第八十三章 音の輪郭
東京湾岸の再開発予定地。
仮囲いの向こうでは、朝の陽が海面に反射し、青白い光が波打っていた。
設置された仮設ステージの上では、ヘイリーが持ち込んだ小型キーボードを使い、即興的なフレーズを紡いでいる。その横であやのが目を閉じ、静かに耳を澄ませていた。
音楽と建築。その融合は、いよいよ実体を持ち始めていた。
「梶原、反響板の仮設はどう?」
「完了した。北風を計算に入れて、反射ポイントも修正してある。次は低音域の試験だ」
司郎は図面を机に広げた。
「これが“響きあう回廊”の中枢だ。単なる展示スペースじゃない。歩く、留まる、話す、演奏する。すべてが音の“軌跡”になるように構成する」
ヘイリーがピアノを止め、あやのに向かって微笑んだ。
「あなたのハミング、次はここで響かせてみない?」
あやのはうなずき、小さく呼吸を整える。
そして、始まった。
「────♪」
それは旋律とは言い切れない、でも確かに“音楽”としか言いようのない不思議な声だった。
風が吹いた。
波が寄せた。
そして湾岸の無機質なコンクリートの空間が、一瞬だけ柔らかく、音を抱いた。
澤井教授が、眼鏡の奥で静かに目を細める。
「……音楽の“重心”が、空間の構造線と一致している。これは――予想を超えているよ」
司郎はポケットから取り出した小型レコーダーで録音しながら、静かに呟いた。
「“沈黙すら設計する”。これがSoundGardenの核だ」
梶原が少しだけ顔を綻ばせる。
「つまり、俺たちは今、都市に“耳”をつけてるってことか」
澤井がうなずいた。
「この湾岸の静けさは、ただの余白じゃない。過去と未来を繋ぐ“共鳴板”なんだ」
司郎が手元のスケッチを加筆しながら言った。
「よし、次は“音の庭”の動線配置だ。音が導く、記憶の回廊。そこに人の流れを刻む」




