第七十三章 響き合う設計図
夕暮れの「出る事務所」。大きな窓からは都会の灯りが揺れて見える。
司郎は手に資料を持ちながら、いつもの無骨な作業服姿で机に向かっていた。あやのはソファに座り、澤井教授からもらった音響データをパソコンに入力している。
梶原は窓際で腕を組み、鋭い目で湾岸の模型を見つめていた。
「この場所はただの倉庫街じゃない。音が満ちてる。古い記憶がまだ息づいている」とあやのが言う。
「なるほど、それをどう建築に活かすかだな」司郎が手を止め、資料をあやのの方へ差し出す。
「ここに音の動線を組み込み、回遊できる“響きあう回廊”を設計しようと思う。人が歩くたびに音が変化して、訪れる人に古き良き時代と未来の音が交錯する体験を提供するんだ」
梶原が静かに頷く。
「俺の現場での経験も活かせる。安全面は俺に任せろ。あと、音響機器の設置位置も綿密に計算する必要がある」
そこへ電話が鳴り、司郎が受話器を取る。
「あ、澤井教授からだ。どうやら現場の詳細調査で新しい発見があったらしい」
司郎が顔をほころばせる。
「よし、明日現場で教授と合流だ。あやの、ヘイリーにも連絡してくれ」
あやのはスマホを取り出し、ヘイリーにメッセージを送る。
「私たちのチームはもう一歩先へ進む。これからのプロジェクトは音楽と建築の完璧な融合だ」
三人の目が揃って輝いた。
夜の「出る事務所」は静かに眠りにつくが、明日への期待と緊張が確かに満ちていた。
夕暮れの東京湾岸、出る事務所の広い会議室に音楽の波動が満ちていた。壁一面の大きな窓から、黄金色に染まる空と東京湾の煌めきが静かに見える。
あやのはデスクの上に置かれた小さなキーボードを指先で撫でながら、静かにハミングを始める。彼女の藍色の瞳は、いつもとは違う深い集中の色に染まっていた。
「ねえ、あやの、もっと自由に感じていいんだよ」隣の椅子に座るヘイリーが、柔らかく微笑む。ラテン系の陽気さと穏やかな情熱が溢れるその声が、室内の空気をあたためる。
あやのはゆっくり息を吸い込み、声を伸ばした。そのハミングは音階を超えて、まるで建築物の空間そのものに響き渡るような力を持っていた。
ヘイリーはすぐに反応し、手元のギターを奏で始めた。リズムは軽やかで、メロディは心地よく揺れる。二人の音は絡み合い、時間と空間を溶かすように広がった。
司郎は遠巻きにその様子を眺めながら、模型の青写真に目を落とす。だがその口元には自然と微かな笑みが浮かんでいた。
「こういう瞬間が、俺たちの設計の原点なんだな…」彼は静かに呟いた。
梶原は少し離れた窓際で腕組みをしつつも、気づけばリズムに合わせて足を小さく動かしていた。
音と空間が一体化する瞬間、出る事務所はただの建築事務所ではなく、生きた芸術の場へと変わっていくのだった。
夕暮れの柔らかな光が差し込む出る事務所の会議室。広い窓の外には東京湾の波がきらきらと揺れ、穏やかな風がカーテンをそっと揺らしている。壁にはこれまでのプロジェクトの模型や設計図が所狭しと並び、その中でも中央に置かれた「Tokyo Sound Garden」の大きな模型が存在感を放っていた。




