第七十五章 歩く音、響く記憶
東京湾岸。曇り空の下、広々とした再開発エリアに点在する古い倉庫群と、海風に揺れる草地。
その一角に、あやの、司郎、ヘイリー、そして梶原が立っていた。
「ここが“共鳴の回廊”の起点になる予定地です」
あやのが、図面を見ながら指を差す。
地面にはチョークで引かれた仮ライン。ヘイリーが手にした小型スピーカーから、ピアノと風鈴のようなサウンドが静かに流れ出す。
司郎はヘッドホンで音の拡がりを聴きながら歩き、途中で立ち止まった。
「この角、音が跳ね返りすぎるな。吸音パネルを入れた方がいい」
ヘイリーが即座に応じる。
「じゃあここに反響制御のレイヤーを入れるわ。歩く速度によって音が変化するインタラクティブモードも試したい」
あやのは歩幅を調整しながら、小さくハミングを重ねてみる。風の音と重なって、空気に溶けていく。
「この場所は、記憶の残響がある気がする。音が土地と話してる」
梶原が持参した水平器とメモ帳を確認しながら、ぼそり。
「地盤は良好。音響装置のケーブルは地下配線だな。雨風でも大丈夫なようにしておく」
司郎がニヤリと笑う。
「頼れるな、梶原。じゃあ、残響実験は夜もやる。人工光の中でどれくらい音が広がるか試す必要がある」
日が暮れ始め、現場には少しずつ灯りがともる。
ヘイリーがうっとりしたように言った。
「ねえ、これって、まるで“音の庭”じゃない?」
あやのが微笑む。
「Sound Garden──その名のとおりに」
彼らの作る音の風景が、東京湾にひっそりと芽吹き始めていた。




