第1話:しゃがむ悪役令嬢
秋の光は、やけに澄んでいた。
王立リュミエール高等学院の中庭――噴水前の円形花壇は、完璧に整えられている。薔薇は規則正しく並び、落ち葉ひとつない。
断罪には、整然とした背景が似合う。
生徒たちは半円を描くように立ち、その中心に二人。
第一王子アルフォンスと、彼の婚約者――レディアナ・フォン・アルヴェール。
そして少し離れた位置に、平民出身の特待生、セレスティーヌ。
静まり返った空気の中、王子が一歩前に出た。
「レディアナ。君のこれまでの振る舞いについて――」
予定通りの導入。
生徒会長リシャールは胸元の懐中時計を確認する。
台詞はあと三行。そこから糾弾、弁明、そして婚約破棄宣言。
完璧な進行。
そのはずだった。
「……お待ちくださいませ」
柔らかい声が入る。
全員の視線がレディアナへ向く。
彼女は王子を見ていなかった。
花壇を見ていた。
正確には――土を。
「この花壇」
一歩、近づく。
「少々、水はけが悪うございますわね」
ざわり、と空気が揺れる。
王子が瞬く。
「……何?」
レディアナは裾をわずかに持ち上げ、躊躇なくしゃがみ込んだ。
白い手袋のまま、土に触れる。
指先でつまみ、軽くほぐし、匂いを確かめる。
「やはり。表層だけ整えても、下が締まっておりますわ。これでは根が息苦しい」
沈黙。
断罪の台詞は宙に浮いたままだ。
セレスティーヌが小さく言う。
「え……?」
レディアナは立ち上がらない。
しゃがんだまま、真剣だった。
王子が咳払いをする。
「レディアナ。今はそのような話ではない」
「ええ、存じておりますわ」
あっさりとした返答。
ポケットから一枚の書類を取り出す。
整った筆跡の婚約解消同意書。
「婚約破棄でございましたら、こちらに署名を。事前に用意しておきましたの」
周囲が息をのむ。
王子が書類を受け取る。
視線が土と紙の間で迷う。
「……用意していたのか」
「予定でしたので」
静かな事実。
そして、彼女は再び土に向き直る。
「問題は排水ですわ。表層だけの美しさでは、長くは持ちません」
スカートの内ポケットから、小さな移植ゴテが現れた。
誰かが小さく悲鳴を上げる。
レディアナは構わない。
土を軽く掘る。
「やはり固い。これでは根詰まりを起こします」
王子が立ち尽くす。
リシャールが時計を見る。
予定時刻を三分超過。
「……進行を」
王子が低く言う。
しかし、進行するための空気が、もうそこにはなかった。
セレスティーヌが花壇をのぞき込む。
「本当に……水が溜まっています」
庭師エルマーが、いつの間にか近くに立っていた。
しゃがみ込み、土を一握り。
「……締まっていますね」
淡々とした同意。
それだけで、場の重心がずれる。
レディアナは顔を上げ、初めて王子を見た。
穏やかな目。
怒りも悲しみもない。
「どうぞ、宣言なさってくださいませ。わたくしは作業を続けますので」
その言葉に、誰も笑わなかった。
ただ、困惑した。
王子は書類を見下ろす。
署名欄。
完璧な筆致。
完璧な別れ。
だが、目の前では悪役令嬢が土を耕している。
断罪の舞台装置が、少しだけ無意味になる。
沈黙。
風が吹く。
薔薇が揺れる。
そして王子は、ゆっくりと顔を上げた。
「……進行は?」
生徒会長リシャールは、懐中時計を閉じる。
一拍。
「停止中です」
噴水の音だけが、規則正しく続いていた。
レディアナは土をほぐす。
その音は、思いのほか静かだった。




