第3話:根詰まりの思想
三日目の朝、中庭は少しだけ景色が変わっていた。
断罪広場と呼ばれていた円形花壇の縁に、木箱が並んでいる。
腐葉土の袋、麻紐、小さなスコップ。
儀式の舞台装置は、いつの間にか作業場になっていた。
セレスティーヌは、しばらくその光景を眺めてから、ゆっくりと歩み寄った。
レディアナは、すでにしゃがんでいる。
もう誰も驚かない。
「……あの」
声をかけると、レディアナは顔を上げた。
「おはようございます、セレスティーヌ様」
穏やかだ。
責める色も、勝ち誇る色もない。
セレスティーヌは手袋を見つめる。
昨日、土を少し触った。
嫌ではなかった。
けれど今日は、もう少し深く触れることになる気がして、躊躇している。
「わたし、ちゃんとやったことはなくて……」
「植物は身分を問いませんわ」
レディアナは淡々と言う。
「触れれば、触れた分だけ応えます」
応える。
その言葉に、セレスティーヌは小さく息を吸った。
ゆっくりと膝をつく。
素手で、土に触れる。
ひやりとした感触。
少し湿っている。
指を差し入れると、昨日より柔らかい。
「……あ」
土の奥から、小さな白い根が見えた。
細い。
かすかに震えているようにも見える。
「息をしているみたい」
思わず呟く。
レディアナが頷く。
「締めつけると、止まります」
セレスティーヌは指を離す。
土を優しく戻す。
その一連の動作に、妙な静けさが宿る。
そのとき。
「……なぜ、左右がある」
少し離れた場所で、王子の声がした。
振り向くと、アルフォンスが軍手をはめようとしている。
だが、どう見ても逆だ。
親指の位置が不自然に曲がっている。
「王子、それは――」
生徒会長が言いかける。
王子は真顔だ。
「どちらも似た形状だろう」
「王子、それは右手が二枚です」
沈黙。
アルフォンスは手を見つめる。
確かに、親指の位置が合わない。
「……なぜ左右を分ける」
エルマーが淡々と答える。
「合わないと、力が入りません」
王子はしばらく考え、ゆっくりと正しい組み合わせに直した。
「……合理的だ」
そのやり取りに、誰も笑わない。
だが、空気が少しだけ緩む。
王子が花壇に近づく。
「今日は何をする」
レディアナが答える。
「苗を移しますわ」
小さな鉢に育った苗が並んでいる。
まだ頼りない葉。
「今、ですか」
セレスティーヌが問う。
「少し早いような」
レディアナは首を振る。
「早すぎても、遅すぎてもいけません」
苗を指で包むように持ち上げる。
土ごと。
「根が回りすぎると、息ができなくなりますの」
セレスティーヌは鉢の底を見る。
細い根が、ぐるりと円を描いている。
逃げ場を探しているようだ。
「これが……根詰まり」
「ええ」
レディアナは柔らかく笑う。
「急がせると、弱りますわ」
その言葉が、どこか違う響きを持つ。
王子がふと顔を上げる。
「急がせると?」
「ええ」
苗を新しい土へ移す。
「大きくなれ、と強く願いすぎても」
土を優しく押さえる。
「自分の力を伸ばせなくなります」
沈黙。
風が吹く。
噴水の水音が遠く感じる。
セレスティーヌは、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
(わたしは……急いでいたのかもしれない)
物語の役割。
期待。
王子との距離。
すべてが「進行」だった。
けれど今、進行していない。
苗はただ、移されただけだ。
それでも、十分に意味がある。
王子が小さく呟く。
「では、断罪も……」
誰も続きを言わない。
リシャールが、手帳を開く。
今日の予定欄には、まだ「断罪式(予備)」と書かれている。
だが、その下に余白がある。
ペン先が、ほんの少しだけ迷う。
書き足されない。
消されもしない。
ただ、触れられない。
花壇の土は柔らかくなった。
苗は新しい場所で、静かに根を広げている。
セレスティーヌは、初めて自分の手で苗を持ち上げる。
少し震える。
だが、落とさない。
王子は今度こそ正しい軍手で土を押さえる。
強くもなく、弱くもなく。
遠くで、噴水の水が跳ねる。
物語は、まだ終わっていない。
だが――
少しだけ、急がなくなっていた。




