第八十一章 音と記憶の風景
東京湾岸の工事現場は、まだ未完成の建物と資材が雑然と並ぶが、そこに響く音はまるで生きているかのように変化していた。
あやのはヘイリーと共に、試験的に設置されたスピーカーとセンサーが織りなす音の網を細かくチェックしていた。
「この周波数帯、思ったよりも人の動きに反応しているわね」あやのがパネルを操作しながら言う。
ヘイリーはノートパソコンの画面に向かってリズムを刻み、細やかに調整を加えていた。
「音の波形がまるで街の呼吸みたい。まるでここに“記憶”が流れているみたいだ」ヘイリーの声には感嘆が込められていた。
その時、梶原が安全確認のために巡回から戻ってきた。
「異常なし。ただ、昼間の風の音が予想以上に強い。音響設計に影響しそうだ」
司郎は現場の青写真を広げ、真剣な顔で言った。
「これからは自然環境との調和も重要になる。建築は単なる物理的構造だけじゃない。音と風、光、そして人の記憶までも織り込むべきだ」
湾岸現場の夕暮れ。あやのが設計図を広げていると、黒塗りの高級車がゆっくりと横付けされた。ドアが開き、スーツ姿の甲斐大和が颯爽と現れる。
「またお邪魔してます、あやの。司郎さん、こんにちは」
彼の笑みは余裕に満ちていて、まさに財閥家の次男坊そのものだ。
司郎は腕組みしてじっと見据えた。まるで“娘”を守る父親のごとく、厳しいまなざしだ。
「おい甲斐大和、あやのにあんまり張り付くんじゃねえぞ。寄る害虫を駆除するのがアタシの役目だ」
甲斐は軽く肩をすくめて、にやりと笑った。
「おっと、司郎さん、それじゃまるで俺がストーカーみたいじゃないですか。まあ、気持ちはわかりますけどね」
あやのはクスクスと笑いながら、二人のやり取りを見守る。
「二人とも、落ち着いて。私は自分の足で歩けるから」
ヘイリーも加わり、明るくフォローする。
「そうよ、司郎さんも大和も、チームファミリーだから。みんなであやのを守ろう!」
司郎は苦笑いしつつも、どこか満足げだ。
「まったく、娘の面倒見てるつもりが、気が付けば財閥の御曹司の“害虫駆除”担当かよ」
甲斐は軽快に返した。
「それが俺の仕事ですから。お嬢様は俺が守りますよ、任せてください!」
あやのはそんな二人を見て心の中で思う。
「みんながいるからこそ、私は強くなれるんだ」
夕闇がゆっくりと街を包み込む中、音と記憶が響きあう湾岸の風景に、彼らの新たな物語が静かに刻まれていった。




