第六十八章 眠れる空地
東京湾岸──
高層ビル群が途切れる、その境界にぽっかりと口を開けた土地があった。
空は広く、工業地帯の名残りを微かに留めながらも、風はやけに自由だった。
錆びたフェンス、草に埋もれた仮設の柵。土がやわらかく踏みしめられ、空が、やけに近く感じる。
かつてここには音楽フェスの会場があり、何万人もの歓声が波打っていたという。
けれど今は、ただの静けさ。
いや、あやのには聞こえていた。風のなかに、音がこぼれていた。
──過去の声じゃない。
──これから響く、未来の音。
「ねえ司郎さん、ここ……」
「ええ。鳴ってるわね。呼んでる。建てろって、言ってるじゃないの」
あやのの横で、司郎正臣が小さく頷いた。
その後ろで梶原國護が無言で測量機材を背負い、地形をじっと見つめていた。
彼の脳内では、既に地下配管の動線がイメージされていた。
「……音が迷わないように、通り道を作らなきゃいけない」
あやのがぽつりと言った。
「通り道?」
「うん、“共鳴の回廊”みたいに。けど今回はもっと開かれた感じ。風と光と音の──」
「庭ね」
司郎が言葉を継いだ。
「“Sound Garden”。あたしたちの音楽建築の次のかたちよ。まさに教授の言ってた“都市の音楽庭園”じゃないの」
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その日の午後。彼らは澤井教授の私邸を訪れた。
書斎には古地図や都市再開発案、そして一冊の厚いスクラップブック。
「昔ね、ここで“未来型音楽都市”をつくろうとしたんだ。結局、バブル崩壊で全部おじゃんだったがね」
教授は苦笑しながらも、まなじりに熱が戻っていた。
「君たちならできる。あの蔵前で“過去を癒やす音”を形にした。
今度は、未来の都市を共鳴でつなぐんだ」
「光の通り道と、音の庭を……ですね」
あやのの小さな言葉に、澤井はゆっくりと頷いた。
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こうして、「Tokyo Sound Garden」は静かに始動する。
この計画は、街に“音楽”という新たなインフラを張り巡らせることを目的としていた。
交差点、河川敷、屋上、地下道──
人が通るたびに、音がそっと寄り添うような仕組み。
その中心となる場所が、東京湾岸のあの空地。
そこに、音を集め、反響させ、還す「音の中庭」が造られる。
司郎デザイン、そしてあやのの“耳”をもってして初めて成立する、都市と人の“共鳴の輪”。
物語は、再び静寂の彼方へ。
だがその音は、確かに鳴り始めていた。




