れた。


 ボイたちはベアクーマのはるか後ろ橋の後端にいた。

 もうその下にあるのは川ではなく陸地である。


 ボイたちが陣取った所からも、ゴールドタイガーが作り出す妖しく輝く光の川は見えた。

 

 ボイは足が震える。

 心臓が高鳴る。

 目には涙が溜まり、意識は気を抜けば遠くへ飛んでいってしまうそうにあやふやだった。


 敵は川にも見えるような大軍で、こちらは十一人。

 ボイは決戦を前に心が折れそうだった。

 

 他の先発隊の九人は、ボイの心の変化に気がついていた。

 気付いていたからこそ、彼らはボイの事だけを気にかけていた。

 最悪ボイなしで戦う事を覚悟した。


 ボイはすがるようにベアクーマの背中へ目をやった。

 ボイが騎士団に憧れていた子供の時から、ずっと騎士団長を勤めている男の背中を見つめた。

 昔から、ずっとずっと憧れていた人物の背中を見つめた。


 もちろんベアクーマはボイの視線になんか気付かない。

 だが、物言わぬその背中は、ボイに勇気を与えた。

 同時に怒りと屈辱も与えた。


 ボイは人の心を読むことが苦手だ。

 だけど、この時だけはベアクーマの覚悟を読み取れた。

 もしかしたら、魔法なんかなくても、人には心の言葉を伝える力があるのかもしれない。

 普段は気がつかないだけで、心の声は届いているのかもしれない。

 

 ベアクーマさん。

 心遣いは有難いッス。

 でもそれじゃ、駄目ッス。

 ちゃんと後ろを見て欲しいッス。

 

 とボイは思った。


 ついにゴールドタイガーの群れが橋に進入してきた。

 

 先頭の集団こそ殆ど減速せずに進入してきたが、後方の橋に入れない集団は次第に減速しやがて停止していた。

 ゴールドタイガーの川を、オオツキ橋がダムのようにせき止めているみたいだった。


 ベアクーマは声無き叫び声をあげた。

 自分にだけ聞こえる心の中の雄たけびだった。


 その雄たけびに呼応するかのように、純ライフ金属製の怒りの槍斧は青白くうなるように光り輝く。


 ベアクーマは出来る限り敵をひきつけた。

 思った通りに彼らはベアクーマの存在など気にも留めてない。

 橋いっぱいに広がったゴールドタイガーたちは、ベアクーマを無視するかのように向こう岸を目指していた。


 ベアクーマは恨みの槍斧を右から左へ振りかぶった。


 一振りでベアクーマの前にいた二十匹程のゴールドタイガーは、コアを破壊され虎の形を維持出来なくなり、砂金の山へと化した。

 

 いや、一匹だけ頭を吹き飛ばされながらもコアは無事だった。

 

 顔無きゴールドタイガーはベアクーマの横ををすり抜けていく。


「通さん!」


 ベアクーマは重心を移動しながら、今度は左から右へと振りかぶる。

 前から迫り来る群れを牽制破壊しながらも、そのまま回転し、顔なしゴールドタイガーを仕留めた。


 回転しながら後ろを振り向いたベアクーマが見たのは、先発隊の魔法使い達が呪文を唱え終え今正に魔法を発動している所だった。


 その数秒後、ベアクーマは驚愕する事になる。


 敵に完全に後ろを見せた状態のベアクーマは、武器を振り上げながら前方へと振り返った。

 そのまま橋を壊さない程度に加減し、恨みの槍斧を叩きつけるつもりだった。

 ベアクーマの予想では、まだゴールドタイガーも群れの後続は自分との距離があるはずだった。

 地面にたたきつけた衝撃で、ライフ金属が生むエネルギー波で、充分間に合うと思っていた。


 しかし、ベアクーマ前方へと向きかえった時には、ゴールドタイガーの群れの先頭は、向こう岸まで後退していたかのように見えた。

 

 橋上にゴールドタイガーはいなくなっていた。

 

 変わりにあったのは、竜巻だった。


 消えたゴールドタイガーたちは、ベアクーマのはるか上方にいた。

 ゴールドタイガーたちは突如出現した竜巻に巻き込まれ、はるか高く巻き上げられていた。

 激しい風の渦の中、身を引き裂かれたり、同士と強く叩き付けられたりしながら、彼らは砂金へ姿を変えていく。

 数秒の時間竜巻はその場に留まっていたが、やがてゴールドタイガーの群れへと動き出した。

 更に数秒後、竜巻は多くのゴールドタイガーを巻き込みながら静かに消えていった。

 

 橋を塞いでいた竜巻が消えたことで、ゴールドタイガーたちは再び進軍する。


 しかし、今度は橋の床板に黒い穴が開いた。

 地面に口が出来たようだった。

 おかしいのは、橋の床板の下は、橋を支えるアーチや川があるはずなのに、その穴の中はどこまでも続きそうに深かった。

 ゴールドタイガーたちは大地の口に飲み込まれていく。


 時同じくして、橋への進入待ちの群れにも異変は起きた。

 間欠泉のように沸きあがる火柱に襲われていた。

 

 更に彼らの上空には氷の雲が出来ていた。

 雲からは氷の剣が、雨のように降り注いでくる。


 これらの現象はもちろん自然現象ではない。

 時間稼ぎをするはずの、燃費を重視しながら初球魔法でちくちく攻撃するはずだった、先発隊メンバーの最大級魔法だった。

 

 三段クラス、あるいは四段クラスの高位魔法が次々とゴールドタイガーたちを襲った。

 

 最初の竜巻に至っては、最高位の五段クラスの魔法だった。


 およそ二分の人工的災害。

 たった二分でゴールドタイガーたちは千近くの仲間を失った。


 それでも、彼らは一切怯えてはいなかった。

 仲間だった砂金を乗り越え、次々と橋に進入してくる。


 ベアクーマは迎え撃つために、構えた。

 

 先ほどとは違う。

 

 でも、いつもと同じ。

 

 ボイたちの言葉は確かにベアクーマに届いていた。


 そうだ。

 いつもと同じ。

 俺は後ろを振り向かん。

 俺の後ろには頼もしい仲間がいるのだ。

 たとえ、今日は、一歩も前進出来ぬ戦いだろうとも。

 前だけを向いて突き進んでいく。

 いつだって、そうだった。


 そしてベアクーマは自分を嘲笑した。


 尻尾が何だ。

 騎士団じゃなくとも彼らは王国軍だ。

 下らんな。

 尻尾だ、羽だ、とこだわる連中を見下していたが、俺もその一人だったか。


 ベアクーマは音無き心の叫びを上げ、前進無き心の突撃をした。



 

 その頃、チャオは空を飛んでいた。

 飛び馬五頭でベアクーマの私兵が常駐する街、オーガのを目指していた。

 

 ルーガの借りる事の出来た他の飛び馬たちは、警告を促すために火の国中の村や町を目指し散らばっていった。


「あれがオーガね?」


 チャオは自分の前で飛び馬を操る部下に聞いた。

 空からは、広い大地に点在する集落の光がみえた。

 その中でも王都ポーロに負けないぐらい強く光る街を見つけた。

 

 飛び馬は、馬や羽馬に比べると胴が長く、二人乗り用の鞍も楽に付けられる。

 が、やはり二人の距離は相当に近い。

 普段から同じ職場なので世間一般の人より慣れているとは言え、チャオに質問された男は常に耳が真っ赤だった。


「はい。もう直ぐ着きますよ」


 男は思った。

 チャオの乗る馬に自分が指名されて良かった。


「そう。急いでね」


「ハイ!」


 空から見ると近そうでも、オーガに着くには、その会話から二十分程の時間が必要だった。


 オーガの街。

 ベアクーマが軍団長の特権として持っている私兵が常駐する街は、雄一王の支配の薄い、ベアクーマの統治区だった。

 軍団長と副軍団長は、ある程度自由に出来る街を一つ持てる特権もあった。

 王都ポーロが何かしらの混乱に陥った時、代理王都として使うためだ。

 だからこそ、あえて王都からの影響を薄くする必要がある。

 

 チャオも副軍団長なので、街を治める権利はあるのだが、ある意味権利と言う名の義務でもあるのだが、まだ就任半年だからとか、前任者の街は気に入らないとか、魔道書使いとして王都離れられないし任せられる部下もまだいないとか、色々と理由をつけて断っていた。


 オーガの街は、火の国であって火の国ではない。

 それがどういう事かと言うと、こう言うことなのである。


「どうして、中に入れてくれないんですか? ケチな人ですね」


 ルーガは門番を責めた。


「ベアクーマさんの許可が無いと入れないの!

 それこそ、王様が来たって駄目なの! 何度も説明したでしょ?

 どうして分かってくれないのかな」


「あ~、それ嘘ですよ。

 ちゃんと法律書に書いてあります。

『王は軍団長自治区、あるいは副軍団長自治区にあっても、その権威を失わない』って」


「あぁ~、そうなの。

 でも、あんたらは駄目なの。

 それとも、副軍団長は入れても良いとか書いてあったの?

 その、法律書とかに」


「ありましたよ~。きっと」


「うん。嘘だね」


「嘘ですけど。

 別に良いじゃないですか! 緊急事態なんですよ~」


「だ~め!」


 ルーガは門番に勝てなかった。

 チャオはかなりムカついていた。


 緊急事態なのよ。

 私の大事な十人の部下の命が掛かっているんだから。

 こんなことしてる暇無いのに。

 って言うか、あのヒゲもじゃ熊。

 どうして、街を出る時に、ある程度の準備しとかないのよ。

 どうして、国が動かないってわからないのよ。

 簡単に予想付くじゃない。

 せめて、私達がここで立ち往生することぐらい気付きなさいよ。

 私が先発隊に出れないのは、コレが原因なのよ。

 あの駄目熊。

 許可書なんて、簡単な手紙と母印で良かったのに。

 

 とグダグダグチグチと心の中で文句を言いながらも、外用の穏やかな表情で話しかけた。


「お願いします。

 人の命が懸かっています。

 いえ、一つの村の命運があなたの決断で救われるのです。

 どうか、今回だけ規則を破ってはいただけないでしょうか?」


 ルーガは寒気がした。

 チャオの穏やかな話口調から、びしびしと怒りが伝わってきた。

 半年と言う短い付き合いでも、チャオの怖さは充分知っていた。

 ボイのために自分が怒りをぶつけてしまった、さっきとは違う。

 それもその通りで、あの時チャオはそれ程怒ってはいなかった。

 

 だけど、門番はチャオが怒っている事にすら気づかないし、チャオの怖さも知らなかった。


「駄目です。チャオ様の頼みでも、駄目なんです。スミマセン」


「どうしてですか?」


 嘘の潤んだ瞳で、チャオは上目遣い攻撃。


「ここだけの話ですよ。

 ベアクーマさんの私兵団が常駐する関係も合って、ベアクーマさんに憧れてやってくる連中ってのも大体似たような奴でして、何て言うか、この街は羽の人たちが多いんですよ。

 それに、頭の固い古い連中も多い。

 あなたがたが、許可の無い有名な羽の戦士だったなら、私も緊急事態だからと通せたかもしれません。

 それでも私はそれ程重い処罰を受けなかったでしょう。

 でも、あなた達は駄目だ。

 特に、魔道書使いのチャオ様なんて絶対無理なんです。

 私にも家族がいますから……。

 分かってください」

 

「分かりました」


 チャオは微笑んだ。

 ルーガ他、魔法研究所の面々は怯えた。

 飛び馬も何かを感じたのか、悲鳴を上げた。

 

 門番はやっとチャオが怒っている事に気がつくことが出来た。

 

 チャオの微笑みは、引きつっていた。


 チャオは無言で魔道書を取り出した。


「な、何をするつもりですか?」


「別に。

 私は魔道書を読みたくなったのです。

 そう言う時ってありませんか?

 ほら、呪文って美しいですよね。

 何度読んでも素晴らしいと思いますよ」


 そして、チャオは魔道書の一ページ目を読み始めた。

 つまりは呪文を詠唱し始めた。


「ままま、待って!」と門番はパニック。


 チャオは呪文を中断し、微笑んだ。


「あら? どうなされたのですか? あまり、詩は好きじゃないのですか?」


「いや、詩って。違います。それ、聞いてたら、私、死です!」


「変な事を言う人ですね」


 チャオは呪文を再び唱え始めた。

 ルーガは慌てて止めに入る。


「あの!!

 私達が街に入れないなら、偉い人をここに呼んだら良いと思うんですよ。

 それなら問題ないですよね?」


 チャオは再び呪文を中断した。

 じっと門番を見つめる。


「でも、深夜ですし」


 門番は渋った。

 ルーガは「チャオ様。深夜に聞く詩の朗読って素敵ですね」とチャオに言った。

 チャオは満面の笑みで、呪文の詠唱を始めた。


「分かりましたよ!」と門番は遂に観念し、「変だなぁ。チャオ様ってあんな人だったかな」とブツブツ言いながら、門を離れるために、一度門を閉じた。 


「あの人少し気の毒ですね。偉い人に怒られるでしょうに。

 きっと。

 それに、流石のチャオ様もこんな所で魔法使わないですよね?」


 ルーガは、チャオがどこまで危ない人なのかを確かめたかった。


「えぇ、もちろんよ。ちゃんと壁を狙うわ」


 ルーガの中でチャオの危険人物度メーターは一つ上がった。


 数分後、開かれた門から出てきたのは、ほっぺがへこむぐらいやせ細った男。

 ベアクーマの頼れる右腕、副騎士団長だった。

 力だけで強さだけで軍のトップに立てる訳が無い。

 あのベアクーマが軍団長にまで上り詰めた理由の一つに、この男の存在があった。


「おぉ。これはこれはチャオ様。珍しい客人ですな。

 もしや、新魔法開発が上手くいったのですかな?

 夜と昼が区別つかなくなる混乱魔法のような……」


「違います。

 聞いてませんか?

 二時間程前、国境付近の村が壊滅した件です」


 チャオはこれまでの経緯を説明する。

 チャオとベアクーマの私兵団で共同作戦を張ることや、ゴールドタイガーの予測進路の事や、もう既にベアクーマ含む十一人の先発隊が出発した事を、手短にかつ的確に説明した。


「あぁ、その件ですか。

 えぇ、ベアクーマから聞いてます」


 副騎士団長はわざとらしく、そうかそうかと何度も頷いた。


「まぁ、王国軍が動かせない事は予想出来ましたからね。

 ある程度準備はしてありますよ。

 あなたが来る事や、共同作戦については、予測してませんでしたけど」

 

 そして副騎士団長は無表情のまま言った。


「二十人の先発隊を選んで欲しいか……。

 ここで、私が無視すれば、魔法研究所の十人を葬り去れるのか……」


「な、何を言うんですか? ベアクーマさんも納得済みなんですよ~」


 ルーガの言葉を聞き、副騎士団長は更に言葉を続ける。

 彼の表情は無表情のままだ。


「あぁ~、ここで私がこのまま挑発して、彼らが強行突破してくれれば、尚良いな。

 所長の首をはねる理由が出来る」


 チャオは何も言えなかった。

 チャオたちと副騎士団長の距離は、完全に副騎士団長の間合いだった。

 副騎士団長がその気になれば、腰の長剣で、瞬き一つや二つの時間で全員を切り捨てられるだろう。

 

 だけど、ルーガは反論した。


「い~けないんだ。いけないんだ。

 そんなことしたら、内戦ですよ。

 死刑ですよ。

 王様に怒られちゃいますよ~!

 チャオ様はただの所長じゃないんですから。

 魔道書使いなんですよ!」


「では聞きますけど、先ほどあなた達が門番にした行為。

 脅迫は問題にならないとでも」


「そんなの何とでも言い訳出来ますよ~。

 ふん!」


「そうでしょうね~。

 では、この私が、深夜この街で起きた不祥事に言い訳出来ないとお思いか?」


「出来る訳無いじゃないですか!

 チャオ様凄いんですから」


「ルーガ。

 ちょっと黙って。

 この人は出来るのよ」


「あぁ……。私とした事が申し訳ない。

 思っただけです。

 そうしたら、憎き尻尾どもの立場を弱められるなぁって。

 あなたが現れるまで、魔道書使いの不在の二年は過ごしやすかった。

 そう思っただけです」


 副騎士団長は今も無表情だった。

 寡黙な突撃熊将軍ベアクーマの右腕は、感情無き冷徹沈着ポーカーフェイス軍師と評されていた。

 

 チャオは思う。

 きっと、この人の発言は冗談ではない。

 本気で私を殺し、その後ベアクーマの地位を、羽の地位を向上する策略が思いついた。

 

 それを口にしただけ。

 

 思っただけ。

 

 実行する気は無くとも、確かに彼の頭の中で歴史は動いていた。

 

「そうそう。二十人でしたね。二分もあれば用意出来ましょう。

 先ほど聞いたお話だと、残りはデージ村へ向かえば宜しいのかな?」


「いえ。騎士団の力を借りられれば、橋で充分に殲滅出来ると思っています。

 まだ、先発隊が全滅してなければですが……。

 なので、デージ村経由で橋に向かってください」


「全滅ねぇ……。

 他は知りませんが、ベアクーマは無事でしょうな」

 

「えぇ。そうでしょね。

 だから、急いでください」


「はいはい」


 副騎士団長は振り返り、街へと歩き出した。

 急いでいるはずのチャオはそんな彼を呼び止める。


「本当に急いでくださいね。

 ベアクーマさん、王様が出席している会議を途中で抜け出したんです。

 自分の代わりに、直ぐに副騎士団長を手配するって抜け出したんです。

 でも、もう、……大分時間たっちゃってます」


 副騎士団長は小さく「そうですか」と言ってため息をつき、「あいつはいつも勝手な男です。そして、何故か連絡をしない男です」と言ってまたため息をついた。


 チャオは思った。

 あ、ポーカフェイスは簡単に崩れた。凄く嫌そうな顔~。


 その直後ルーガは思った。

 うわぁ。チャオ様凄く嬉しそうな顔してる。

 


 

 ベアクーマは音無き心の叫びを上げ、前進無き心の突撃をした。

 後ろを振り向かないと決めたベアクーマだったが、その心が本来の力を引き出し、その後一匹のゴールドタイガーもベアクーマの横をすり抜ける事は出来なかった。


 しかし、向こう岸、停止を余儀なくされているゴールドタイガーの群れから、雄たけびが聞こえた。

 

 すると、ゴールドタイガーの様子に変化が生じ始める。


 今まで橋いっぱいに広がり綺麗に整列して突き進むだけだったゴールドタイガーたちは、右左そして中央の三つの流れを作り出し、それぞれで不規則な緩急を付け始めた。

 

 橋上左のゴールドタイガーが停止したかと思えば、右のゴールドタイガー達が勢い良く攻めてくる。

 

 ベアクーマの意識が右に傾いた頃、左のゴールドタイガーたちは攻めてくる。

 

 中央のゴールドタイガーたちは、ベアクーマを無視することなく標的にしていた。

 

 もちろん緩急をつけている。


 段々とベアクーマはゴールドタイガーを後ろへ漏らすようになってきた。


 しかし、まだボイたちの処理能力には余裕があった。

 

 最初歩魔法だけを使い、お互いに声を掛け合いながら、無駄な魔法を使わないようにしていた。

 

 各々は一発の魔法で確実に仕留めていく。

 

 この時は、まだ、大丈夫だった。


 ゴールドタイガーはコアを破壊されると砂金になる。

 その砂金の量は少なくは無い。

 橋上では砂金の山が出来上がってくる。

 それらの山は前進だけだったゴールドタイガーたちに、前後左右上下の選択肢を与える。

 更にベアクーマやボイたちの視界を奪う。


 ベアクーマが処理しきれずに後ろに漏らすゴールドタイガーの単位時間当たりの数は、確実に増えていった。


 ボイたちにも余裕がなくなってきた。

 突然、砂金の山からゴールドタイガーたちが出現したように見えるのだ。

 

 詠唱時間を必要とする魔法使いにとって、敵との距離が短い事は、大きく不利だった。


 ついにボイたちの脇をゴールドタイガーがすり抜けようとした。

 

 ボイは自らの身体を使い、その進行を止めようとした。


 爪も牙も使わないのなら、身体で止めても平気ッス! 多分!!

 

 とボイは思っての行動だった。

 

 もちろん平気なはずがなかった。

  

 肉体が強化されない魔法使いがゴールドタイガーの突撃を受けると言う事実は、九死に一生、殆ど死ぬと思っても良い危険な行動だった。

 

 それでも、ボイの身体は動いてしまった。

 

 一匹ぐらい通したとしても、デージ村の門は破れなはしないだろう。

 

 それでも人的被害が出ないとも限らない。


 ボイは迫り来るゴールドタイガーの恐怖に勝てずに、目を瞑ることすら出来ずに、ジッと目の前の巨体な敵を見つめた。

 

 ボイの目の前でゴールドタイガーは砂金になった。


「い、今のは危なかったッス……。大先輩感謝ッス!」


 ボイはゴールドタイガーとぶつかる寸前に、誰かが魔法で仕留めてくれたのだと思った。


「無理すんなよ。尻尾は貧弱なんだから」


 だが、後ろからそう言った人物の声を、ボイは知らなかった。

 声の主はボイの隣まで歩き、ボイの頭を何度かポンポンと軽く叩いた。


「お前……、ガキじゃねぇか。

 この危険な場所に、お子様を配置するとはな。

 尻尾の考える事は分からんね」


 弓を持ったその男は、羽を生やしていた。


「ダッセ~。

 クールな嫌味が嘘だった時の寒さは異常だな。

 ガキが先に行ったと聞いて、後衛の癖に一番早く転送しろと騒いでたのは、どこの誰だったか」


 別の羽の戦士がボイの横を通り過ぎる時、一度止まって言った。

 弓の戦士は聞こえないフリをしていた。


 ボイの後ろから、続々と羽の戦士が橋に現れる。

 彼らは「ったく深夜に起こしやがって」とか、

「自分達で処理出来ないのに先走るなよ」など、

 嫌味を言ってベアクーマの元へ向かった。


 九人の魔法使いは正直腹が立ったが、ボイだけは違った。

 うぉぉ! 騎士団ッス! カッコイイッス!

 と無邪気に喜ぶ。


 騎士団に憧れいたから。

 と言うのは大きな理由であろう。

 ボイだけは彼らの見せる小さな微笑から、『良くやった』という激励を感じた。

 

 ベアクーマの近くには気がつけば騎士団が集まっていた。

 その数二十。

 ベアクーマ自身が彼らの顔と名前を知っているぐらいには、優秀な人たちばかりだった。


「遅かったな」


 ベアクーマは少し不満そうに言った。


 自分が無茶するからじゃないですか。

 いつもベアクーマの旦那はワガママなんだから。

 と羽の戦士も少し不満に思った。


「申し訳ありません!」


 それでも厳格な口調で答えた。


「いや、良い。良く来てくれた」


「はっ!」


 ベアクーマは彼らにこの場所を任せても大丈夫だと思った。

 だから、向こう岸まで突撃し、ゴールドタイガーの群れの中心で暴れようと思った。

 それこそが、ベアクーマの本来の戦い方だ。

 

「ベアクーマ軍団長!

 チャオ副軍団長より伝令です!

 決して突撃しないで欲しい。

 したとしても、橋の上から出ないように。

 との事です!」


「下らんな。

 あいつは自分の部下が心配なんだ。

 お前達だけでも充分任せられる」


「いえ、ベアクーマ軍団長が危険だからと」


「なんだと。

 俺では力不足だと言うのか?」


 ベアクーマの攻撃が怒りで少し乱れる。

 八つ当たりされたゴールドタイガーたちが砂金になる。

 

 俺だって詳しいこと聞いて無いのに。

 と羽の戦士が返答に困っていると、橋全体が強い光に照らされた。


 一瞬ベアクーマ含む騎士団は、もう朝が来たのかと思った。

 そして、いや日の出とはこんなに瞬発力のあるものなのかと不思議に思った。


 彼らは戦闘中だというのに、一瞬空を見上げてしまう。

 

 そこには太陽のようなものが確かにあった。

 



「チャオ様。もう限界です。きっちり二十名転送しましたよ」

 

 転送役の魔法使いは言った。

 その顔にはハッキリと疲労の色が見える。


「お疲れ様。あとは私とルーガを、ここに転送して」


「そんな、話と違いますよ。

 私達はもう限界です。

 今にも寝られます。

 もう寝ます」


「あら。三十人『ぐらい』と私は言ったつもりよ。

 どこかで、伝達ミスがあったのかしら。

 それに、こんな所で寝ると危ないわ。

 だから、頑張って」


「頑張ったら本当寝てしまうのです」


「えぇ。

 でも、飛び馬の上でも寝られるわ。

 頑張って」


 あぁ、きっといくら粘ってもチャオの気持ちは変わらないんだろうなと、転送魔法役の三人は諦めた。

 

 そこへルーガの追い討ち。


「ボイ君の命運はあなたたち次第なんですよ。よろしくお願いします」


 本当はある程度予想していたのだから、覚悟はしてあった。

 むしろ、何故チャオを転送しないのかを疑問に思っていた。


「あ、私五人しか転送して無いし、ちょっと休めたから一人ぐらいなら大丈夫だと思います」


 一人が名乗り出る。

 まずは彼女によってチャオが転送された。


「じゃあルーガさんは俺が転送するわ」


  負けず嫌いな男が言った。

 ルーガも直ぐに転送された。

 転送した男は本当に倒れるように眠ってしまった。


 チャオが転送場所に指定したのは、デージ村側の岸ではなく、ゴールドタイガーたちがいる方の岸だった。


 ゴールドタイガーが川にぶつかると予測された場所。


 ルーガが転送されてきた気配を感じ、チャオは言った。


「うん。ボイ君の行った通りだね。

 ここは高台になってる。

 ほら、橋も見えるよ」


「本当ですね。ボイ君も無事みたい!

 あのおじさん。結構やるじゃないですか!」


「えぇ。ダメクーマさんは凄い人なのよ。

 ボイ君を巻き込んで先走りするぐらい凄い人なのよ」


 彼女達は、まだボイが勝手に動いた事を知らなかった。

 ベアクーマが勝手に転送させたのだと思っていた。

 ボイや他の仲間が無事なのを見て、気が緩み、ついベアクーマの不満が口に出る。

 

「さて、さくっとやっちゃいましょう。

 あのダメクーマの事だから、きっと突撃しちゃうわ」 


「そうですね。人の制止を素直に聞かなさそうですよね。

 ってか事実聞きませんでしたよね」


「それじゃ、ルーガ橋の出口をふさいで」


「え? それじゃあゴールドタイガーたちが散らばっちゃいません。

 彼らがあそこで止まっているのは、橋を渡るためですよ?」


「良いのよ。

 大丈夫。

 私、本気出すから。

 あの辺見事に何も無いじゃない?

 壊してまずいのは橋だけよ。

 だから橋を守れば大丈夫。

 それと、敵味方が入り乱れないなようにしたいの」


「はぁ。大丈夫かなぁ」


「大丈夫」


 ルーガは心配だった。

 チャオの魔法は何度か見たことがあったが、何故橋を入り口を塞いでも大丈夫なのか良く分からなかった。

 たしかに、この高台からなら距離があるし、相手に近づかれずに何度も魔法を唱えられるだろう。

 

 でも、敵が散らばってしまったらやり難いのではないのかと思った。


 ルーガはチャオの秘書兼護衛になって、まだ半年しか経っていない。 

 まだチャオの本気を見たことがなかった。


 ルーガは土の魔法を唱える。

 目標は橋の入り口。

 そこへ巨大な壁を作り出すつもりだ。


 チャオはルーガの詠唱を聞きながら、タイミングを計る。

 そして自分も詠唱を始めた。


 ルーガは少し驚いた。

 チャオが唱え始めたのは、ファイアーボールの呪文だったからだ。

 ファイアーボールは火の魔法の一番初歩。

 ますます何が『大丈夫』なのか分からなかったが、呪文の詠唱を中断すると最初からやり直しなので、何も聞けなかった。


 ルーガの魔法が発動した。

 橋の入り口は巨大な壁でふさがれた。

 

 直ぐ後、チャオの魔法も発動した。

 チャオのファイアーボールは、まるで太陽のようだった辺りを昼のように照らし出した。

 多分、この現象を目撃した人物であの太陽もどきが、ただのファイアーボールだと分かるのは、自分だけだろうなとルーガは思った。

 

 驚きすぎて、あり得なさ過ぎて、逆に冷静なルーガがいた。


 人工的太陽、太陽もどき、偽太陽は、その姿をありありと人々に見せつけることはなかった。

 

 出現を確認するだけの僅かな時間だけ宙に浮かんでいたが、直ぐに急落下した。

 

 偽太陽はそれ程大した高度にはなかったみたいで、いざ地面に落ちてみると、本物太陽に比べて随分と小さかった。

 

 それでも、橋に乗れなかった少なく見積もって一万五千のゴールドタイガーを余す事無く多い尽くす大きさはあった。


 偽太陽は音もなく激しい効果音もなく、地面に落ちた後は静かに消えた。

 

 あれ程のエネルギー体があの速度で落ちたのならば、それはもう深いクレーターが出来たり、ボイたちごと橋をも消滅したり、と言うか自分達のいるこの場所だって無事ではないはずなのだが、ルーガは冷静に事実を受け止めた。

 

 いや、思考が麻痺していたのかもしれない。


 偽太陽に襲われても無事だったゴールドタイガーは、橋の上にいた者達だけ。

 そう時間も掛からずに殲滅されるだろう。


「さぁ、私達も行きましょう」


 チャオは橋を指差しルーガに言った。


「はぁ。は~い」


 ルーガは返事をした。

 自分の返事を自分の耳で聞いて、やっぱり冷静なのではなく思考が麻痺しているのだと思った。


 チャオはその様子に気がつき、歩きながらルーガに説明する。


「火も水も風も土も関係ないわ。最初歩魔法は全部なんちゃらボールなの。それは分かるよね?」


「それは、分かりますよ。

 世界中に漂っている何らかの力を自身の体内で練り混み、エネルギー体として具現化するらしい。

 それが、なんちゃらボールですよね」


「そう。

 だからね、回りの環境はあまり関係ないのよ。

 例えば私みたいな火の魔法使いなら、真空だろうが水中だろうが、いつだって同じぐらいのファイアーボールを作り出せる」


「その漂っている力の濃度が世界中どこでも同じなら、ですよね。

 そして、尻尾はその力をキャッチするためのアンテナなんじゃないかな~って感じなんですよね」


「そう。

 逆に言えば、周りの環境で力を増す事も無いのが、ファイアーボールなの。

 周りに与える影響も少ない。

 う~ん、この辺の感覚は説明しづらいわね。

 物理や化学じゃ納得のいく答えなんて出せない。

 まぁ、それが魔法が魔法たるゆえんなのかもしれないわ」


「あの、さっきから何を言いたいのか分かりかねますよ」


「だから、ルーガが不思議に思ってることは……、

 魔法だから! 

 で片付くのよ。

 私はゴールドタイガーを倒したいと思いながらファイアーボールを放った。

 だから、ゴールドタイガー以外にはあまり影響がなかった。

 ね? 簡単でしょ!」


「チャオ様は、もっと一般人の気持ちを理解するべきです。

 私はそれだけに驚いていた訳ではないんですよ」


「あぁ、だからね。

 こう、魔法を唱える時に思う気持ちが大事なの。

 大きくしたいとか、密度を高めたいとか、手加減したいとか、ありったけの力を込めたたいとか。

 でも、この辺は難しいらしいのよね。

 まぁ、とにかく、今回、私は本気を出したいと思った。

 だから、大きいファイアーボールが出来たのよ」


「全然分かりません。

 普通はあんなの出来ないですけどね。

 チャオ様化け物ですね。

 もう、凄いを通り越してアホですね」

 

「そう……。やっぱり私は教えるの下手だなぁ」

 

 チャオは落ち込んだ。

 なんでもこなすチャオだったが、魔法の教育だけは苦手だった。

 無理も無い。

 初めて魔法を使った時から、人が一生をかけて到達出来るかぐらいの達人の域の感覚を手に入れてしまっているチャオに、普通の人の感覚が分かるはずがなかった。 


「もう、良いです。

 何も考えません。

 ただ、ボイ君が無事だったと言う事実だけ、私は生きていきます。

 じゃないと、このプライドの無い私だって、落ち込んでしまいそうです。

 世の中に絶望してしまいそうです。

 自分をゴミだと思ってしまいそうです。

 つまり、チャオ様は存在自体がアホです。

 そう考えるのが、私にとって自己防衛なのです。

 心の安定を図っているのです。

 あぁ、なんか混乱してきた。

 つまりはチャオ様はアホです」


「ルーガって、やっぱり面白いね」


 チャオはあまり本気で魔法を使った事が無い。

 強すぎる力ゆえ、味方や建物の事を考えると使える状況が少ないからだ。

 

 そして、チャオの本気を見た者の最初の反応は、ほぼ全て同じだった。

 

 恐怖だった。

 

 アホアホ言われたのは、初めてだった。


「あ、もう殆どいないですね」


 少し早歩きの二人が橋についた頃には、ゴールドタイガーはほぼ全滅していた。

 チャオとルーガを待っていたかのように、二人の目の前で最後のゴールドタイガーはベアクーマに切り伏せられた。

 

「お疲れ様。ダメ……。

 おっほん!

 ベアクーマさん」


「俺は何もやってない。

 何もしないうちに、敵はいなくなっていた。

 あの太陽は何だ?

 お前の仕業なのか?

 新魔法を隠し持っていたのか?」


「違うんですよ。

 聞いて下さい。ベアクーマ様。

 その前に確認です。ファイアーボールって知ってます?」


「下らん。

 敵の力を知らずして、戦には勝てん。

 魔法の種類ぐらいは把握している」


「そうですか。じゃあ、話は早いですね。

 あのね、チャオ様は恐ろしいぐらいのアホだったんです。

 あれ、ファイアーボールなんです」


「まだ発表出来る段階ではないのか?」


 ベアクーマはルーガを無視してチャオに聞いた。

 チャオと戦闘に出たことはなかったが、先代や先々代の魔道書使いとは共に戦った事がある。

 いくら魔道書使いとは言え、あんなファイアーボールが存在するはずは無いと考えていた。


「いえ、あれはファイアーボールですよ」


 チャオは多くは説明しなかった。


「そうか。

 信じられんが、俺には確かめる術も無い」


 ベアクーマも多くは聞かなかった。

 あれが新魔法だろうとファイアーボールだろうと、この少女の力であることに変わりない。


 魔道書に匹敵すると歌われている自分の武器を見て、ベアクーマは笑った。


 下らんな。

 何に満足していた?

 俺はまだまだ力が足りない……。


 ルーガは自分を無視するベアクーマを、自分からも無視する事にした。

 ボイの元に駆け寄り、とりあえず殴った。

 自分達の来訪にも気付かず、騎士団の戦士達と勝利を喜ぶ様に、無性に腹が立った。


「ボイ君の馬鹿!」


「痛いッス! 何ッスか!」


「馬鹿! バカバカバカ!」


 ルーガは何度もボイを殴る。

 手は硬くグーで結ばれていた。


「良い加減にするッス! 馬鹿に馬鹿って言うやつは、閻魔様に舌を抜かれるッスよ!」


「知らないよ。思った以上に、ボイ君はバカだぁ!」


 ルーガは更に二、三発殴ってやっと気が済んだ。

 どさくさに紛れて、独身の戦士に小突かれた事を、ボイは気付かなかった。


 もちろん、ルーガの恋心に何て気付くはずもなかった。


 ルーガが落ち着くのを待っていたチャオがボイに近寄ってくる。


「ボイ君。ちゃんと約束守ってくれたんだね」


「ウッス! もちろんッス!」


「でも、勝手に出撃したんだね。さっき、ベアクーマさんから聞いたの」


「はいッス……。いかなる処分も覚悟してるッス」


「うん。分かったよ。

 でも直ぐには下さないよ。

 私、貸しを作っておくタイプなんだ。

 ちゃんと覚悟して、私についてきてね」


「はいッス!」


 まだ空は暗かった。

 

 時刻にして三時半。

 

 それでも人知れず幾つかの村を救った英雄達の顔は明るく晴れ渡っていた。

 

 この事件を知る者は、多くは無い。

 チャオたちが戻って直ぐに『決して口外するな』と言う命令が、関係者に出された。


 何故、秘密にする理由があるのか。

 関係者の中でも、それを知る者は少ない。


 発端はチャオだった。

 何も考えないベアクーマは戦いが終わった後、そのまま引き上げようとしていた。

 それをチャオは引き止める。


「ベアクーマさん。今日の事は秘密にしてください」


「何故だ?」


「う~んと、詳しく説明するのは時間が掛かるので手短に言います。

 着服です。

 密漁ですね。

 実際に二万匹のゴールドタイガーを見た者は多くありません。

 城の偉い人は知っていますが、それも通信魔法で得た情報です。

 だから、百匹しかいなかったことにして、残りはギルドを通さず城の資金にします。

 これで、お城の偉い人たちも今回の件で怒ったりはしないでしょう」 


「下らん。勝手にしろ」


「えぇ、勝手にします」


 チャオは悪びれてない笑顔で答えた。

 するとルーガが話に割り込んできた。


「どうせなら、魔法研究所と騎士団へも横領しましょうよ。

 お城を通さず」


「そうね。数匹分ぐらいなら、分かるはず無いわ!

 流石ルーガ!」


「いらん。

 国が汚れても、俺は汚れん」


 ベアクーマは不機嫌そうに去って行った。

 あまり興奮して怒らないのは、副騎士団長もチャオたちと似た人種だからだった。

 ベアクーマはある程度慣れていた。


「どうします?」


「手間だけど私達で届けましょう。あの嫌味な副騎士団長に。予算不足なのは、騎士団も同じはずよ。

 きっと、太い信頼関係が出来るわ」


「どす黒いパイプですね」


「良いのよ。

 いずれ、損得なしでも信頼出来る関係を作って見せるわ」


「無理ッス!

 そんな不正から始まる絆に、清い信頼なんて無理ッス!」


 ボイは反論した。


「あら、ボイ君。まだまだ駄目ねぇ。

 今のは、ぜ~んぶ冗談よ!」


「そうなんッスか。そうッスよね! スミマセン。チャオさんを疑ってしまいました」


「ううん。良いの。でも、砂金の山をここに放置するわけには行かないでしょう。疲れてるところ申し訳ないけど、運搬手伝ってね」


「はいッス!」


 ボイは他の九人への伝達を命じられ、チャオたちから離れた。


「ボイ君は凄いですね。

 なんで、あれで騙されるのか理解出来ないですよ」


「良いのよ。

 彼は、ずっとあのままでね。

 汚れてるのはルーガだけで良いわ。

 まさか、お城も通さず横領するなんて発想、私にはなかった」


「あら、チャオ様こそ。

 私だって、まさかギルドを通さず密漁するなんて、考えもしなかったですよ」


 二人は不気味に笑った。

 言葉の裏に隠された刃で攻撃しあったのではない。

 上下関係を超えた友情を確かめ合っての笑いだった。

 不正を通じ、彼女達は友情を強く感じていた。


「それで、この臨時収入はどうするつもりなんですか? 裏帳簿なら任せておいてください」


「そうね。ベアクーマさんの子供が心配だわ。

 あんなにも大群のゴールドタイガだから、はぐれたのがいるかもしれないでしょ?

 ギルドを通じて討伐依頼を出すわ。

 それと失踪の注目度をやっぱり上げましょう。

 報奨金も加算してもらえるかしら。

 ポーロでもビラを配りたいわね。

 あ、でも、ポーろで目立つ事するには、ベアクーマさんに聞かなきゃ駄目かな」


「は~い。

 あんまり、得した気分になりませんね」


「損するより良いじゃない」


 その後、遅れてくる後発隊に通信魔法で、運搬用荷馬車を連れて来るように連絡した。


 怒ってしまったベアクーマこそ一切手伝わなかったが、騎士団は手伝ってくれた。

 

 そして、デージ村の予算が少し潤ったことも、知る者は少ない。


 ポーロ城の門で行われる検問は騎士団所属の兵士の仕事であるからして容易に国家権力でもみ消す事ができ、怪しむギルドの方々への言い訳は偉い人が上手く考えてくれていたので、砂金の運搬作業は滞りなく行われた。

 

 それでもゴールドタイガー二万匹分の砂金は、かなり多い訳で、作業が終了したのは、おやつ時の十五時ぐらいだった。


  チャオは早急に取り掛からなければいけない案件『新魔法の開発』を初日から二日続けて邪魔された訳だが、それでも深夜から殆ど寝ずにハードな作戦をこなしていたので、今日ぐらいは早く城に帰って寝ることにした。

 

 この時チャオは知らなかったが、自分が寝ている間に故郷のアーツ村では幼馴染たちがゴールドタイガーと死闘を繰り広げる事になる。


 


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