第六十六章 設計者たちの静かな火花
「この梁の曲線……どういう意図だ?」
資料をめくる吉田の眼鏡が、淡く反射する。
透けるように白い指先が、模型の一点を示した。
その場にいた全員の視線が、司郎の手による原案図に注がれる。
光と影を操るかのような、動的な構成美。まるで音楽のような建築。
「空間の響きよ。音が螺旋で抜けていくの。数学的にも合理的。気に入らないの?」
司郎がやや面白がるような口調で返す。
「正確には”過剰”だと思っただけだ。必要以上に詩的すぎる」
「ええ、詩的なのが狙いですけどなにか?」
「……まったく、君という人は」
吉田は額に手をあてたが、その表情に怒りはなかった。むしろ、静かな闘志のようなものが宿っていた。
「じゃあ吉田くんはどう描くの?」
あやのが問いかける。
「静けさを建てる。俺の設計は常に”沈黙”が主役だ」
その言葉に、司郎は目を細めた。
「ずいぶん音楽的な発想するじゃない。あやのと気が合うかも」
「それはどうかな。僕は”計算”で沈黙を設計する。感性ではなく、法則をもって構成する」
「だったら──」
司郎の瞳が細く笑う。
「──あたしは”逸脱”で応えるわ。構成を壊してでも美を残す」
「破綻している。だが、成立している。不快だが……興味深い」
「褒めてる?」
「皮肉のつもりだ」
「ありがと」
吉田と司郎。
設計思想も対話のテンポも、まるで正反対。
けれど──互いの違いを真っ向からぶつけられる空気が、そこにはあった。
そしてそれは、真木あやのにとって、何よりの希望だった。
違う考えが並んでいるのに、否定ではなく、拡張されていく。
音も、線も、色も、きっと混ざり合える。
その日の夕方。
屋上テラスに立った吉田が、沈む夕日に染まりながらぽつりとつぶやく。
「……ここの幽霊は、どうして俺に優しい?」
あやのが隣に立つ。
「あなた、幽霊よりも静かだから。きっと同族だと思われてるんですよ」
「……冗談だな」
「いえ、本気です」
屋上に、笑い声がひとつだけ残って、風に消えた。




