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ウェーラの国王七変化!

作者: KOU/Vami
掲載日:2026/02/03

 ウェーラ王城の回廊は、祝賀の熱と安堵のため息で、いつもより少しだけ空気が暖かかった。

 魔王ムレク――その名を口にするだけで背筋が冷える時代が、ようやく終わった。兵の足音は軽く、侍女たちの動きにも緊張がほどけている。


 勇者ファブリスたち一行が城に戻ると、ほどなくして儀礼の流れに従い、王の間へと通された。

 高い天井。

 整列した大臣たち。磨かれた床に、窓から差し込む光が淡く延びる。

 王座にあるのは国王ルイゾン。隣に座すのは王妃パメラ。

 どちらも“国の顔”として微動だにせず、しかしその瞳には明確な喜びが宿っていた。


「おお! 勇者ファブリスよ! よくぞ魔王ムレクを倒してくれた!」


 魔王討伐の報告が終わると、王と王妃は大いに喜び、労いの言葉を与えた。

 だが、祝福がひと段落した瞬間――大広間の空気が、ふっと別の色を帯びる。


 国王ルイゾンの視線が、勇者一行の後ろに立つ見慣れぬ少年へと移ったのだ。

 見慣れぬ顔。見慣れぬ佇まい。

 そして何より、見慣れぬ服装――学生服にシューズ。


「して……そちらの者は?」

 王の声は朗々としていた。喜びは本物だ。しかし、その喜びの焦点は、今や勇者ではない。


 王妃パメラが、ほんのわずか目を細める。

 (……やはり、そこが気になりますよね)

 大臣たちの中にも、かすかなざわめきが走った。


 ファブリスは一歩前へ出て、はっきりと答える。ここで言葉を濁す性格ではない。

「彼が魔王を仕留めた者でございます。魔王に苦戦した我々と違い、彼はその拳のみで魔王を打ち倒しました。まさに彼は人類の救世主、彼こそが真の勇者です!」


 王の間に、一拍の静寂が落ちた。

 “拳のみで魔王を打ち倒した”――その言葉が、場の常識を軽々と飛び越えていく。

 大臣の何人かは反射的に若矢を見、反射的に目をそらし、そしてもう一度見た。


 だが、ルイゾンはまず、勇者たちの働きを受け止めた。

 興味が強いのと、礼節を捨てないのは両立する。国王というものは、案外その両方を求められる。


「うむ、なるほど……。だが勇者ファブリスとその一行よ。そなたらの活躍あっての魔王討伐であることもまた間違いない。礼を言うぞ」


「はっ! ありがとうございます!」

 勇者たちは深く頭を下げた。重い戦いを越えた者だけが持つ、誇りと安堵がそこにある。


 王の視線が若矢に移る。

 それは値踏みではなく、純粋な問いかけの光だった。


「そして魔王を仕留めた勇敢なる若者よ……。名を聞かせてはくれまいか? 褒美を取らせよう」


 若矢は、喉の奥が少し乾くのを感じながら一歩前へ出た。

 本物の王様――その威厳が、思った以上に重い。心臓が一拍だけ早まる。

 だが嘘をつく理由はない。正直に言う。自分がここにいる理由も、持っている事情も。


「は、はい! あ……俺は、牛方若矢といいます。あの……その……。俺、異世界から召喚されて来たんですけど……」


 王の間が微かに揺れた。

 異世界。

 よもや転生者と呼ばれる存在が、この時代に現れようとは。

 目の前の少年の服装は、確かにこの国のものではない。


「なんと!? 異世界と申すか? だがたしかにそなたのその出で立ちは我々とは異なっているな」

 王は驚いたような声を上げると、興味深そうに若矢を見つめる。


 その視線に、若矢はまた少しだけ気まずくなる。

 学生服にシューズ――この世界に来て、まだ数時間の彼には何と説明していいものかわからないのだ。

 若矢の事情など知らない王たちが疑問を抱くのも当然なのだが。


「ところで……。なぜそなたは、そんな恰好をしておるのだ? 魔法学院の生徒ではあるまい?」

 この世界に召喚された時、すでに彼の格好はこの状態であったのだ。自分の世界で学校に通っていたままの姿であり、そのまま転送されてしまったのである。


 若矢は、頭の中で言葉を探してから、なるべく噛み砕くように答えた。

 “学校”は通じるだろうか。王様の口から、"魔法学院"という言葉が出たのだから、似たようなものはあるのだろう。

 だがやはり、なんと説明すべきなのか言葉に迷ってしまう若矢。


「あ、えと……。俺、学生でして……。その、学校帰りだったんです。……あ、学校ってわかりますか?」


 国王は興味津々といった感じにうなずいた。

 今にも次の質問が飛んできそうな気配。――だが、それを一瞬で整える声があった。


「まぁまぁ、そのお話は次の機会でもよろしいのでは? 長きに渡った魔王による圧政も終わったのですから、みな盛大な宴を待ちわびていますよ」


 王妃パメラの微笑は柔らかい。しかし、“国の秩序”を守る強さがそこにある。

 ルイゾンは名残惜しそうに口を閉じ、咳払いをして背筋を正した。

 好奇心が、いったん礼節に押し戻される。


「おお、そうであったな。では皆の者よ。魔王討伐の宴を準備するぞ!」


 王は王妃の言葉にうなずくと、ごきげんな様子で兵士たちと共に城の中へ戻って行ったのだった。

 その背中を見送りながら、王妃はほんの小さく息を吐く。


 ――ただ、誰よりも近くで見ていた大臣たちは知っていた。

 国王ルイゾンの“気になる”は、そこで終わらない。

 むしろ、始まったばかりだということを。



 魔王討伐の宴は、ウェーラ全土が沸き立つような盛大さだった。

 音楽団が奏でる凱歌は天井を揺らし、杯が鳴るたびに、長い魔王の圧政の終わりが確かな重みをもって胸へ落ちた。

 勇者ファブリスは、酒よりも言葉を飲んだ。

 仲間の名を挙げ、民の名を挙げ、亡くなった者の名を挙げ――それから最後に、照れくさそうに少年の背中を叩く。

 牛方若矢は、最初こそ場に慣れない様子だったものの、ファブリスやその仲間たちに囲まれているうちに、次第に笑顔が増えてきていた。


(……しかし不思議だ)

 ルイゾン王は、杯を片手にしながらも、時折視線が若矢の服へ引き寄せられるのを止められなかった。

 詰襟でもない。外套でもない。

 上着は直線的で、妙に清潔感があり、肩の線が不思議と“学び”を連想させる。

 そして足元の靴――底が白い。軽そうだ。

 戦装束でもなく、礼装でもないのに、彼にとってはそれが“普段着”なのだという。


 ルイゾンは何度も若矢に声をかけようとした。

 だがそのたびに、王妃パメラが“国の空気”を整えるように、場を滑らかに導いてしまう。

 ――そして、宴が終わるより少し早く。

 勇者ファブリスは立ち上がった。

 杯を置く音が一つ。皆が気づく音だった。


「陛下。宴、感謝します」

 ファブリスが頭を下げる。

「……俺たちは明朝、旅立ちます。魔王は倒れましたが、世界はまだ落ち着いていません。やるべきことが残っています」

 彼に倣って、彼のパーティーメンバーの女性3人、そして若矢も頭を下げた。


 空気が一瞬だけ寂しくなる。

 だが彼ら勇者の旅は続いていくのだ。

 ルイゾンは立ち上がり、ゆっくりとうなずいた。

「うむ。――行け。ウェーラは、そなたらを誇りに思う」


 若矢も立った。

 彼と視線が合った瞬間――ルイゾンの口が「ところで」と動きかけた。

 だが、若矢は先に言った。

「……お世話になりました。俺、まだよく分かってないことばかりなんですけど。……何か困ったことがあったらまた呼んでください!」

 あまりに直球で、あまりに飾りがない。

 だからこそ、ルイゾンはうなずいて見送ってしまった。

 見送ってしまってから、頭を押さえる。


 少年が去っていく。

 見慣れぬ服を身にまとったまま――世界の端へ消えていく。

(……聞けぬ)

 ルイゾンは歯がゆさを噛みしめた。


 聞けなかった。

 “その服は何なのか”。

 “どこで作るのか”。

 “なぜその形なのか”。


 翌朝、勇者一行は船に乗って旅立ったと言う。

 城下町の門を抜け、船に乗り、海の向こうへ向かった。


 同じ朝――ルイゾンは寝台から起きるより先に言った。

「パメラ。マルリーナ魔法学院へ行くぞ」

 王妃は、毛布の中で目を閉じたまま、静かに答えた。

「……ええ。……あなたのことです。予感はしておりました」

 そうして、ウェーラ王城は魔王の次に、国王の好奇心に揺れることになる。



 国王ルイゾンの“行くぞ”は、議論の始まりではなく、決定の宣言である。

 それを大臣たちはよく知っている。

 そして王妃パメラは、それ以上によく知っている。

 王は壮年――ちょうど今年で齢五十に差し掛かる。

 それでも時折、少年のように目を輝かせる。

 いや、少年よりも厄介かもしれない。少年は止めれば止まるが、国王は止めれば余計に燃え上がる。


 大臣たちは朝から整列し、恐る恐る言った。

「陛下、魔王討伐後の諸国への使者が――」

「陛下、祝勝の儀礼がまだ――」

「陛下――」

 しかしルイゾンは、一言で返した。

「それらは午後だ。午前は学院だ」

 きっぱりと言い切る。

 だが、誰も文句は言わない。

 こうなった王は頑固だ。

 しかし先に用事さえ済ませてしまえば、いつもの倍以上の冴えを発揮する。

 国王ルイゾンは、そういう人間だった。


 パメラはため息を胸の奥で飲み込む。

 ここで止めれば止めるほど、王の興味は「禁じられた宝」になってしまう。

 だからパメラは、止めるのではなく“同行する”ことを選ぶ。

 ――国の品位を守るために。

 それは半分は建前。

 もう半分は、もっと個人的な感情だ。


(陛下は、平和が戻るとこういう方ですもの……悪いことではありませんわ)

 他国との戦争を考えるよりも、異世界の服に興味を持つ方がよっぽど平和だ。

 王妃はそう思う。

 だが同時に――

(ただ、やりすぎるのが陛下です)

 パメラは馬車の中で王を見た。


 ルイゾンは既に、若矢の服装を紙に描かせていた。

 見た者の記憶を呼び起こし、侍従に線を引かせ、兵に確認させる。

「この襟だ、襟。立っていた。こう……首元に線が走っていた」

「陛下、それは詰襟というより――」

「よい。まずは学院の制服を見れば分かる」


 大臣が胃を押さえ、助けを乞うようにパメラを見る。

 パメラは、微笑みを崩さずにその大臣へ視線だけで伝えた。

 ――大丈夫。この人には私がいます。

 その“私がいます”が、彼らの心を軽くするかは分からない。

 ただ、王妃が同行するという事実が、災害が国政へ直撃する確率を少しだけ下げるのは確かだった。



 マルリーナ魔法学院は、由緒正しい学院だ。

 石造りの校舎は長い年月を誇り、回廊の柱には修了生の功績が刻まれている。

 魔導の研究に熱心でありながら、礼節と規範を重んじる――。


 門前で出迎えたのは学院長と教員たちだった。

 彼らは頭を下げながら、目だけで互いに問いかけている。

(なぜウェーラの国王陛下が突然……)

(しかも“学生服”の視察と聞いているが……?)

 しかしウェーラは学院への資金援助国でもある。あまり無下にするのも憚られる。

 ルイゾンは馬車から降りると、開口一番、礼節の衣をまとった好奇心を放った。


「うむ。相変わらず立派な学院だ。――ところで制服はどこだ?」

 早い。早すぎる。

 教員たちは、咳払いをしてから言った。

「ルイゾン陛下、まずは学院のご案内を――」

「案内は後でよい。制服が先だ」


 その時パメラが一歩だけ前へ出た。

 笑みは優しい。

 しかし、王妃の声として“修正”の力を持つ。

「陛下。せめてちゃんとしたご挨拶と、学院長のお話を伺ってからにいたしましょう」

 ルイゾンは名残惜しそうに口を閉じ、ひとまずうなずいた。

(ええ、ええ。今はそれで良いのです)

 パメラは内心で微笑む。


 それから学院の説明があり、研究の成果があり、魔動映写機のデモがあり――

 その全てが終わった瞬間、ルイゾンの目が光った。

「さて。制服だ」

 教員たちは、もう観念したように生徒を呼んだ。

 現れたのは数名。男子学生も女子学生もいる。

 彼らは揃って学院の"ブレザー"を着ていた。

 紺に近い深い色。金の縁取り。胸に学院章。

 白いシャツに、細いネクタイ。

 動きやすいが、品がある。魔法学院らしく、少しだけ特別な“きちんとした制服”だった。


 ルイゾンは目を細め、うなずく。

「ほう……これが……」

 そして王の"取材"が始まる。

 制服を見せられた瞬間のルイゾン王の目は、宝石のように輝いた。


「さて、着こなしについて問いたい。そなたらは制服をどう着ておる。どこに気を配っておる。どこが好きだ」

 ルイゾンは早口になりかけ、咳払いで整える。

「――学びの衣とは、学ぶ者の心を映す。そうであろう?」


 問われた生徒は、緊張しながらもどこか誇らしげだった。

 王に制服を見られる――それは怖いが、同時に誉れでもある。

 肩の線がきれいな少年は少しはにかみながら、口を開いた。

「僕は……袖口を汚さないように気をつけています。魔導の実習があるので」

 袖口には小さな留めがあった。魔導の粉が付着しにくい工夫だ。


「うむ!実用的!」

 ルイゾンはうなずく。

「学びとは汚れるもの、ゆえに汚れぬ工夫――よいぞ!」


 次に、髪を結った少女が言う。

「私は……胸元の紋章が好きです。学院の一員だって、背筋が伸びますから」

 そう言って、紋章を指先でそっと撫でた。


 ルイゾンは一瞬、黙った。

 その沈黙は、妙に重かった。

「……紋章は、誇りの印だ」

 彼が静かに言うと、王の間の空気が少し柔らかくなる。

 パメラはその横顔を見て、胸の奥で小さくうなずいた。


 別の生徒は、ネクタイを少し緩めた“抜け感”を語った。

「礼節の場では締めます。でも……放課後は、少し緩めると息がしやすいんです」

 言った本人が恥ずかしそうに笑う。周りの生徒がうなずいている。


「ほう!」

 ルイゾンの目が輝く。

「締める時と緩める時! ――秩序と自由、両方あるのだな!」


 パメラは微笑んだまま、針のように差す。

「陛下。興奮するのは、ほどほどに」

「うむ……うむ。ほどほどに、だな」

 しぶしぶうなずきつつも、ルイゾンはもう目を離さない。

 彼は制服をただの服としてではなく、文化として見ている。


 それからルイゾンは、回廊を歩きながら生徒に声をかけ続けた。

 上履きの手入れ。髪型の規範。冬の外套。夏の汗対策。

 制服やそれに合わせた装いの"好き"が、次々と語られる。


 そしてパメラは気づく。

 この談義は、ただの趣味ではない。


 生徒たちの言葉は、戦後の国に必要なもの――

「未来を語る声」

 そのものだった。

 生徒たちは緊張しながら、しかし少し誇らしげに答える。


 と、その時だった。

「……着てみたい」

 ルイゾンは唐突に、そう口走った。

 教員たちが固まる。

「一度でよい。サイズが近いものを」


 ――近いもの。

 持ってこられたのは、教師用の予備制服だった。

 布の匂いがする。

 洗い立ての石鹸と、少しだけインクの香り――この学院の、学びの場の匂いだ。

 教員が咳払いをして、ぎこちなく差し出した。


「陛下……こちらを……」

 ルイゾンは「うむ」とだけ言って受け取り、迷いなく腕を通した。

 ボタンが並ぶ胸元に、彼の指が伸びる。きゅ、と布が鳴った。


 ――動きが止まる。

 前を合わせようとして、布が抵抗した。

 抵抗して、動かなかった。


 生徒たちが一斉に口元を押さえる。

 誰かの肩が小さく震え、靴底が石床をこすった音が、妙に大きく響いた。

 教員たちは咳払いを重ねる。

 その咳払いが「笑うな」の合図であることは、誰の目にも明らかだった。


 ルイゾンは咳払いし、堂々と言った。

「……これは、布が若いな」

 パメラは微笑みを崩さず、さらりと刺す。

「陛下。陛下が大きいのです」


 生徒がついに耐えきれず、鼻で小さく息を漏らした。

 その瞬間、周囲の空気が一歩だけ柔らかくなる。

 笑われてもルイゾンはその者を咎めるどころか、自分自身でお腹を叩いて笑って見せた。

 それを合図に、学院に愉快な笑い声が響くのだった。


 ルイゾンは諦めない。むしろ目が輝いている。

「いや、違う。これを着ると――若返る気がする」

「気がする、のですね」


 なぜか同行していた王宮医術師が、真顔でメモ板を叩いた。

 窓から差し込む光が、白い紙を眩しく照らす。

 医術師は数回うなずき、ゆっくりと言った。


「王妃様。……陛下の肌年齢、確かに若返っております」

 パメラは、笑っていいのか止めるべきか迷い、結局、ほんの小さく笑った。

 その笑いは、学院をさらなる笑みに包み込んだ。


 ルイゾンはせっかく制服を着たのだから、と魔動映写機の前へ進み、胸を張る。

 映写機の金属がきしみ、レンズが光を受けてきらりとした。

「撮れ。よく撮れ。未来の歴史家が困らぬようにな」


 教員たちが頭を抱えそうな顔をしたが、もう止められない。

 こうして“国王の学生服取材”は、記録として残ってしまった。



 王城へ戻ったその日のうちに、仕立て屋が呼ばれた。

 城門の前には、馬車の車輪の音が増え、革の匂いと人の熱が混ざっている。

 呼ばれたというより、王命で“召し上げられた”。

 仕立て屋は額に汗を浮かべ、王の執務室の床を踏む音を慎重に殺した。


 机の上には紙束が並び、インクがまだ新しい。

 襟、ボタン、丈、袖口。

 そして――白い底の靴まで描かれている。


 ルイゾンは指で紙を叩いた。軽い音が、なぜか決意の音に聞こえる。

「これを、作る」


 仕立て屋が喉を鳴らした。

 パメラはその様子を見て、順序を整える。


「陛下。まずは学院の形を一着お作りになってから、改良されてはいかがでしょう」

 ルイゾンは一拍考え、ぱっと顔を明るくする。

「うむ。第一号は学院式だ」


 数日後。

 第一号のブレザーが完成した。


 布の艶は控えめで、縫い目は端整。

 ルイゾンが袖を通すと、布がさらりと音を立てた。


 鏡の前で彼は眉を寄せ、首元を触る。

 その指先が、どこか落ち着かない。


「……しかし、若矢のそれはもっと首元が立っていた。線が真っ直ぐで……」


 職人が恐る恐る言う。

「陛下、それは詰襟に近いかと」

 ルイゾンの目が光る。

 火がつく音が、見えないのに聞こえた気がした。

「それだ。第二号だ」


 パメラが微笑みのまま言い刺す。

「陛下。第二号がある前提なのですね」

「当然だ。探究に終わりはない」


 大臣が、静かに胃のあたりを押さえた。



 王宮にはルイゾンの「新しい日常」が増えた。

 ウェーラの王様、七変化である。


 ●第一号:学院式ブレザー


 ルイゾンがブレザーで大臣会議に出席した瞬間、空気が凍りついた。

 紙をめくる音さえ、いつもより大きく聞こえる。

 なぜかその日、会議は早く終わった。

 誰も王の服に気を取られたまま長話ができなかったからだ。


「この服は“集中”を促す」

 根拠はない。

 だが効果はあった。


 ●第二号:詰襟寄せ


 孤児支援の視察。

 子どもたちは最初、王の前で緊張していた。


 けれど、ひとりがぽつりと言った。

「陛下、なんか先生みたい」

 その一言で距離が縮まった。

 “王”より“先生”のほうが話しかけやすい。


 ルイゾンは目を輝かせ、少年のように早口で答え続けた。

 子どもたちの笑い声が、天井の高い部屋に跳ね返るのだった。


 ●第三号:夏仕様


 夏仕様で城下の水場を視察すると、風が軽い。

 涼しい服は動きやすい。動きやすいと――王は早足になる。

 水面がきらりと光った。

 石が湿っていた。


 ルイゾンは滑りかけた。

 転ぶ寸前、隣を歩いていたパメラが咄嗟に支えた。

 王の袖が、ぱさ、と揺れた。


「……うむ。今のは、見なかったことにせよ」

「はい、もうお歳ですのであまりご無理をなさらないでくださいね?」


 ●第四号:冬外套


 外套は、翻る。

 翻るものは、危ない。

 侍従たちは青ざめ、「裾を縫い付ける」案まで出した。


 だが、パメラが止める。

「陛下の自由を縫い付けるのは、おやめなさい」


 代わりに“上品に抑える工夫”が施され、外套は美しく安全になった。

 ルイゾンは翻りが弱まった外套を見ながら少しだけ不服そうに言う。

「……風が大人しくなった」

「飛ばされるよりはマシです」


 ●第五号:運動着風


 屈伸。腕振り。軽く跳ね――

 運動着風は、王に「もっと動ける」という錯覚を与える。

「跳べそうだ」

 パメラは即座に返す。

「跳ばないでください」


 医術師がまた真顔で言う。

「陛下の筋肉の張りが……若返っております」


 パメラは天井を見て、小さくため息を漏らして言った。

「……若返りの証明は、ほどほどにお願いします」


 ●第六号:生徒会長風


 腕章をつけ、書類を挟んで巡回を始めた瞬間、城が変わった。

 廊下の足音が揃う。返事が良すぎる。机の上が片付く。

 誰もが「風紀点検」を恐れているのだ。


 その夜、パメラが言う。

「陛下。生徒会長は、国政より恐れられる役職なのですね」


 ルイゾンは得意げにうなずき、少年のように早口になりかけて方向転換した。

「うむ。秩序は大事だ。だが怖がるなら、次は“褒める巡回”にしよう」

 翌日から「廊下は今日も静かだな。よいぞ!」が増え、秩序と平和が城にもたらされた。


 ●第七号:転生者寄せ集大成


 集大成の詰襟制服。

 鏡の前でルイゾンはうなずいた。

「……うむ。これだ」


 ついに納得のいくものが完成した。

 これぞ、若矢と同じ制服!


 だが実は……。

 その“到達”は、王だけのものではなかった。



 パメラが気づいたのは、仕立て屋の報告書がいつもより厚い日だった。

 城下からの注文数。生地の確保。職人の手配。

 流行が国政の書類に混ざり始めると、さすがに王妃も笑うしかない。


 だが、その報告書の一番下に――小さな添え書きがあった。

『王妃様宛の衣、完成。陛下より“内密に”とのこと』

 パメラは指先を止めた。


 内密。

 その言葉の重みを、彼女は国政でいくつも知っている。

 だが、これは……。

 パメラはそれが何なのかわかり、顔をほころばせた。


 夜。

 王妃の私室に、箱が運び込まれた。

 侍女たちが開けようとすると、パメラは首を横に振る。

「これは……私が開けます」


 侍女が驚き、微笑み、そっと退く。

 扉が閉じ、部屋に静けさが落ちる。


 箱を開けると、そこに入っていたのは――女性用の制服だった。


 学院のブレザーを基にした形。

 しかし学院の章はなく、代わりに小さく控えめな意匠が胸元に縫い込まれている。

 色は落ち着いていて、線は上品で、余計な装飾はない。


 そして何より――サイズが、ぴたりと合う。

 王が、誰にも見せず、誰にも言わず、彼女のために手配した時間が。


 パメラは頬が熱くなるのを感じ、鏡の前で一度だけ目を伏せた。

「……まったく」

 呆れの言葉が、柔らかくほどける。


 そんな彼女を、ルイゾンは少し離れた場所から見て微笑んだ。

 二人はその日の夜、あえてその話題には触れなかった。



 そして、翌朝。

 パメラがその制服を身に纏って姿を見せた瞬間、王宮の空気が一拍止まった。

 大臣たちが息を呑み、侍女たちが目を輝かせ、衛兵が背筋を伸ばす。

 制服が持つ「きちんとした印象」は、王妃が纏うと“威厳”に変わる。


 そして当の国王ルイゾンは――一瞬だけ言葉を失い、次の瞬間、少年のように早口になった。

「……うむ! よい! 大変よい! 似合う! 実に似合う! やはり、制服は――」

 パメラは微笑みながら、静かに言った。


「陛下、落ち着いてください」

 ルイゾンは咳払いをし、落ち着いたふりをしてうなずいた。

 しかし耳の赤みは隠せない。


「……うむ。しかし、我が国の王妃は、やはりいくつになっても美しい!

 ルイゾンは赤くなった頬を、手隠しのように掻きながら言った。

 パメラは、その反応だけで満足だった。

 変わらず自分を大切にしてくれている、と制服の袖を触りながら感じるのだった。


 ウェーラ城下町の市場は、日々の生活が濃い。

 復興のために活気が必要な今、笑い声は希望そのものだった。

 その日、城下町には噂が走っていた。


 ――国王が、見慣れぬ服を着て現れるらしい。


 人々は半信半疑だった。

 だが、王が出るなら見に行く。見に行けば話の種になる。話の種が増えれば、酒場が賑わう。

 市場はいつもより少し早く、人で埋まった。


 そして、現れた。


 詰襟服の第七号。

 首元は凛として、線は真っ直ぐで、余計な装飾がないぶん清潔感が際立つ。

 ただ――それが国王の顔と組み合わさると、圧が変な方向へ出る。


 威厳があるのに、妙に新しい。

 上品なのに、どこか若い。


 ざわっ、と空気が揺れた。


 だが、そのざわめきは嫌悪ではなかった。

 驚き――そして、笑いを堪える気配――そして、気づけば、好意。


「陛下……なんてお姿」

「でも、似合ってる……?」

「いや、似合ってるな」

「……なんだか、元気が出るわね」


 ルイゾンは、それを敏感に嗅ぎ取った。

 民の空気が自分を拒んでいない。

 それどころか、軽くなっている。


 ルイゾンは胸を張り、朗々と言った。

「皆の者。魔王の時代は終わった。――これからは、学びと楽しみの時代だ」


 誰もが拍手した。

 意味が分かった者も、分からない者も。

 分からないのに、分かってしまうのが“平和の言葉”だった。



 その日の夕刻。

 仕立て屋に、最初の客が押し寄せた。


「陛下のあの服、作ってくれ」

「うちの息子に着せたい」

「いや私が着る」

「若い娘も着られるようにできる?」

「詰襟って言うんだって? あれ、かっこいいよね」


 職人たちは困惑し、しかし目が輝いた。

 流行は、文化を動かす。

 文化が動けば、国が少しだけ前へ進む。


 パメラは王城の窓から城下を眺め、ほんの小さく笑った。

 (陛下らしい……本当に、陛下らしい)


 呆れはある。確かにある。

 だが、戦後の空気が軽くなるのなら、それは良いことなのではないだろうか。


 パメラは静かに紅茶を口に運び、目を細める。

 ――この流行がどこまで広がるのか。

 王妃は、もう止めることを諦めていた。

 そして少しだけ、楽しみにしていた。


 最初に火がついたのは城下町だった。

 流行というものは、風と同じだ。誰かが振り向いた瞬間に生まれ、誰かが試した瞬間に育つ。


 若者がまず飛びついた。

 次に職人が、商人が、それから主婦たちが――「これ一つで決まる」「動きやすい」「見た目が良い」と買い求めていった。


 やがて城下町には、制服風の服を着た人間が増えた。

 詰襟寄りを着て胸を張る青年。

 ブレザー寄せを軽く羽織って歩く商人。

 色味だけ制服っぽくした女性たち。

 子どもは「陛下みたい!」と喜び、大人は「うちの子のほうが似合う」と笑う。


 もちろん、最初から全員が好意的だったわけではない。

「国王が変なことを始めた」

「戦勝の余韻で頭が浮ついている」

「威厳が薄れるのでは」

 そんな声もあった。


 だが不思議なことに、その声は大きくならなかった。

 なぜなら――服の話題をしているとき、人々は喧嘩にならないからだ。

 誰が正しいかではなく、どんなものが似合うか。何が好きか。

 勝ち負けではなく、楽しさに寄っていく。


 そして、流行が最も強い形で姿を変えたのは――音楽団の手によってだった。

 戦勝の式典で凱歌を奏でた彼らは、今度は「制服風の衣装」をまとって街角に立った。

 金管は軽やかに鳴り、太鼓は弾み、笛は空に踊る。

 踊り子たちは裾を翻し、子どもたちは真似をして跳ねた。


 衣装が揃うと、踊りが揃う。

 踊りが揃うと、笑いが揃う。

 笑いが揃うと――国が揃う。


 パメラは城の窓からその光景を見下ろしながら、小さくうなずいた。


 勇者ファブリス一行が魔王ムレクを破った「魔王討伐記念日」は、当初、厳粛な追悼と祝賀を兼ねる日になるはずだった。

 戦場に散った者を悼み、帰還した者を称え、国の未来を誓う日。

 だが――民は、別の名前でその日を呼び始めた。


 制服祭。


 最初は冗談だった。

 次に合言葉になった。

 そして気づけば、公称より先に“通称”が定着していた。


 王宮の議場で、大臣が真顔で言った。

「王妃様……民が、魔王討伐記念日を『制服祭』と呼んでおります」

「ええ。存じております」

 パメラは微笑んで答えた。

 侍女が紅茶を注ぐ音が、やけに平和に響いた。


「……いかがなさいますか」

「止められると思いますか?」

 大臣が沈黙した。

 パメラはその沈黙に、上品な慈悲を足した。

「それに――悪い名ではないと思います」

 彼女の言葉に大臣も、小さく笑みをこぼしてうなずいた。

「たしかに、なんともウェーラらしい、よい名前ですな」



 制服の普及を受け、あらためて制服祭が開かれることになった。

「好きな服で集まって、音楽や踊りを楽しむ日」という触れ込みだった。

 制服風でもいい。そうでなくてもいい。

 かつて魔王の支配で“好き”を奪われた時代があったからこそ、好きに装うこと自体が祝福になる。


 そして、その中心にいるのが――国王ルイゾンだった。


 当日、ルイゾンは七変化を“全部”着る気でいた。

 朝は詰襟、昼はブレザー、夕は外套、夜は運動着風――


「陛下」

 パメラが微笑んだまま言った。

「衣装替えは、舞台役者でも疲れます」

「だが私は王だ」

「王でも疲れます」


 ルイゾンは一瞬、口を閉じ――次の瞬間、少年のように早口になった。


「ならば順番を考える! 最も映える順番を!」

「陛下、映えることが目的になっております」

「祭りは映えだ!」

「……民が喜ぶなら、否定はいたしません」


 結局、ルイゾンは“厳選した三変化”に落ち着いた。

 朝の詰襟寄せ。昼のブレザー寄せ。夜の外套。



 王が城下へ出ると、人々は笑い、拍手し、口々に叫んだ。

「陛下、今日も若い!」

「若返りの秘訣は制服か!」


 ルイゾンは胸を張り、朗々と言う。

「うむ! 着よ! 学べ! 踊れ!」


 意味が分かるようで分からない。

 だが“今、この平和を楽しめ”だけは、誰の耳にも届いた。


 音楽団が演奏を始めると、広場は揺れた。

 復興の槌音の代わりに、今は太鼓の音が響く。

 たくさんの笑い声が響く。


 (これが、平和……)

 パメラは少し離れた場所から、それらを見守っていた。


 平和は静寂ではない。

 平和は、こうして賑わいの中で“次の一年”を迎えることなのだ。


 音楽に合わせて、若者たちが輪を作り、手を取り合う。

 子どもが真似をして跳ねる。

 年寄りが笑って手拍子をする。


 戦後の国に必要なのは、勇ましい言葉より先に――

 「安心して笑える場」だった。



 ――そのとき。

「パメラ」

 彼女の元へ、ルイゾンが呼んだ。

 いつもの朗々とした声ではない。

 少しだけ、照れが混ざった声。


 パメラが振り向くと、ルイゾンは詰襟服の集大成を着て、手を差し出していた。

 今日は制服祭だ。

 自由に平和を享受する日。


「……陛下」

 パメラは微笑む。

「王は踊ってはいけない、という法律はないですものね」


 ルイゾンは耳まで赤くなり、少年のように早口になりかけて咳払いする。

「うむ。……踊るぞ。今日は、踊る日だ」


 パメラはその手を取った。

 指先が温かい。

 それだけで、王妃となってからの長い日々が思い返された。


 音楽団の旋律が広場を満たす。

 二人は一歩、踏み出した。


 最初はゆっくり。

 王妃は上品に、王は不器用に――だが、楽しそうに。

 民衆の笑い声が上がる。

 嘲笑ではない。祝福の笑いだ。


「陛下、少し足が速いですよ」

「うむ! 若いからな!」

「若返りすぎです」

 パメラの微笑が差すと、ルイゾンは一瞬だけ子どものように笑った。

 その笑いが、広場へ伝播する。


 ――戦後の国は、こうして回復していくのだろう。


 力ではなく、音で。

 恐怖ではなく、踊りで。

 命令ではなく、手の温度で。

 異界の制服、というアイテムがそれを優しく後押しした。


 曲が終わるころ、二人の周りには自然に輪ができていた。

 王と王妃を中心に、民が踊る。

 制服風の服が揺れる。

 笑い声が揺れる。


 パメラは胸の奥で、確かに思った。

 (陛下らしい……そして、ウェーラらしい)


 制服祭は、翌年も続くだろう。

 その翌年も。

 きっと、これから先も――この祭りは残る。

 ウェーラがある限り。

 

 だからこそ、とパメラはルイゾンを見つめる。

 彼と目が合った。

 優しく力強い眼差し。

 言わなくともわかった。

 彼も自分と同じ気持ちだ。

 だからこそ、このウェーラを、民を守っていくのだと。


 “好きに装い、音楽と踊りを楽しむ日”。

 魔王が奪ったものを、文化として取り返す日。



 ~それから、数ヶ月後~

 灯ノ原(ひのもと)国。


 嵐の夜のあと、牛方若矢は一人で道を歩いていた。


 崖から落ちた。

 仲間を庇った。

 気づけば、誰もいなかった。


 怪我は対して深くない。

 だが何より、心が落ち着かない。

 仲間の情報が欲しい。

 無事に目的地に着いたのか、すでに会談は始まっているのか……。



 若矢は小さな町へ入り、瓦版売りの声に引かれて足を止めた。

「瓦版だよ! 瓦版! 灯ノ原の話も、西方の話もあるよ!」

 若矢は銭を払って一枚受け取り、端から目を走らせる。

 戦の噂。旅人の噂。怪異の噂。

 その中に――


『西方の小国、学生服なる魔法学問塾風の着物、国内で流行か』


 若矢はその文字を見て、眉を上げた。

「……んん?」


 学生服。

 まさか、この世界で学生服が流行するなど、あまりにも予想外だった。


 若矢は首を傾げ、瓦版を少し近づける。

 そこには小さく、挿絵が載っていた。

 詰襟寄せの服。白底の軽い靴。

 そして――なぜか、やたら威厳のある中年男性が胸を張っている。


 若矢は、深くうなずいた。

「学生服が流行? へぇ~、変わった国もあるもんだなぁ~」


 若矢の深刻な気持ちが、少し落ち着いていた。

 そして、仲間を探すために歩き出した。

 彼こそがその国で、制服が流行したきっかけであることには気付かず。


 その背中に、風が吹く。

 どこか遠くで、太鼓の音が鳴った気がした。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いします!

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