第1話:土を閉じる日
朝の空気は、もう秋ではなかった。
王立リュミエール高等学院の中庭は、実りを終えた静けさに包まれている。
長机は片づけられ、籠も空になり、残っているのは刈り取られた蔓と、黒く均された土だけだった。
トマトの支柱が一本ずつ抜かれていく。
かぼちゃの蔓は根元から切られ、束ねられる。
乾いた葉が、かさりと音を立てる。
祭りの余韻はない。
あるのは、片付けだ。
王子アルフォンスは、支柱を抱えて立っていた。
かつて赤い実を支えていた木の棒は、今は軽い。
「……静かだな」
誰に向けるでもなく呟く。
リシャールが淡々と答える。
「予定通りです」
「何が」
「収穫後の整地」
王子は視線を落とす。
整えられた土。
何も植わっていない。
確かに予定通り。
だが、胸に残るのは別の感覚だった。
花壇では、レディアナがしゃがんでいる。
枯れた茎を短く切り、根元に藁を敷く。
霜から守るための覆いをかける。
「そこまで刈るのか」
王子が近づき、問う。
「ええ」
彼女は穏やかに答える。
「地上部は、もう役目を終えました」
「枯れていないものもある」
「冬は容赦しませんわ」
風が吹く。
冷たい。
王子は少し沈黙し、そして言った。
「これで終わりか?」
問いは、花壇に向けたものではなかった。
菜園か。
祭りか。
あるいは、この流れそのものか。
レディアナは手を止める。
土に触れたまま、顔を上げた。
「終わりではなく、閉じただけです」
王子は眉をわずかに動かす。
「違いはあるのか」
「ございます」
彼女は立ち上がり、整えられた花壇を示す。
「終わりは断絶ですわ。閉じるのは保存です」
黒い土の下に、根は残っている。
切られた茎も、完全に消えたわけではない。
「春のために、今は閉じるのです」
王子は土を見つめる。
何もないように見える。
だが、知っている。
そこに根があることを。
生徒たちが帰り始める。
道具は倉庫に収められ、当番表は外される。
掲示板には、新しい紙が貼られていた。
冬期整備期間
行事の名はない。
祭りの余韻もない。
ただ、整備。
リシャールが予定表を確認する。
空白が増えている。
だが今回は、焦らない。
「空白は管理できる」
彼は小さく呟く。
夕刻。
中庭は完全に片づいた。
断罪広場と呼ばれていた中央も、ただの石畳だ。
かぼちゃもない。
演台もない。
何も起きない空間。
王子は一人、そこに立つ。
風が抜ける。
「敗北ではないのか」
小さく言葉が落ちる。
実りの終わり。
祭りの終了。
静寂。
レディアナが隣に立つ。
「何がです?」
「続けなかったことだ」
彼女は少しだけ考え、答える。
「続けない勇気も、選択ですわ」
「勇気」
「終わらせることは敗北ではありません」
王子は土を見下ろす。
確かに、すべては刈られた。
だが、荒れてはいない。
整っている。
守られている。
「……閉じたのだな」
「ええ」
「ならば、次は」
「春に開きます」
即答ではない。
断定でもない。
ただ自然な流れとして。
夜。
霜が薄く土を覆い始める。
黒い地面は白く縁取られる。
その下で、根は眠る。
種も眠る。
何も伸びない。
何も実らない。
だが、それは衰退ではない。
休眠だ。
王子は最後に中庭を振り返る。
「閉じただけか」
レディアナは静かに頷く。
「はい。閉じただけです」
風が止む。
物語は動いていないように見える。
だが内側では、確かに続いている。
終わらせることは、敗北ではない。
閉じることは、守ること。
その理解とともに、冬が静かに始まった。




