幕間 ぬら爺誇る
ここは、人の地図には載っていない深山の奥――「妖怪の里」。
天狗の森を越え、川のせせらぎを渡った先にあるその隠れ里では、今日も夜が早く訪れる。
ぽうっと灯る提灯の下、囲炉裏の火が揺れていた。
「ぬら爺ぇ、見たかい。例の人間界の建築、今度の“サウンドなんとか”!」
「んあ? “SoundGarden”じゃよ。音で建てた庭…じゃと」
ぬらりひょんは湯呑みをくるりと回しながら、ゆっくりと茶をすする。
「まったく、あの子はとんでもないことをさらっとやってのけおる。あの人間の建築家とくっついてからというもの……」
「ぬら爺、嬉しそうじゃのう」
カマイタチの三兄弟がひそひそ言う。
「ほれ、お正月さまが“あるがままでよい”と託された子じゃ。どんな姿になろうと、わしらのあやのに変わりはない」
「それにしても、あんなに堂々と立っとったのう。白い服に、まぶしい笑顔に……」
「ほう! 爺、こっそり人間界の中継を“のぞき鏡”で見てたんか!」
「見てないとは言っとらん!」
ぬらりひょんがひょいと頭巾を脱ぎ、くしゃくしゃの白髪を掻きあげた。
「……あの子の目を見たか。“星眼”が、わずかに揺れた」
静かに語る声に、場の空気がぴりっと変わる。
「封じられたままの光が、音によって少し開いた気がしたんじゃ」
「お正月さまのお告げ通りに、“音”が扉になるのかのう」
「おそらくはの。――だが、まだ開かせてはならん」
火の粉がパチリと跳ねる。
「わしらが育てたのは、使命を背負った兵ではない。“生きる者”じゃ」
ぬらりひょんは湯呑みを置き、ゆるりと立ち上がる。
「……そろそろ、便りでも送るかのう。“あやの、ようやった”と」
「えっ、どうやって送るの?」
「鳩じゃ」
「え、今どき?」
「妖怪便は時空を越えるんじゃ。人間のインターネットより正確でな」
「いやそこ競うとこちゃうやろ」
妖怪たちは笑い、囲炉裏の火はあたたかく揺れていた。
ぬらりひょんは、どこか遠くの都市を思い、ぽつりとつぶやく。
「……そろそろ、次の“風”が吹くかもしれん。あの子が風になる前に、われらも備えねばのう」




