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アーツ村の青年

 十六歳で義務教育を終え、社会人になって約半年の青年モウは今日も苛立っていた。

 宿屋の新メニュー『牛すね肉の辛辛炒め定食』が予想以上に辛く、少しだけポッチャリ体型ゆえか、額から滲んでくる汗が邪魔だったからではない。

 まだ食べたり無いが、財布と相談した結果、おかわりは諦めるしかない事だって原因では無い。


 待ち人が来ないのだ。


 約束の時間になっても相手は現れなかった。

 三十分程待ってはみたが、我慢しきれなくなったので、一緒に食べるはずだった朝食を注文した。


 十分後にテーブルに届けられた『牛すね肉の辛辛炒め定食』でモウは幸せになった。

 辛すぎたけど。

 でも、十分程で食べ終わり、それから更に十分経っても相手は現れない。


 約一時間待たされている。


 しかも今日に限った事ではない。

 一時間なんて長時間はレアケースにしろ、待たされるのは殆ど毎日の事だった。

 

 モウはもう待ちきれないと思った。

 一度に運搬出来るように食器を重ね、カウンターに持って行く。

 

 カウンター奥のキッチンでは、女店主がパイ生地をねっていた。

 モウが小さい頃からお姉さんだった彼女の年齢は、推定三十路を少し過ぎた所だろう。

 しかし、モウには彼女の年齢を正確に知る術は無い。

 友人が彼女に年齢を聞いているところならば、目撃した事があったが、その結末は思い出したくも無い地獄絵図、一週間の出入り禁止だった。

 

 モウは待ち人が来ない苛立ちを隠し、笑顔で話しかける。


「ごちそうさまなんだな! 今日も美味しかったよ!」


「いえいえ~。毎度です」


 濃い化粧に似合わない、屈託の無い幼い笑顔だった。

 モウは年々濃くなる化粧は、女店主には似合わないと思っていたが、それを口にする事はない。

 友人が「スッピンのが可愛いぞ!」と言っているところならば、目撃した事があったが、待っていた結末はやっぱり出入り禁止だった。

 女店主はシンクで手を洗いながら、勘定計算。


「えっと、牛すね肉の辛辛炒め定食が一食でっと、五百エーンになります」


 モウは五百エーン札を手渡しながら、追加でピクニックサンドイッチセットを三つ注文した。

 二セットはツケで、と。

 

「はいはい。モクタク君名義で良いのよね? 二セット分。ツケときますね」


「ゴメンなんだな……。本当は僕が立て替えたいけど……」


「良いのよ。お得意様ですし、知らない仲じゃないでしょ~?」


「助かるんだな! お礼にもならないけど、今日もお仕事頑張るんだな!」


「えぇ。頑張ってね」

 

 店を出たモウは、一時間も遅刻してなおも姿を現さない友人宅へ向かった。

 噴水で遊ぶ子供達を眺めながら中央広場を通り抜け、本来ならば目的地である役場を通り過ぎ、次第に建物の数が少なくなってきて、最後に田園地帯を抜けた所に、友人宅はある。

 

 ここアーツ村は、英雄の故郷という事から観光地として宿屋産業が発展していた。

 その一方で大きな都市からそれ程離れている訳でもなく、かと言ってベッドタウンとするには遠いという地理的要因から、定住する者は少ない。

 

 つまりは田舎だ。


 そんな田舎村の外れに、友人の家はある。

 草木が生い茂る未開発地域の中、白い線で囲まれた整地が友人の家だ。

 その土地は、村一番の大きい建物を建てても、村一番の大きい庭が作れてしまう程に広かったが、あるのは運搬用コンテナ一つだけだった。

 

 一つ年上の友人は身寄りがなく、この村の村長さんに育ててもらった。

 義務教育を終え自立する際に村長さんから貰った準備金、及び自由に使えなかった学生時代のバイト代を、計画性皆無の性格から、安くて広大な土地に全部使ってしまった。

 家はもちろん、生活必需品も買えない事に気がついたのは、社会人一日目のことだった。

 村長さんに泣きついたが追い返されたのは社会人二日目で、まだ学生だったモウに借金を頼みに来たのは三日目の事だった。

 その友人が、モウから借りたお金で設置したのがあのコンテナであり、友人の家である。

 

 モウは『モクタクの家!!』と言う看板を睨みつけるも、この家の一年半の歴史を振り返っているうちに、なんだかとっても情け無い気分になり、気がつけば怒りは消え、呆れながらコンテナを叩いた。


「モクタク~。朝なんだな! 遅刻なんだな!」


 返事は無い。

 でもそれは概ね予測出来ていた。

 だから根気良く何度も呼びかける。

 五回目の呼びかけに、やっと入り口が開く。


 中から出てきたのは、長身長髪の男だった。

 パンツしかはいてない。

 ほぼ裸だ。

 見るからに筋肉の無い軟弱な身体を惜しげもなく見せられるものだ、とモウは柔らかくて大きい自分のお腹をさすりながら思った。

 寝癖だらけのボサボサヘアーをかき、一つの欠伸をかみ殺してから、友人のモクタクは気ダルそうに言った。


「ウルサイぞ。モウ。今何時だと思ってるのだ?」


 呆れに変わっていた怒りが瞬時に沸く。


「十時半だと思ってるるんだな!!」


「なんだって? それは大変なのだ……」


 モクタクは口に手を当て血相を変えた。

 そしてモウに聞いてくる。


「モーニングタイムが終わってしまったではないか。私の朝食はどうなったのだ?」


 ピクニックサンドイッチセットを押し付けるように手渡し、


「僕が買っておいたんだな。もちろんモクタク名義でツケといたよ」


「はっは。流石はモウなのだ! たまには広場で噴水を見ながら食べるのも良いのだ!」


「呑気な事を言わないで! 急がないと、お昼になってしまうんだな!」


「大丈夫なのだ。私は二食兼用でも平気なのだ!!」


「そうじゃないんだな……」


 モウは言いたい文句が山程あったが、モクタクに説教をしても効果が無い事も、結果として自分が疲れるだけの事も知っていたので、


「とにかく僕は今日の採集許可の手続きをしてくるから、モクタクは東門で待ってて欲しいんだな! 朝食もそこで!

 ……僕が着いたら直ぐに出発するから、そのつもりで頼むんだな!」

 

 予定だけを一方的に告げ、その場を後にした。

 



 モウは焦っていた。

 

 村役場の冒険者ギルド窓口で、この村周辺の特産果物のヒバナーナ一バンチの採集許可届けを申請した。

 ここは問題ない。

 特産品とは言え、ヒバナーナは無資格で採集出来るだけあって、希少価値は高くなく、取り合いになる様な代物じゃない。

 事実、モウの申請は問題なく受理された。


 郵便ギルド窓口で、コアサ町への手紙と荷物配達依頼を受けるのだって間に合った。

 無能なモウとモクタクのために仕事を残してあげるなんて、いかにも村特有の優しくも腹黒いローカルルールを知らない旅人は、今日いなかった。

 

 それでもモウは焦っていた。

 

 息を切らし、重たい身体を引きずるように走ってきたのに、東門にモクタクの姿が無かったからだ。

 息が整う程度の時間待ってみても、モクタクの姿は見えない。

 先に出発したのかと思い、門番に聞いてみる事にした。

 

 小柄な身長も引退間近な年齢も感じさせない、威風堂々たる仁王立ちで門を守ってくれている門番タローに話しかける。


「おはようなんだな! タローさん」


「おぉ。こんにちは。今日はのんびりさんだね~。もう、おはようとは言え無い時間だぞ。大丈夫かい?」


「全然、大丈夫じゃないんだな。でも、モクタクが遅刻で迷子なんだな。もちろん先に出発したなんてことは、ないんだな?」


「ここにはまだ来て無いぞ。まだな」


 そう言ってタローがモウの後ろを指差した。

 モウが振り返ると、折込チラシを食い入るように見ながら通常速度の半分で歩く、モクタクが見えた。


 そのゆったりとした歩行を見て、モクタクが家で優雅に朝食をとったことも、慌てる事無く新聞を読んでから家を出たことも、今までの経験から直ぐに分かった。

 焦っていたとは言えどうしてモクタクの家で気付けなかったのか、と自分を責める気持ちすら覚える。

「あ~、もう!」と悲痛な独り言をもらし、モウは叫ぶ。


「モクタク~! 時間が無いんだな! ダッシュ! ダッシュ!」


 モクタクはモウの声に気がつくと、手を振るようにチラシを見せてくるが、この距離では細かい文字を読めるはずが無い。

 それでも律儀に読み取ろうとしてしまう男がモウだった。

 チラシの一番上部で一番大きい文字は認識出来た。

『探しています』と書いてある。

 チラシには顔の似顔絵もあった。遠くからでも分かる。

 子供だ。

 モクタクはモウに駆け寄り、


「大変なのだ。コレを見てみろなのだ!」


 とチラシを手渡す。

 その台詞が言い終わるより早く、モウは奪い取るようにチラシを受け取る。

 チラシは捜索願いだった。


「急いでポーロ城に行くのだ!」やら、「大変だ! 大変なのだ!」とパニックになりながら騒ぐモクタクを、タローがなだめる。

 モウは高鳴る心臓に、落ち着けと言い聞かせながら、捜索願いを熟読する。


「タローさん。この知らせは受けてるんだな?」


「いや、朝礼では何も言われなかった」


「それじゃあ、この紙をそこの立て看板に張っておいて欲しいんだな」


「了解だ。門を通る人にも、積極的に声をかけよう」


「モウ! タロー爺! そんな受身でどうするのだ! 子供なのだぞ! 子供が危険なのだぞ!!」


「モクタク。落ち着くんだな。門番さんに指示が出てないし、この捜索願いにも資格の有無を問う文が無いんだな。だから、事件性の少ない家出と思われるんだな」


「それがどうした? 自ら家出すれば、危険が無いとでも言うのか! 相手は十歳の子供なのだぞ!!」


「そう。子供なんだな。例え段クラスの戦士資格や魔法使い資格を持っていたとしても、一人では門の外に出られない、子供なんだな。きっとこの子はポーロ城下街から出てないはずなんだな」


「ならば、我らも直ぐにポーロ城に向かうのだ!」


「それも良いかもしれない。でも、今日は駄目なんだな。僕らは仕事を引き受けてしまったんだな」


 モウはコアサ町への宅配物を見せる。


「そんな事より、子供の方が大事なのだ!」


「いい加減にするんだな! この荷物や手紙にだって、色んな人の希望や夢が詰まってるかもしれないんだな!」


「だがしかし……」


 口ごもるモクタクに、モウは諭すように言った。


「ポーロ城まで普通に歩いて一日半。

 急いでも半日はかかるんだな。宿に止まる金も無ければ、夜間を旅するための資格も無い僕達は、どっちにしろ朝一で出発するしかないんだな。

 だから、明日の朝、出発しようなんだな!」


 モクタクは身振り手なりで何かを伝えようとしていたが、言葉には出来なかったらしく、


「分かったのだ」


 と消え入りそうな小さな声で呟き、トボトボと歩き出した。


 モウが後を追いかけようとすると、タローに呼び止められる。

 そしてタローはモクタクを気にしながら、モウに耳打ちするのだった。


「今のモクタクに聞かせるとまたパニックになりそうだが、伝えん訳にもいかんのでな。

 今日の朝礼で、家出した子供の話は無かった。しかし、こんな警告が出ておったんだ。

 王都ポーロ付近の林でゴールドタイガーらしき動物の目撃報告があったので注意すべし、とな」


 それは、モウが理解出来なかった捜索願いの不審点の答えのような気がした。

 捜索願いには高額の報奨金がかけられていた。




 整備された道を歩き五分後に、やっとモウは気がついた。

 羽を出していない。

 確認するようにモクタクのお尻を見れば、彼も尻尾を出していない。


「モクタク! 尻尾が出て無いんだな!」


「おぉ……。そうだな……」


 気持ちの入ってない返事をよこすモクタクを見て少し心配したが、彼はリングを額にあて念じる動作に入ったので、モウも羽を出すことにした。




 モクタクが出した尻尾は魔法を使える素質がある証。

 モウが出した羽は常人より優れた運動能力と、使用者によって性質を変える金属、ライフ金属を使える証だ。


 約三百五十年前。

 四冊の魔道書が発掘され、人類は魔法の力を手に入れた。

 しかし、当時の魔法は限られた者の特権だった。

 魔法を使うためには、魔道書を身につける必要があり、かつ魔道書に主として認められなくてはいけなかった。

 魔道書は一人しか主に認めず、主を見限る事は『主の死』以外には決して無い。

 つまり、当時の魔法は世界で四人しか使えないものだった。


 約百五十年前。

 ある研究者が革命を起こした。

 リングの発明だ。

「魔法は魔道書の力だ。故に魔法は世界で四人しか使えない。

 そう思うかね?

 私は魔法は人間に元より備わっている能力で、魔道書は力を引き出すための媒体に過ぎない。

 そう思うよ」

 と彼は新聞のインタビューに答えた。

 今以上に魔道書や魔道書の主を崇拝していた当時の人々は、研究者を信じないどころか、彼の研究職という地位も奪った。

 しかし元研究者は諦めずに、独自に研究を重ね、尻尾が生える副作用つきではあるが多くの人々が魔法を使えるシステムを、リングを発明した。

 リングの登場により、多くの人々が魔法を使えるようになった。

 それでも魔法を使えたのは、四割程度に過ぎなかった。

 そのため魔法の普及は、使える者と使えない者の間に差別を生んだ。


 六十四年前。 

 虐げられていた魔法を使えない者たちによって、革命がおきた。

 彼らは魔法に対抗するため、肉体強化の術を身につけていた。

 しかしその方法、羽の開発者は不明だ。


 そして、現在。

 個人が持つには強力なリングの力は資格制度により制限され、次第に多くの能力で資格による統制がされるようになった。

 モウもモクタクも、何の資格も持っていなかった。




 白い尻尾を出したモクタクは、無資格でも使える初歩魔法の呪文を唱え始める。

 いざと言う時、即座に魔法を発動出来るようにチャージしているのだ。

 白い羽を出したモウも剣と盾を出すため、引き続きリングを額にあてたまま念じ続ける。

 この辺は安全な地域で、人の気配が強く獣も近づき難い街道を歩いているとは言え、壁で守られてる村中とは違い絶対に安全だとは限らない。

 今日はゴールドタイガーの目撃情報もあったのだから、門を出て直ぐに出すべきだった。

 問題は無かったけれど、致命的なミスだった。


「丸腰で歩き始める私達を見て何も言わないなんて、タロー爺も人が悪いのだ」


 と言い訳じみた恨み言をモクタクが呟いた。

 まだ声に元気はなかった。


「仕方ないんだな。そこまで、注意が回らなかったんだな。タローさんは僕達を見送って直ぐに、捜索願いを看板に貼り付けてたんだな。それに、普通はしないミスなんだな」


「ふむ。それも、そうなのだ」


 モクタクは力なく同意し、またトボトボと歩き始める。

 モウは忘れてはいけなかったことが、もう一つあったのを思い出した。


「あ~! モクタク! 大変なんだな。お日様が真上にあるんだな。もうすぐ正午なんだな!」


 昼飯の時間か! とモクタクからとぼけた答えが返ってくるのかとモウは身構えていたが、


「ふむ。急がなくてはいけないのだ」


 モクタクから返ってきたのは普通の答えだった。

 道を小走りで進み、目印の三角岩の所で草原に入り、遠くに見える林を目指す。

 歩き難い林に入るとモクタクの進行速度が目に見えて落ちた。

 魔法使いである尻尾系のモクタクは運動能力が強化されないのだから、仕方が無い。

 しかも今日はコアサ町への郵便物も持ったままだ。

 何故、郵便物を先に届けないのかと言うと、モクタクが寝坊したからで、これも仕方が無い。

 しかし、仕方が無いと思いつつもモウは、


「ほら。モクタク。僕がその荷物も持つんだな」


「ふむ。いや、大丈夫だ」


「大丈夫じゃないんだな! 急がないと終わってしまうんだな」


 渋るモクタクからモウは郵便物を奪い取る。


「べ、別にモクタクのためじゃないんだな! 急がないとヒバナーナが静かになってしまうんだな!」


 モウはモクタクの反応を待たずに、走りだした。

 それでもモクタクは小さな声でお礼を言ってから走りだした。

 少し林を進めば、獣道がある。

 あとは獣道沿いに走っていけば、ヒバナーナの群生地だ。

 ヒバナーナはバナナの一種で、常に微弱に黄色く光る発光性植物だが、正午には一房一房が火花を散らしながらパチパチと発火する。

 一つ一つの光は弱くても群生地ともなれば、その光景は林に打ち上げられた花火のように強く光り輝く。

 その状態の時に収穫すると、味も格段に良く、それに比例するように値段も高くなる。


「間に合ったんだな! ギリギリ……」


 モウ達がヒバナーナの群生地に着いた頃には、森に打ち上げられた花火とはとても言えなかった。

 殆どのヒバナーナたちの発火が収まり発光状態になっていたが、モウたちは一バンチしか収穫出来ないのだから、少量が発火していてくれれば良いのだ。


「大丈夫。今のところ、獣の気配は無いのだ」


「分かったんだな」


 二人にとってヒバナーナの収穫は手馴れたものだ。

 特に前決めする事無く、モクタクが周りに注意をはらい、モウがヒバナーナを収穫する。

 切り離されたヒバナーナは発火をやめ、オレンジ色に光る。

 オレンジ色に光るのは、発火状態の時に収穫出来た証拠だった。


「成功なんだな!」


「いや、まだなのだ。お客さんなのだ」


 モクタクは鋭く茂みを睨んでいた。

 モウもそこから自分たちを狙う気配に気がついた。

 収穫したヒバナーナを狙っている気配だ。

 いや、茂みからだけじゃない。

 四方八方から気配を感じる。

 囲まれたみたいだ。


「モクタク。魔法は大丈夫なんだな?」


「あぁ。満タン。四発チャージ済みなのだ」


 自分達が対処出来るレベルの獣である事を望みながら、二人は背中を合わせ死角を減らし、襲来に備えた。

 こんな状況でもモウは静かに丁寧に郵便物とヒバナーナを地面に置いた。

 モウの右斜め前方の草むらが大きく揺れた。

 と思った瞬間、一匹が飛び出てきた。

 六十センチ程の自身の身体よりも大きく、根元の方は人の手首程もありそうな太い、鋭い角でモウの喉元を突き刺そうとしていた。

 角兔つのうさぎだ。モウは一瞬で獣の正体を認識し安堵しつつ、しっかりと盾の中心で 角兔の攻撃を受けた。

 踏ん張って角兔の突進を跳ね返す。

 角兔は体勢を崩しながら着地するも、次の攻撃に移ろうとしていた。

 モウはさせるものかと、剣を垂直に振り下ろす。

 が、あっけなく角で剣を叩き落された。

 モウは焦っていなかった。

 武器を落としながらも安心していた。

 自身の攻撃力が低い事は充分承知していたし、自分の攻撃力は今回関係ない。


「ファイアーボール!」


 モクタクの声が聞こえた。

 チャージしていた呪文を発動したのだ。

 モウの攻撃は角兔に効かない。

 しかしモクタクの魔法なら別だ。

 モクタクの指先から出た拳大の火の玉が、角兔に直撃する。


 パンッ! 


 火の玉は破裂し乾いた音。

 そして、眩い閃光で視界が奪われる。

 真っ白に奪われた視界の中、角兔が逃げていく音を、モウは聞いた。


 モウが獣の動きを止め、こちらからも攻撃しながらけん制する。

 モクタクが魔法で追い払う。

 それが二人のスタイルだった。


 何故倒さずに追い払うのかと言うと、モクタクの魔法ファイアーボールは無資格でも使用許可の出るような最初歩魔法である。

 それどころか、モクタクのそれは常人のそれより見た目が派手な割りに攻撃力が皆無だ。

 生身でも火傷一つ負わない。

 手のひらで受ければぬるく感じる程度だ。

 村長いわく、四十三度のお風呂よりぬるいそうだ。  

 それでも充分だった。

 威力は無くても、獣は基本的に火を恐れてくれる。

 普通の人より見た目が派手なのも、追い払う戦略上は効果的だった。

 威力が弱い必要は、全く無いのだけど。


 味方がやられたのを見ていても、ヒバナーナの程よく甘くとろける食感を諦めきれないらしい他の角兔三匹が三方から飛び掛ってくる。

 モクタクは伏せて身をかわし、モウはゼロコンマの世界の僅かな攻撃到達時間の差異を利用し全ての角兔の突進を地面に叩き付ける様に受け流した。

 すかさず、モクタクのファイアーボール三連発。

 目を開けるのも辛い閃光の中、角兔の悲鳴と逃げ出す音。


「もう、大丈夫そうなんだな」


 モウは目に焼きついた白い影も追い払うように、何度も瞬きしながら言った。


「そうだな。一安心だ!」


 モクタクの元気な声を、モウは久しぶりに聞いた気がした。


 いつもならここから、「やはり私の魔法は凄いのだ!」、「全然凄くなんか無いんだな。兔さん達は全然ダメージを受けて無いんだな!」、「ふん。私がいなければ防戦一方の癖に」、「ぼ、僕だってきっと一人でも大丈夫なんだな! それよりも最初の一匹目への魔法が遅かったんだな!」

 なんて軽い口喧嘩が始まるはずだった。

 だけど、今日のモクタクは違った。


「私は、無力なのだ……」


 自分の右手を見つめて言ったモクタクの声は、もしかしたら独り言だったのかもしれないと思える程に小さかった。


「そんな事無いんだな! 僕一人じゃ兔さんを追い払うのにとっても時間が掛かるんだな」


 自分の予想していた話の流れと違うだけで、モウは少し動揺してしまいながら答えた。

 モクタクはモウの言葉を無視して、質問する。


「モウ。もしも私が魔法使いの資格を持っていれば、仕事が終わった後、夜間だろうと直ぐにポーロへ行けたのだ?」


「そ、そうなんだな。でも、夜間の旅は段持ちしか出来ないんだな。段なんて難しいんだな! アーツ村じゃタローさんしか持ってないぐらいに凄い事なんだな!」


「もしもだ。一番下のランクで良い。四級で良い。私が資格を持っていれば、さっきの兔を狩れたかもしれないのだ。そうすれば、一日分の宿代は作れたかもしれないのだ。それなら、やっぱり直ぐに出発出来たのだ」


「そ、それも違うんだな。狩猟許可を取ってから、狩らないといけないんだな。順番が逆だと密猟になってしまうんだな。あの状況じゃ、正当防衛が認められたかもしれないけど、報酬はゼロなんだな! だから、仕方ないんだな」


「違うのだ。モウ。私が資格を持っていれば、きっと朝の段階で狩猟許可を申し込んでたはずなのだ。ここで襲われなくても、モウなら狩るのに困らない程度のやつらの生態知識は持っていそうなのだ。いや、今は無くても調べてしまうはずなのだ」


「多分、そうだと思うんだな」


 モウは分からなかった。

 何故モクタクがこんな事を言い出すのかも、何故自分がモクタクを庇うような事ばかり言うのかも。


「ふむ……。さぁ、モウ! さっさと郵便物を届けに行くのだ!」


 でもモクタクが元気を取り戻したので、それで良しと思うことにした。


「うん。急ぐんだな! その前に、魔法のチャージをしてくれなんだな!」


 二人はヒバナーナと郵便物を持って、コアサ町を目指した。


 コアサ町に入るとモクタクは必ず言う台詞がある。

 寝坊して、パニックに陥って、落ち込んで、元気を取り戻した、忙しかった今日も例外ではなかった。


「殆ど毎日来るが、この町は若者ばかりなのだ~」


「殆ど毎日言ってるけど、きっとみんな学生なんだな!」


 コアサ町は戦士学や料理学に政治学の三つの高度専門学校があり、学業の町として有名だった。


「所でモウ。高度専門学校に入学するにはどうすれば良いのだ?」


「急にどうしたんだな? いつもなら『せっかく義務教育が終わったのに勉強するなんて可笑しなやつらなのだ!』なんて笑っていたんだな」


「ふむ。私も入学したくなったのだ!」


 モウは思い出していた。

 モクタクの狭い狭いコンテナハウスの中にある、数ページ読まれただけで積み本となった、『コレで絶対合格 菜園四級』や『十日で受かる 大工四級』たちが頭に浮かんだ。


「何の学校に興味を持ったかは知らないけど、本にした方が良いと思うんだな」


 続けて『どうせ直ぐに諦めるんだな』と言いかけて辛うじて飲み込んだ。


「その道も考えてるのだ。でも、学校にも興味があるのだ!」


「う~ん。高度専門学校に入るのはとっても大変なんだな。僕が調べてるのは戦士学校戦士学部両手武器学科だけなんだな。そこだと、年二回ある試験を受けて合格すれば良いんだな」


「試験が難しいのか?」


「難しいんだな。僕らにとっては、だけど……。なんと合格率は三割なんだな!」


「そうか。納得なのだ。モウは成績が悪かったのだ!」


「モ、モ、モクタクの方が悪かったんだな! それに、僕が苦手だったのは実技科目ばかりなんだな」


「ふむ~。まずは試験勉強をしなくてはいけないのだ」


「それだけじゃないんだな。僕にとって、多分モクタクにとっても本当の障害は試験なんかじゃないんだな。入学金と初年度の学費で約百五十万エーン。その後も卒業するまで年に七十万エーンの学費が掛かるんだな。更に必要な教科書とか考えると、とっても大変なんだな」


「アーツ村役場からコアサ町役場への郵便配達が大体千五百エーン。帰りに同じ仕事が出来たとしてもう千五百エーン。ヒバナーナが一バンチで二千エーンぐらいで……」


 モクタクはブツブツと呟きながら、自分の指を見つめ計算する。しかし計算は苦手だった。


「僕達二人は一日に五千エーンぐらい稼いでるんだな。二人で分けて二千五百エーン。僕はモクタクと別れた後もう一仕事してるけど、結局貯金出来るのは一日千エーンぐらいなんだな」


「つまりは、どういう事だ?」


「初年度のお金を貯めるだけで、千五百日掛かるんだな……」


「そうか。分かったぞ! 諦めるのだ!」


「うん。それが良いんだな」


 モウは諦めるのが早いとは突っ込めなかった。

 戦士学校に入学するのを目標に毎日を頑張っているが、同時に、夢を諦めかけてしまうのも毎日だった。

 モクタクに説明したせいで、やっぱり無理かもしれないという想いが湧き上がってきて、モウは深いため息をついた。


 対してモクタクは悪い笑顔だった。

 悪巧みをしている顔だった。


 その後、二人は役場で郵便物を届け、ヒバナーナの清算をした。

 復路でも荷物の配達をと思っていたのだが、


「むむむ。無いぞ。配達の仕事が無いぞ! モウ! 大変だ。アーツ村は見捨てられたのだ!」


「違うんだな。もう誰かが運んでいるみたいなんだな。仕方ないんだな。学生さんが多い町では、学生さんでも出来る仕事が取り合いになるものなんだな」


「困ったな。これだと今日の稼ぎは少なくなりそうなのだ」


「モクタクが寝坊したせいなんだな!」


「ふむ。それなら、仕方ないのだ!」


「仕方なくないんだな!」


 二人がいつもの様子でじゃれあいながら役場を出ると、


「おぉ~! 坊主どもじゃないか!」


 聞き覚えのある声に呼び止められた。

 二人が振り返ると、ちょんまげを意識するように、長髪をオールバックで一つに結んでいる男がいた。

 年齢は三十歳。

 二人はこの男を知っていた。


「イチローさん! お久しぶりなんだな」


「なぁ? ここはアーツ村からも近いのに、意外と会えないもんだよな」


「先生がこんな真昼間からブラブラするとは、どうなっているのだ? 火の国の教育はどうなっているのだ?」


「モクタク。そんなに邪険するなよ。どうも、お前は昔から懐いてくれないな」


「僕は尊敬しているんだな!」


「ありがとうよ。モウは昔から懐いてくれてるのになぁ」


「でも、本当にどうしたんだな? 授業とか大丈夫なのかな?」


「あぁ。ほら、明日は入学試験だろ。俺試験官なんだよ。それで四日前から一週間、授業を休講にしてあるんだ。ちょっと手続きとか準備とかあってな」


「試験官なんだな? 凄いんだな! じゃあ、遂に……」


「おぉ。半年前にやっと合格したぜ。戦士一級試験」


「本当に凄いんだな! 段持ちまでもう少しなんだな!! タローさんも喜ぶと思うんだな」


「あぁ。親父にはまだ言って無いけどな。直接口で伝えたいと思ってたら、中々帰る機会がなくてなぁ」


「とんだ親不孝者なのだ!」


「こら。モクタク~。仕方ないんだな。先生は忙しいお仕事なんだな」


「いやぁ、モクタクの言う通りだ。俺は親不孝者だったと思うよ。だから、これからはドンドン借りを返したいんだ」


 イチローは照れくさそうに後頭部をポリポリとかく。


「所で親父は元気か?」


「今日も元気に門番頑張ってたんだな! タローさんが現役でいる限り、アーツ村は安全なんだな!」


「そうか! 元気か!」


 イチローの顔に笑顔が出来たかと思えば、直ぐに赤面しわざとらしく咳払いをして、口ごもりながら聞いてきた。


「それでそのな、ハナはえっとな、ハナはどうかなとか気になってはいたりするんだけどな」


「ハナさんも元気なんだな!」


 モウはイチローが聞きたいことを察して答えた。

 続いてハナが作ったピクニックサンドイッチセットを鞄から取り出しイチローに見せる。


「ハナさん特製のお弁当なんだな! 良かったら、お一つどうぞなんだな」

 

だけど、イチローはモウの申し出を聞いてはいなかった。


「そうか~。元気か~」


「イチローがいないから、ハナ姉は元気なのだ!」


 モウはモクタクの暴言を、今回は止めなかった。

 イチローに続き、モクタクも赤面していたからだ。


 モクタクが小さい頃からイチローを嫌いな理由。

 それをモウはモクタクにハッキリと聞いた事は無いし、もしかしたらモクタク自身も何故嫌いなのか分かってないのかもしれない。

 でも、イチローを含め、アーツ村出身の者は理由を知っていた。

 宿屋の女店主ハナは十年程前まで、こう呼ばれていた。

 五歳キラーの初恋ハンターと。

 村の男連中は五歳児ぐらいの時には、例外なく、まだ薄化粧だった若かりしハナに恋したものだった。

 そして、その五歳児の天使ハナを仕留めたのが、当時二十歳だったイチローだった。

 初恋の人を奪った人として、モクタクはイチローが嫌いになったのだろう。

 今はもう、もちろんハナに対して恋心的な感情はなくても、実はイチローに対する憎しみも風化していても、態度を変えることが出来ないだけなのだ。

 とアーツ村の人々は思っていた。


「それじゃ、早いうちにタロー爺に出世を報告するのだ! 私達は忙しいからお別れなのだ」


 モクタクはイチローとの会話を終わらせようとした。


「そうか。仕事中なんだよな。頑張れよ!」


「いや、今日は多分お仕事無いんだな。コアサ町の郵便物はもう別の人が配達しているんだな。多分、アーツ村の個別配達も誰かに取られてそうな時間なんだな」


「こら! モウ。諦めるな! 余計な事を言うななのだ!」


「今日のお仕事が少ないのはモクタクが寝坊するからなんだな。実は僕は怒っているんだな」


「この。イチローの前だからって強気になりおって」


「そういう訳じゃないんだな。ただお仕事が無いなら、久しぶりにイチローさんとお話したいだけなんだな」


「ふ~ん。そうか。お前ら今日は暇なのか?」


「うんなんだな!」、「私は明日の準備がある!」、「手ぶらだから準備は無いんだな!」


「話は纏らないみたいだけど、暇なんだよな。じゃあ、俺の仕事に付き合ってくれないか?」


 嫌だ嫌だと騒ぐモクタクを無視して、モウは答える。


「試験の準備なのかな?」


「いや、試験とは関係なくて、個人的に欲しい素材があるんだ。実は休みを一週間もとる必要もなかったんだよな。でも、こう言う機会じゃないと、休ませてもらえないからな」


「うん。全く話がつかめないんだな。つまりは、何のお仕事なんだな?」


「あ~、だからな。こっそりアクセサリー加工の資格を取ったんだよ。四級だけどな。

 でよ、別に素材取ってくるだけで満足するやつも多いんだけど、っていうか普通はそうするだろうし、全然アクセサリー加工の資格取る必要はなかったんだけどさ。

 ほら、一生に一度だろ。

 それで、なんて言うか自分で作りたいかもしれないかもだったりするのかもとか思ったりな」


「うん。全然イチローさんの話が分からないんだな!」


「だからよ。

 今日俺が役場に来たのは火月石ひつきいしの採掘許可を取りに来たんだ。

 昨日は三つの指輪分採掘したんだけど、どうも品質に納得出来ない。

 だから、今日は一日に取れる最大重量分、掘ってこようと思ってたんだ」


 モウは分からない部分があるが、とりあえずイチローが火月石を採掘しにいくことだけは分かった。

 だけど、モクタクはもっと多くのことが分かったみたいで、必死に断っていた。


「私はそんなものに協力しないのだ! 私のいない所で勝手に幸せになれば良いのだ!」


「そう言うなよ。むしろ俺はモクタクに手伝ってもらいたいぜ」


「ええぇなんだな。僕はいらない子なんだな?」


「いや。そうじゃないよ。ゴメンな。言い方が悪かったよ。モウもモクタクも俺の大事な友達だ。ハナから見れば、弟のように思ってるらしい。そんな二人から祝福されたいんだよ」


「うぅ~。僕はイチローさんの話が分からないんだな」


 モウが両手でコメカミを押さえて悩む。

 その前でイチローが簡潔に言え無いもどかしさで、再び赤面する。

 そして、モクタクも再び赤面し、突然モウのお尻を叩いた。


「痛いんだな! 何するんだな!」


「すまない。手が滑ったのだ」


「嘘なんだな! 八つ当たりなんだな! もう、怒ったんだな!! いつもモクタクには迷惑ばかりかけられるけど、今のは本当に許せないんだな!」


 モウはイチローの話が分からなくて困っている所に、多分八つ当たりでお尻を叩かれてついに切れてしまった。


「ふむ。だからモウの言う通りにする。モウに従うのだ。婚約指輪でも何でも手伝ってやるのだ! それで、許せなのだ」


「婚約指輪?」


「そうだ。イチローのためじゃない。モウのために私は手伝うのだ」


 モウは考えた。

 そしてやっと理解した。


「イチローさんはやっと結婚するんだな! それで、婚約指輪を自分で作りたいから、火月石を掘りに行くんだな!」


「あぁ~と……、つまりは、そんな感じだ」


 ゴホンッと咳払いで照れを隠し、イチローは続ける。


「ハナからプロポーズされたのは三年前なんだよ。

 でも、ただでさえ俺の方が年下で劣等感を感じてたのに、女からプロポーズとかさせてしまったからな~。

 どうも情けなく感じてしまってな。つい言ってしまったんだ。

 戦士一級の資格を取ったら迎えに行く。それまで待って欲しい」


「それで、三年も待たせたのか。親不孝だけじゃない。全く持って許しがたい男なのだ!」


 モクタクはイチローとハナに結婚して欲しいのかして欲しくないのかハッキリしなさい、とモウは思いながら黙っておく事にした。


「うんうん。やっと僕にも話が見えてきたんだな。思った以上に手間取って、三年も待たせてしまったから、手作りの婚約指輪を作ろうとしたんだな。

 そしたら、またも予想以上に手間取って半年も経ってしまったんだな!!」


「あぁ。まぁ、つまりはその通りだ」


 モウはにやけて、モクタクは怒っていた。

 イチローはばつが悪そうに、説明する。


「だから、本当に妥協なく完璧な傑作を作りたいんだ。お前らと徒党を組めば、ほら、一日の採掘許可量も増えるし、指輪を作る時も助手がいると助かる」


「もちろん、僕はOKなんだな!」


「私はモウのために従うしかないのだ。手が滑ったから諦めるのだ」


「助かるよ。ありがとうな!」

 



 火月石そのものには特に危険な性質はなく、入手難易度は高くない。

 傷付けないように掘れば良い。

 仮に街中に採掘場所があれば、採掘資格四級さえあれば、採掘許可は出るだろう。

 ただ採掘場所が危険である場合が多い。

 そのため戦士か魔法使いの冒険者資格も要求される事が多い。

 コアサ町でも、冒険者資格三級以上の者が徒党にいないと採掘許可は出ない。


 コアサ町を出て直ぐに、三人はそれぞれリングを額に当てて尻尾と羽を出す。

 イチローとモウは続いて装備を取り出す。モクタクは尻尾を出して、終わりだった。

 イチローの武器は、モウの剣に比べると幅は小さい。

 しかし、とても長かった。

 細長いシルエットはスマートな印象を与える。

 それでいて刀身の優雅な曲線は、美しかった。

 スマートで美しい。

 まるで自分と間逆な印象だと、モウは思った。


「イチローさんはやっぱり刀を使っているんだな! カッコ良いんだな!」


「おぉ。俺は刀一筋だぜ!」


 イチローは出した刀を背中に背負う。

 身長百九十センチの長身のイチローが背負っても、刀は地面にギリギリつかない程に長かった。


「でも、規格品より長いんだな? 凄く長いんだな! カッコ良いんだな!」


「流石はモウだな。気付いてくれたか。こいつは工場で作る量産品じゃないぜ。職人が作ったこの世に同じものは二つと無い手作りで、しかも俺に合わせて作ってくれた特注品で、ぶっちゃけかなり値段も高くて、もうとにかく凄いんだ」


「凄いんだな~」


 モウはうっとりとイチローを見つめる。


「そんな金があるなら、もっとハナ姉に尽くせばよいのだ」


 その横でモクタクはブツブツと文句を言っていた。

 モウとイチローが楽しそうに話しながら先を歩き、少し後ろをモクタクがついていった。


 朝の来ない森。

 生い茂る大木たちで多くの光を遮断され迷子の名所として名高いその森が、この辺りで火月石を採掘出来る場所だった。

 コアサ町から続く街道から森に入ると、急に暗くなり、空気が重くなったように感じる。


「さて、ここからは安全とは言え無いぞ。気を引き締めろよ。まぁ、もっとも危険ってレベルでも無いけどな」


「分かったんだな!」


 モウは返事をしたが、分かっていた。

 仮に動物に襲われても、自分に出来るのは、イチローの邪魔をしないことだけである。

 下手に手を出せば、かえって邪魔になる。

 モクタクも分かっていた。ゆえに尻尾は出しても、魔法のチャージはしなかった。

 自分のファイアーボールで、動物を追い払えるかもしれない。

 しかし、恐怖と言う感情から生み出される行動は逃走だけではない。

 恐怖したがゆえに攻撃してくる事もある。

 その時、自分の派手な魔法効果がイチローの邪魔になるかもしれない。

 だから、何もしないで邪魔をしないのが、最善だった。


 森をしばらく進んでも、全く襲われはしなかった。

 確かに自分達を品定めする肉食獣の視線は感じたのに、一度として襲われなかった。

 きっと動物達にも、野生の動物だからこそ、イチローには勝てないと分かるのだろう。

 凄いのはイチローなのに、モウは誇らしげな気分になった。

 そして思い出す。数時間前の出来事。

 自分達は角兔に、『こいつらなら勝てる!』と思われているのかと。

 モウは邪念を打ち払うように、首を横に何度か振る。

 それを見て、イチローは何を感じ取ったのか、


「時間に余裕があれば、お前らの成長を確かめたかったんだけどな。一応先生だし、何かアドバイス出来たかもしれない」


「ありがとうなんだな。でも、大丈夫なんだな! 毎晩タローさんが稽古してくれるんだな」


「そうか。じゃあ、本当に俺はいらないな。親父の背中は果てしなく遠いよ。段持ちの壁は厚いな」


「タロー爺がいなくても、イチローのアドバイスなんか役に立たないのだ!」


「いや、モクタクにこそアドバイス出来ると思うぞ。ほら、アーツ村には尻尾資格を持ってる人はいないだろ。俺もまぁ、羽系だけど職業柄そっちの知識はある程度あるつもりだ」


「いらないのだ! 私にはもっと良い案があるのだ」


 モクタクはそう言って、笑った。

 モウはその悪巧みしてそうな笑顔を最近どこかで見たなと思ったが、思い出せなかった。


 森を進むと、割と手前の方に洞窟の入り口がある。

 小さくは無いが大きくも無い洞窟。

 名前もつけられてない、洞窟。

 言うならば朝の来ない森の洞窟。

 その洞窟の最深部が火月石の採掘場所だ。


「僕、洞窟に始めて入るんだな」


 洞窟の入り口前で、モウは突入の準備をしながら言った。


「そうか。そうだよな。朝の来ない森なら学校の授業で来る事もあるけど、洞窟は行かないよな」


「ふむ。洞窟は危険なのだ」


「おぉ~。モクタクがちゃんと理由を分かってるのは驚きだ」


「きっと、『ちゃんと』なんて分かって無いんだな。なんとなくなんだな」


「うるさいぞ! モウ! 危険だから。それで充分ではないか! 近寄らなければ良いのだ」


「モウはちゃんと分かってそうだな」


「うんなんだな! この洞窟には無機質系生物が生息しているからなんだな。

 確か、すなこうもりに泥蛇どろへび

 無機質系生物は、その生態が良く分からないから不気味で、更に人を襲う生き物なんだな。

 他の生物は何かしら理由があって、多くは縄張りの主張や食事のために人を襲うのに対して、無機質系生物は、理由が分からないまま人を襲うから危険なんだな」


「まぁ、そんな所かな。実際戦ってみれば分かる。自分が死んでも良い、とにかく人を傷付けたい。そんな感じの奴らなんだ」


「まるで人を襲うためだけに生まれたようだ、と言う学説があるぐらいに意味不明に人を襲うんだな!」


「しかもしぶといぞ。コアを破壊しないと活動を停止しない」


「でも生息地は決まっているんだな。不思議な事に、決められたエリアから出ようとしないことが多いんだな」


「そう。だから、森に入るのは四級以上。洞窟に入るのには三級以上の資格が必要って訳だ。偉いな。モウはちゃんと勉強してるみたいだな」

「ありがとうなんだな」


 会話をしながらモウとモクタクは松明に火をともす。イチローは背負っていた刀を抜いた。


「さぁ、行こうか」


 イチローの掛け声を合図に、モウもモクタクも緊張から言葉も出せずに頷きだけを返した。

 そうして三人は洞窟に進入した。


 二人の緊張は無意味だった。

 襲い掛かってくる砂こうもりも泥蛇も、二人がその存在を認識するより早く、イチローに退治されていた。

 会話を遮るように「おっ」や「よっ」などと言ったイチローが一突きを繰り出す。それで全ての戦闘は終わってしまった。


「イチローさんはやっぱり凄いんだなぁ」 


「いや~、一人じゃこんなに簡単にはいかないさ。暗闇を照らしてくれる人がいるだけで随分と楽だ。今日はお前らと会えて良かったよ」


 イチローの言葉に深い意味は無い。

 決して何も出来な二人を慰めるための言葉ではない。

 そんな器用な男じゃない。

 でも、モウは自分でも役に立てているのだと思えて嬉しかった。

 多分、それはモクタクも同じだったのだろう。


「ふむ。私が力になってる? そんなことを言ってるようじゃ、イチローも大した事無いのだ!」

 

 と顔を真っ赤にしながら憎まれ口を言っていた。

 ただ、モウには一つの気がかりがあった。

 イチローに倒された砂こうもりや泥蛇は、その生命活動を停止すると、その形を維持する事は出来ずに崩れ落ちる。

 ただの砂や泥の塊になる。それが無機質系生物の特徴だった。

 自らの身体を形成していた砂や泥の中に光る宝石。

 それがコアで、彼らの場合は火月石だった。

 無機質系動物はコアを破壊しないと倒せない。

 つまりは彼らが残すのは、傷ついた火月石。

 その全てをイチローは回収していた。

 一日に採掘出来る量が決まっているのに、そんな傷物の価値の低い火月石を回収していた。


「どうして、火月石を回収するんだな?」


 倒したばかりの泥蛇だった泥の中から、手探りでコアを探してるイチローに聞いた。


「あぁ~。その、なんて言うんだろうな。狩ったからには、使いたいんだよ。別に意味があるとか、何か主張があるとか、そういう事じゃなくて、何となくな。何となくだけど、ポリシーでもあるんだよ」


「何となくしか話は分からなかったけど、何となくイチローさんっぽいんだな」


「おぉ。何となく俺っぽいよな」


 するとモクタクが何を思ったのか泥まで回収しようとしたが、イチローに止められていた。


「ゴメンな。モクタク。でも、ありがとうな」


 大嫌いなイチローに肩を組まれても、少しの間モクタクは拒絶の反応を見せなかった。




 その後、洞窟最深部で採掘するも、イチローが「六回ぐらいしか指輪作成にチャレンジ出来なさそうだ。気合入れないとな」と漏らす程度の量を採掘した所で、許可が出ている量に達してしまった。

 来る時と同じルートで使っているせいか、帰り道は一回しか襲われなかった。

 それも入り口に近い所だったので、


「よし。逃げよう」


 とイチローが言い出した。

 モウにもモクタクにも、倒せる算段は無いので、イチローの言葉に従うしかなかった。

 それに、簡単に退治出来るイチローが逃げると言い出した理由も分かっていたので、二人は文句を言わなかった。

 もう、彼らの亡骸から火月石を回収出来ない。


 洞窟の外に出れば、後を追いかけてくることもなく、まるで洞窟の外には出られないかのように砂こうもりは闇の中へと引き返していった。

 モウは不思議に思った。

 が、答えは予想出来るし、聞くのは無粋かなと思ったので黙っている事にした。

 でも、モクタクは遠慮なく聞いた。


「もし、洞窟の奥の方で襲われていたらどうしたのだ? 逃げるのは簡単じゃないぞ」


「そんなの、倒すに決まってるだろ?」


「むむむ。気を使ったのに、なんと浅いポリシーか!」


「人なんてものは、そんなものだ」


 豪快に笑うイチローを見ながら、全ての面で尊敬出来る人物なんていないものだと、モウは思った。



 

 コアサ町に戻った時には、もう空は夕方色をしていた。

 イチローは門や役場で手続きを済ませ、取れたて火月石を正式に自分の所有物にした。


 そのまま、真直ぐに工房へ向かう。

 モクタクが腹が減ったと駄々をこねたが、外出可能な時間が迫っているので飯はアーツ村で取る事になった。


 指輪作成も手伝うはずだったが、何もする事がなかった。

 イチローは真剣な表情で無口になり、せっせと火月石をカットし磨いていく。

 モウもモクタクも黙って、その作業を見つめていた。

 お洒落とは無縁で、職人業とも無縁な二人にとって、それは、宝石加工は神秘的な作業で、初めて見る世界で、四級らしいイチローの作業とは言え、二人の心を虜にするには充分な魅力だった。


 しかし何故か、イチローは価値の低い傷物の火月石から加工していた。

 というか、それらしか加工しなかった。


「ふぅ」とイチローが額の汗を拭ったかと思えば、帰る準備を始める。

 モウは指輪を作らないのか、他の火月石は加工しないのか聞きたかったが、ここは公共の工房で、お喋り厳禁だった。

 モクタクも「むむむ」と唸りはしたが、何も言えずにいた。


 工房を出ると、すっかり夜色の空が広がっていた。


「どうしてなのだ! 急ぐのだ! これ以上ハナ姉を待たせる気なのか!」

 

モクタクは工房から三人が出たのを確認して直ぐに、イチローに詰め寄る。


「いや、もう時間も時間だしな」


 イチローの言葉を聞き、モウは時刻を確認してみれば十九時半だった。

 無資格のモウ達は既に町の外に出られない時間だった。

 冒険者ギルド資格、戦士資格一級のイチローが町の外に出られるのは二十二時までで、コアサ町からアーツ村まで約二時間かかる。

 確かに、そろそろ出発しないといけない時間だった。


「何を言うか! 走れば良いのだ。時間などまだまだあるのだ!」


 モクタクはそれでも納得出来ないみたいだった。

 性格的にも時間ギリギリをもっとうにしているのだから三十分も余裕を持つなんて理解出来ないのだろうし、更にハナの幸せが関っているので、納得出来ないのだろう。


 しかし、モウはモクタクを大人しくさせる方法を知っていた。


「モクタクもイチローさんに早く結婚して欲しいって言ってるんだな! 僕らは待つから指輪作ってなんだな!」


 モクタクは何も言わなかった。

 言葉ならぬ声を出していた。

 ちらりとモウが様子を見れば、結婚して欲しいけど結婚して欲しくない、そんな自分の抱える矛盾と戦ってもがき苦しんでいるモクタクがいた。


「二人の気持ちは有難いよ。でもなぁ。お前ら明日は用事あるって言ってたじゃないか。もし帰れなくなったら困るんじゃないのか? 絶対に今日中には出来ないぞ」


 モクタクは何も言えずに、もっともがき苦しんだ。イチローは続けてこう言った。


「それに、意外と人が見ているところで婚約指輪を作るのは恥ずかしいんだ」


 照れるイチローにモウは追い討ちをかける。


「確かに、人が見てたら愛のメッセージを刻み難いんだな!」

 

モクタクはそれを聞いて、何か文句を言いたそうだったが、頭を抱えて苦しむだけだった。


「という事で、お前らの報酬だけ加工したよ。現物支給で申し訳ないけど、売ればそこそこの値段がつくと思うぞ」


 イチローは加工したばかりの火月石が入っているらしき麻袋を二つモウに手渡す。

 モウが中身を確認すれば、やはり一つは火月石が入っていた。

 モウ一つの袋には十数個の指輪が入っていた。


「指輪、なんだな?」


「おぉ。今までの失敗作なんだ。

 いや、ちゃんと売り物になるレベルだぞ。

 でもなぁ、納得出来ない。もっと、こう、改心の出来だ! って誇れるのじゃなくちゃ駄目なんだ」


 モウは不安に思った。


「それは良いことなんだけど、あんまり待たせるのは良くないんだな」


「お、おぉ」


 イチローの返事は動揺した声色で、本当に分かっているのか怪しかった。

 もしかしたら、自分からプロポーズするのが怖いだけなのかもしれないと疑ってしまったが、そんな事は無いと自分に言い聞かせた。

 



 殆ど毎日歩いている、アーツ村とコアサ町を結ぶ道も、夜となれば別世界だった。


 昼間なら地平線を一望出来る左手側の草原は、今は何処までも続いてそうな闇が広がっていた。

 右手側の木々たちは、発光植物も閑散と並んでいるため幻想的な自然の光が照らしているとは言え、やはり視覚を支配する主成分は、闇だった。

 聞こえてくる動物の声も馴染みのあるものではなく、夜道を歩く経験に乏しいモウにとっては初めて聞く声も多かった。


 何より一番違うのは、人だった。

 前にも後ろにも、誰もいなかった。

 売っている物も値段も普通なのに怪しげな雰囲気がする露天商さんも、誇らしげに兵隊歩きでパトロールする兵隊さんも、狩った動物を入れる大きなかごを持ちながら森に入っていく狩人さんも、何かの授業なのか集団行列進行する学生さんも、誰もいなかった。


 夜道を歩く事一時間半。

 道のりの四分の三を進んだ時……。

 草原の方から獣の雄たけびが聞こえた。

 この声も初めて聞く声だけど、モウは絶対に獰猛な肉食獣だと思った。

 誇り高く逞しく、何より残酷な程に強いその声は、モウに多大なる恐怖を与えた。

 必死に読んだ事のある書物から似たような声の記憶を探すが、そもそも文字情報から音情報を正しく理解するのは不可能だった。


「情け無い。全く私は情け無い。正直とても怖いのだ」


 隣を歩いていたモクタクが言った。

 その表情は良く見えないが、いつもの馬鹿笑いはしてないのは確かだった。


「大丈夫なんだな。夜の外出が禁止されているのは、夜行性の動物が取り立て危険だからじゃないんだな。人間のパフォーマンス低下に基づくんだな!」


 モウは嘘をついた。

 言っている事は嘘では無いが、一つ隠している事実がある。

 モクタクを落ち着かせる目的だけではない。

 自分に言い聞かせるための言い訳でもあった。


 人間のパフォーマンス低下以外にも、夜間が危ないとされる理由はあった。

 無機質系生物は、夜間になるとその行動範囲を広げる。

 広がる行動範囲に法則性はなく、無制限に広がっているのではないだろか、という学説が一番有力だった。


 モウは何度か首を横に振り、心の中で自分に言い聞かせた。


 それでも、朝日が昇るまでに自分の縄張りに戻っていくんだな。

 この辺の無機質系生物は、泥蛇と砂こうもりぐらいなんだな。

 ここまで来るはず無いんだな。

 そもそも、さっきの声は絶対にこうもりとか蛇のものじゃなかったんだな。

 この辺の動物なら、今はイチローさんがいるから大丈夫なんだな!


 イチローは緊張する二人に何のフォローも言わなかった。

 三人の中で一番緊張しているのがイチローだった。

 洞窟にいる時よりずっと警戒心に溢れるオーラを放っていた。

 イチローが言ったのは二人のフォローではなく、ありえない作戦だった。


「モウ。モクタク。何かあったら逃げろ。

 俺の安否を確かめる必要も無い。

 多分、無事じゃない。

 だから、何かあったのなら、とにかく直ぐ逃げろ」


 低い声でそう言った。

 そして、モウが嫌だと反論するより早く、笑顔でこう言った。


「オヤジを呼んで戻って来てくれな。

 そうすりゃ、みんなハッピー。めでたしめでたし、だろ?」


 モウは理解した。

 イチローも嘘をついている。

 ここからアーツ村まで徒歩三十分。

 往復一時間。

 もしイチローの手に負えない獣に襲われ、助けを呼んで戻ってきてたとしても、みんなが無事な訳がなかった。


 そして、さっきの雄たけびはイレギュラーなのだと、今は想定外の危機が迫っている可能性が高いのだと、理解した。


 イチローは二人にたいまつの火を消すように指示した。

 少しでも明るい発光性植物の光が届く、かつ雄たけびのした草原からは少しでも距離がとれる、道の右側へ寄るように指示した。

 物音を立てないギリギリの速度で進軍速度を速めるように指示した。


 今の三人に指示以外の会話はなかった。


 そうして進むと、ヒバナーナの群生地へ向かう時に目印にしている岩が見えた。

 ここからアーツ村まで徒歩約二十五分。

 あれからまだ、歩いて五分の距離しか進んでいない。

 モウを襲っている緊張は、思っているよりずっと、時間を長くしていた。

 その時だ。


「ハズレもハズレ、大ハズレだな」


 イチローが不意に小さく漏らしたかと思えば、天を仰ぐ。

 そして、叫んだ。


「二人とも逃げろ!!」


 イチローの叫び声を聞き、モウは草原を見る。

 草原の方からは、こちらへ向かってくる光が見えた。


 遠くからでも夜闇に光るその輝きを見てモウは敵の強さに気がついた。

 この辺に要るはずの無い無機質系生物。

 普通に暮らしていれば絶対に遭遇するはずの無い希少なゴールド系だろう。

 ゴールド系の希少さは数が少ないからではない。

 人が容易に近づけない所に生息しているからだ。


 イチローはその光を迎え撃つつもりらしく、構えた。

 足を狭く前後に開く。左手を突き出し相手との間合いを計る。

 刀を持った右手は腰の辺りまで引き、腰をねじる。


 タローに教えを受けているモウにも馴染みのある構えだった。

 一撃必殺を目指した豪の流派、渾身流を源流にした、初撃にこだわりを持つタローが始祖の渾身初撃流一突きの構えだった。


 逃げなくちゃ。


 モウはそう思いつつも、足が動かない。心が動けない。


 恐怖で足がすくんだのか、それともイチローを置いて行く事が出来ないのか、モウの足は小刻みに震えるだけで言う事を聞いてくれなかった。


「親父によろしくな」


 イチローは敵を見据えたまま、モウもモクタクも見ずに言った。

 その言葉を最後に、イチローは自分と敵の二人だけの意識の世界に入っていた。

 イチローの意識は、モウもモクタクも認識しない程に己と敵だけに集中していた。


 親父によろしくな。

 それは動けないモウ達に、逃げる動機を与えるための言葉だったのか。

 それとも自分の最期を覚悟した言葉だったのか。

 多分、その両方だ。

 逃げなくてはいけない。

 やるべき事は分かっている。それが自分に出来る雄一の方法だとも分かっている。


 だけど、逃げられない。

 逃げたくない。


 光る敵はその姿を認識出来る距離まで近づいていた。

 無機質系生物でなくてもその危険さは誰もが知っている。

 戦った事がなくても疑いようの無い強さを誰もが知っている。

 そんな巨大な肉食獣。

 虎だった。


 ゴールドタイガー。


 無理だ。イチローでも勝てない。


 モウはそこまで分かっていながら、どうしても逃げる事が出来なかった。

 ゴールドタイガーは三十メートル程の距離で一度止まり、雄たけびをあげた。

 唸りながら、迷わずイチロー目掛けて走りだす。

 モウなどは眼中に無い様子だった。


 逃げろ。

 動け。

 助けを呼ばなくちゃ。


 モウは何度も何度も自分に命令するが、微動だり出来ないでいた。

 イチローも一歩も動かなかった。

 ただジッと相手が自分の間合いに入るのを待っていた。


 ゴールドタイガーは虎らしからぬ鈍重な動きだった。

 金ゆえの重さは確かにスピードと言う虎の長所を奪い去る。

 しかし、耐久力と攻撃力は虎の名に恥じぬものだ。

 読んだ事のある書物には、そう書いてあった事をモウは思い出した。


 距離十メートル。


 イチローが動いた。


 イチローの近くにいたモウが、はっきりと地面の振動を感知出来る強さで、ただ一歩踏み込む。

 その一歩で十メートルの距離を無に変える突進力を持った、強烈な片手突きを放った。


 突きはゴールドタイガーに命中した。

 

 激しい金属音と共に、ゴールドタイガーの口内から進入した刀は、深く深く、対象が金とは思えない程滑らかな動きで突き刺さっていく。


 イチローの技は、ゴールドタイガーにも通用するんだな!

 

 モウは一瞬だけ、少し過去の自分に反論した。

 一瞬だけ、反論することが出来た。


 もう一度響く、金属の音。


 刀は動きを急速に止めた。


 二度目の金属音は、刀がコアにぶつかった音だった。


 ゴールドタイガーは刀を飲み込む形で突き刺されているのに、ダメージを負った形跡も見せずに、鋭い爪をイチロー目掛けて振り下ろす。


 イチローは刀を手放し、かがんで爪を避ける。

 二発目の爪は飛んで避け、ゴールドタイガーの頭に両足で蹴りを入れる。

 蹴りの反動も利用し、刺さっていた刀を抜き取った。


 モウはまだイチローに勝機があるかもしれないと思った。

 しかし既に勝負はついていた。


 全身全霊をこめた初撃は決して軽くはなかった。

 全ての力を一撃に込めるつもりで放なたれた突きは、絶体絶命の状況もあいまって、イチローの限界以上の力を出させたが、その反面絶望的にイチローの身体も傷付けた。


 筋肉が裂けた痛み。

 関節がきしむ痛み。


 攻撃した自分が、戦闘を続けられる状態ではなくなってしまっていた。


 イチローは諦めていた。


 勝利も自分の命も、諦めていた。


 それでもやらなければいけないことがあった。


 例えコアに傷付けられなくても、金の身体は傷付けられる。


 モウとモクタクを逃がすため、ゴールドタイガーの機動力を奪うだけなら、まだ自分にも出来る。


 イチローは痛みを無視して、もう一度突きの構えをとった。


 ゴールドタイガーはイチローが構えていようが気に留める事無く、正面から飛び掛った。


 同時にイチローは突きを放つ。


 持ってくれよ。俺の身体。俺の刀。


 イチローは構えてみて、やっと分かった。

 自分には、自分だけの力では、もう、金の身体を傷付けることも出来ない。


 だから捨て身のカウンターに出た。


 自分はどうなっても良い。

 だけど、二人には手を出させない。


 ゴールドタイガーの牙より、イチローの突きの方が獲物を捕らえるのが速かった。

 ゴールドタイガーの右脚に刀は突き刺さっていた。


 中々獲物に噛みつけないゴールドタイガーは、苛立った様子でイチローに爪を振り下ろす。


 イチローは背中に襲い掛かる爪を避けなかった。

 覚悟を決め、刀から手を離さないと決意を固め、僅かに位置を調整するだけだった。


 モウが現実を受け入れられたのはこの時だった。


 やっと、イチローの敗北を認めることが出来た。


 避けようともせずに、自分から攻撃を受けようとさえ見えるイチローを見て、イチローとゴールドタイガーの大きな力の差を認めることが出来た。


 モウは咆えた。


 さっきまでピクリとも動かなかった身体には、嘘のように力がみなぎっていた。


 間に合うはずがなくとも、イチローの元へ走り出さずに入られなかった。


 しかし、遅すぎた。


 ゴールドタイガーの爪は容赦なくイチローの背中を引き裂き、その凄まじい威力はイチローを何メートルも吹き飛ばした。


 空を舞う、イチローの身体は輝いていた。

 イチローの刀の先にゴールドタイガーの右脚があったからだ。

 イチローは命をかけ、自分の身を犠牲にし、それでも確かにゴールドタイガーの右脚を奪い取っていた。

 自分の、自分とハナの弟達を守るため、大きくゴールドタイガーの機動力を奪った。


 もう大丈夫だ。

 危機的状況は変わらずとも、二人の安否を確信し、イチローは意識を失った。


 モウは激怒した。

 モウは盾を前に構え、盾の横から剣を突き出し、ゴールドタイガー目掛けて突進していく。

 イチローの想いには気付いていた。

 イチローが自分達を逃がすため、無理をして右脚を攻撃したのは明白だった。


 それでも許せなかった。

 たとえ叶わなくても、ゴールドタイガーに立ち向かわずに入られなかった。


 モウはもう一度咆えた。

 咆えながらゴールドタイガーに突進していく。

 ゴールドタイガーはモウを一度見たが、気に留める事無く、おぼつかない三本脚でイチローに近づいていった。


 モクタクも咆えた。


「モウ~!!」


 モウは突進を止めなかった。モクタクは叫んだ。


「逃げるのだ!」


 モクタクの言ってることは正しい。

 自分達がするべき事は、この場から逃げて助けを呼ぶことだった。

 ゴールドタイガーに勝てるはずが無いのだから……。


 分かっていた。

 分かっていても、腹が立った。

 イチローを見捨てるのかと、モウはモクタクを睨みつける。


 モクタクはいつの間にか、呪文を詠唱していた。


 右手の小指が光っているのは、もう既に一発分の魔法をチャージし終わった証拠だった。

 そして、モウはモクタクの顔を見て、友の考えが手に取るように分かった。


 モクタクは状況を自分より理解している。

 イチローを見捨てるつもりも無い。

 だからこそ、逃げるべきなのだ。


 呪文を唱え終わったモクタクは即座に、魔法を放った。


「ファイアーボール!」


 二つの火の玉がモウの横をかすめ、ゴールドタイガーに向かっていく。

 

 二発。


 ありえない。

 モクタクは一度しか魔法名を唱えてない。

 それなに、モウの横をかすめた火の玉は二つ。


 連射ではない。

 同時に二つのファイアーボールを放ったのだ。


 そもそも、詠唱した呪文を途中で中断しチャージすることだって、普通ならばありえない。


 モウは思考を巡らせ考えようとしたが、そんな余裕はなかった。


 二つの火の玉は、ゴールドタイガーの横っ腹に命中した。

 ゴールドタイガーはよろめき、小さいとは言えどダメージを与えることが出来ている。


 奇跡だった。


 一発ならば、生身の人間でもダメージを受けないモクタクのファイアーボールが、ゴールドタイガーにダメージを与えた。


 モウは祈った。

 ゴールドタイガーが、瀕死のイチローより、自分達を倒すべき敵だと認識してくれるように。


 ゴールドタイガーは雄たけびを上げた。

 姿を視認出来る所からの雄たけびは、その音を伝えるための空気振動にすら物理的破壊力を持ち合わせているような迫力があった。

 モウは服と肌が震えるのを感じた。

 その雄たけびは、ゴールドタイガーがモクタクを倒すべき敵と認識してくれた証みたいだった。

 モクタクに向かって飛び掛ろうと走り始める。


 モクタクは血相を青く変えながら、慌てて反転、逃走を始めた。


 モウは考えてしまった。

 モクタクの放ったファイアボールがあり得ない同時発動だった事が、ゴールドタイガーの気をひいたのだろうか。

 ダメージは大したことがなかったはず。


 しかし、今はそんな状況ではない。

 モウも慌てて思考を逃走モードに切り替え、モクタクの後を追った。


 体の殆どが金で出来ており、脚を一本失っているゴールドタイガーは、虎と言うには遅すぎた。

 リングで肉体を強化出来ず、長距離疾走のため全速力ではないモクタクと同じぐらいだった。


 このままアーツ村まで逃げ切れる。

 モウはそう思った。


 しかし、何度も後ろを振り返り、ゴールドタイガーを確認しているうちに、芽生えてくる正体不明の不安。


 イチローは無事だろうか。

 モウは最初、イチローの安否が心配なのだろうと思った。


 モクタク一人でも問題はなさそうだ。

 ならば自分が先行してアーツ村へ行き、タローを呼んで来た方が良いのではないだろうか。

 タローの出発時間が早ければ、ゴールドタイガーが退治されるのも早い時間になり、イチローの救出活動も早い時間になる。


 モウは作戦を告げるためモクタクに話しかけようとした。


 そこでこの作戦は駄目なんだと気がついた。


 モクタクは全速力ではない。

 それはモウは知っていた。

 逃げ回るモクタクは珍しくないので、モクタクの全速力は把握していた。


 しかし、決してアーツ村までのペース配分をした結果、今の速度と言うわけでもなかった。


 目で姿を確認しているのか、耳を頼りにしているのかは分からない。


 いずれかの方法で距離を測り、ゴールドタイガーと同じぐらいの速度で走っていたのだ。


 アーツ村まではまだ距離があるのに、モクタクの表情は限界が近い事を示していた。


「モクタク! 大丈夫なんだな?」


 モクタクは喋る事も出来ない程に息が切れ、力なく頷くだけだった。


 モウは後ろを振り返り、ゴールドタイガーを確認する。

 気のせいか、距離が近づいている気がした。


 駄目だ。

 モクタクを置いてはいけない。

 モウはそう判断した。


 せめて、アーツ村に着いてから最速でタローに動いてもらえるようにするためにどうすれば良いのかを考える事にした。


 そうして見えてくる、新たな問題点。


 今、タローは何処にいる?

 門にはいない。

 とっくに夜番の人と交代している時間で、今頃は家にいるのだろう。


 じゃあ、門番は誰だ?

 モウより一つ年上、モクタクの同級生。

 半年前に戦士三級試験に落ち、明日の試験こそは合格するぞと意気込む少女だ。

 一緒にタローに稽古してもらっているモウには、彼女の実力が良く分かる。

 もちろん、彼女にゴールドタイガーの相手は出来ないだろう。


 つまり、このまま逃げればゴールドタイガーはどうなる?


 モクタクを追って村に侵入してしまう。

 タローに接触するより先に、新たな犠牲者が出ても可笑しく無い。


 それは絶対に駄目だ。


 どうしようもない。


 どうする事も出来ない。


 不安の正体は、手詰まりからだったのか?


 いや違う。まだ方法は残っている。

 そうか。不安の正体はこれだ。


 ゴールドタイガーと自分が戦わなくちゃいけない。

 こいつの足止めは自分がしなくちゃいけない。


 でも大丈夫。僕なら出来る。


 イチローさんが致命的なダメージを残してくれた。

 あいつは脚を一本失っている。

 不安定な体勢から繰り出される攻撃は、本来のものよりずっと弱いはずだ。


 それに勝つ必要も無い。ただ時間を稼げば良いのだ。


 この戦いの勝利条件に、ゴールドタイガーへ与えるダメージ量は関係ない。

 それどころか自分の安否だって関係ない。


 ここからなら、モクタクがタローをつれて戻ってくるまで、およそ十五分ぐらいだろう。

 いやゴールドタイガーがイチローの元へ戻るまでに、タローがゴールドタイガーに追いつくだけの時間。稼ぐべきはそれだけだ。きっと、十分。いや、五分かもしれない。


 だから大丈夫。僕なら出来る!


「モクタク! このまま村まで逃げると、みんなが危ないんだな!」


 モウはモクタクに手短に説明し、急停止し振り返る。


「だからここで僕が引き止めるんだな! タローさんへの連絡は任せたんだな!」


 そして少しでも自分を置いていきやすいように、ちゃんとモクタクにも使命があることを告げながら、自分の意思をを伝えた。

 しかし、モクタクはモウに従う男ではなかった。

 モウの目の前によろめきながら立ちふさがり、無言で自分も残ると主張した。


「モクタク! ここで二人残ったら、それこそ駄目なんだな。イチローさんも救えない。村のみんなも危険なんだな!」


 モクタクは何も答えず足に根が生えたように絶対に動きだしそうもなく、ゴールドタイガーは重たい身体で鈍い足音をたてドンドン近づいてきていて、モウは諦めるしかなかった。


「分かったんだな。とりあえず、逃げるんだな」


 こうして二人と一匹は再び追いかけっこを開始した。

 モウは走りながら、さっきの行動は少し嬉しくもあったけど、モクタクに無数の文句を浴びせつつ、告げた。


「モクタク。このままじゃ、逃げ切れたとしても村のみんなが危ないのは、分かっているのかな?」


 モクタクは無言で頷く。


「そもそも、このまま逃げ切れるとも限らないんだな。二人がやられたら、最悪なんだな。それも分かるんだな?」


 モクタクは頷く。


「でも、僕だけを置いていけないんだな?」


 モクタクはむせ返りながら、何度も頷いた。


「分かったんだな。それでもやっぱり僕が足止めするしかないんだな」


 モクタクは何か言いたそうにモウを見つめる。

 そして小さなかすれ声で言った。

 切れ切れで判読し難いが、「い。いやなのだ!」と多分言った。


「うん。気持ちは嬉しいし分かるんだな。でも、足止めが僕にしか出来ないように、タローさんに助けを求めるのも、モクタクにしか出来ないんだな。

 僕の事を本当に心配してくれるなら、死ぬ気で走ってタローさんを呼んできてほしんだな!」


 モクタクは納得しかねていた。

 モウはモクタクを納得させるための提案をしようとした矢先、後ろから強い殺意を感じた

 。会話をしている間に、ゴールドタイガーとの距離は攻撃が届く距離まで縮まってしまていた。


 モウが感じとったのは、ゴールドタイガーがモクタクに噛み付こうと飛び掛った時のものだった。


 モウはとっさにモクタクとゴールドタイガーの間に入り、大きく開いた口の中に剣を突き刺す。


 つっかえ棒のように口を閉じる役割を期待して、口内の下あごに突き刺した。


 しかし剣はあっけなくへし折られてしまう。


 引っ込めるのが少しでも遅かったら、モウの腕ごと噛み砕いていただろう。


 ゴールドタイガーは一本の前脚で器用に上半身を起こし、今度は爪でモクタクを攻撃しようとしていた。


 モウはその力に極力逆らわないように、丁寧に盾で受け流す。


 二度も攻撃を邪魔されようとも、ゴールドタイガーはモウを無視して横切りモクタクに飛びつこうとしていた。


 モウはがら空きの横っ腹に力いっぱい体当たりをかました。

 

 飛びつくため空中に浮いていていたゴールドタイガーは、思った以上に派手に吹き飛ぶ。

 モウも全身を預けるように体当たりしたので、一緒になって転がっていく。


 三度攻撃を邪魔されようと、ゴールドタイガーはモクタクに一直線に向かおうとした。


 モウは後ろからゴールドタイガーに近づき、腹の中に潜り込み、下から突き上げるようにしてひっくり返した。


 距離が再び開いた。


「モクタク! 逃げるんだな!」


 そう言って、モウは走りだした。モクタクも走り出す。

 モウは先ほど言えなかった、モクタクを納得させるための提案を説明する。


「今見てたように、時間稼ぎなら僕にも出来るんだな。イチローさんとの戦いでも、あいつは一撃しか攻撃を当てられて無いんだな。

 身体能力に頼るだけの、きっと強すぎる身体能力ゆえに、結構馬鹿なんだな。

 だから、きっと僕でも大丈夫なんだな!」


 モクタクは無言だ。

 それでも瞳には迷いが見えた。

 納得しかけているのだとモウは思った。


 実のところ、ゴールドタイガーはモクタクに注意をとられすぎていたのだし、まともに向き合っても大丈夫かどうかはモウには分からなかった。


「村の近くまではモクタクと一緒にいるんだな。今みたいにして時間を稼ぐんだな。だから、僕があいつと一対一で戦うのは少しなんだな!」


 モクタクは反応をよこさなかった。

 もう一押し。


「絶対無茶はしないんだな! タローさんが来るまで生き延びて見せるんだな!」


 モクタクの中で答えは出ているのだろう。

 それでも、「分かったのだ!」の一言が言えないのだ。

 呼吸が苦しいからではない。

 友達を見捨てる事が出来ない男だった。

 モウはモクタクのそういう面を知っていたし、逆にこう言うときのモクタクを納得させる方法も知っていた。


「僕を信じてくれなんだな!」


 モウは自分で言っていて、信じられる訳が無いと思った。

 大分安全確率は高まる作戦に変更したけども、モウ自身が無事でいられると思っていなかった。

 しかしこの台詞はモウの切り札であり、過去二回使ったことがあるが、どちらも約束を果たしている。

 モクタクを説得するためであり、かつ自分を奮い立たせるための台詞だった。


 ついにモクタクは同意した。


 その後、ゴールドタイガーに追いつかれてはモウが足止めをしつつ、順調にアーツ村までの距離を縮める。

 ゴールドタイガーはあくまでモウを無視する様子だった。

 アーツ村へ続く道で最後の坂が見えた。

 あの緩やかな坂は先の視界を奪っているが、坂を上ってしまえばアーツ村は直ぐそこに見える。

 モウはこの場所が、足止めにとって最適だと判断した。

 モクタクが坂でペースダウンし追いつかれるだろう。

 更に、ゴールドタイガーが視覚情報を頼りにしているのかは定かではないが、アーツ村が近くても見えないこの場所はモウの心に優しかった。


「モクタク」


 モウは説明しようと、名前を呼びながらモクタクの方を見た。

 モクタクはモウの言いたいことを理解していたらしく、黙って頷いた。

 そして、声出ぬ口で、何かを言った。


「まもれ。やくそく」


 とモクタクの口は動いていたようにモウには見えた。


「分かってるんだな! イチローさんの結婚式、一緒に行こうなんだな!」


 モウはそう言うと、ちょうど最後の坂に差し掛かるところだった。

 モウはゴールドタイガーと応戦するため振り返った。

 モクタクは落ちていたペースを、全速力に近いものに上げながら最後の気力を振り絞って坂道を登り始めた。

 モウが盾を構え身構えようとも、やはりゴールドタイガーは脇をすり抜けようとする。


「この! こっちを見ろなんだな!」


 モウはゴールドタイガーの尻尾をつかみ、踏ん張った。

 数秒の膠着。

 唸りながら前進しようとするゴールドタイガー。


「これでも僕を無視するんだな。お前はやっぱり、大馬鹿だ~!」


 モウはタイミングを計り、力を円運動に変えながらゴールドタイガーを投げようとする。


 ゴールドタイガーがゆっくりと宙に浮き、九十度ぐらい回ったところで、尻尾は折れた。

 勢いもついておらず、ゴールドタイガーは余裕で着地していた。


 モウはまた自分が無視されると思った。

 そのためゴールドタイガーの動きを止めるため前進しようとしたが、モウの予想は外れた。


 三度目の咆哮。


 モウは恐怖した。


 今、やっと自分に向けて殺気を放つゴールドタイガーと対峙して、力の差を改めて感じ、こんなにもあるのかと、愕然とした。

 死んではならないと言う目標のハードルの高さに、絶望した。


 それでも立ち向かう事へのためらいは少しもなかった。


 お前なんか敵じゃないんだな! (タローさんの)


 僕は逃げも隠れもしないんだな! (タローさんが来るまでの数分間は)


 お前の攻撃なんか全部受け止めてやるんだな! (出来なかったら避けたり受け流したりするんだな)


「さぁ、来い! なんだな!」


 言われるまでもなく、ゴールドタイガーはモウ目掛けて一直線に跳躍していた。

 来るなら来るって言えなんだな。


 モウは数歩下がり避けようとした。

 判断しての行動ではなく、とっさでの反射だった。

 それでも、気合を入れている途中に襲い掛かってくるゴールドタイガーに悪態をつく余裕があったのは、危険がモウの体感時間を長くしていたからだろう。


 数歩下がっても、避けきれるものではなかった。

 目の前で二つの金属音。

 一つはゴールドタイガーの牙が空を噛み砕いた音。

 これがヤバイ。

 モウはそう感じていた。

 あの噛み付きにつかまれは、受け止めるも受け流すもなく、ただその一撃でモウの敗北は決まるだろう。

 絶対に食らってはいけない攻撃だと思った。


 もう一つの金属音はゴールドタイガーの爪がモウの盾にぶつかった音だった。

 牙は避けてれても爪は避けれなかった。

 踏ん張っていなかったモウは二メートル程後ずさりしてしまった。


 モウは間髪要れずにゴールドタイガーとの間合いを詰めた。


 距離を開けて、飛び掛られる方が厄介だ。

 距離をつめて、牙に注意しつつ爪を受け流す作戦に出た。


 モウの判断は間違っていなかった。


 近距離から繰り出される噛み付きの時はゴールドタイガーは小さく溜めを作るので充分に反応出来るものだったし、殆ど溜めの無い引っ掻きも多くは反応出来た。

 欲を言えば避けるついでにちょっと脚を押して、バランスを崩したかったが、そこまでの余裕は無かった。

 今ならやれなくもないかなと思ったが、こちらから反撃して隙を作るのは得策では無いように思えた。


 それでも次第に切れてくる集中力。


 確かにまだ一分も経って無い。

 

 一撃で自分の命を奪える相手と近距離で対峙するのは、一分と言う時間でも、モウの精神を蝕むのに充分な長さだった。

 そして、モウの体感では一分を十倍しても足りないぐらいの長さに感じられる、長い一分だった。

 更に夜は暗かった。

 ゴールドタイガーはうるさく光っているが、やっぱり夜は暗かった。見づらかった。


 避けきれなくなり、盾で受け流す事も増えてきた。

 前脚を一本欠いた状態での引っかきならばモウの盾でも防げる威力だった。

 しかし、じわりじわりとモウの体力を奪うだけの威力は備わっていた。


 腕が痺れてくる。


 痛くなってきた。


 すっごく痛くなった。


 本当痛い。


 モウは思った。


 もう耐え切れないんだな。


 嫌になっちゃうんだな。


 だから、僕は逃げるんだな!


 こうして、モウの集中力が完全に切れてしまったのは戦闘開始から六分が経った時だった。


 モウは視界に捕らえてしまったのだ。

 仕方がなかった。

 坂の上で、突きの構えをするタローを見つけてしまった。

 モウは集中力が切れ逃走しようと決めたのに、逃走体勢を取る暇もなかった。

 風を切り裂く音共に、タローの突きは一撃でゴールドタイガーのコアを射止めた。

 イチローが苦戦し敗退した、モウが必死に防戦した、ゴールドタイガーはあっけなく砂金となって崩れる。


 渾身初撃流の戦いは、そういうものだった。

 勝つときはあっけなく勝ってしまう。

 攻撃後の隙が大きいとか、複数の敵を相手にするのに向いて無いとか、確かに弱点はあるが、上手く理想道理に勝てたときは、圧勝楽勝に見えるものだった。

 だけど、モウは思った。


 やっぱり、タローさんは凄いんだな。


 そして、張り詰めすぎていた緊張はゆったりとモウの意識を奪っていく。

 眠りに落ちるように、モウは気を失った。


 その間際、モウを見つめ言ったタローの言葉は、モウの安否を気遣うものではなかった。


「向いて無いとは思っていたが、ここまでとはな……」


 モウには、タローが自分に落胆しているように思えた。

 そのせいで、モウは悪夢を見ることになる。




 ここは、どこなんだな?

 あれは……、イチローさん?

 イチローさんなんだな。無事だったんだな!

 イチローさんはふらつきながら歩いていた。

 僕は駆け寄って肩を貸そうと思ったんだけど、体が動かなかった。

 イチローさん。大丈夫なんだな!

 そう言ったつもりだったけど、声にならなかった。

 まるで僕はここにいないみたいだった。

 僕の身体はここにないみたいだった。

 僕の心だけがここにあるみたいだった。

 まるで、本で読んだ臨死体験のような感覚だ。

 イチローさんは大きな木の下まで移動し、木に寄りかかりながら座り込んだ。

 今気がついたけど、イチローさんの足元には血が沢山ある。

 イチローさんの背中から出ているみたいだ。

 声をかけたい。

 近づきたい。

 手当てがしたい。

 だけど、僕は動けなかった。


「イチロー!」


 僕のやりたかった事を代わりにやってくれるために何処からともなく現れたタローさんが、イチローさんに駆け寄っていった。


「オヤジか。久しぶりだな。……。久しぶりの再会がこんな形になって、本当俺は親不孝ものだぜ」


「そうだ。その通りだ! だから、死ぬな。生きて孝行しろ!」


「無理言うなよ。自分でも分かる。自分だからこそ分かる。俺はもう無理だ」


「イチロー!」


「なぁ、オヤジ。最後に聞いてくれ。三年前にオヤジの饅頭が盗まれたことあったろ。ほら、俺が帰郷の土産に買ってきたやつ。あれな、モクタクが食べたんだ。モウもな、注意するフリして一つ食べてた」


「今言う事じゃないだろ。良いから黙ってろ!」


「いや~。今言う事なんだよ。モウとモクタクがいなければ、俺一人なら逃げれたのによ」


「確かにな。あいつらは本当駄目だ。使えないと思っていたが、あそこまでとは思わなかった」


「本当駄目だよな。何のとりえも無い奴らだよな」


 僕は謝った。

 だけど何度謝っても、二人に僕の声は届かない。


「じゃあな……。オヤジ……」


 最後にイチローさんはそう言って、静かに息を引き取っていた。




「イチローさん! ゴメンなんだな!」


 モウは上半身を起こしながら、やっと謝罪を言葉に出来た。

 それは、モウが夢から覚めた証拠だった。


「モウ! 無事だったか!」


 モウは、目を真っ赤にしてさっきまで泣いていたのだと丸分かりのモクタクの顔を見ながら、今の状況を推理する。


「ここはどこなんだな? ゴールドタイガーはどうなったんだな? イチローさんはどうなったんだな?」


 だけど、推理出来そうに無いのでモクタクに聞くことにした。


「一度に聞くな。何を聞かれたのか分からなくなるではないか!」


 モクタクはモウをベッドに寝かしつけながら、怒った。

 モウは焦る気持ちを落ち着かせながら、一つ一つモクタクに質問した。 


 ここはアーツ村の病院らしい。

 ゴールドタイガーとの戦闘中にタローの姿を見て安心した自分は気絶してしまった。

 タローの後を追いかけていた、モクタクも含む討伐隊に救出され、この病院に運ばれたとの事だった。

 目が覚めたら、所定の手続き後、直ぐに退院出来るぐらいの軽症だとのことだ。


 ゴールドタイガーはモウの記憶通りに、タローの一撃で討伐されたみたいだ。

 被害はほぼ皆無。

 数少ない犠牲者が、心労で倒れたモウと、爪で背中をえぐられたイチローだけだった。


 そのイチローは無事だった。

 タローが駆けつけた時には、イチローの背中に羽がなかった。

 もちろん危険な状況で羽をしまうはずもなく、羽が消えているのは、意識不明の重態であることを示していた。


 しかし、タローがイチローに近寄り手当てをしようとした時には、既に応急処置は終わっていたらしい。

 どこかの通りすがりの誰かが応急手当をしてくれたみたいだった。

 結果として、イチローは命に別状はなく、二週間の入院生活は強制されるものの、大きな後遺症も残らないらしい。


「良かったんだな」


 モウは安堵した。

 安堵したが、直ぐに心臓を忙しなく動かす事になる。


「この、大馬鹿者が!!!」


 疑いようもなく、タローの声だった。

 この部屋に姿の無いタローの声は、きっと病院中に響き渡るような大きな声だった。


「凄く、怒ってるのだ」


 モクタクは言った。とても青ざめていた。


「怒ってるんだな」


 モウは思った。多分自分の顔色も、モクタクと同じような色になっているだろう。

 モウとモクタクは見つめあいながら、会話を交わす。


「きっとイチローさんが目を覚ましたんだな」


「うむ。だから、怒ったのだ。重症の息子への目覚めの一声が『大馬鹿者が!』であるぐらいに怒っているのだ」


「大変なんだな」


「モウ。私は一人で様子を見に行くのは怖いのだ! そこでなのだが……」

 

 モクタクは申し訳なさそうに口ごもる。


「大丈夫なんだな。多分」


 モウは試す前にモクタクに言った。

 そして、ベッドから起き上がってみる。

 やっぱり少しのめまいは合ったものも、イチローと一緒に怒られるぐらいの元気はありそうだった。

 モウは深呼吸をして、モクタクに言った。


「さぁ、行こうなんだな!」


「モウよ。私は思ったのだ。少し時間を置いた方が、良いのではないのか? せっかくの久しぶりの親子の再会なのだしなのだ。別に怒りが少しでも静まるのを待っているとかではなくてだな」


「うん。そうだね。さぁ、行こうなんだな!」


「モウも頑固なのだ。実は」

 ブツブツ。


 モクタクは何か文句を言っていたが、諦めたのかモウの後をついていく。

 イチローの病室はモウの病室の隣だったため、直ぐに見つかった。見つかってしまった。


「本当にお前は馬鹿者だ!」「口答えするな!」

 なんてタローの声が、病室の外まで漏れていた。

 タローの声を聞くに、誰かと、おそらくイチローと会話しているはずなのに、聞こえてくるのはタローの声だけだった。


「や、やっぱり売店で手土産ぐらい買おうかな。なんだな」


 モウは怖気ついた。


「そうなのだ! それが礼儀なのだ!」


 モクタクはもとより怖気ついていた。


「あら~。でも、売店はもう閉まってるわよ。私の宿屋の食堂も閉まってる時間ですもの」


 ハナは、モウとモクタクの後ろから声をかけた。

 怒っている時に見せる、満点満開の営業スマイルだった。


「ハナさん。ゴメンなんだな!」、「ハナ姉。すまなかったのだ!」


 二人は深々と頭を下げて、謝った。


「ううん。良いのよ~」


 優しいハナの声を聞き、恐る恐る顔を上げた二人が見たものは、やっぱり綺麗な営業スマイルだった。


「怒るのはタローさんに任せるから、私は何も言わないわ」

 にっこり。


 後ろへの退路をふさがれた二人は、しぶしぶドアをノックする。


「どうぞ」


 不機嫌そうな男の声だった。

 その声はモウとモクタクに不都合な新たな情報を知らせた。

 村長も、この病室にいるらしい。

「どうぞ」と言ったのは、村長の声だった。


 イチローの病室は、個室だった。

 窓際に設置されているベッドに、背中の傷が痛むのかうつぶせになってイチローは寝ていた。

 そのベッド横、イチローの顔付近に、病室装備と思われる木で作られた丸椅子に座った老人が二人いた。

 タローと村長だった。


 モウとモクタクが病室に入ると、タローと村長は優しい声でハナを出迎えた。

 そして、社交辞令じみた挨拶の中、はははと軽快な笑い声をあげる怒る側の三人を見ながら、怒られる側の三人は怯えていた。


「それじゃあ、ハナさん。せっかく来てくれたのに申し訳ないのだが、十分程席をはずしてくれないかな」


 タローは、説教の続きを開始する事を宣言した。


「えぇ。お願いしますね。タローさん」


 ハナは表情を笑顔から営業スマイルに代えて、イチローに「あら~。イチローさんもいらしたのね。お久しぶりです」と挨拶してから、部屋を出た。

 きっと、イチローだけは後でハナにも怒られるのだろうなと、モウは思った。

 ハナがドアを閉じるのとほぼ同時に、タローは怒鳴った。


「大馬鹿者どもが!!!」


 うぅ。ゴールドタイガーの雄たけびより、ずっと怖いんだな。

 モウはそう思いながら、謝ってみる。


「ゴ、ゴメンなさいなんだな」


 モクタクもモウに続いて謝った。

 が、老人二人が集まれば、説教の供給に困ることはなかった。


「全く。お前らはどうしていつもそうなんだ。イチローも少しは大人になったと思っていたが」


「こら! モクタク聞いているのか! お前のせいでいつも周りが危険な目に会うのだぞ」


「なぁ。村長さん。覚えてるかの。三年前、この馬鹿息子がふらりと帰ってきたときの事を」


「もちろんですぞ。タロー殿」


 くどくど。


「む。お前らちゃんと聞いてるのか!」


 モウとモクタクとイチローは、質問に対して、返事と謝罪を返した。


「ふむ。では、モクタク。何故怒られているか分かっているのか?」


 モクタクは少し考えて、答えた。


「色々なのだ」


 村長が馬鹿者が! と怒鳴りつけた後、タローが同じ質問をモウに投げかけた。


「僕が弱いから? なんだな」


 モウも怒鳴りつけられた。最後にイチローが質問される。


「モウとモクタクを夜遅くまで拘束したこと。ゴールドタイガーと対峙して挑戦してみたくなったこと。……です」


「分かっているのなら、どうして同じ過ちを何度も繰り返すのだ!」


 質問の答えが、老人達の意に沿うものであっても、結局は怒鳴られるみたいだった。


 その後も説教は続く。

 モウは説教を聴きながら疑問だった。

 どうも自分が怒られてる理由は、夜遊びした事とゴールドタイガーと戦闘した事についてだった。

 自分が弱い事は、一度として責められなかった。

 だけど、自分の意識が落ちる時にタローが言った言葉は、モウの心の深いところに残っていた。


『向いて無いとは思っていたが、ここまでとはな……』


 その時ハナが戻ってきた事で一時間程続いてた説教は、やっと終わった。


「お話中お邪魔してごめんなさいね。でも、婦長さんが言ってたのよ。村長さんのお願いとは言え、これ以上うるさくされるのは困るそうよ~。消灯時間も過ぎてるものね」


 との事だった。

 残念そうに怒声を飲み込む老人と、嬉しそうに気が抜けていくモクタクとイチローを見ながら、モウの気持ちは晴れなかった。

 自分の弱さは、怒られなかった。

 もう見捨てられてしまったのかもしれない。

 見限られたのかもしれない。

 村長は沸騰し続けていた怒りを吐き出すように、目を瞑り一度の深い深呼吸をした。


「ふむ。本当ならば消灯時間には電気を消さなくてはいけないが、ここで話を終わるわけにいかんのだ」


 そして、モクタクを見つめ言った。


「先ほど聞いた話だが、やはり行くのか? 明日ポーロに」


 モクタクはいつもの元気な声ではなく、小さな声で答えた。


「うむ。行くのだ。絶対に行かなくてはいけないのだ」


「そうか。今日、危険な目にあってみんなに心配をかけたというのにか? その次の日には、ポーロまで行くと言うのだな?」


「うむ。……。はい、なのだ」


 モクタクは説教中は泳いでいた視線を、じっと村長の目にあわせた。

 何を言われようとも、決意は変わらないのだと、目で訴えていた。

 村長は唸りながら考える。

 モウは何も言えなかった。

 事情を良く知らないだろう他の人も、何も言わなかった。


「分かった。だが、モクタクよ。お前一人で行け」


「おぉ! 流石は父上なのだ! 私もモウにいつ言おうか迷っていたのだ!」


 モクタクは元気な声を取り戻し、喜んだ。


「な、な、なんでなんだな?」


 続けて、僕が役立たずだから? 

 と聞こうとしたが言葉が出なかった。

 モウは友にも見捨てられたように感じてしまった。

 モウの質問に最初に答えたのは、モクタクだった。


「何で、『何で?』と聞くのか分からん。怪我人は安静にするのだ! 当然なのだ!」


 モウの質問に二番目に答えたのは、村長だった。


「モウ君よ。聞けば、モクタクは魔法の修行もしたいそうだ。魔法の修行をするのに、君がいてもしょうがないだろう? きっと、君の事だ。自分の修行もそっちのけで、モクタクに付き合ってしまう。今までのようにね。そうじゃないのかい?」


「ち、違うんだな。ちゃんと、自分の修行も出来るんだな」


 モクタク、村長の次に、モウの質問に最後に答えたのはタローだった。


「モウ。お前はやるべき事があるでな」


「僕のやるべき事? 後でも出来るんだな。僕もポーロで迷子を捜す手伝いをするんだな!」


「ならぬ」


「どうしてなんだな?」


 モウは聞いてしまった。きっと、自分には才能が無いと諭されるのだと覚悟した。

 モウは頭の中で、どうすれば『それでも諦められない』という気持ちが伝わるかを考えていた。

 だけど、タローはそんなことをしなかった。


「モウ。何故、アーツ村の近くまで逃げておきながら、ゴールドタイガーの相手を門番に任せなかった?」


「そ、それは、今守ってる人じゃゴールドタイガーには勝てないと思ったんだな」


「そうだな。わしもそう思う。でも奴は四級だぞ。多分、明日からの試験で無事に三級に上がれるだろう。なのに、モウは奴より自分が戦う事を選んだ。どうしてだ?」


「僕なら出来ると思ったんだな」


「自惚れだ。事実、お前は辛うじて時間を稼げたに過ぎない。奇跡といっても良い」


「ご、ゴメンなんだな」


「あぁ。今夜だけで八度目になるが、何度でも言ってやる。二度とあんなマネをするな」


「は、はいなんだな」


「だけど、良くやった」


 タローはイチローを睨みつけ、続ける。


「被害はほぼゼロ。これはお前の功績なのは間違いない。良くやったぞ」


 タローは椅子から立ち上がり、モウを抱きしめた。

 そして、モウにだけ聞こえるような小さな声で何度か呟いた。


「本当に無事でよかった……」


 タローは離れ、モウの頭をかきむしるように何度も撫でた。


「さて、モウ。お前は無資格だ。無資格で買える装備のライフ金属は何パーセントだ?」


 ライフ金属。羽系の人が持てば、持つ人によって性質を変える金属。

 羽系の人が上位資格を目指す一番の理由がここにあった。

 資格ごとに、ベース金属に混ぜられるライフ金属の量が決められているからだ。


「一パーセント以下なんだな」


「そうだ。ライフ金属が一パーセント以下の、鉄の盾。それがお前の装備だ」


 モウはもう話についていけなかった。

 夢を諦めないと主張するつもりだったのに、なんだか話の流れが違っていたことに、頭がついていかなかった。

 タローの言いたいことが分からなかった。

 とりあえず、モウは自分だけではなく、自分の装備の貧弱さを責められてるのかと思った。


「でも奮発したんだな。ちょっきり一パーセント! 無資格で持てる最強の装備と言っても良いんだな!」


「その程度だ。その程度の装備で、モウはゴールドタイガーに向かっていったのだ! この、大馬鹿者!!」


 タローは、話しているうちに腹が立ってきて、ついまた怒鳴ってしまった。

 すかさず、ハナが静かにと注意した。

 モウは訳も分からず、小さくなりながら謝った。


「ごっほん。だからな、モウはその程度の装備でゴールドタイガーの相手をしたのだ。自慢してはいけない愚行だ。しかし、凄い事だぞ」


 モウは目をぱちくりして、顔全体でクエスチョンマークを表現した。


「ワシはお前を見誤っていた。渾身一撃流には向いて無いと思っていたはいたが、ここまで防御に特化した才能を持っているとは思ってもいなかった」

 

 モウは困惑した。

 一体自分の何処をダメ出しされているのか分からなかった。

 いや、もしかしたら、


「僕は褒められてるんだな?」


「この、馬鹿……」


「シーですよ。タローさん」


「うっほん。確かにモウは素晴らしい防御力を持っていた。ワシも驚いた。だが、所詮は無資格の中ではと言う話だ。精進する心を忘れるな」


「は、はい! なんだな!」


「良いか。喜んで良い事実では無いのだぞ。モウは防御特化している才能ゆえ、普通の四級試験に受かるのは難しいだろう。

 あれは鉄案山子の破壊が課題だからな。

 光るものがあっても、スタートに立つことすら困難だ」


「はい、なんだな」


「しかし! 抜け道はある。分かるか?」


「一つはギルドの出す昇級ミッションをクリアすれば良いんだな。

 そうすれば、仮免許がもらえて、実技試験はパス出来るんだな。

 実技試験で必要な能力はあるとみなされるからなんだな」


「その通り。もう一つあるな」


「高度専門学校に入学すれば良いんだな。

 あれなら、筆記だけで受かるんだな。

 学校に合格したあと、授業の単位をとれば実技は免除されるんだな」


 モウは知っていた。

 自分では四級試験に合格するのは難しい事を。

 だから、学校に入る事を目指していたのだ。


「そうだ。お前がすべき事はそれだ。明日、学校の試験を受けろ」


 しかし、モウは知っていた。

 自分の貯金では授業料も入学金も払えず、やっと試験料が貯まったぐらいしかないのだ。


「まだ準備が出来ないんだな。でも、いつかは必ず学校に行くんだな! ちゃんと期待に応えてみせるんだな」


「駄目だ。明日の試験を受けるんだ。当日でも申し込み出来たはずだな? イチロー」


「お? おぉ。出来るぞ」


「良し。決まりだ。モウ、出来るな?」


「出来ないんだな。無理なんだな」


「それでも受けてきなさい」


 モウは困った。

 タローにも分かっているはずだと思った。

 どうして、せっかく貯めた貯金をどぶに捨てさせるようとしているのだろうか、もしかしたらこれがタロー流の今回の件のケジメなのだろうかとすら、思ってしまった。


 タローはわざと分かりにくく喋っているつもりはなかった。

 やっぱりイチローの親だった。

 ただ、素直に好意の気持ちを伝えるのが下手だった。


 モクタクは概ねの事情を察知し、笑みがこぼれていた。

 友の夢が思いのほか早く叶う事を喜んだ。

 まだ、試験に受かるかも分からないのに、モウが落ちるなんて思ってもいなかった。


 タローは照れくさそうに、麻袋を取り出した。

 中には沢山のお金が入ってそうだった。


「本来なら、不測の事態で許可なく狩っても無報酬だがな。

 目撃証言もあったから、ゴールドタイガーには懸賞金が掛かっていた。

 これだけあれば、四年分の授業料は払えるぞ。

 生活費ぐらいは自分で稼ぐんだな」


 モウはじっくり考えて、今の状況を理解しようとした。

 つまり、学費をタローが出してくれるらしいのだ。

 それだけのことなのに、理解するのに結構な時間が必要だった。


「えぇ! そんな、大金もらえないんだな!」


「だれがやるか。貸すだけだぞ。

 それに、ほれ、村への被害がなかったのもモウの活躍があったからだしの。

 それに、ほれ、イチローの命の恩人と言っても、過言では無いしの」


「モウ。大人に甘えるのも子供の仕事だぞ。ったく、オヤジが口下手だから、俺が口下手なんだ」


「お前はだまっとれ!」


「借りとけば良いのだ! タロー爺は長生きする口実が欲しいのだ!」


「すまんの。モウ君。村の力で、奨学金のような制度を作りたいのだが、なかなか予算が作れないのだ」


「あら~。私のお店では良くツケるのに、どうしてお借り出来ないのかしら?」


 モウはみんなに言われても、まだ答えられなかった。 

 タローは照れ隠しに言った。


「ただし、チャンスは一度だ。

 ワシだってまだまだ遊びたい年頃なんだ。

 それに別に、モウのためじゃないぞ。

 ただ、ワシは自分の人を見る目を証明したいだけなんだ。

 モウはきっと大きくなる。

 偏って特化した才能は、埋まれてしまうことは珍しくない。

 だから、ワシがモウに輝くものを見つけたのは、勘違いでは無いと証明したいだけだ」


 それでも唸るモウに、タローは止めを刺した。


「ワシのために、受けてくれんかの?」


 モウは申し訳なさそうに頷いた。

 部屋中の誰もが歓喜した。

 その後直ぐに、怒って駆けつけた婦長さんに、強制解散させられた。



 

 翌日。早朝。

 モウとモクタクは村長に挨拶に行った。

 長期に渡って村を出る者は、村長に挨拶するのが村の風習だったからだ。

 近しい関係にあろうと、これはしなくてはいけない挨拶だった。


「父上! 私は四級の資格を取るまでは帰ってこないつもりだから、覚悟するのだ! 寂しくても、我慢するのだぞ!」


「ふん。モクタクがいなくなると村が平和になって良いわい」


「あの、村長さん。じつは、僕は試験の結果に関係なく三日後には戻ってくるんだな。合格発表はずっと先なんだな」


「あぁ。そうだね。結局、大事な試験日の朝にモクタクにつき合わせるような形になってしまったね。

 君は試験にも受かだろう。だから、正式にこの村を出る時に、もう一度来てくれると嬉しいのだ。

 若者の旅立ちを見るのは、寂しくもあるがとてもうれしい事なんだよ」


「はい、なんだな!」


 二人は村長に挨拶を済ませ、門を目指す。


 モウは門へ向かう時に気がついた。

 モクタクの横顔は、明らかに泣いていた。

 もしかしたらと思って振り返ると、村長もハンカチで眼を押さえていた。

 血は繋がっていなくても、二人は似たもの親子なんだな、と思った。


 そして、モウは思った。今日のモクタクは遅刻をしなかったんだな!

  



 イチローの病室には、タローがいた。

 夕日を浴びながら、リンゴの皮をむくハナもいた。


「急いでたみたいだしもうモクタクはポーロについた頃かな。

 アイツにそんな体力ないかな。

 モウは試験場に確実に到着してる時間だな。

 ……、ったく、オヤジも素直じゃね~よな。

 何度落ちても、モウを支援するつもりの癖に」


「黙れ。黙れ! 

 そんなことはないもん。

 モウが落ちたら、ワシは夜な夜な遊ぶぞ!」


「お袋にチクるぞ」


「あ、遊んだ事など無いぞ! ほれ、物の例えだ!」


「あら~。タローさんの息子さんの、えっと、イチローさんでしたっけ? お父さんにそんな口の利き方はいけませんよ」


「ハナ~。悪かったよ。機嫌直せよ」


「あら~。あなたは私の事を知っていらっしゃるのですか? 世間は狭いですね」


「ハナ~!」


「ざまぁみろじゃ」


 多分、イチローの病室は平和だった。


 多分、アーツ村はいつだって平和だ。

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