プロローグ:「マエストロ・グレイマンとの出会い」
ヨーロッパ。
冬の空の下、石畳を濡らす霧雨の町。
その古都は音楽と建築が幾世紀も寄り添ってきた場所。
石造りのアーチ、黄昏に沈むオペラハウス、風に鳴る鐘の音。
すべてが人の手で築かれ、音とともに時を刻んできた。
そこに彼はいた。
“マエストロ・グレイマン”。
世界屈指の音楽監督。
歴史ある劇場の総監督として数々の名演を世に送り出し、
いまは“音の空間”そのものに情熱を注ぐ異端の巨匠。
そのグレイマンが、SoundGarden計画の設計図と動画記録を目にしたのは、偶然ではなかった。
むしろ、運命に導かれたと言うべきだろう。
そして──
彼は東京へと飛んだ。
東京、出る事務所。
冬の陽が射し込む午後。
重たいノックのあと、事務所の扉がゆっくりと開いた。
「……“この音”を創ったのは、君たちか?」
低くしわがれた声。
帽子をかぶり、長いコートの裾からは磨かれた靴が覗く。
その男の眼差しには、音楽家の厳しさと詩人の狂気が宿っていた。
司郎が、コーヒーを出しながら唸る。
「なんだこのオッサン……見覚えがあるような……」
「マエストロ・グレイマン!」とヘイリーが飛び上がるように言った。
「あの? 世界で一番怒らせちゃいけない指揮者の?!」
「そう、その人!」
グレイマンは、あやのに視線を落とす。
まるで音叉の音を確かめるように、無言で彼女を見つめていた。
やがて、彼は静かに呟いた。
「君のハミング……“死者の耳”を開いた」
その言葉の意味を、最初に理解したのは梶原だった。
そして、あやのは一歩、彼の前に出た。
「……何をお望みですか?」
グレイマンの眼が輝いた。
「共に来い。ヨーロッパの“沈黙の劇場”を、君たちの音で蘇らせたい」
彼が言うのは、100年近く閉鎖されていた、伝説の歌劇場の再生プロジェクトだった。
建築と音楽を融合し、世界がまだ体験したことのない「聴く建築」を生む。
それは、世界遺産と技術と魔法の狭間に揺れるプロジェクトだった。
あやのはそっと息を吸い、
まるで音の温度を確かめるように目を細めた。
「行きます、司郎さん」
司郎はため息をついた。
「……お前が言うなら、行くしかないわねぇ……」




